大無量寿経

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サンスクリット原本

大無量寿経は、サンスクリットから漢文に

12回訳出されて、7訳が失われ、現存するのは5訳なので

「五存七欠」と言われています。

その中でも大無量寿経、無量寿如来会、無量寿荘厳経と

平等覚経、大阿弥陀経は訳された内容が大きく異なる部分があるので

サンスクリット原本は2つ以上あったのであろうとされています。

現存しているサンスクリット原本はこれらの「五存」として現存するものの

原本ではありません。

祖師聖人はこれらの異訳本の中から

 「それ真実の教を顕さば、すなはち『大無量寿経』これなり」と他の異訳を選ばず、

「大無量寿経」が真実の経典であると断定されました。

教行信証には大無量寿経の引用に並べて、異訳の引用も多数されています。

有名な

十八願成就文の「乃至一念」を「信の一念」と明らかにされたのは

異訳の無量寿如来会に「一念浄信」とあるのを根拠にされたのです。

「往きやすい」とは極楽浄土のこと。

阿弥陀仏は「助けさせてくれよ」と手をさげて待っておられる。

「ただで救う」と言っておられるから「往きやすい」という言葉もいらぬ「易さ」

しかし「人がない」。

往っているひとが少ない、ということだが「おかしいな」と思うだろう。

楽しい極楽へ往きやすいのに往っているひとが無いなら「往きやすい」とは言えない。

「往きやすい」なら往っているひとが多いはず。

往っているひとがないなら「往きにくい」のでは?


「ただで救う」と誓われてもほとんどのひとは「ただじゃそうな」と

人ごとのように聞いている。

だんだんと死が近づいて自分の問題になってくると

「どんな『ただ』なのか、『ただ』がわからん」という疑いが起こってくる。

三定死を突破して、阿弥陀仏に救われたひとは

「ただじゃったー」と躍り上がって喜ぶ。

そこまで仏法を聞いたひとには往きやすい浄土だと言われている。


これによりて『大経』には、「易往而無人」とこれを説かれたり。

この文のこころは、「安心をとりて弥陀を一向にたのめば、浄土へはまゐりやすけれども、

信心をとるひとまれなれば、浄土へは往きやすくして人なし」

といへるはこの経文のこころなり。(御文章)

尊者阿難座よりたち
 世尊の威光を瞻仰し
 生希有心とおどろかし
 未曾見とぞあやしみし(浄土和讃)



お釈迦様が阿弥陀仏の本願を説かれたときの事情を

御和讃で親鸞聖人はこのように教えてくださっています。


「尊者阿難座よりたち」

いまから御法座が始まろうとしているときに

阿難という、いつもお釈迦さまのお世話をしていたお弟子が

お釈迦様の様子がいつもと違ってひかり輝いているのに驚いて

「今日はどうされたのですか」と思わずお聞きした。

お釈迦さまは仏のさとりをひらかれていつも仏徳を発揚して

輝いておられたが、そのときの様子は

「諸根悦予し姿色清浄にして、光顔巍々」と

いつもと比べ物にならないくらい輝いておられたので

見慣れている阿難が驚いて立ち上がったのです。

阿弥陀仏の本願1

たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、

至心信楽してわが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。

もし生ぜずは、正覚を取らじ。

ただ五逆と誹謗正法とをば除く。(十八願)


これが「阿弥陀仏の本願」。

選択本願とも、王本願とも言われる。

阿弥陀仏は四十八願を建立されたがその中で

「これが私の本心である」と選び取られ、自らの願いのままに語られた本願。


これは阿弥陀仏のお言葉であって、お釈迦様のお言葉ではありません。

「たとひわれ仏を得たらんに」の「われ」は

阿弥陀仏が御自分のことを「われ」と言われているのです。

「お経はお釈迦様の説法ではないの?」と思われる方もあるでしょうが

お釈迦様が弥陀三昧に入られて、阿弥陀仏の御心のままに説かれたのが

この本願ですから、口はお釈迦様の口であっても

説かれたお言葉は阿弥陀仏のお言葉なのです。

教行信証にも、その当時の事情を、大無量寿経を引用されています。




『大無量寿経』にのたまはく、

「今日世尊、諸根悦予し姿色清浄にして、光顔巍々とましますこと、

あきらかなる鏡の浄き影、表裏に暢るがごとし。

威容顕曜にして超絶したまへること無量なり。

いまだかつて瞻覩せず、殊妙なること今のごとくましますをば。

やや、しかなり。大聖、わが心に念言すらく、

今日世尊、奇特の法に住したまへり。

今日世雄、仏の所住に住したまへり。

今日世眼、導師の行に住したまへり。

今日世英、最勝の道に住したまへり。

今日天尊、如来の徳を行じたまへり。

去来現の仏、仏と仏とあひ念じたまへり。

いまの仏も諸仏を念じたまふことなきことを得んや。

なんがゆゑぞ威神の光、光いまししかると。(教巻)

選択本願

たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、

至心信楽してわが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。

もし生ぜずは、正覚を取らじ。

ただ五逆と誹謗正法とをば除く(十八願)


阿弥陀仏の四十八願は有名だが、その十八番目の本願が

阿弥陀仏の本心を誓われた本願だから「王本願」とか「選択本願」という。

本願とは誓願ともいい「お約束」

現代語に訳すると

「どんなひとも 必ず助ける 絶対の幸福に」という意味。

何のために生きているのか、人生の目的も知らず

やがて壊れていく無常の幸せしか知らないすべてのひとを

死ぬときになっても壊れない『絶対の幸福』にしてみせる」

というお約束。

お釈迦様はこの阿弥陀仏の本願ひとつを説くために

45年間仏教を説き続けられたのです。

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