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P2011(五オ)
交塵一ヲ、漸ク望(二)メバ小住之辺一ヲ、新草閉テ而 帯タリ露一ヲ。折節門ニ女
アリ。マネキヨセテ、「是ハ故サヘキノ頭殿ノ御家カ。聊子細ア(ッ)テ
                        一
申スゾ。此内ニ我宮仕ヲ申バヤ。吉様ニ見参ニ入レ」テ云ケレバ、
女「此由ヲ申テコソ見候ハメ」トテ立入ヌ。暫ク有テ、「立入給へ。
承ム」ト云。盛遠先ウレシクテ、怱ギスヽメバ、中門ノ妻戸ヲ開ク人
アリ。五十有余ナル尼公也。「是へ」ト云へド、男畏ル。「イカニ/\」ト度
重レバ、盛遠内ヘゾ入ケル。家主ノ云ク、「実ニコレニ居ムト仰ノ有
ガ、思モヨラヌ事哉。御ケシキヲ見奉ニ、尼ガハグヽミ奉べキ人
トモミヘ給ワヌ御心中ノ程コソ、返々モ穴倉レ。何ノ辺ニツクべシ
トモオボエズ。故亡父ガ存生ノ間ハ、身カヒ/\”シカラズト云ドモ、公ニ
一 「テ」底本のまま。
P2012(五ウ)

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P2010(四ウ)
ナムドヲバ、目ザマシクコソ思ハムズレドモ、ナニモノヽシ態ニカ、刑部ト
ツレサセタレドモ、母ノ尼公ノ有モ、未ダ心ヨカラズトコソ申セ」。其時
盛遠思様、「サスガ刑部左衛門ガ是程ノ女具足セルコソ、心ニ
クケレ。今ハ彼ノ仁ニシタガイテ、本意ヲコソ遂ズトモ、音ヲモ聞
キ、適形ヲ見タリトモ、ナグサミナム」ト思ケルガ、「マテ/\シバシ。我身ユヽ
シカラネドモ、上西門院ニ仕ヘ奉テ年久。其上一門ノ者共ノ目
ザマシク思モ理也。彼ノ女房ノ母ニ仕ム」トテ、宿所へモカヘラズ、ヤガテ
三条ヲサシテゾ上ケル。西東院ヲ上リニ、三条ヨリハ南、西東院
                     ノキ
ヨリハ西ニ住アラシテ、年久ナリ、築地破テ、〓[イ+宇]マバラナル桧皮屋
アリ。是ナルラムト思テ立入レバ、空ク見(二)バ四壁之中一ヲ、旧苔封テ而
P2011(五オ)

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P2009(四オ)
打テ馳ケルニ、見聞ノ者多カリケレバ、事故ナクモミケチ
ヌ。此間ニ法会モ又畢。盛遠又思出テ、有ツル人ハ何ニナリツラ
ムト、アサマシク怱ギカヘリミレバ、屋形計ニテ人モナシ。ナニシニ我
身ノ出ツラムト、千度百度歎ケドモ、悔ニカヒゾナカリケル。其夜ハ
猶モユカシサニ、座敷ニ居テゾ明シケル。アケハナレヌレバ、「サテモ
此上人ハ京都アマタ見給ヘル人也。若知給タル事モヤ」ト、怱ギ
庵室へ渡テ、物語ノ次ニ、「抑昨日御説法ノ最中ニ、イカ/\ノ
船ニシカ/\ノ輿ニ乗テ、某ガ座敷ノ並へ入候シハ、何ナル人ヤラム。
キヨゲニ候シ物哉」ト申ケレバ、聖、「彼ノ人ハ故三条ノサヘキノ頭ノ娘、
       四
当時ハ鳥羽ノ刑部左衛門ガ女房也。父ノ朝ニ仕へシ間ハ、彼刑部
四底本「β」。「部」の略字。
P2010(四ウ)

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P2008(三ウ)
バカサレテ、主ハイカナル人ヤラムト、ヒタスラノゾキ居タルニ、折
節河風零シクシテ、ナニワワタリノ葦スダレ、シヅマリヤラズ
ゾアガリケル。是ヨリ見バ、実ニ優ナル十六七ノ女ニテゾ有ケル。
青キ黛緑ニシテ、咲メル皃バセ花ニ似タリ。漢ノ李夫人、衣通姫、
カギリアラバ、是ニハスギジトゾ見シ。盛遠思ケルハ、「ウキミノ程モ白波ノ、
住バ住ルヽ事ナレド、男トナラバ是程ノ女ニ枕ヲナラべバヤ。哀、イ
ヅクニスキカハト立ル間モナキ人ヤラム」ト、シヅ心ナクモダヘツヽ、
「相構テ返リ入ラム所へ、イヅクナリトモ見ヲカム」ト思ケル程ニ、聴
聞ノ最中ニ俄ニ「焼亡」ト詈ル。キトミレバ、黒煙リ数十丁ニ吹ツヾ
イテ、上下ノ諸人サワギアヘリ。イヅクナルラムト立出テ、鞭ヲ
P2009(四オ)

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P2007(三オ)
キ。然ヲ此内ヲ駆出テ後、渡辺橋供養之時、希代ノ勝事
ナリケレバ、江口、神崎、柱本、向、住吉、天王寺、明石、福原、
室、高砂、淀ヤ、河尻、難波方、金屋、片野、石清
水、ウドノ、山崎、鳥羽ノ里、各ノ歩ヲ運ツヽ、「霞ノ裏
ニ珠ヲカケ、長柄ノ橋ノ如クニテ、不朽」トゾ祈ケル。説法半
時ニ及テ、二ガワラノ船一艘ゾ下リケル。下人、冠者原ニ至ル
マデ、サワ/\トシテゾ見へケル。中ニアジロ輿、二張アリ。橋ヨリ上
一段計ノ西ノ岸ニ属。ヤガテ輿ニ乗テ座敷へ入ル。輿ノ金
物、大刀、具足、力者法師ニ至マデ、ツキ/\”シク有ケル間、「何ノ
座敷へ入ヤラム」ト見程ニ、ヤガテ並ノ壷へ入。盛遠具足ニ
P2008(三ウ)

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