主イエス・キリスト・御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130
11節を読むと、イエス様の再臨の約束が記されている。弟子たちは、この約束を聞いた。
イエス様の生涯、十字架、復活、そして再臨というイエス様の大切な神の計画を教えられたのだから、もう十分ではなかったのではないか。
私たちも、この四つについていつも学んでいればそれで十分ではないか。そう思います。いや、ほかになにか有るのだろうかと思う人もいるかもしれない。

実は、復活と再臨の間にある、非常に大切な神様のご計画について私たちの意識から抜けてしまいやすい大切なことがある。
何でしょうか。一言でいうと、教会です。
主の再臨までの間にあるのが、教会生活です。当たり前のように思われるかもしれませんが、私たちはこの地上にいる間、教会生活を送っているのです。
この教会生活を導かれるのが聖霊です。

主イエス様がいれば十分ではないかと思われるかもしれない。私もそう思うところがあります。
しかし、その主イエス様が父の約束を待ちなさいと言われたのが、この聖霊なる神様です。この聖霊なる神様が来られるのを待ち望むようにと言われたのです。ですから、私たちの主であるイエス様の言葉に聞き、信じたいと思います。

それは、クリスマスのように救い主が来られるのを待ち望む民のようにです。
イエス様は天に昇られ、地上での教会生活の導きをすべてこの聖霊なる神様に委託されました。
それゆえに、この聖霊を待ち望むこと聖霊を受けること、聖霊に満たされることが必要なのです。

聖霊なる神様を意識することが大切です。聖霊なる神様は鳩のように素直な御方ですから、無理強いはされません。
イエス様を信じる者にイエス様が救い主としてご自身を表わされたように、聖霊なる神の存在を信じる者に聖霊なる神様はご自身を現わされます。

私たちは、聖霊を信じていないわけではありません。
多くのクリスチャンは、天地創造の時に、聖霊の御働きがあったことを信じています。
イエス様が聖霊によって乙女マリヤの体内に身ごもったことも信じています。
すでに私たちの中に聖霊の証印が押されていることも信じています。
聖霊が与えられていることを信じています。
聖霊によって御言葉が開かれることも信じています。

使徒18節の約束は、
on youです。すでに私たちは、with you   in you の聖霊を受けています。

私たちが信じなければならないことは、聖霊の働きです。聖霊の力です。
教会を導かれる聖霊の御業です。聖霊が臨むとき、異言がおこり、預言がされ、奇跡が起こり、病がいやされ、私たちの人格が新しく造り変えられます。
福音が宣べ伝えられます。

福音は無理矢理伝えるのではありません。福音を伝える機会が開かれていくのです。
人々の心が変えられます。
今まで全く主を拒んでいた人々の心が不思議なように開かれて、救い主を求めるように変わります。
教会に全く関心のなかった人々が教会に関心を持つようになり、教会に人々が導かれるようになります。新しく、遣わされるようになります。
新しい働きが始まります。不思議なことが起こり始めるのです。
これが、使徒行伝です。
 
ペンテコステは、この教会の始まりであります。

2019.6.9 茅ヶ崎集会

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キリストに結ばれて歩む。
イエス様を信じるということは、イエス様の十字架の死と葬りと復活を私たちも霊においてすべてイエス様と共に体験していくということを意味しています。特にコロサイ書で強調されていることは、私たちはすでにキリストと共に復活させられているということです。復活した者はもうこの世を支配している諸霊とは何の関係もありません。

世の中にはさまざまな宗教哲学があります。これは、キリスト教、イスラム教、仏教など宗教として公然とした形をとるものだけではありません。
気の世界やヨガなどのスピリツアルな世界にいのちを求めている人々は大勢います。武道などの世界や健康食品や自然崇拝者もたくさんいます。
政治活動に傾倒している人々も大勢います。アイドルやスポーツに熱狂し、旅行を趣味としている人々も大勢います。学問に没頭している方々も大勢います。
しかし、これらはすべて世に属するものであって、人に永遠の命を与えるものではありません。
私たちもかつてはこれらのことにはまり込んでいたかもしれません。

しかし、イエス様を信じた今は、私たちの命がどこから来るかを教えらました。
世の中から離れて生活していくことはできません。けれども、世の力からは自由となりました。
クリスチャンは、天を見上げ天の御座におられるキリストにしっかりと結びついて生きていくのです。
2019.5.26 茅ヶ崎集会 建徳要旨

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だれでの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。ヨハネによる福音書20章23節

イエス様の復活は、私たちの罪がゆるされたことの保障です。
イエス様の十字架を知るまでは、自分を赦すことができなかった。
けれども、イエス様の赦しの愛を知って、私たちは自分を赦すことができるようになりました。
今度は私たちが人を赦せば、そこにキリストの赦しが働き、新しい命が流れる。そのままにしておけば、心の中にこだわりが残され、キリストの赦しが働かないままとなり、それは私たちにかたくなな心として残ってしまう。
主イエス様の御前で、私は、この人を赦しますと宣言すること。そこから、赦しの力が私の内に働き、その人との関係の中に赦しの力が働き、イエス様と共に新しく生き直すことができてくる。
私たちがイエス様と共に新しく生きていくために、この赦すという心の作業を大事にしたいと思います。

2019,4,21 茅ヶ崎集会

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