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自分を意識していない時がある。自分の行動を理性的に理解していないときがある。
していないでなくて、できない、なのかもしれないが。
自分を客観視しながら自分を動かせない。メモリの問題なのか、経験値の問題なのかはわからないが。
私は、普段風呂に入るとき頭を洗い、体を洗う。体を洗うときはお腹の辺りから洗い、上半身を洗い、下半身を洗う。
今思いだしてみると、数年前の私は、どう洗えばいかに効率的か、等と考えていたことがある。で、今は体を洗う手順はもはや無意識だ。おそらく目を瞑っても洗える。
生活サイクルの中で、このように無意識で行なってしまうものはたくさんある。大学へ通うまでの道筋。雑誌を立ち読みするお店、帰省の経路、普段の体の姿勢とか、ご飯の食べ方等もそうだろうか。歩き方、喋り方、呼吸の仕方もそうかな?パソコンのキーボード入力もそうだ。
大学から帰ってきてまずパソコンをつけてしまうのももはや習慣化というか、無意識で一連の行動をしている気がする。
さて、ここまで書いてきたわけだが、問題は、無意識で行なってきたことを私は記憶にうまく残せないようだということだ。
意識的に何かをした、何かを見た、何かを話した、何かを考えた、…というようなものしか思い出せない。
思考の仕方とかも無意識(あたりまえか?)なので、妄想というか、例えば風呂に入っている間に頭で考えていたことは、よっぽど具体的な問題でない限りは、忘れてしまうのである。
忘れないことは他者との、さらに意識的にしたことだけである。脳内で条件反射で話したことは覚えていられない。
また、他者から思いもかけない、自分の中にない、もしくは自分が忘れてしまっていた内容を話されると、一定期間覚えていられる。
良い例が、失敗談だろうか?指摘されたことが自分に深く刻み込まれる。
しかし、この失敗したときの脳内の対処が、条件反射になってくるとまずい。こう言われたから、こう返そう、みたいにパターン化してしまうと、反省しなくなるようだ。私の場合は。これは非常によろしくない。
ところで、なんでこんな自分になってしまったのか?それを考えていたら今回のタイトルみたいな考えて至った、というか、前に似たような意見を聞いたのかもしれないが。自分を客観視、観測してみるわけである。脳内でも主観だけでなく、いつも主観と客観。というか、脳内で自分と会話してもいいのかもしれない。
前にこの脳内の思考(?)時間が長い人が、頭がいい人、みたいなことが心理学サイト(信憑性は知らん)に書いてあった。
ということは、普段というか、今まで自問自答、というか、自分と脳内で対話してこなかった(できなかっただけかもしれん)私は大分知能が低いということだろうか?
思い立ったが吉日とはよく聞く。さっきもwebラジオで言ってた。というわけで意識してみたいと思う。
今まではこういう脳トレ(?)みたいなので具体的にどう思考しよう、とは考えられなかった。ので、今回はこれ一本に絞ってやってみたいと思う。
さて、ここまで書いてみたわけだが、ここまで書かれた内容を今から読み返してみることにする。
普通の人は常に文を書きながらそれを行うのだろうか?それとも文章の構成を決めてから書き始めて徐々に修正推敲していくのだろうか?
私は徒然と書いている。…徒然ってどういう意味だろう?
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