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80歳の赤ちゃんで生まれて、段々と若返って行き今度は老人の赤ちゃんになって行くという数奇な運命に生きた男のストーリー。
何となく猟奇的で重い作品だと思っていたが、いろんな人生の教訓が散りばめられた見ごたえのある作品に仕上がっている。
原作は1920年代に書いたF・スコット・フィッツジェラルドの短編小説。

私自身、人生はいつも出会いであり、良い出会いをたくさん持ちたいとこれまで生きてきた。
この作品の素晴らしいのは主人公が出会う人々、すべて普通の人であるが、それぞれ自分の生き方をしっかり持った人々ばかりで、人生とはいいものだなと改めて気づかせてくれる。
その出会いは主人公が普通の人の一生とは逆さまに生きているため、子供の時すでに生き様を定めた人々と出会うことになり、そのことが彼の成長にどれだけ役立ったことであろう。
捨てられた醜い赤ん坊を、神の奇蹟と信じて親身に養育する母親。
家政婦としてきた老婦人(ピアノを習う)の毅然とした生き方
引き舟の船長との出会いと死。自慢の刺青とハチドリ。
寄港先で会った人妻との深夜のホテルでの逢引と純愛。
いずれの出会いも、またエピソードも監督の暖かい視線で描かれていて気持ちが良い。

それにしても最初、一人息子を戦死で失った盲目の時計技師が、駅の大時計作成を依頼されて、時を遡ってゆく時計を完成させるシーンはこの作品を象徴し、またいい挿話である。時間を遡らせれば亡くなった息子も生き返ると考えて。

また「人生は機会に左右される偶然の面白さ」の挿話もある。
この作品には、数奇な運命に生きる主人公に向かっての周囲の大人達からの、暖かい人生訓が散りばめられている。
思いつくだけでも「どんな境遇であろうと人生は長い。生きてゆくしかない」「くよくよしても仕方ない。前向きに生きること」「他人の意見は関係ない。自分で生きてゆく」「時がこぼれてどんどん無くなってゆく」「過ちは直したらよいが、過ぎた時間は二度と戻らない」等々
また年齢が遡ってゆく主人公に対して、「愛する人の死をすべて見て行く人生である」とは辛い言葉であるが名言でもある。
でも最初に死に直面しての境遇に育ったので、彼にとって死は恐ろしくないはずである。ただ子供になってゆくことへの不安、将来の家族への責任を考えると辛いであろう。

主人公と運命的な出会いをする少女は6歳であり、一方の彼は老人として会い、やがてお互いが年取り若返ってゆき、お互いの人生のちょうど中間点で結ばれる。まさに運命的な出会いであり、結ばれ方である。
しかしやがて将来の不幸を見通して彼は去ってゆく。
ラストのエピソードは面白いが、少し蛇足気味でもある。だが真の愛とはこういうことだとだと教えてくれる。

結局は平凡な人生を一生懸命に生きること、平凡こそ最大の幸せということを観客の我々に分からせてくれる。
と同時に若返ることへの願望ばかりしないで、美しく年を重ねてゆくことの大事さを教えてくれてもいる。
人生賛歌、人間賛歌の素晴らしい作品である。
20日、夕刻より新宿にて社友会が開催された。
それに合わせて早めに新宿に出て、歌舞伎町で「ワールド・オブ・ライズ」を観た。
監督はリドリー・スコット、前作の「アメリカン・ギャングスター」も力作であり、現在最も油の乗り切った監督の一人であろう。

作品のテーマは中東に於けるテロリストと、アメリカCIAとの戦いである。
主人公はCIAの現地工作人として雇われた元アメリカのジャーナリスト。
演じるのはレオナルド・ディカプリオ。

それにしてもアメリカCIAのハイテクは物凄い。
無人偵察機を使っての追跡、偵察の迫力と、その恐さ。
テロリスト達は彼らを「未来の国から来た人々」と呼ぶ。

これに対抗するイスラム原理主義テロリストたち。
彼らの武器はまさに原始的な「人間から人間に直接伝達」。
ハイテク技術も、この最も原始的な手法にはお手上げである。
その上、「アラーは大義に倒れた者を死人とは言ってはいけない」の教義で、死を恐れない。

さらにアメリカCIAとは別に、テロリストに対抗するヨルダン情報局とその局長が登場する。
アメリカCIAの情報の隠蔽、裏切り、裏工作の手法に対して、ヨルダン情報局は信頼第一、それに情を持ち込んだ工作。
この情報局長の冷静さ、判断力は観る人を惹きつける。
演じるのはマーク・ストロングで、この映画一番の儲け役。

またアメリカCIAの典型的な具現者として、デスクで指示をしつづけるCIA幹部が出てくる。
時には子供の世話をしながら平気で冷酷な指示をする恐さ。この日常性も極めて恐い。
演ずるのはラッセル・クロウで、飄々とした態度で、異常を正常としか感じない男を好演。
彼は、いや彼等は、組織の末端の現地工作人は一つの部品、消耗品としか見ていない。
そこには情は一切入り込まない非情さ。

それにしても爆破シーンは迫力がありすぎる。実写を使ったのであろうか。
これらを含めて全編、迫力満点であり、その緊張感が観るものを引きずり込む。
レンタルDVDで、二作品を観る。いずれも2007年の作品。
なぜこの二作品を一つのコラムとして書くのかと問われると、困ってしまう。
ただいずれも近未来のSF科学空想映画である。

最近、映画を観る本数が激減しており、その中でも特に新作を観ることが少なくなった。
5年位前までは映画鑑賞と、寺社めぐりが五分五分であったが、最近はそのバランスが崩れ、八分二分で寺社めぐりが主になっている。
映画に対する関心が薄くなった分だけ、見終わった後の感激、思い込みも必然的に弱くなった。
これではいけない。これまで7300本以上のストックがあるのに。

さて「ミスト」は単なるSF映画ではなく、人類の思いあがりを戒め、突然或るスーパーに閉じ込められた人々の、人間の集団心理の恐さを描いている。
不気味な怪物の恐さよりも、一人の狂信的な女性に同化する人々のほうが恐い。

しかしありふれたパニック映画の域を出ていないと思っていたが、衝撃的なラストシーンには愕然とした。
思い出に残るラストシーンは多いが、この作品の全く予想に反した悲劇には、到底敵わないだろう。
人間の持つ運命、人生は紙一重だなと今更のように考えさせられた。

「アイ・アム・レジェンド」はかの有名なSF小説リチャード・マシスンの「地球最後の日」の再々映画化である。
瞬時に感染する殺人ウイルスにより、ただ一人生き残った黒人科学者が見たもの、体験したことを描く。
人っ子一人としていない大都会の異様な風景は説得力がある。
ただ映画を観ただけでは、なぜ生きた姿のまま瞬時に死んだ人がいて、一方で凶暴になり暗闇の中でしか生きてゆけない人がいるのかが理解できない。
その他、観終わった後考えれば考えるほど、疑問が湧いてきて、正直よく分からない作品である。
この作品の主人公は死をもって、人類のために貢献し、まさに伝説の人になったということであろう。
アメリカはこういう正義のため人類のため、死をもって立ち向かうヒーローを好んで描くしヒットする。
まだまだアメリカの正義は死んではいないということだろう。そうであれと期待していたい。
昨日、新装なった新宿ピカデリーで「レッド・クリフ」を観た。
素晴らしい映画館で、広く清潔であり、映画館のイメージを変える造りである。

「レッド・クリフ」は中国の「三国志」を原作としている。
「三国志」は少年時代から何度となく読み、そのスケールの大きい男らしいストーリーに胸躍らしたものである。今考えると当時、吉川栄治の新聞小説と少年雑誌、漫画などに触発されたのだろう。

しかしこの作品は「三国志」の中の、諸葛孔明と周喩二人の軍師の才能の競い合い、友情を中心に描いているので、勝手が少し違う。
三谷幸喜がエッセイで書いていたが「私の好みは、孔明に能力的に劣ることを自覚している周喩であり、ちょうどモーツァルトとサリエリの関係のようである」と。
しかしこの映画では、孔明は狂言回しの役どころであり、周喩が主役であり、ふたりの能力は対等といえる。
孔明は青白きインテリであるのに対して、周喩は参謀でありながら自らも戦う勇将である。個人的には周喩の方が好きである。

関羽、張飛、超雲(特にカッコ良い)三人の超人的な強さは、少年時代の脹らんだ思いを充分に満たせてくれた。それに比してこの三人と孔明を束ねる劉備の扱い方が粗雑である。
民のことを優先し、草鞋作りをしている劉備のみ描いており、太閤秀吉に匹敵する出世をしたその能力の大きさが見えない。
これらは脚本の粗雑さによるもので、こうしたことは全編に窺え作品の質を落している。戦闘シーンと、軍師二人に焦点を当てすぎた結果であろう。

これらを割り引いて見ても、戦闘シーンは迫力満点である。
CGを駆使しながら、人海戦術と相俟ってスケールの大きな作品に仕上げている。
当時には底抜けに強い豪傑がいたのだろうが、それにしてもマンガチックでもある。
反面、昔の戦争は個人の能力がものを言い、また人間味があり絵になるが、現代の戦争は考えるだけで身の毛がよだつ。
「まぼろしの邪馬台国」は、昭和40年代に邪馬台国ブームを作ったとされる宮崎康平の著書である。
歴史をかじったことのある私としても、極めて興味あるテーマだ。
今なお、その論争に決着のつかない永遠のテーマでもあり、研究のための定例会も毎月開かれているほどである。しかしこの映画は、邪馬台国の謎解きを下地としながらも、その実は宮崎康平夫婦の愛の物語である。
あまり邪馬台国の謎に期待し過ぎると、肩透かしをくらう。

前半は、島原鉄道の御曹司として育ち、今や盲目ながら社長として独断専行の、破天荒な経営、生活がテーマ。そこに仕事の手伝いとして小百合が演じる和子女史が島原に来る。
ここは竹中直人の怪演というか、こういう役柄は彼の独壇場と言える。

後半、社長の座を追われ、新たに和子という良き伴侶を得て、積年の夢であった邪馬台国の謎解きを始める。盲目のハンデを和子に助けられ、また周囲の理解者の協力もあり、「魏志倭人伝」の記事に従っての旅の毎日。九州の風景の美しさが際立つシーン。

先妻の残した二人の子供を育てながら、独裁者である盲目の夫を支える献身的な妻。当時としては多くの妻がそうであった。
しかし今の若い女性、いや、かっては同じ苦労をした中老女性も含めて、自分が楽しむことを最優先させる現代の女性にはとても理解できないのではなかろうか。さらにこうした風潮を増長させる一部のマスコミ。いや、本題から外れるのでここまで。
これでは子供達がまともに育つわけがないし、おたがいに角つき合って生きてゆくことになってしまう。

作品としての出来は今ひとつながら、時代の典型的な夫婦愛として共感を呼ぶのは我々世代のみであろうか。ラスト、逃げていった先妻が現われ許しを請うのも、和子の献身的な愛の賜物であろう。平凡に生きたこういう人が、周囲の多くの人の魂を救っていたことも事実であろう。

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