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私は渡辺いっこう。フリープロデューサーである。 1908年11月14日、大清帝国皇帝・愛親覚羅載湉(光緒帝)が崩御した。 宝算38。 光緒帝は、1875年2月、数え歳で5歳にして中国皇帝に即位。 恭親王奕訢が摂政、前皇帝(同治帝)の母后・西太后が実権を掌握。 アヘン戦争の敗北以来、欧米列強の蚕食にあえぐ中国・清では、日本の明治維新にならって西洋化政策を進めようという機運が高まっていた。 18歳の若き光緒帝は、光緒24年4月23日(1898年6月11日)、「国是を定める詔」を宣言し、改革をスタートさせた。 戊戌の変法という。 理想にはしる改革は各方面で摩擦・軋みを生じ、既得権益に拠る者たちからの憎悪を胚胎させた。 改革開始からおよそ100日。8月6日(=9月21日)、西太后が袁世凱の軍事力を使ってクーデターを起こし、改革派を大弾圧、皇帝を病気と称し幽閉してしまった。 以後、西太后が国政を舵取りし、迷走を重ねつつ、帝国は終焉を迎える。 さて、光緒34年10月21日(1908年11月14日)、幽閉中の光緒帝が急死。翌10月22日(=11月15日)には西太后が亡くなる。これって変でしょう? つい最近、科学者チームが光緒帝の遺髪から大量の砒素を検出したと発表した。やはりね。 しかし、誰の犯行かは謎のままだという。古来、自らの死期を覚った西太后が、政敵である皇帝を毒殺したと言われている。しかし、西太后は巷間信じられているほど愚かではないらしい。真犯人は光緒帝の改革を潰した実行犯の袁世凱で、復権した皇帝からの報復を恐れて先制攻撃したとの説が有力になってきている。 この時代は、浅田次郎のベストセラー『蒼穹の昴』他で描かれているね。フィクションだけど。 日本人は悲劇のヒーローが好きだけど、中国人はちがうようだ。 北京を観光で訪れた時、現地のガイドさんに尋ねてみた。 「光緒帝は中国でどう評価されていますか?」 「暗君。弱い皇帝です」 へえー、そうなんだ。でも、考えてみると、数十万人の敵兵を殺戮しようが、体制批判の学者たちを生き埋めにしようが、中国人は始皇帝を高く評価している。文化大革命などという暴力で数千万人の無辜の民を殺傷し、財産を奪っても毛沢東を崇める。 つまり、強い皇帝が好きなんだね。 始皇帝の統一前、中国大陸は言語も生活習慣も異なるいくつもの国に分かれていた。元々この国は放っておくとバラバラになる性質があり、一つに束ねるには強大な皇帝権力が必要なのだ。弱い君主は悪なわけだね。 そういう観念が染みとおっている。 現在の中国をみるにあたって、この視点は重要だと思うな。 光緒帝・西太后死してちょうど100年。 往時已に空と成り、還た一夢の中の如し。 今日も精進の日々である。
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2008年11月17日
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