日蓮系用

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あらゆる善根が成仏の因縁であることが説かれています。

「南無仏」という称名念仏もあります。

「念仏無間」と言った日蓮は

本当に法華経を読んでいたのでしょうか?



六度万行する者も

「子供が遊びで砂をあつめて仏塔を造る」のも

「子供が遊びに、草木、筆や指の爪甲で仏像を書く」のも

同等に因縁になると説かれているのは何故でしょう。

己心の仏性を開発するなら菩提心の無い行為は

成仏の因縁になりません。

仏願力に照らされて為さしめられている行だから

成仏の因縁になるのです。

己心を観じて題目を唱えるなんて子供にはできません。

唱題で成仏した人はありません。




又諸の大聖主 一切世間の
  天人群生類の 深心の所欲を知ろしめして
  更に異の方便を以て 第一義を助顕したまふ
  若し衆生類有りて 諸の過去の仏に値ひたてまつりて


  若しは法を聞きて布施し 或は持戒忍辱
  精進禅智等 種々に福徳を修せし
  是の如き諸人等 皆已に仏道を成ぜり
  諸仏滅度し已りて 若し人善軟の心ありし


  是の如き諸の衆生 皆已に仏道を成ぜり
  諸仏滅度し已りて 舎利を供養する者
  万億種の塔を起て 金銀及び頗黎
  しゃこ碼碯と まい瑰瑠璃珠とをもて


  清浄に広く厳飾し 諸の塔を荘校し
  或は石廟を起て 栴檀及び沈水
  木樒並びに余の材 甎瓦泥土等をもてせる有り
  若しは曠野の中に於て 土を積んで仏廟を成し


  『乃至童子の戲れに 沙を聚(あつ)めて仏塔と為せる
  是の如き諸人等 皆已に仏道を成ぜり』
  若し人仏の為の故に 諸の形像を建立し
  刻彫して衆相を成せる 皆已に仏道を成ぜり


  或は七宝を以て成し 鍮鉐赤白銅
  白鑞及び鉛錫 鉄木及与泥
  或は膠漆布を以て 厳飾して仏像を作せる
  是の如き諸人等 皆已に仏道を成ぜり


  綵画して仏像の 百福荘厳の相を作すこと
  自らも作し若しは人をしてもせる 皆已に仏道を成ぜり
  『乃至童子の戲れに 若しは草木及び筆
  或は指の爪甲を以て 画きて仏像を作せる』


  是の如き諸人等 漸漸に功徳を積み
  大悲心を具足して 皆已に仏道を成ぜり
  但諸の菩薩を化し 無量の衆を度脱せり
  若し人塔廟 宝像及び画像に於いて


  華香旛蓋を以て 敬心にして供養し
  若しは人をして楽を作さしめ 鼓を撃ち角貝を吹き
  簫笛琴箜篌 琵琶鐃銅ばつ
  是の如き衆の妙音 尽く持ちて以て供養し


  或は歓喜の心を以て 歌唄して仏徳を頌(じゅ)し
  乃至一小音をもてせし 皆已に仏道を成ぜり
  若し人散乱の心に 乃至一華を以て
  画像に供養せし 漸く無数の仏を見たてまつれり


  或は人ありて礼拝し 或は復但合掌し
  乃至一手を挙げ 或は復少し頭を低(た)れ
  此れを以て像に供養せし 漸く無量の仏を見たてまつりて
  自ら無上道を成じて 広く無数の衆を度し


  無余涅槃に入ること 薪尽きて火の滅ゆるが如くなりき
  若し人散乱の心に 塔廟の中に入りて
 『 一たび南無仏と称せし 皆已に仏道を成ぜり』

あらゆる善根が成仏の因縁であることが説かれています。

「南無仏」という称名念仏もあります。

「念仏無間」と言った日蓮は

本当に法華経を読んでいたのでしょうか?




又諸の大聖主 一切世間の
  天人群生類の 深心の所欲を知ろしめして
  更に異の方便を以て 第一義を助顕したまふ
  若し衆生類有りて 諸の過去の仏に値ひたてまつりて


  若しは法を聞きて布施し 或は持戒忍辱
  精進禅智等 種々に福徳を修せし
  是の如き諸人等 皆已に仏道を成ぜり
  諸仏滅度し已りて 若し人善軟の心ありし


  是の如き諸の衆生 皆已に仏道を成ぜり
  諸仏滅度し已りて 舎利を供養する者
  万億種の塔を起て 金銀及び頗黎
  しゃこ碼碯と まい瑰瑠璃珠とをもて


  清浄に広く厳飾し 諸の塔を荘校し
  或は石廟を起て 栴檀及び沈水
  木樒並びに余の材 甎瓦泥土等をもてせる有り
  若しは曠野の中に於て 土を積んで仏廟を成し


  乃至童子の戲れに 沙を聚(あつ)めて仏塔と為せる
  是の如き諸人等 皆已に仏道を成ぜり
  若し人仏の為の故に 諸の形像を建立し
  刻彫して衆相を成せる 皆已に仏道を成ぜり


  或は七宝を以て成し 鍮鉐赤白銅
  白鑞及び鉛錫 鉄木及与泥
  或は膠漆布を以て 厳飾して仏像を作せる
  是の如き諸人等 皆已に仏道を成ぜり


  綵画して仏像の 百福荘厳の相を作すこと
  自らも作し若しは人をしてもせる 皆已に仏道を成ぜり
  乃至童子の戲れに 若しは草木及び筆
  或は指の爪甲を以て 画きて仏像を作せる


  是の如き諸人等 漸漸に功徳を積み
  大悲心を具足して 皆已に仏道を成ぜり
  但諸の菩薩を化し 無量の衆を度脱せり
  若し人塔廟 宝像及び画像に於いて


  華香旛蓋を以て 敬心にして供養し
  若しは人をして楽を作さしめ 鼓を撃ち角貝を吹き
  簫笛琴箜篌 琵琶鐃銅ばつ
  是の如き衆の妙音 尽く持ちて以て供養し


  或は歓喜の心を以て 歌唄して仏徳を頌(じゅ)し
  乃至一小音をもてせし 皆已に仏道を成ぜり
  若し人散乱の心に 乃至一華を以て
  画像に供養せし 漸く無数の仏を見たてまつれり


  或は人ありて礼拝し 或は復但合掌し
  乃至一手を挙げ 或は復少し頭を低(た)れ
  此れを以て像に供養せし 漸く無量の仏を見たてまつりて
  自ら無上道を成じて 広く無数の衆を度し


  無余涅槃に入ること 薪尽きて火の滅ゆるが如くなりき
  若し人散乱の心に 塔廟の中に入りて
 『 一たび南無仏と称せし 皆已に仏道を成ぜり』

法華と念仏は同時の教

「阿闍世は....乃至..清浄衆に預り、涅槃の時に至りて逆罪の者を引く」(法華文句)


阿闍世王は法華説時初期には、法華経を聞くことができた清浄衆であったが

涅槃経を説かれたときには父を殺した五逆罪の者と説かれていることに言及している

天台大師の文である。

法華説時の末期に、王舎城の悲劇が起こり、

生んだ我が子、阿闍世のために韋提希夫人は七重の牢に入れられた。

「助けて、お釈迦様!!」という韋提希夫人の叫びが霊鷲山で法華経の

説法をしておられたお釈迦様の耳に届いた。

「出世の本懐を説く機縁が熟した」と法華経の説法を中断されて

王舎城の牢獄で韋提希夫人に阿弥陀仏の本願を説かれたのが

観無量寿経の説法である。


「出世の本懐は法華経を説くことにあらず、

阿弥陀仏の本願を説くことこそが仏としての使命」ということを

お釈迦様が、御自身の行動で示された出来事であった。



むかし釈尊、霊鷲山にましまして、一乗法華の妙典を説かれしとき、

提婆・阿闍世の逆害をおこし、釈迦、韋提をして安養をねがはしめたまひしによりて、

かたじけなくも霊山法華の会座を没して王宮に降臨して、

韋提希夫人のために浄土の教をひろめましまししによりて、

弥陀の本願このときにあたりてさかんなり。

このゆゑに法華と念仏と同時の教といへることは、このいはれなり。(御文章)

「なんぢもし念ずるあたはずは、まさに無量寿仏と称すべし」と。

かくのごとく心を至して、声をして絶えざらしめて、十念を具足して

南無阿弥陀仏と称せしむ。

仏名を称するがゆゑに、念々のなかにおいて八十億劫の生死の罪を除く。

(観無量寿経)

佛告父王。

如是等名未來世觀佛三昧。亦名分別佛身。亦名知佛色相。

亦名念佛三昧。

亦名諸佛光明覆護衆生。説是語時。天龍夜叉八部鬼神。十●二億衆。

發阿耨多羅三藐三菩提心。自發誓願。願於來世常入三昧。見佛色身如今無異
 
                 (佛説觀佛三昧海經)


「称南無阿弥陀仏」「念仏三昧」のお言葉は一切経にありますが

南無妙法蓮華経は一切経のどこにもありません。

「文底秘沈」なら「法法華経(ほーほけきょ)」でもよろしいわけです。

re.いろいろな御文をあげた結論は
2001/ 2/ 1 16:51 [ No.803 / 29279 ]

>法華経が一番だから他の経は嘘」ということでしょうか?

「方便」です。「方便」は辞書にものっている日本語なので、あなたが理解できないのであれば、それはあなたの責任なので、理解できるように勉強して下さい。

>「余の深法」といえば法華経も深法ということ。深法、妙法はおなじです

「余」の意味は「それ以外。そのほか。その他。別。ほか。あまり。残り」です。
だから「法華経以外の」という意味ですから法華経は含みません。


>いろいろな御文をあげた結論は?

まず、確認しておきますが、この議論は「法華経は出家の法」から始まって、「在家は可か、不可か」という議論です。

で、私の結論は以下の経文があるので「在家は不可」といえば法華経の誹謗。法華経の誹謗は無間罪。


「若し人一の悪言を以って、『在家』、出家の、法華経を読誦する者を毀・(きし)せん、其の罪甚だ重し。」
「薬王、多く人有って、『在家』、出家の、菩薩の道を行ぜんに、若し是の法華経を見聞し、読誦し、書持し、供養すること得ること能わずんば、当に知るべし。是の人は、未だ善く菩薩の道を行ぜざるなり。若し是の経典を聞くこと得ること有らん者は、乃ち能善く菩薩の道を行ずるなり。」


「法華経も詮無し」は法謗だと思いますか?
2001/ 2/ 2 8:42 [ No.804 / 29279 ]

「方便」は嘘でなく「必要のもの」です。あなたが法華経以外の経典を否定したと思ったので聞いたのですが。やっぱり否定はしないのかな。どっちだろう。
「他の馬鹿」といえばその言葉の対象も「馬鹿」だといっているのがわかりませんか。これは日本語です。
「在家は可か、不可か」は「在家で悟れるか否か」という意味。「悟れなくともよい」というのは仏教ではないので問題外。「法華経も詮無し」は法謗か否か答えていただきたい。

以後、法華経在家信者から返答無し

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