正信偈

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即横超截五悪趣

「即横超截五悪趣」といふは、信心をえつれば

すなはち横に五悪趣をきるなりとしるべしとなり。

「即横超」は、「即」はすなはちといふ、

信をうる人はときをへず日をへだてずして正定聚の位に定まるを即といふなり。

「横」はよこさまといふ、如来の願力なり、他力を申すなり。

「超」はこえてといふ、生死の大海をやすくよこさまに超えて

無上大涅槃のさとりをひらくなり。(銘文)

「即」は「即得往生」の即。

「信をうる人はときをへず日をへだてずして正定聚の位に定まるを即といふなり」と

教えられています。

信の一念に「仏のさとりをひらくことに定まる」から「無上大涅槃のさとりをひらくなり」

と言われています。

教行信証信巻の以下のお言葉も同じ。

これを一益法門と間違えるのは二益が不一であることを知らない者でしょう。

大願清浄の報土には品位階次をいはず、一念須臾のあひだに、

すみやかに疾く無上正真道を超証す、ゆゑに横超といふなり。(信巻)

>「帰命」という言葉と、次の句の「南無」とは同じ意味です.

>どちらも、「依り処として、敬い信じて順います」というほどの気持ちを表わしているのです。

>ここでは、一つの信順の思いを二つの言葉に分けて表現してあるわけです。


これは東本願寺のHPにある解説です。

親鸞聖人の解釈は教行信証にあります。



しかれば、「南無」の言は帰命なり。乃至

ここをもつて「帰命」は本願招喚の勅命なり。(行巻)


帰命や南無を「本願招喚の勅命」と解釈されたのは親鸞聖人だけですから

とても大切なところ。


「本願招喚の勅命」とは「そのまま来い」という阿弥陀仏の呼び声です。

その呼び声を聞いた時を聞即信の一念といって

その時その場で救われますから


帰命無量寿如来 南無不可思議光の二行は

>「依り処として、敬い信じて順います」というほどの気持ち

とか「おまかせします」というような意味ではなく、

「阿弥陀仏に救われた、阿弥陀仏に救われた」という

喜びの叫びになるのです。

自分自身の力はなにひとつ間に合わず

阿弥陀仏の呼び声ひとつで救われたのですから

自分が「おまかせします」という言葉も要りません。


 しかれば、「南無」の言は帰命なり。「帰」の言は、[至なり、] 

また 帰説なり、説の字は、[悦の音なり。] また帰説なり、

説の字は、[税の音なり。悦税二つの音は告なり、述なり、人の意を宣述するなり。](行巻)


「よろこんで弥陀の仰せに服することである」というこの親鸞聖人の解説も

そういうことを仰っています。

正信偈の成り立ち

「無量寿如来に帰命し、不可思議光に南無したてまつる」で始まる正信偈。
この二行は「阿弥陀仏に救われたぞー。死んでからではなかった、阿弥陀仏に助けられたぞー。」
という喜びを叫ばれた二行です。

「法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、」以下は
「私、親鸞がこの幸せな身に救われるまでに阿弥陀仏のどのような御苦労があったのか」と
大無量寿経にお釈迦様が教えておられる阿弥陀仏の御苦労を書いておられます。

「よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。」以下は
この救われた世界というのはどんな世界なのか。
救われたとは何がどうなったのか、書いておられます。

「印度西天の論家、中夏日域の高僧、」以下は
お釈迦様が亡くなられてからインドから中国を経て日本の私まで
阿弥陀仏の救いを正しく教え伝えてくださった七人の高僧の名をあげられて
その御恩に感謝しておられます。
以下龍樹大師、天親菩薩、曇鸞大師、道綽禅師、善導大師、源信僧都、源空上人が
それぞれどのように教えてくださったか、書いておられます。

最後に
「道俗時衆ともに同心に、ただこの高僧の説を信ずべし」
すべてのひとよ、この七人の高僧の教えを信じて
私と同じ阿弥陀仏の救いにあって人間に生まれた本懐を遂げてくれよ、と
すべてのひとに「人間に生まれてよかった」という生命の歓喜を獲る身になって
もらいたいと正信偈を書かれた目的を書いておられます。

われ超世の願を建つ、かならず無上道に至らん。

この願満足せずは、誓ひて正覚を成らじ。

われ無量劫において、大施主となりて、

あまねくもろもろの貧苦を済はずは、誓ひて正覚を成らじ。

われ仏道を成るに至りて、名声十方に超えん。

究竟して聞ゆるところなくは、誓ひて正覚を成らじ。(大無量寿経 重誓偈)


四十八願の内容を重ねて誓われた偈なので重誓偈といわれます。

「われ超世の願を建つ、かならず無上道に至らん」

なぜ「超世の願」なのか。

「名を称える者を救う」という願ならば諸仏にもあります。

「称えさせてみせる」「称えこころを与える」「まことの心を与える」という願は

阿弥陀仏の十八願だけ。

南無阿弥陀仏の「南無というは帰命、またこれ発願回向の義なり」は善導大師の六字釈。

「南無という二字は阿弥陀仏を信じることのできるまことの心。

まことの心をもってない十方衆生にまことの心を与えて阿弥陀仏を信じさせてみせる」

さらに

「この世も未来も苦から苦への綱渡りをして本当の幸せを知らない十方衆生に

この南無阿弥陀仏の名号を与えて絶対の幸福にしてみせる。」

「この南無阿弥陀仏の名号を十方衆生に聞かしめて必ず無碍の一道に出してみせる」

というお約束です。

「たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、

心を至し信楽してわが国に生れんと欲ひて、

乃至十念せん。

もし生れざれば、正覚を取らじと。

ただ五逆と誹謗正法を除く」(十八願)

「助ける縁手がかりのないものを助けるにはどうしたらいいか」

十方衆生を助けるこの本願を建てるのに五劫(一劫は四億三千二百万年)かかられました。

お医者様なら病人を治す薬を作る設計図をつくるのにそれだけの時間が必要だったのです。

私たちはどういう姿をしているのでしょうか。

「心につねに悪を念ひ、

 口につねに悪をいひ、

 身につねに悪を行じて、

 かつて一善もなし」(大無量寿経)

「心に思う事も、口で言う事も、身体でしたことも

今までひとつの善もしたことのないのがお前達の姿だ」ということです。

「そんなにひどくないよ」と思うでしょ。

「いいことだってときどきしてる」とか。

ずーっと便所の中にいると臭くなくなるように

感覚が麻痺して自覚がないんです。

麻痺ならいいのですが死んでいたらどうにもなりません。

だから、そんなものを助けるのは

「大海の水を升でくみ干して、海底にある宝を身体をぬらさずにとってくるより

難しい」ことになるので、設計図を考えるのに仏方の師匠が五劫かかられたのです。

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