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関西篇

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苗村神社でタクシーを下車。
苗村神社(なむら)は西殿と東殿がそれぞれ独立した敷地を持ち、「延喜式」に出てくる長寸神社に相当する。
西殿には大きな茅葺楼門が建っていた(写真)。
応永年間(1394〜1427年)の建立、三間社入母屋造で重文指定されている。
連子窓を配した華麗かつ豪壮な楼門。

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周囲とを区別する塀などが無いため、極めて開放的な境内であり、事実明るい感じがした。
拝殿の東に広い吹き抜けの建物があり、その中のベンチで一人パンを食べて昼食。
また南には不動明王堂もある。
境内では一部、工事中で、何人かの人が作業をされているのみで、社務所にも誰もおられない。
写真は拝殿で、後には本殿が。

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国宝である本殿は1308年の再建、三間社流造で檜皮葺の屋根。
祭神は国狭槌命、33年に一度大祭がある。
また本殿右には十禅師社本殿(写真)、右には八幡社本殿(重文)が並び、さらに神輿庫(重文)なども並んで建っていた。
写真は国宝本殿と、左は八幡社本殿。

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道路をへだてた向側に、東殿の境内が広がる。
こちらの方は鬱蒼とした樹木に囲まれて参道が続き、その先に小ぶりな東本殿がひっそりと建つ(写真)。
1432年頃の建立で正面は格子戸で、八幡本殿と共通するところが多いとのこと。
東本殿も重文指定。

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道路標識を見ると、近江八幡まで10kmとある。
しばらく考えたが、歩いて行くことを決意。
私のイメージでは滋賀県は琵琶湖と山岳に挟まれた、狭い平野部を持つところだと思っていた。
しかし実際の湖東地域は全く広々とした田園風景がどこまでも広がっている(写真)。
歩けども歩けども同じ風景が続くのみ、その上ダンプカーを始め交通量の多いことにびっくり。
歩いている物好きは、勿論私一人のみである。

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途中若宮神社に寄り道をし、橋本の信号を入ったところにある左右神社に立ち寄る。
左右神社とは面白い名だが、何の説明もなく、また帰ってから調べたが資料は見つからなかった。
広い拝殿もあり、本殿もなかなか良くできており(写真)、由緒があるに違いないが不明。
境内の一角に小さな収蔵庫があり、中には重文級の文書もあるとのこと。

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さらに歩いてゆくと、右手にこんもりした森が見えてきた。
小日吉神社で、参道には燈篭がずらり並んでいる(写真)。
あまり大きくない境内には拝殿とこじんまりした本殿が建っていた。
その近くには真宗大谷派の弓削山善久寺があった。

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またとぼとぼ歩いていると左に宇賀神社の鳥居が見えたので立ち寄る(写真)。
小さい社殿だが、きちんと手入れされている。
ただこの辺り、どの神社も人けは全くない。

ようやく遠くに新幹線が見えてきたが、ここからまた40分くらい歩いたであろう。
ようやく近江八幡駅にたどり着いた。13km歩いていた。
運よくすぐに列車に乗り、米原駅に。
ここでも5分後に新幹線に接続しており、お陰でお土産を買う時間もなかった。
この日は予てより訪ねたいと思っていた、湖東の国宝本堂を持つ三神社、すなわち苗村神社、御上神社、大笹原神社を訪ね終えて、満足感で一杯である。
もっと沢山写真も撮ったし、いろいろ勉強したいのだが、時間の都合で端よってしまった。

明日からは大腸腫瘍の開腹手術で、約20日間ブログをお休みします。
元気になってまた素晴らしい寺院、神社との出会いをしたいものである。
神戸からの帰途、野洲駅に途中下車。
観光案内所で地図を貰い、駅前のスーパーでパンを買い、スタート。
効率良く回りたいため、とりあえずタクシーに乗り、御上神社に。

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御上神社は近江富士と呼ばれる三上山をご神体として、第七代孝霊天皇の御世の創建とされる。
三上山の西麓のこんもりした森の中にあり、祭神は天之御影神。
堂々たる二層入母屋造の楼門が迎えてくれる(写真)。
鎌倉時代の建立で重文指定。
なお左右の狛犬も重文指定。

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拝殿は天井が船底型で変わった構造になっている(写真)。
やはり鎌倉時代の建立で入母屋造、重文指定。
御上神社の建物の中では一番古いとされる。


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国宝である本殿は入母屋造で、仏殿とみまごう和様の造りである。
本殿を真ん中に左に若宮本殿(重文)、右に三宮本殿が並ぶ。
こうした一連の建物は、中世社頭景観を今に伝える基調な建物群である。
写真は手前が国宝本殿、左が若宮本殿。

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続いては大笹原神社を訪ねる。
運転手さんも言っていたが、交通の便も悪く、地元の人でも訪れることは、ほとんどないそうである。
この神社にはまるで似つかわしくない、唯一の色彩を持つ赤鳥居を入ると、境内は静寂に包まれ、見知らぬ世界に迷い込んだような錯覚を受ける。
祭神はスサノオノミコト他六神。写真は変わった形の拝殿(写真)。

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国宝に指定されている本殿は1414年の再建、三間社入母屋造。
彫刻が優れ、格子戸の文様は素晴らしい。
本殿右は重文指定の篠原神社で1425年に造られ、当地が昔よりもち米の産地より「餅の宮」とも呼ばれている。石凝姫が祭神。
写真は手前が末社、中央に本殿、左奥が篠原神社。
また境内には底なし沼といわれる寄倍の池もある。

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つづいて苗村神社に行く途中、鏡神社と石部神社に立ち寄る。
鏡神社は中山道、東山道の宿場町だった鏡宿と共に栄えてきた。
祭神は製陶技術を伝えた天日槍命。
石段を登ると三方を山に囲まれて拝殿、本殿が建っている。
本殿は南北朝時代の再建で、前室付き三間社杮葺きで重文(写真)。

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またこの地は義経が元服をした地として有名で、当神社にも烏帽子掛けの松が残っている(写真)。
謡曲「烏帽子折」の立て札も立っていた。
余談だが、亡くなった義父が謡曲グループに入り活躍していた。
前日に神戸の家で、謡曲の本を見つけ読んだところ、この「烏帽子折」のことも出ていた、奇遇である。
またこの地は額田王の出身地でもある。

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さらに石部神社に立ち寄る。
ここは運転手さんも知らなかったところ。
道路脇に鳥居があり、枯れた草が何本も吊るしてあるのは何故だろう(写真)。
川に架かった石橋を渡って参道を進む。
白砂に刷け目が見事に残っている。と言うことは訪ねる人もほとんどないということ。

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祭神は天照皇太神。
拝殿の奥に、一間社流造の本殿(写真)。
人知れず、こうした神社を守り通している人の、清らかな心が感じられる境内であった。
神戸に滞在3日目、20日は神戸電鉄に乗り、岡場駅に下車。
神戸電鉄は主に山間部を走り、車窓からは緑が多く見られたが、岡場駅周辺は新興住宅街が広がっており、開発途上の街との印象を持つ。
駅前から三木行きのバスに揺られ、バス停野瀬で下車。

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まずバス停の近くにある泰蔵寺を訪ねた。
石柱門を入ると右に鐘楼がある(写真)。
白塀に囲まれた狭い境内には、庭木の中に本堂があるのみ。
山号は普門山、曹洞宗の寺院。
隣には竹森神社がある。

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ここから北に向かって歩くのだが、見渡す限り田畑の中の緩やかな道を登って行く。
20余分歩くと右手に石峯寺の石柱があり、参道の先に仁王門が建っている(写真)。
なかなか風情のある参道、仁王門だが、その先はまた民家が建ち並んでいた。


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参道には民家と共に、塔頭である十輪院、竹林寺があるが、いずれも立ち入り不可とある。
ここ石峯寺は山岳修験の道場として栄えたところである。
最盛時の鎌倉期には47の堂塔を有し、さきほどの仁王門から一里四方が寺域であったらしい。
写真は塔頭竹林寺の茅葺本堂。

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正面に石段が見え、ようやく石峯寺に到着。
創建は古く651年と伝えられ、孝徳天皇の勅願寺である。
山号は岩嶺山、高野山真言宗の寺院
写真は正面にある立派な木造本堂で雰囲気がある。

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本堂の右手には重文指定の薬師堂が建つ(写真)。
室町時代後期に建立された五間四方の入母屋式建物である。
中には薬師如来、十二神将、日光月光菩薩などが安置されている。


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薬師堂の奥には朱色のこれも重文指定されている三重塔が建っている(写真)。
室町時代中期の再建で、高さは24,4mあり、県内では一番高い塔とのこと。
中には大日如来が安置されている。


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また裏山一帯に八十八ヶ所霊場廻りがあり、回ってみたが、くもの巣が多く途中で止めた。
かなりの時間、境内にいたがその間、誰一人として会わなかったし、管理の方もいらっしゃらない。
こんな素晴らしい文化財が残っているのに勿体ないと思ったが、昨日の如意寺と同じくやはり交通の便が悪いのが致命傷か。

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帰りは村を左回りに通じている田舎道を歩いてみる。
途中、山中にある八坂神社に立ち寄り参拝。
また村の入口に出て、近くの木立に囲まれた天神社(写真)にも立ち寄った。
来た道を引き返して野瀬バス停まで戻り、パンを食べながら遅い食事をする。

如意寺に続いて石峯寺と、幸いにもひっそりと残っている古刹を訪ねたことになる。
振り返ると、これで神戸周辺で訪ねたかった主だった寺院は一応終わったことになる。
しかしこの周辺は歴史も古く、調べるとまだまだ由緒ある寺社が多そうであり、次回神戸に来るまでにまた調べておくことにしょう。
19日、神戸の義母宅から市営地下鉄に乗り、西神南駅に下車し、如意寺を訪ねることに。
駅から西南に歩いてゆくと大きな公園があり、沢山の子供連れの人が遊んでいた。
右手の山越えで如意寺に行けるかどうか聞くも、誰もお寺があることさえ知らない。
ようやく脇道から展望台に上り一服。
樹林の中には、整備された遊歩道が続いており、ひたすら坂道を下って行く。

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ようやく樹林を抜けると、突然目の前に三重塔が飛び込む(写真)。
山と山の間に谷戸のように続く狭い窪地に、目指す如意寺は建っていた。



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如意寺の山号は比金山、天台宗の寺院で645年の創建と古い。
まず入口に素晴らしい格子戸をめぐらした文殊堂が建っている(写真)。
南側から見ると掛け造り風になっており、室町中期に建てられて重文指定されている。


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東には三重塔が緑の山々をバックに優美な姿をみせていた(写真)。
1385年の建立とされ、三層にはそれぞれ大日、釈迦、多宝如来が安置されているとのこと。
重文指定。


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さらに西の少し高台にはこれも重文の阿弥陀堂が建っている(写真)。
文殊堂と比較して小ぶりだが鎌倉中期に建てられたもので、近辺では最古の建造物。
本堂は北側にあったようであるが、現在はその礎石を残すのみである。
また西の奥には現在の本堂が建っていた。

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さらに福聚律院を訪ねた後、帰り道を歩いていると文殊堂からかなり離れて、ポツンと如意寺の仁王門が立っていた(写真)。
仁王門、仁王像共に鎌倉時代の作とのことだが、かなり傷みが酷く、特に仁王像の損傷は激しい。
このままではいずれ崩れ落ちてしまうのであろうと心配である。
昔はこの谷戸全体が如意寺の寺域だったのであろう。
地形的にも隠れ里のようになっており、お陰でこのような重文級の建物が残ったことに感謝。

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如意寺からさらに奥に歩くと行き止まりになるが、左手の山道を上って行くと突き当たりに、これまた隠し寺のような福聚律院が忽然と現れる。
周囲を山に囲まれて、山寺そのものの佇まいが嬉しい(写真)。


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福聚律院は如意寺の塔頭であり、ひっそりとして物音一つ聞こえない静寂の中にある。
山門前の石段に生えた雑草が、なんとも言えない風情を添えていたのでパチリ。
境内には本堂、文殊堂、客殿などがある。


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本堂裏に回ると、かなり荒れたままの庭園がある(写真)。
帰ってから調べると宮本武蔵作庭ではないかとある(宮本武蔵サイト編より)。
たまたま地図に出ていたので、如意寺のついでに寄ってみたが、思いがけない出会いに感謝、感謝。

このあと西に歩いて行き、若宮神社に立ち寄り、大通りを今度は東に向かって歩いて行く。
法泉寺に立ち寄るも、お堂は半分崩れかけていた。
最後に諏訪神社に参拝し、バスに乗り西神中央駅に出た。
如意寺の端正な文殊堂、阿弥陀堂に感激し、三重塔の孤高さに打たれ、福聚律院の静けさに酔い、夜は丹波豆で美味しいビールを飲む。幸せなり。
続いては岩清水八幡宮に。
以前から一度訪ねたいと念願しながら、なかなか訪ねる機会がなかった。
ようやく今回のツァーに入っていたのだが、時間の関係で自由時間はわずか10分!。
八幡市の観光地図を見ると、他にも松花堂庭園など見所も多いので、また機会を見て訪ねたいものである。
京阪の八幡市駅から、男山頂上の岩清水八幡宮へ、専用の京阪ケーブルカーが出ているのにびっくり。
また、宝積寺もスケジュールに入っていたのだが、昨年訪ねた際10月24日のブログに書いているので今回は省略した。

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岩清水八幡宮は859年の創建。
時の清和天皇の命により、宇佐八幡宮より勧請したのが始まり。
源氏一門の守り神として、代々の武将、権力者の厚い尊崇、庇護を受けてきた。
写真は楼門。

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今残る本殿、外殿、楼門、舞殿などは徳川家光が1634年に建立したもの。
残念ながら本殿は工事中であり、若宮社が本殿の代りをしていた。
写真は外殿。


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また境内の一角に「エジソン碑」がある(写真)。
エジソンが炭素白熱電球を発明したとき、岩清水八幡宮の竹をフィラメントに使ったことを記念した碑。



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続いては宝積寺を拝観したが、前述のように一年前に訪ねているので、途中からエスケープして、一人で大念寺、離宮八幡宮を訪ねた。
大念寺は宝積寺の参道途中にある。
山号は見仏山、浄土宗の寺院。
狭い境内には木造本堂、鐘楼などがある。
写真は石段。

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離宮八幡宮は岩清水八幡宮勧請の際、一時ここに分霊がとどまったことにより、859年に創建された。
また嵯峨天皇の河陽離宮の地でもあり、一時は広大な神域を持っていた。
祭神は応神天皇、姫三神、酒解大神。
写真は東門。

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「本邦製油発祥の地」の石碑が立っている。
これは離宮八幡宮の神人たちが、京都の灯火の油の販売権を独占して多大な利益を挙げていたことによる。
境内には楼門、社殿(写真)のほか、腰掛天神社、勝手神社、小禅師宮、高天宮、気比、鹿島、蛭子、武内、高良、若宮、天照皇太神などの末社がずらり並んでいた。
「宵ごとに 都出ずる油売り ふけてのみ見る山崎の月」その繁栄が偲ばれる歌である。

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バスは本日の最後である乙訓寺に到着。
山号は大照山、真言宗豊山派の寺院。
この寺はボタン寺として有名であり、境内いたるところに植えてあるが、時期外れのため殺風景な境内であった。
写真は山門。

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乙訓寺は聖徳太子の建立とされ、784年に京内七大寺の筆頭として大増築され、隆盛を極め東西360m,南北240mの広大な寺域を持っていた。
また桓武天皇の皇子である早良親王幽閉の寺でもある。
また最澄が空海に教えを乞うたのも当寺であった。
しかし今ではその面影を見出すすべはほとんどない。
境内にはこじんまりした本堂(写真)、毘沙門天堂、鐘楼、神社などが点在するのみ。

予定よりも早く17時過ぎに京都駅に到着。
新幹線の時間まで1時間あるため、近鉄地階の蕎麦屋で飲む。
今回の訪ねた寺社では、蟹満寺、乙訓寺にガッカリ、岩清水八幡宮では時間がないなど欠点もあったが、一休寺の素晴らしさがひときわ印象深かった。

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