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DVDレンタルで「長江哀歌」を観た。 世界各国の映画祭で賞を総なめにした話題作である。 中国共産党の面子を賭けて開発され、近代化のモデルである山峡ダムを舞台に格差社会の現状を描く。 狂言回し役は、二組の夫婦である。 まず、中年男が16年前に出て行って音信不通の妻を、壊れ行くダムの街で働きながら捜し求める。 徐々に湖底に沈んで行く街で、古いビルを破壊する仕事をしながら、先の見えない不安な生活をする人々。 代々素朴な農民として暮らしてきた彼らには、変化に対応する知恵も才覚もない。 その日暮らしの彼らの生活の酷さ、と対照的にこれが運命と諦めている素朴な笑顔が忘れられない。 すべてが金であり、裏社会がはびこり、売春が横行するのはこういう社会の常であろうか。 やって探し当てた妻は、借金漬けで金がないと一緒に暮らせないという現実。 一方で、中産階級の妻が2年間、音沙汰ない夫を捜してやってくる。 瓦礫の中に暮らす人々とは対照的に、ダンスに興じる人達。 捜しあてた夫は愛人と同棲中。ただ実は、その妻も愛人が出来たので夫との離婚手続きが目的であった。 個人の才覚とコネで、にわか成金になった階級に対しても痛烈に皮肉っている。 日本でも格差社会が言われて久しいが、中国のそれは比較にならないほど大きい。 共産主義の国で、どうしてこんなに格差が生じるのであろうか。 国家権力の横暴、官僚の腐敗は三峡ダムの底よりも深く醜いことを、この映画は静かに語っている。 映画手法的にみて、ハッささせるシーンが突然出てきて面白い。 まずタバコ、酒、茶、糖(アメ)などが、これまた狂言回しの役をあたえられている。 また近代的ビルが噴射して上ってゆくシーン。 食堂の隣の席で、京劇の扮装の人達がゲーム機で遊んでいるシーン。 遠景のビルが突然崩れ落ちるシーン。 ビルからビルに綱を張り、綱渡りをしているラストシーン。 といってもこのラストシーンは、底辺に生きる人々の生活が綱渡りのような一歩間違えば落ちて死んでしまう人生を暗示しているのだろうが、ちよっとクサイかな。 捜す人を通じて、社会の恥部、問題点を描く手法はイランのキアロスタミ、廃墟近くのダンスシーンはイタリアのフェリーニを連想したのは私だけであろうか。
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2008/7/29(火) 午前 11:12 [ キラキラ生活☆ ]