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私は渡辺いっこう。フリープロデューサーである。 本の推薦である。 『下山事件 最後の証言 完全版』 柴田哲孝著 祥伝社文庫 \857(税別) 昭和24年7月6日未明に、前日行方不明になっていた初代国鉄総裁の下山定則が轢死体で発見された事件だ。 戦後の混乱期、まだGHQによる占領下。 当時は、共産党系左翼と、冷戦構造の中で日本を防共の前衛基地としようとしていた米国(GHQ)、それに加担する右翼勢力が軋み合っていた。 5月30日、第三次吉田内閣は、「行政機関職員定員法案」を可決させ、公務員26万7,000名の解雇を決定。とくに、運輸省鉄道総局(6月1日より日本国有鉄道公社=国鉄が誕生)は9万5,000名の削減が義務付けられた。 当然、労働組合の激しい反発を呼んだ。 こうした状況下に、7月1日、国鉄初代総裁に下山定則が就任した。 東京駅前の国鉄本庁を目の前にして「買い物がしたいから三越へ行ってくれ」と命じる。 「白木屋でもいい(まだシャッターが閉まったまま)」「神田駅へ」「三菱銀行本店へ」 奇妙に下山の指示がころころ変わる。 三菱銀行の地下の私金庫室に約20分間。9時25分、下山が待たせてあった車に戻ってくる。 「いまから行けばちょうどよいだろう」 車は三越の南口駐車場に入った。 「5分くらいだから待っていてくれ」 この時、9時37分。このまま下山総裁は行方を断った。 国鉄本庁・政府筋は大騒ぎ、警察も動き出す。 翌7月6日の未明、常磐線の綾瀬駅手前、東武鉄道と交差するあたりに轢死体が発見される。 午前1時45分、下山総裁と判明。 情勢からいって他殺と思われたが、捜査が進むうちに目撃者が現れたりで自殺説が浮上する。 警視庁捜査一課は自殺説、捜査二課は他殺説。朝日新聞・読売新聞は他殺説、毎日新聞は自殺説。解剖した東大病院は他殺を慶応病院の教授は自殺を主張・・・・・・錯綜する。 田中栄一警視総監・捜査一課は自殺で捜査終了宣言を予定したが、GHQから圧力がかかり、うやむやのまま事件は迷宮入りに。 まさに昭和のミステリーである。 既にだいぶ長文になったが、この下山事件を扱った作品が今回の推薦本。 もちろん他殺説である。 類書が数多くある中で大きな特徴は、著者が、事件に関係したのではないかと疑われる組織の幹部の孫であり、謎の組織・人間についての情報を持っていることだ。 その組織は「亜細亜産業」という。 満州の特務機関、すなわち謀略機関の後身だ。 著者自身の家族・姻戚等の取材が説得力を持っている。 事件の背景に、GHQ内の権力闘争と鉄道・電力にまつわる利権争いが浮かび上がってくる。 日本人の犯人の名指しは避けているが、ああ、あいつなのか。 ううむ〜、戦争の滓だなあ。 一気呵成に読ませる文、ディテール豊かでどっしりとした内容で読む価値あり!なのだが、読後なにやら胸が重〜くなる。 ごめんなさい、理解が全然浅かったです。 この本を読んでそれが分かりました。 ということで、紳士淑女の皆さん、ご一読をお奨めする次第であります。 今日も精進の日々である。
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私は渡辺いっこう。フリープロデューサーである。 しかし、出版社の同意を得て取材を開始したところ、どうも考えていたのとはチガウ。 共通のノウハウ・手法など見当たらない。カリスマ販売員なんぞいない、全員フツー。 では、何か共通するところはあるの? −−本書はこんな内容である。 その追跡が素晴らしい。松井さんらしい丹念なフィールドワークが光る。 実を言うと、私は「セールス」というワードに拒絶反応がある。 巧みな話術で身振りで、客を説得して品をプッシュする。こういうイメージが埋め込まれている。 本書もそんななのかなあ、というのがあって実はご紹介が少し遅れた。 ところが、読むとそうではないようだ。 ナンバーワン販売員たちは相対するお客様に対して十人十色、百人百色で接するという。 で、決まったやり方はないということになる。 ポイントは、私流に言うと、「その時のお客様に的確に反応して、その方に同一化して接する」ということだろう。 「話を合わせればいいんだろ。簡単だよ」 こう言われるかもしれないが、とんでもない! たいていは自分の中に固定観念を持っていて、相手に押しつけていたり、あるいはバリアーを張っていたりするものだ。 相手の実像を感じ取り、深くコミュニケーションをするというのはかなり難易度が高い。 他人(ヒト)は自分の鏡。 だいぶ前に自己啓発セミナーに行かされたときに学びとったことだ(直後に縁は切ったが)。 例えば、暗そうな人だなと思う⇒自分の顔の表情に出る⇒それを見た相手がイヤなやつだと感じる⇒それが顔に出る⇒ああ、やっぱり暗くてイヤな人だ⇒、と。 鏡の反射のようでしょう。 こんな状況では良いコミュニケーションは成り立ちませんよね。 最初のところで、素直にポジティブな姿勢でいれば、相対する人の心がちゃんと伝わってくる。 コミュニケーションは正の循環で自然と進んでいく。 これが真の「接客」ということだろう。 もちろん、自分が扱う商品の知識、言葉使いやマナーなどのベーシックな要素・マニュアルは必須だし、教養やデコレーションとなる情報があればgoodだろう。 ただ、いちばん肝心なのは人と接する心もちだ。 一心如鏡。 自分の内なる心の錆を洗い流して澄んだ心境を保つのは、古今東西もっとも困難なところ。 現代のビジネス界の“達人たち”の実際に触れられるという点で、本書は高く評価できる。 廉価で読みやすいペーパーバックス版。この週末にかけての1冊はコレだ! 書店に走れ!クリックしろ! ・・・・・・というわけで、本書を強くお奨めします。 今回は、書評のはずがなんか過去についての告白みたいになってしまった。
今日も精進の日々である。 |
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私は渡辺いっこう。フリープロデューサーである。 欲望にうごめく輩の摩擦熱も一因か、東京は残暑がきびしい。 外出して汗まみれ熱中症寸前になるか、屋内で作業して空調冷えすぎで血行障害になるか、救済とは縁遠い毎日だ。 私の夏風邪は、ひょっとして気管支を気に入ってしまったのかもしれない。いまだ完治していない・・・ 「所長、なにハードボイルド気取っているんですか。仕事、仕事」 ・・・つかの間のナルシズムを破るのは、アシスタントの片桐くんだ。 さあ、ブログをアップしてしまおう。 新刊本の紹介だ。 この手の本だったら、こういう手法もありかな。 ふつう、帯は表紙の色が変わるので捨てるのだが、本書のはとっておこう。 さて、内容だ。 本書は、心臓移植の名探偵、南美希風シリーズ。回想風で、移植前の事件という体裁。 密室殺人が盛りだくさん。 ディテールがしっかりしていて、思わず惹き込まれる。 デビュー以来ずっと密室にこだわってきている著者の熱意がヒシヒシと感じられる。 なんと総ページ数、923ページ!読んでいると重い。 バラエティ豊かで、飽きさせないのはさすがの手腕だが、率直に言ってサプライズが薄いかなあ。 フーダニット(Who done it?)、犯人にちょっと問題があるかと思う。 それに、読んでいて自分も襲われるんじゃないかという怖さもイマイチ(連続殺人ものを夜読んでいると、トイレに行きにくかったでしょう?Yの悲劇、地獄の奇術師etc.ああいう感じ)。 ワクワク、ドキドキ。アルファ波を刺激する。 事実、私は、密室の大家、ジョン・ディクスン・カーの古典的な作品のいくつかを読み直してしまった。 遅い夏休みをとられる方、どうぞ本書を手にとってみてください。 読み応えありです。 「所長、まだモタモタしているんですか!?」 私は、夏の終わりにおびえ慌しく動き回るセミのように、急いで現実に立ち返るのであった。
If I wasn't hard, I wouldn't be alive.
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私は渡辺いっこう。フリープロデューサーである。 漫画の歴史と共に歩む者として、折々のチェックは怠るわけにはいかない。 いまの話題作を読んでみた。 森に捨てられていた一台のピアノに物心つかない時からなれ親しみ、自然に絶対音感を得、また打鍵力をもつに至った。 その少年・カイが、都会の英才教育を受けた転校生・雨宮修平、交通事故で挫折した元天才ピアニストの教師・阿字野壮介に出会い、ストーリーが展開していく。 作者の得意な子供たちの世界が活写される前半。 自分の能力に気づいていないカイが、腕力だけではだめなショパンの弾き方を教わる換わりにコンクールに出ることになる。 課題曲は、モーツァルトのピアノソナタK280。 「私のマネはするな。おまえのピアノを弾け」 ナチュラルなカイに憧憬と脅威と嫉妬を抱くエリートの少年。みんなに褒められたい認められたいとアガリ症を克服できない少女。権威主義とそれに反発する審査員。コンクールは進行する。 「敵は“目の前のピアノを弾く”・・・それだけに集中することができない自分自身なんだ(あっ、ずっとピンとこなかった阿字野の言葉が・・・今・・・わかった)」 ミスなく完璧に弾く修平、愛犬ウェンディと一緒にいるのをイメージしてアガリ症を克服する誉子、そしてネクタイをかなぐり捨て靴をポーンと放り投げ、弾き直してまで自分のピアノを弾き切るカイ。 「なんなんだ このピアノは!? どうしてこんなに血が騒ぐんだ!?」 会場騒然。 「俺のピアノが・・・弾けた!!」 初めて大勢の前でピアノを弾く快感を覚えたカイ。 しかし、コンクールでは落選してしまう。 「だって最初の項目の“マナー”って所で点数がなくなっちゃうんですよ」「テンポだって強弱だって楽譜を無視したものです!」「ですが楽譜をなぞるだけなら人間が弾く意味がどこにあるんです?」 コンクールの弊害が凝縮して描かれている。ここまでが第5巻。 ううむ、いい出来である。 次からはカイが環境をあらためて、学び育ち、世界へ挑戦していく。 ショパン・コンクールだ。現在まさに佳境というところを連載中だ。 本作はこの夏に映画化された。まだ映画は見ていないがどうなのか? 人気俳優が大幅に声優に起用された。プロモーションの一環だろうが、声優は専門職だ。原作のイメージに忠実に声優を探しキャスティングするのが王道だろう。疑問符だ。 「映画もとってもよかったですよ!カイ役の上戸彩ちゃんの声がかわいいの♪」 割り込みはアシスタントの片桐くんだ。 と、ともあれ、この夏一番のお奨め本と言えるだろう。 今日も精進の日々である。
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私は渡辺いっこう。フリープロデューサーである。 晴耕雨読、雨中閑臥。 雨の日は寝っころがって本を読むに限る。 適度なポーションで、しかも知的刺激に富む、あたかも上質な蒸留酒のような本が詞華集、アンソロジーだ。 詞華集・アンソロジーとは、散文や韻文、あるいは音楽などのパーツを束ねたものを意味していて、古くは藤原公任編の「和漢朗詠集」というベストセラーがある。 要は“いいとこどり”だ。 今回推薦するのは、そうした詞華集である。 短歌(和歌)・俳句、ときに訳詩が、季節ごとに綺羅星の如く並べられ、解説・エッセイがつづられている。 「おおっ、こんな一首(あるいは一句)があったんだ」 新しい発見があり、まことに心はずむ。 私がもっとも好むスタイルだ。 お奨めである。 この中公新書のシリーズももう3冊目。 先行するのは、ご存知、大岡信編著の「折々のうた」シリーズだ。 いまや国民的ロングセラーになっている。 ずいぶんな冊数になるが、いつ読んでも日々に新しい。 また、『詩歌遍歴』(木田元編著・平凡社刊)もとても良い出来だ、繰り返し愛読している。 著名な作品を並べればそれで済むわけではなく、軽重・明暗・香り−−言葉に対する鋭い感覚が必要だ。 上に掲げた人たちも優れた編者であるが、私は先ごろ亡くなった塚本邦雄の先鋭な眼・耳・臭覚が忘れられない。 彼の古典和歌、俳句、あるいは斎藤茂吉などについての評論は、あまりに主観的で敬遠する向きもあるが、一度はまってしまうと容易に逃れがたい。 まさに超絶のマール、カルバドスもかくやという芳香と味わいだ。 しかし、『清唱千首』、『王朝百首』等の作品はほとんど絶版、または全集でしか読めない。 『定家百首・雪月花』がかろうじて手軽に読めるくらいだ。 デジタルツールの長足の進歩によって、一個人でも簡単にアンソロジーが作れるようになった。 ネットで検索して詩歌を選定し並べるもよし、音楽をダウンロードして編集するもよし。 一億総編集長の時代もそう遠くなさそうだ。 「あっ、所長、オフィスで寝たまま本を読むなんて行儀悪いですよ!」 外出から帰ってきたアシスタントの片桐くんにいきなり怒られてしまった。 古代ローマでは貴族たちは寝椅子に横たわって会食していたんだよ、とは口に出せず、すごすごと仕事に戻るのであった。 今日も精進の日々である。
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