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作家、丸山健二さんのブログから引用させていただきました。
 
2014-07-21
 
 
 
>よくよくじっくりと考えてみてください。

独りで生まれてきて死んでゆく人生なのに、どうして社会や国家に必要以上に調子を合わせて生きなければならないのでしょうか。

何故にもっと自由に生きられる道を選ばないのでしょうか。

風習や伝統がいったい何だと言うのでしょう。

歳月の積み重ねによって神格化されたとはいえ、所詮はどこかの誰かが思いついて作ったことであり、面白半分にやったことであり、誤解と迷信と無知とによって生み出された幼稚なことであって、そんなことにいちいち付き合ったり従ったりする筋合いなどないのです。

過去があって現在があり、先祖がいて今の自分がいるという、馬鹿馬鹿しいほど当たり前な事実を持ち出されることによって、その風習やその伝統を利用して自分たちの立場を保とうとする輩の常套手段に騙されてはいけません。


 もし人間という存在が本当に平等であらねばと思っているのなら、そして誰とも平等に接しようと願っているのなら、社会的な地位の高低や、権力の有無や、伝統の背景の強弱や、経済的な貧富などといった価値観にどうしてそうまで振り回されているのでしょうか。

実際にあなたが頻繁に口にする〈平等〉はまやかしであり、単なるお飾りとしての言い回しであり、本音は格差社会に満足し、それを望んでやまない、俗人中の俗人なのかもしれないのです。

たった今、この惑星に降り立った宇宙人のような眼差しで周囲を眺め回してみてください。

すると途端に、異様にして異常な人間の在り方がはっきりと見えてくるのです。

そして、それを当たり前のこととして受け容れていた自分自身にも気づくはずです。


そのときあなたは、自分らしい自分の人生を本当に生きていると言い切るだけの自信を持つことが果たしてできるのでしょうか。

「観察すること」

出典 ハートの音 http://www.heal-ciel.com/hart.html 
 
「観察すること」


http://www.heal-ciel.com/o-i0.gif

私たちは、他人がどう思い、何を考え、何を持っているかを知ろうとすることはあっても、自分が何を感じ何を想い、どう考えているのかに意識を向けてみることは実はほとんどありません。

現実はすべて自分が生み出しているとしたら、思い通りの世界を生み出せるということです。
 
顕在意識にしろ潜在意識にしろ、想っていることが現実になるなら、自分が「想っていること」を見つめ直せば、現実は変ってくるということです。

自分をただ観察してみましょう。

人を批判したり自己防衛したりしている自分に気づいてください。
 
自分を責め、落ち込んでいることに気づいてみてください。
 
今、自分が何を表現しているかに気づくことが大切です。


「ただ観察する」という「ただ」とは、一切観念を持ち込まず眺めるということです。
 
自分の知っていることや思いや判断を交えず、事実を見つめる。解釈や推測を当てはめず、今あるがままを見るということです。

***
 
例えば、あなたが花を見つめる時、花の名前を思い浮かべませんか?
 
実はそれも観念です。
 
「きれい」と言った瞬間あなたの思考が入り込んでいます。
 
もうそれは過去です。

「大きな蕾、明日には咲くだろう」「こっちの方が好きだなあ」
 
これは予想と比較判断です。

「ただ観察する」とは、無心に眺めます。
 
***

こんな風に書くと「え!何も思っちゃいけないの?」「何を言ってるの?」「何を思えばいいの?」「なんか難しい〜」と思うかもしれませんね。

自分の思考パターンに気づいてみてください。

何を思ってもいいんです。
 
思ってはいけないとは言っていません。
 
何を思っているかに気づいていけばいいのです。

***
 
「本に書いてあったようにやってるから大丈夫」という想いは観念です。
 
あなたの評価であり判断です。

その思いそのものを見つめましょう。


「本に書いてあったようにやってるからこれでいいと思っている自分がいる」ことに気づき、その思いの中に、「正しいことをしているから良い」という評価と判断があることに気づくということです。
 
誰が正しいと判断しているのでしょう。
 
その判断する者こそが自我なのです。

***
 
感じてみてください。

観察するとは、考えることではなく「感じる」ことです。
 
意識を使います。
 
出典
>自分を変えようとしないこと、他人を変えようとしないことです。

頭を使ったコントロールではうまくいきません。

今起きることは、過去のいつかに自分が選択したことの結果だということを受け入れ、今この瞬間に選択を変えることです。

まずはもう何も裁かず否定せず、許すこと受け入れることを意図し、選択し続けるのです。

たとえ今は許せない自分がいても、そんな自分をも許すのです。



「あの人はいつも私の怒りのスイッチを押す」という人がいます。

私たちは、他人の言動に無意識に反応します。「こうゆう人にはこう反応する」というようなことが習慣になっていて、まるで自動ロボットのようにパターン化しています。

それを、あの人がああだから、こうだからと意味づけすることで自分の怒りが当然であるかのように正当化して終わってしまったりしますが、それも私たちの選択なのです。

無意識に怒りを選択しています。



同じようなことを見たり聞いたりしても、怒らない人もいます。

褒められたとしても、おだてに乗らないこともできます。

他人があなたを怒らせたり、喜ばせようとしたり、侮辱したりもできると思いますが、あなたは感情を害さないという選択もできるのです。



実際には、他人があなたの怒りのスイッチを押すことはできません。

あなたという宇宙空間にはあなたしかいません。
 
 
 
あなたの中にある「それはおかしい、許せない」という「こうあるべきではない考え」が、あなたの怒りのボタンを押すのです。押しているのはあなた自身です。

「いやいや、あの人もそう言ってる」と思うかもしれませんが、あなたが創造する宇宙です。

あなたに似た波動が引き寄せられます。「似た波動は引き寄せ合う」「与えたものが返ってくる」宇宙の法則です。



自分の感情を他人や環境のせいにしていては苦しいです。

他人を責め批判するネガティブエネルギーはあなた自身の体内に蓄積されます。

人を裁く不快感は自らの心と体にストレスを与えます。

他人に向かって言っているようで、それは自分自身を批判し責めているのと同じだからです。
 
 
 
本当は他人の中に自分自身を見ているのです。


自分に焦点を合わせて、自分の意識を浄化していく機会にすれば、引き寄せる現実も自然に変化していきます。

私たちはみな一人ひとり違った宇宙空間に住んでいます。

嫌いな人の欠点をも受け入れることが出来た時、分離していたあなたの意識がひとつに統合されて大きく広がり、自分と他人を分けていた考え方が消えて相手をも包みこみ、そこに二つあった宇宙がひとつになります。

 
怒りから解かれると、そこに魂の自由が広がります。

あなたの意識が拡大するほど、ストレスや苦悩や葛藤や恐れを生み出していた自我から、あなた自身が解放され他人も解放されます。
「つながって共に立つ」 私の信条

1 人も他の生命も相互に依存し、共に立ち上がって生きている。

2 つながり(人間でも自然でも)を失うと病気が発症し、つながりを取り戻すと回復する。

3 つながり(関係性)はお互いが作って行くものである。第三者が決めるものではない。

4 良い友人はいたほうがいいが、いなくても生きられる。

悪い友人とつながるよりも2500年前ブッダが言ったように森の中の象のように一人で歩めばよい。

人が問題を抱え精神科の門を叩くと、原因や本人の生育史に関係なく、症状だけで大抵は薬を処方される。

 しかし、薬で治るのではなく薬という杖を使いながら、本人と周囲が関係を発達させ、本人と周囲の自己治癒力で治っていく。

***
 
 
小さなストレッサーが積み重なって気づかずにいれば、誰でも精神症状を示すことがある。
 
ひきこもり、幻想の世界に浸り、他者や自然と切り離されると、自分が見えなくなってしまうことがあるのだ。
 
 
***
 
今、私たちに何ができるのだろう? …… 自問自答を繰り返す。
 
お父さんもお母さんも、先生も、お偉方も教えてくれない。
 
 
 
***
コツは焦らないこと。 
 
実現不可能な目標を立てないで、今できることをやればいい。
 
他人の評価に振り回されずに、知性を磨き、感性を研ぎ澄ませる。
 
***
 
最低限、自分のことは、自分で決める。
 
進路も、学校へ行くかどうか、誰と付き合い、どんな生活をするか、あらかじめ敷かれたレールは存在しない。
 
 
***
危機はチャンスでもある。
 
人間は生死の境目をさまようとき、今まで眠っていたハイヤーセルフ(魂)が呼び覚まされる。
 
自分の生命、他人の生命を尊重して生きるという、最低限の倫理を守って生きていきたい。

「自己受容」

 
出典 ハートの音
「自己受容」
 
 
 

あなたは、何事にも心を乱さない人を立派だと思っていませんか。
 
どんな事にも心を動かさず、いつもニコニコと穏やかに振舞うことが良いことだと言われてきているので、良くない人にならないよう、自分はいつも冷静だ、穏やかだと思おうとしてしまいます。
時々、抑圧していた感情が爆発し、大声で怒鳴ったりすることがあっても、いつもじゃないので自分は怒らない人だと言う人もいます。

心を乱さない穏やかな人を立派な人だと思ってしまうと、自分がそうでないことを恥じてしまうため、自分の心の動揺も無かったことにしようと、無意識のうちに自分をごまかしてしまいます。
 
 
周囲はそのことをわかっても、本人は気づけません。


いい人と呼ばれている人の中に、無理や我慢をしている人がとても多く見られます。
 
ごまかしや抑圧が積もって、自分自身がだんだん苦しくなっていくのです。

 
その苦しみを苦しみと認めてあげてください。
 
いつもニコニコと心を乱さない人が立派という社会的思い込みによって苦しんでいる自分の心を、あるがまま感じてみてください。
 

「私としたことが何をイライラしてるんだろう」「こんなことぐらいで落ち込むなんて」と、今ある感情をないものにしようとせず、感じてみてください。

良い印象を与えたいとか美化した自己イメージを保ちたいと思う人ほど自分を感じることができません。
 
本当の自分を見たくないからです。見たくない嫌な自分を隠し、一生懸命笑顔を作ったり、自分の動揺を人のせいにしたりしてしまいます。

 
「こう反応するのが良いことだから」という理由で、そう反応している人がとても多く見られます。
 

「自分のこの感覚は合っているのか?」「これでいいのか?」「間違った反応をしていないか?」と不安に思い、自分が合ってるかどうかを常に確認しなければなりません。


私たちは、周囲と同じであるか、人と違っていないかを気にし、感覚や感情でさえコントロールする術を深く身につけてきました。


周囲の人との摩擦や、社会との摩擦をどれだけ恐れてきたことでしょう。苦しいのに苦しくないフリをしたり、悲しいのに悲しくないフリをしたり。
 

それがいけないと言っているのではなく、私たちは「こう反応する」よう教えられ育てられてきました。人と同じかどうかで正しさを計り、間違った反応をしてしまうことを恐れ、人から何か言われないよう自分を確認しながら生きることを、親もそのまた親もみんな当たり前のようにやってきたのです。


でも、私は本当に苦しくなりました。もう人と同じになるために自分を隠し、自分を犠牲にするのは止めようと思いました。自分に正直に、もっと楽に自然にいたいと思ったのです。


自分と向き合い、自分を見つめ、すべての感情を一つ一つ解放していく事で、何にも捉われない、感情に左右されない穏やかな心が生まれてきます。
 
それは穏やかなフリをするのとはまったく別のものです。
 
周りのことも気にならなくなってきます。人と自分を比べる必要もなくなります。

自分の見方や考え方こそが問題であって、何も問題は起こってきません。
 

何か問題があるとするなら、「問題があることを恥じる心」です。
 
 
「自分を責める心」です。

あなたがもう傷つかない人になること。
 
他人の思いや誰かの言葉を、自分の痛みとして受け取る必要はありません。
 

起こってくる事象だけを見て判断し、人間関係をうまくやっていくために、相手の機嫌をうかがったり、事を荒立てないように、波風立てないように、丸く納まるように、悪く思われないように、振舞うことを考え、エネルギーを消耗するのはもう止めませんか?

 
周りにどう見られるか、どう思われるかを気にしながら、緊張と共に生きるより、自分を生きたいと思いませんか?

 
私たちは、他人から裁かれる(評価される)ことをとても恐れます。
 
でもそれは、自分も他人を評価したことがあるから持つ恐れです。
 
自分が人を裁くから、人も自分を裁くはずと考えているのです。
 
自分が人を許さないから、人も自分を許すはずがないと思っているのです。
 

あなたはあなたの考えに怯えているのです。
 


人を評価しない人は、人に評価されることがありません。
 

あなたの「それはよくない」「それではダメだ」「それは間違っている」という判断によって、人を裁き、自分を裁きます。自分の考えによって苦しむのは自分自身なのです。

他人の否定する言葉を、そのまま受け入れた時、否定されたと感じます。
 

その時、矛先を、否定した相手に向けたくなるのもわかりますが、思い切って自分に戻し、何に反応しているのか自分の心を見つめる力に変えてみましょう。
 

これはあなたが悪いからではなく、相手の言葉を否定と受け取る自分の考え方をちょっと見つめてみませんか?ということです。

「自分には至らない駄目なところがある」「自分は役に立たない」と思い込みを持っていると、人から「こうした方がいいのでは?」と言われるだけでも否定されたと感じます。
 
相手にはあなたを否定する気などまったくなくても。
 

でも「自分を責めている」など思っているつもりがないのが思い込みです。そこに気づきましょう、ということです。


自分を丸ごと受け入れることによって、誰かから咎められても、否定されたと感じずにすむようになります。相手は「自分の意見を言っただけ」と受け取れるようになってきます。


あなたが誰かを嫌だと思ったら、その人の欠点、良くないと思う部分を見つけ出していることに気づいてみてください。自分が相手の何を嫌っているのか、その原因を自分の内側に感じてみましょう。その人の中に見た欠点を、欠点とするために使った価値観は何でしょうか。

判断するモノサシ(価値観)を手放せば、あなたの考えから、あなた自身が解放されます。

自分の色んな側面をひとつひとつ受け入れるたびに、あなたの意識は広がり、あなたが価値観に縛られない本来のあなたでピカピカに輝き、伸びやかに生きる時、周囲の人も自然に癒され変化していくことでしょう。

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