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父は藤原有範卿、母は吉光御前といわれます。
幼名を松若丸と言われました。
1156年 保元の乱
1159年 平治の乱
1177年 京都の大火
1181年 養和の飢饉
こういう災難の続く京都の街にお生まれになった聖人は
4歳で父君と、8歳で母君と死別されたと言われている。
母君が亡くなられて「次は自分の番だ。今晩死ぬとなったらどうなるのか」と
御自分の後生に驚かれてわずか9歳で出家を決意された。
当時、全国の精鋭があつまり仏教の中枢であった比叡山に入られるために
天台座主であった慈円に出家を願い出られました。
慈円和尚は「9歳で出家とは尊い御こころ。では明日得度の式を」と願いを許されたが
松若丸は
「明日ありと思うこころの仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかわ」と詠まれた。
今を盛りと咲く花も一陣の風で散ってしまいます。
今晩が最後であれば明日の得度は受けられません。
無常は迅速。明日と言わずに今日、得度していただけないでしょうか。
「そこまでそなたは無常を観じておられるのか」
幼い子供に仏道の第一歩、菩提心の始めである無常を教えられた慈円は
すぐに得度の式をあげさせたのでした。
その日から親鸞聖人の20年間の比叡山での難行苦行が始まったのです。
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