寺社巡りと 映画と 酒と、 ときどき 旅

人生の意義、探してふたたび歩いています

関西篇

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二日目の9日、市営地下鉄今出川駅で下車。今出川通を西に向かって歩いてゆく。

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まず白峯神社を訪ねた。祭神は崇徳天皇(保元の乱で配流)、淳仁天皇(仲麻呂の乱で配流)という悲運の天皇二人を祀る珍しい神社。
また蹴鞠の神を祭り、サッカーなどの上達を願いボールなどが奉納されていた。
写真は社殿と蹴鞠の庭。



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続いては参拝客が多い晴明神社に参拝。祭神は今やスターの安倍晴明。魔除けの五芒星が目立つ。
また本殿前に魔除桃の置物がある。





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西陣織会館に立ち寄る。ちようど着物のフアッションショーをやっていた。
お土産を買う。





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続いて人形寺として名高い宝鏡寺を訪ねる。臨済宗の門跡尼寺。
春の人形展が開催中で、御所人形など沢山飾られていた。






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宝鏡寺の並びにある妙顕寺もかなりの大寺である。山号を具足山、法華宗の大本山である。
白塀に囲まれた山門を入ると、大きな本堂、三菩薩堂、鬼子母神堂など数多くの堂宇が並ぶ。
写真は本堂。




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続いては日蓮宗本山の叡昌山本法寺を訪ねた。1436年の開創で、仁王門を入ると、多宝塔が立つ。
この辺りは訪れる人はほとんどなく静かである。
写真は仁王門。






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写真は木造本堂を境内の内から撮る。








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書院の枯山水庭園は本阿弥光悦作庭で、巴形の島が三つあるので「三巴の庭」として国指定名勝に指定されている(写真)。

他に大きな長谷川等伯の「仏涅槃図」(重文)もあるが、複写が飾られていた。





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さらに妙蓮寺を訪ねた。本門法華宗の大本山。本堂前には秋から咲きはじめ春に満開になる御会式桜が花をつけていた(写真の右手前)。

早春の京都の寺社めぐり3に続く

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しばらくのご無沙汰でした。
格安のパック旅行で京都に四泊五日で寺社めぐりに出かけていました。例年4月に入ってから出かけていたが、今回は梅便りも兼ねて早めにのお出かけ。
初日の8日、京都駅に13時20分到着。荷物をウエルカムカウンターに預けて、JR奈良線で稲荷駅下車。

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まずは瑞光寺を訪ねた。ほとんど知られていないが、ある本に鄙びた趣のある寺として紹介されていた。
茅葺山門を入ると、三十番神、帝釈天、白龍銭洗弁財天の祠が並んでいた。小さ目の境内の中央に茅葺本堂が庭木(サツキ)や草花に囲まれてひっそり建っている。他は庫裏、鐘楼のみである。
写真は茅葺本堂。



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伏見稲荷に向かって少し歩くと宝塔寺の四脚門(重文・室町時代後期)が見えてくる。(写真)
深草山宝塔山は日蓮宗寺院で、前身は古刹極楽寺で、今でもその面影を残している。






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総門を入ると石畳の参道が一直線に続き、左右に塔頭である、大雲寺、直勝院、円妙院、霊光寺、慈雲院が整然と並び、この寺の格式の高さを窺える。
写真は大雲寺。





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参道の先に朱の仁王門が立つ。1711年の再建。







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本堂は1608年の再建で重文指定。ここから周囲を見渡すと、堂宇が並び、禅寺らしい凛とした雰囲気が漂う。
これだけの大寺なのに訪れる人は極めて少ない。京都の寺院の奥の深さを改めて感じる。





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本堂右手には、この寺で一番古い建物の多宝塔(重文)がある。1448年以前に立てられ、行基葺きの瓦屋根。






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本堂左手の鼓楼下を抜け、石段を登ってゆく。途中、開山日像菩薩の像尊本廟があり、石段を上り詰めると、七面宮がある。拝殿が良い。(写真)
また妙見堂、常当稲荷、熊鷹大明神の祠もある。

宝塔寺は思いがけなかった大寺であった。しかし重文指定の建造物も多く歴史もあるのに、ほとんど観光案内書に出ていないのは何故だろう。

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続いては五百羅漢で有名な石峰寺を訪ねる。
百丈山石峰寺は黄檗宗寺院であり、特有の竜宮門が迎えてくれる。(写真)
正直言って、参道には民家が立ち、本堂も新しく、五百羅漢のみが見どころの寺と言える。




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裏山一帯の竹林の中に羅漢像が立ち並んでいる。江戸中期の画家である伊藤若沖の下絵による石仏群で、様々な表情が面白いが、永年の風雪により顔の判別が難しいものもある。その分、独特の風格も出てきているが。

伏見稲荷に向かう途中、「ぬりこべ地蔵」という小さい地蔵堂がある。歯痛平癒の地蔵である。


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伏見稲荷に立ち寄り参拝。これまでの寺院と違い、多くの参拝客、観光客で大変な賑わい。
二年前に来たとき、奥の宮まですべて丁寧に廻っているので、今回は本殿に参拝のみにする。
写真は手前が外拝殿、奥が本殿(重文)。
前回来た時は、ちょうど奉納神楽があり、外拝殿で寒さにふるえながら見学したことを思い出した。



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伏見稲荷の近くにある大橋家庭園を訪ねる。元請業で財を成した大橋仁兵衛の別荘で、現在は四代目の方が住まわれ説明をして頂く。訪れていたのは我々二人のみであり、由来から始まり、跡継ぎの息子夫婦のこと、同窓会の話などしばらく話し相手になる。
水琴窟の音の美しさで名高く、丁寧に時間をかけ何度も聞かせていただく(写真)。

この日の寺社廻りはこれでタイムアウト。京都駅まで戻り、ポルタ地下街の「萬重」で食事をしてホテルに帰る。

書き込み後、文章の間に写真が入り込まないので辺だと思ったが、よくよく考えてみると初期ミスをしたらしい。久しぶりだったので間違えてしまった。
写真は順番に並んでいる。

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女房の実家が神戸市名谷にあり、義父が入退院を繰り返していた時期、たびたび訪れた。
その合間をぬって一人で兵庫県の寺社めぐりに出かけた時、巡りあった寺である。
太山寺は名谷駅前からバスに乗り、バス停太山寺で降りる。
三身山太山寺は天台宗の寺院で、本尊は薬師如来、十一面観音である。716年、藤原宇合が元正天皇の勅願寺として開基したとのこと。南北朝時代は支院41ヶ坊を数え隆盛を誇ったが、その後火災その他で衰微していったが、今でもその播磨の名刹としての面影は残している。
訪ねたのは2006年10月21日であった。

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バス停の真ん前に木造仁王門のみがポツンと立っていた。室町時代の建造の八脚門。あまり手入れの状態が良くないし、とても重文指定されているとは思えない。





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仁王門を過ぎて、民家が続く中を歩いてゆく。途中に塔頭が4〜5あるが、写真はその一つ安養院であるが、中には入れなかった。このあたり雰囲気のある白塀が続いていた。






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国宝指定の本堂は、1293年の再建の和唐折衷様式で、正面は蔀戸となっている。見た目も美しい横長に見えるお堂である。正面20、82m,側面17、76mとかなり大きい。





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写真は本堂外陣。







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写真の三重塔は本堂から写した。1688年の建立とされる。
その他本堂の左手に阿弥陀堂、その奥に鐘楼、護摩堂があり、右手には太子堂、稲荷社、その奥に羅漢堂、釈迦堂がある。

また境内一帯は自然のまま太山寺風致地区として保存されている。右手の清流に沿ってゆき、赤い閼伽井橋を渡ると稲荷社、地蔵堂(一願地蔵)があり、緑と清流の世界が広がる。

神戸市にこんな素晴らしい国宝建造物が現存していることに驚きを感じた。あまり人に知られてなく維持保存が大変だろうと心配もする。

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姫路には何度も行っているが、書写山にはこの時、初めて訪ねた。
西の比叡山とも言われ、僧侶の修行道場として名高い。簡単に行けると思っていたが、奥深く山全体が境内であり、広大な寺域に沢山の堂宇が点在していた。
訪ねたのは2006年10月22日である。

姫路駅からバスに乗りバス停書写で下車。さらにロープウェイで山上駅に。
ここから樹木に覆われた山道を歩いてゆく。

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10分位歩くと、樹立の中にポツンと仁王門が建っている。
円教寺は966年、性空上人によって開山された鎮護国家の道場である。宗派は天台宗。
仁王門を入ってから、さらに樹木の中の山道を15分ぐらい歩くと摩尼殿が建つ。その間、寿量院、十妙院などを見ながら進む。


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摩尼殿は円教寺のシンボルともいえる。崖の斜面に舞台造りで建ってあり、壮大な造りでかつ美しい。
本尊は如意輪観音で西国巡礼27番札所でもある。





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摩尼殿の前に「はづき茶屋」があり、ここで蕎麦を食べる。真ん前に苔むした岩に囲まれて本坊がひっそり建っていたので撮る。風情がある。






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さらに山道を歩き、白山権現に参拝。そして坂道を降りたところに大講堂(重文)が建つ。
986年に花山法皇の勅願により創建され、僧侶の修行の道場である。現在の建物は室町時代初期に建てられたもの。
本尊の釈迦如来、脇侍の普賢菩薩、文殊菩薩(いずれも重文)などを拝観。
写真はパンフレットから転写したもので、右が大講堂、正面が食堂、左は常行堂の舞台部分。

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食堂(重文)は1174年後白河法皇の勅願で創建。長さは40mあり、二階建てという見事なもので、内部も拝観したが、広く見ごたえがあった。
常行堂(重文)は東向きの堂だが、北側の大講堂に向かって舞台が付いている。
写真は食堂の中から常行堂を撮る。



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さらに西に歩くと奥の院の堂宇が並ぶ。開山堂を中心に護法堂、不動堂、護法堂拝殿などが建つ。
写真は右に護法堂が二つ並び、正面に開山堂が見える。

さらに離れて、鐘楼、法華堂、金剛堂などなどが点在している。



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後で気がついたことであるが、拝観料にあたる「拝観志納金受領書」は、江戸時代の「播州書写山縁起絵巻」の一カットが印刷されており、この絵の部分が毎月変り、2年で絵巻全部が揃う仕組みになっていた。全部そろえてみたいものであるが、何しろ遠く離れているのが残念である。
写真はその「拝観志納金受領書」の「その十七」。

随分と時間をかけて回り、細かく拝観したつもりであるが、何か見落としているという気がしてならない。それほど奥深さを感じさせてくれる。
なおNHK大河ドラマ「武蔵」や「ラストサムライ」のロケ地にもなったほど、境内、堂宇の佇まいは昔そのままの雰囲気を留めている。

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ブログを始める前に訪ねた寺社のうち、心に残ったものを書こうと思ったが、日々の寺社めぐりなどに追われてなかなかはかどらない。

第二回目として、兵庫県加古川市の鶴林寺を取り上げたい。加古川市は工業都市として名高いが、加古川駅に降り立ったのは生まれて初めてであった。
新幹線が当然停車するものと思っていたが、そうではなく今やローカル駅となっていた。タクシーに乗り鶴林寺に向かう。
時は2005年5月11日。写真は四枚しか残っていない。

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鶴林寺は聖徳太子が草創と伝わる播磨の古刹である。
その後718年に七堂伽藍を整え、1112年鳥羽天皇より勅額をいただき、勅願所となる。
室町時代には寺坊30数箇所、寺領25000石と全盛期であった。
境内は結構広く、堀がぐるりと廻らされて館のようになっているのが特徴。
写真は大門と三重塔。


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国宝指定の本堂は、1397年建立である。
和様(優美さ)天竺様(豪壮さ)唐様(装飾性)を合わせた折衷様仏堂で、四面の扉が吊られているのが特徴とある。
本堂内に入り本尊の薬師如来、日光、月光、毘沙門、持国、十二神将などを拝観できた。
写真は本堂を正面から。


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本堂右手には、やはり国宝の太子堂が建つ。
1112年の建立で、堂内の板壁に聖徳太子像が描かれているのでそう呼ばれるが、正式には法華堂。
宝形を頂く檜皮葺の屋根の曲線が優美である。
また蔀戸が美しく、純和風の建物である。
写真は手前に太子堂、奥に鐘楼(重文)が見える。


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また刀田山鶴林寺は天台宗寺院である。多くの文化財を蔵するので、「播磨の法隆寺」とも呼ばれ、一方では庶民の太子信仰として訪れる人も多い。
写真は手前から太子堂、本堂、常行堂(重文)が並ぶ。なにぶん腕が悪く暗い写真となっている。

境内には、行者堂、護摩堂などの重文建物、仏像・絵画などたくさんの重文指定文化財が保存されている。
この日は小野市の浄土寺からローカル線を乗り継いで来たため、加古川に着いたのが夕刻になり、時間に追われたゆっくりできなかったのが惜しまれる。
機会を見て是非もう一度訪れたい古刹である。

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