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http://www.tokyovalley.com/yahoo_blog/article/article.php 人生2度目の飛行機は、修学旅行以来ブランクがあり…21歳。 OL2年目の9月、社員旅行で鹿児島へ。 しかも1泊2日の強行軍。朝イチの飛行機に乗って行った記憶があります。 集合場所に行くと、会社の面々がそろってる。 その中に「昨日、徹夜したの?」とも言いたくなるスーツ姿でいた同期が一人。 「あれ?N村君、それ制服??」とみんなでからかいながら(ごめん…)。 彼は今回の幹事&家が遠かったため、自社に一泊していたらしい。 面々が集合して早々と問題勃発! 航空券を持っている社長がまだ来ない。 社長は当時、品川区八潮に住んでいた。 メンバーの中で一番羽田に近い人物である(この人物がこれまた厄介)。 何せ、会社が加盟していた健保組合のパックツアー(結構安い)なもんで どの便に割り当てられるか知らされていないし、飛行機なんて縁のない 生活だったので時刻表も頭に入っていないどころか、便名も頭にない。 「げっ、航空券が来ない…」という焦りの色の幹事。当時、私は搭乗手続きや 保安検査場、出発口の時間など到底知らない。いつしか「社長=航空券」になっていた。 このあと、どうにかして目的地の鹿児島空港に着く。 その時に乗ったのは、最後の鶴丸塗装だったのは覚えているが機材までは覚えていない。 やはり、着陸よりも離陸の瞬間が好きだということを再確認。 鹿児島に着陸して駐機場に向かう途中、目に入ったのは大韓航空と「JEX」と 書かれた機材。「JEX?なにそれ??」と思い、JAL EXPRESSと書かれているのを どうにか発見。「JAL関連なのかな?」というかすかな知識だけを残し到着口へ。 1泊2日の鹿児島強行軍はどうにか幕を閉じたのだった。 …が、予算的に足が出たらしく一人暮らしには手痛い出費が待っていた。 |
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2010年11月19日
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http://www.tokyovalley.com/yahoo_blog/article/article.php 私が「飛行機」なる乗り物に初めて乗ったのは16歳。 高校2年の3月に行われた修学旅行でのことだった。 本来なら修学旅行で飛行機に乗るなんてことはないのだが、 その年に「阪神淡路大震災」があったため新幹線などが 寸断されたしまったのだ。 土曜日の塾が楽しかった私。 なのに、私のクラスは日程が土曜日もまたぐ日程に割り当てられていた グループだったので楽しい塾はお預け…。 「自由行動」っていっても、結局はクラス内で名前の順に割り当てられた 班でこうどうしなければならない。いっそ、「中止にならんかな?」なんて 思ったりもしたけれど、とある先生のつてで新幹線&寝台車の 移動が「飛行機」に摩り替わってしまった。 これは、私たちの代から後も続く(今は修学旅行先が沖縄orz)。 初めてのデビューはJASの羽田⇔福岡。 正直言うと、機材なんてそんなの分からない。 多分、A300シリーズだったろうと思う。 その時の往路だけ初めて「モノレール」というものに乗る。 当時の記憶…その頃、年に1度は東京に行っていたので 何となく知ってはいたが「空港」なんてのは未知のもの。 言ったといえば、高1の時にアメリカのどっかに行った爺を成田に 迎えに行ったぐらい。 成田は色んな国の飛行機がいた覚えがある。ユナイテッド航空が まだグレーのカラーリングが最新だったような。 はい当然…JAL、ANA、JASのカラーリングしか知りません!!! それから見たら、羽田は鶴丸、トリトンブルー、レンボーカラーの3社。 その頃の私はそれぐらいの知識しかなかった。 戦闘機なんていったら…ゼロ戦、紫電改、メッサー・シュミットぐらいしか 聞いたことがない。 そんなところから、今の自分に至るまでその後2度ほど飛行機に乗る。 これは「苦手」か「この瞬間がたまらない」の二手に分かれるかも知れませんが この時に私は「離陸の瞬間」のたまらない感覚を覚えました。 かすかな記憶ですが、上がりはちょっと急だったと思います。 私たち団体は比較的後ろのブロックに割り当てられます。 「飛行機なんぞ乗ったことはない」そんな女子高生が思い思いに「ひゃーっ」とか 思うだけで終わる人、言葉の通り声に出す人…いろんな人がいます。 近くの座席の方、あの節はご迷惑をおかけいたしましたm(_ _)m 当時の運行はどうだったのか…たどっていきいと思います。 B滑走路…あったのかな。離陸はAだった記憶があります。 だって、その頃、C滑走路なんてないはずですからね〜。 卒業アルバムを見ると機内の様子がありました。 座席のシートデザイン、客室乗務員さんの制服に制帽&手袋… 時代を感じます。平成ですが、平成一桁の年代でした。 16歳で羽田を飛び立ち、17歳になって再び羽田に帰着したのでした。
あの頃、夢も希望もたくさんあった清き(?)女子高生はいずこへ…。 |
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