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「所長、最近小銭の方はどうなんですか?」 「小銭 コゼニじゃない、古銭 コセンだっちゅうの!」 「もうそんなタレントいませんよぉ」 私は渡辺いっこう。フリープロデューサーである。 冒頭からアシスタントの片桐くんと漫才の掛け合いみたいで恐縮である。 ほんと若い連中はアンティーク収集を理解する者が少ない。 ましてや古銭というと、年寄り扱いである。 やはり団塊の世代の大量リタイアもあるし、これからはシニアの時代だよ、「サライ」だ「ラピタ」だ。 このGW中にちょっとレアな一品をゲットした。 オークション・ネットという入札会で落札したのだ。 「順治通宝背二」というもの。 中国の清王朝のごく初期の貨幣である。 以前に「順治通宝のコレクションに注力している」と書かせていただいた。 http://blogs.yahoo.co.jp/ikkousan1101/4223523.html 明の末期、中国東北部の満州族が大挙して国境に迫っていた。 明は、主力を差し向けて例の長城で万全のディフェンスを敷く。 山海関という巨大な城塞都市が中核で、元気いっぱいな満州族も釘づけにされていた。 余談だが、豊臣秀吉は唐入りと称して明を目指したが、仮に朝鮮全土を征服できたとしても、この山海関を抜くのはとうてい無理だったろう。 さて明の首都北京は、主力軍がいなくなっているところに農民反乱軍に攻められてあえなく陥落、最後の皇帝の毅宗・崇禎帝(朱由検)は紫禁城裏山で縊死した。 山海関を守っていた明将の呉三桂は、その報に接して満州族に寝返り、先導して北京を攻めて、かくして満州族の支配する清王朝が成立。 呉三桂の寝返りの理由は、百姓を皇帝に戴きたくなかったということだが、北京に残していた愛人が奪われたせいともいう。まあ両方かもね。 今回ゲットした「順治通宝背二」というのは、バリエーションの中の一つでちょっと珍しい。 ごく初期の製作と思われ、よく言えば素朴、悪く言うと粗製。 普通「背二」というと二文銭なのだが(折ニ銭という)、どうも一文銭(小平銭)で通用していたらしい。 銭径もそう大きくない(本品は27.6mm。もっとも前代の崇禎通宝の折二銭には小さいものがあるが)。 鋳造場所も満州エリアとの説が有力ではあるが、山西省あたりで鋳られたと言う人もいる。 記録が一切ないので謎なのだ。 私が属する同好会「細道の会」で成分分析が進められようとしている。 難物のひとつをクリアして、これで順治通宝完収の目処がついた♪ 「所長、これって本物なんですか〜。えらくキタナイですよ」 「な、何バカなこと言ってんの。本物に決まっているだろ」 実は、この「背二」では真贋で苦労したことがある。すったもんだして返品した。 情報が少なく、また近年中国から新規に入ってきたものもありで混乱した。 「いくらで落札したんですか?」 片桐くんは案外しつこい。 「…2万2,000円」 「ええっ!そんなんだから女性とデートするお金なくなるんですよ」 収集と恋愛、双方成り立たぬものか。 まあ、どちらも妄執、錯誤なのかもしれぬ。 今日も精進の日々である。
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