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人生の意義、探してふたたび歩いています

中部・東海篇

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いよいよ今回の旅のメインである身延山久遠寺を訪ね.。
身延駅に12時前に到着。バスは出た後だったので、タクシーに乗り一気に本堂まで直行。
さすがに天下の身延山だけあって、信者、観光客が多い。

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身延山久遠寺は、日蓮宗の総本山。
鎌倉時代、日蓮上人によって開かれ、「いずくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」の遺言によりご遺骨はここ身延山に奉じられた。
山全体が聖地でもあり、たくさんの堂宇が点在している。
旧本堂は1875年焼失し、現在の本堂は昭和60年の再建。
総坪数970坪の堂々たる建物(写真)。

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本堂の前に新しい五重塔が建てられた(写真)。
案内では、高さ日本第四位と言っていた。
調べると木造五重塔で、日本一高いのは東寺の54,8m、第二位が興福寺の50,8m、第三位が善通寺の45mに続いて、久遠寺、青龍寺(青森)の39mであった。
ちなみに鉄筋では清大寺(福井県勝山市)の75mなどがある。
正式には木造五重塔として日本第四位の高さということであろう。

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本堂の右隣りには華麗な祖師堂が建つ(写真)。
やはり明治の大火で焼失し、明治14年に再建されたもの。
その右手には報恩閣、御真骨堂、拝殿、仏殿、客殿などがずらり並んでいた。


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続いてロープウェーに乗り、奥の院思親閣を訪ねる(写真)。
日蓮上人が遥か安房小湊の両親を慕った霊場。
富士川の流れなど、下界が一望できる絶景。
今日は暖かいとはいえ、さすが山頂は冷え込んでいた。


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再びロープウェーで下り、本堂前から菩提梯と呼ばれる石段を降りてゆく。
高さは104m、287段の石段もさることながら、その一段一段の段差が大きく、下る降るのでさえ大変である。しかし是非一度、登ってみたいものである。
写真はその菩提梯を下から見上げたもの。

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さらに石畳を歩くと、大きな三門に至る(写真)。
現在の三門は明治40年に再建されたもの。
間口23m、高さ21mの重層廊門付き総ケヤキ造の堂々たる三門である。
この身延山は桜の名所としても名高く、満開の季節に訪れるとさらに華麗そのものであろう。

門前町の蕎麦屋さんで遅い昼食。
タクシーで身延駅に出て、特急で帰途に着く。
旅の終りの反省会として、立川の「梅の花」で夕食。
今回の旅は、ゆったりしたスケジュール(私が病み上がりのため)であったが、内容は極めて濃いものであった。
良き友と、新しい発見の旅をし、美味しいものを頂く幸せを噛みしめた旅でもあった。
こういう旅を身体の動く限り、長く続けてゆきたいものである。感謝!感謝!
翌日「休暇村富士」のバスで、白糸の滝まで送って頂く。
白糸の滝に来るのは30年ぶりであろうか。
季節外れで早朝ということもあり、一人の観光客とも出会わず、我々四人で白糸の滝貸切であった。

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遊歩道が完備されており、瀧の間近まで降りてゆく。
まさに白糸の滝という名前に相応しい女性的な美しい瀧に見惚れる。
最近、どこも水量不足が言われているが、ここの瀧は水量も多く、幾筋も瀧が連なり美しい。
その上、運よく虹もかかり、さらに女性的な美しさが増していた(写真)。

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効率的に回るため、白糸の滝からタクシーに乗る。
運転手さんが地元の方で、お陰で詳しい説明を聞きながら回ることができた。
途中、井出家の高麗門、両脇に長屋の古民家に立ち寄る(写真)。
源頼朝の富士の巻狩の際、宿所になったという名家である。そういえば身延線の車掌も井出さんだった。

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続いて大石寺(だいせきじ)を訪ねる。
日蓮正宗の総本山である。
寺院というイメージからは程遠く、むしろ自然公園に堂宇が点在しているといった感じである。
南北1500m、東西1150mの途方もない大きな寺領である。
写真は遠くに見える総門から、手前の後にある三門への長い石畳(写真)。
この写真には入っていないが、左右には大きな鉄筋坊がいくつか建っている。
その広大な寺領が窺えるであろう。

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三門はちょうど工事中で、覆いがしてあったのが残念。
写真は三門を入り、御影堂に向かう参道で、両側に塔頭に当たる塔中が並んでいる。
観光寺ではないため静寂そのものである。
大石寺は1290年、日興上人が日蓮宗より離山して開山された。

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お目当ての五重塔は、ここからかなり離れた杉林の静寂の中に、聳え立っていた。
立ち入り禁止であるが、運転手さんのご配慮で間近に見ることができた。
1749年の創建、高さは33、4m銅板葺き、重文指定されている(写真)。
大町桂月が「大石寺を見ずして寺を語ることなかれ」と言ったとあるが、その広大さには驚いたが、正直言ってこれはいわゆる寺院とは別物といってもよかろう。

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続いては北山本門寺を訪ねた。
ここも観光寺ではなく、訪れる人も少なく、この日も我々四人のみであった。
山号は富士山、日蓮宗の大本山である。
写真は仁王門。

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約700年前に開山され、元本門宗の祖山であったが、昭和16年に日蓮宗と合併した由。
木立に囲まれた静かな境内の中央に、素朴な本堂(写真)、右隣りに開山堂、他に客殿、廟所などが点在している。


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さらに境内には既に焼失してしまった五重塔のミニチュアが飾られていた。
写真はそのミニチュアと、左には鐘楼。
また仁王門から南に向かって杉並木の参道が長く続き、まさにこの寺の歴史、格式の高さを物語っている。

そのままタクシーで富士宮駅に到着。今日は二組で回ったので、3000円と格安であった。
続いては身延線に乗り、久遠寺を目指す。
Yご夫妻と身延線の旅に出かけた。
予てよりお奨めの「休暇村富士」に一泊しての寺社廻りの旅である。
八王子駅で待ち合わせたが、ダイヤの乱れで特急も15分遅れ。
そのため甲府駅で身延線への接続が狂ったため、駅弁を買い、駅から出て甲府城公園で昼食。
今日は綺麗に晴れ上がって気温も上がり、絵に描いたような小春日和。
こうして二時間遅れの身延線に乗り、予定を変更して直接富士宮駅に。
身延線の車窓からの富士山は、予想に反してほとんど見えず、富士宮手前からようやく見えたのみ。
むしろ富士川に沿っての川景色を楽しむ旅と言える。

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富士宮駅から新しい長く続く商店街を通って、富士浅間神社に向かう。
神社めぐりをしていると、あちひちで目にする浅間神社1300余の総本宮として名高い。
まずは菊の御紋の入った大燈篭と朱色の正面鳥居が迎えてくれる。
富士山をご神体とし、垂仁天皇御世に祀られたことに始まり、806年に坂上田村麻呂が社殿を造営したという由緒ある神社。
写真は正面鳥居と、丁度運よく顔を出してくれた富士山。

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参道を進み、鏡池に架かる石橋を渡ると正面に檜皮葺で朱も鮮やかな楼門(写真)。
楼門の前にある石は鉾立石である。
現在の楼門、拝殿、本殿は慶長9年、家康が造営したもの。


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回廊を廻らした楼門を入ると、正面にこれも鮮やかな朱色の拝殿、本殿が建つ(写真)。
二重の楼閣造で、浅間造といわれ他にはない独特の造りである。
一階は五間四面の宝殿造、二階は間口三間奥行二間の流造で共に檜皮葺。
本殿は重文指定で、祭神は木花之佐久夜毘売命。

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社殿の右側の門を出ると、富士山の雪解け水が湧出している湧玉池が広がる(写真)。
清冽な清水は見ていて気持ちが良い。
「つかふべきかずにをとらん浅間なる御手洗川のそこに湧く玉」平兼盛
境内は観光客の姿はほとんどなく、地元の人が子供連れで遊んでいる姿が見えるのみであった。

富士宮駅前に戻り、16:20発の路線バスに乗る。
丁度、陽も落ちかかる中、右手に常に変わり行く富士山を見ながら幻想的なバスの旅。
ほんのりと夕焼けを染めた富士から、次第にセピア色に。
さらに横山大観の世界から、シルエットのみの富士へ。
替わって三日月と一番星が見え始め、星月夜の世界に。子供の頃を思い出し、チョッピリ感傷的になる。

「休暇村富士」の本館はあいにく満員だったためコテージに宿泊。
夕食のバイキングも美味しく種類も豊富。
医者の許可も出たため、久しぶりにお酒も解禁。甘露、甘露!感謝、感謝!

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「休暇村富士」は田貫湖のそばにある。
早朝の富士山は、稜線がまだ淡く、私のデジカメではなかなかうまく写らない。
もっとも腕、技術が悪いのだが。
写真は田貫湖と富士山。

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同じく田貫湖と富士山。
この日は白糸の滝から大石寺、本門寺を訪ねて身延山を訪ねる予定。
大垣市のホテルに泊っての翌朝、朝寝坊の私としては珍しく早め、と言っても8時40分に出発。
書き忘れたが、昨夜のお酒は養老の滝の地酒「美濃菊」で、少しくせのある味がとても美味であった。

大垣駅から樽見鉄道にコトコト揺られて谷汲口を目指す。
一両のみの電車ながら、乗客は10名たらず。車窓からは絵に描いたような緑一面の田園風景。
そのうえ途中駅本巣で、やはり一両の電車に乗り換えるが、乗客は4名に。

何も無い谷汲口駅で降りると、バスが待っていた。乗客は3名のみ。
約8分で目指す谷汲山華厳寺に到着。

バスターミナルは総門の中にあり、ここから両側に土産物、食堂が並ぶ門前町が延々と続く。
しかしほとんどのお店は閉まったままであり、さらに歩いている人は私だけという静けさにびっくり。
西国三十三箇所満願霊場ということで、人混みは覚悟していただけに拍子抜け。

華厳寺はあまりにも有名なので、説明は感想のみで以下、写真を中心に掲載。

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まもなく立派な仁王門が見えてくる(写真)。
大ワラジをぶら下げ、見ごたえのあるどっしりした門である。
この近くに駐車場があるらしく、観光客らしき人達が増えてきた。
ほとんどの人が観光バスか、マイカーで来るため、門前町がさびれてしまったのだと納得。

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仁王門を入ると、石畳が続き両側にずらりと石灯籠が並ぶ。
その左右に一乗院、法輪院、十王堂、羅漢堂、明王院、地蔵堂、本門(写真)などの塔頭、お堂があり、一つ一つ確かめながら、またお参りしながら進む。



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さらに経堂、英霊堂、三十三所堂があり、石段を登ると本堂である(写真)。
華厳寺は798年の創建とされ、朱雀天皇の勅願所であり、花山法皇自らが結願所と定められた由緒ある天台宗の寺院である。
本堂は1879年の再建で新しい。
本堂前では白装束の巡礼達が最後の読経をされていた。

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本堂右の鐘楼から坂道を登ると、幽遠な緑ヶ池が望まれ、さらに満願堂(写真)に至る。
考えていたよりも小ぶりなお堂であった。



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さらに坂を下ると子安堂、笈摺堂、阿弥陀堂と廻る。
阿弥陀堂では、自分の悪い病気の数だけ小さい紙を一枚10円で買い、石仏の同じ箇所に貼り付けて祈願するようになっていた。私も何箇所かやってみた。
左手にある大師堂、内仏客殿(写真の右の建物)、庫裏(写真正面)などを廻り、中門より出る。

バス停に戻り、次の目的地の横蔵寺行きのバスに乗る。
約30分かかるが、乗客は私一人であった。
運転手さんに運転中に話しかけてはいけないと遠慮していたが、「どこから来られたのですか」という問いから話が弾み、地元のいろいろなお話を聞くことができた。
バスは町営コミュニティバスであり、値段もわずか200円であった。
途中に天皇林という大層な名前の公園がある。聞くと昭和天皇が幼少の頃、ここで食事をされたとのこと。
最近は一人も乗客のない日も珍しくないとのこと。観光客用ではなく、主に地元の足として利用されている。しかし車やタクシーに乗らないでの、こういう旅も結構楽しい。

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ようやく横蔵寺に到着。
こちらは華厳寺と違って、山の中にひっそりと建つ。
飛鳥川という小川を渡ると、すぐに木造仁王門(写真)が建っている。
檜皮葺、二重で二階は鐘楼を兼ねており、1675年の再建。

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仁王門手前の右手に寺門があり、入ると茅葺の客殿がどっしりとした構えで建つ(写真)。
客殿もそうだが、ここの堂宇は緑一杯の樹木に囲まれて清々しいの一言。




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仁王門を入るとすぐに三重塔が建っているが、樹木に遮られてなかなかうまく撮れない(写真)。
この塔も檜皮葺、江戸時代初期1663年に完成した。
横蔵寺は山号を両界山、天台宗の寺院で801年伝教大師の開山。桓武天皇の勅願所。



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木造本堂は和様檜皮葺の、方五間の立派な建物(写真)で、1671年の再建。

しかし横蔵寺は「美濃の正倉院」と呼ばれ、いずれも重文指定の仏像二十二体で知られている。仏像なのにどうして「美濃の正倉院」と言われるのか首をひねる。
本尊薬師如来坐像を中心に深沙大将立像、大日如来坐像、大きな仁王尊立像、小さい十二神将、四天王立像などがずらり並んだ様は壮観である。
ここもまた私一人であり、ゆっくり鑑賞できた。

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さらに舎利堂では妙心上人の舎利仏であるミイラが目前で拝見できる。
しかしあまり気持ちがよいものではなかった。

飛鳥川の清流が眼にやさしく、ホッと心を慰めてくれる(写真)。

45分ほど境内を一周し、バス停に戻り、先ほどの運転手さんのバスに再び乗る。というと私の専属貸切バスのようだが。
途中から地元の女性が一人乗り、また終点近くになって女高生が団体で乗ってきた。
揖斐駅前でバスを降り(40分乗って200円!)、近鉄電車で大垣駅に。
駅前でお土産に名物の「水まんじゆう」を買い求めて、神戸の義母の元へと向かった。
大垣市に降り立ったのは、生まれてこのかた初めてのことである。
大垣と言えば、水の町であり、また「奥の細道むすびの地」としての印象が強い。
事実、大垣市内に流れる川は清流で、水量も豊富である。また市内のあちこちに湧き水が出ている。

たった二日間の逗留だが、大垣に対する私の印象はすごく良かった。
町を歩いていて、落ち着いた町並み、佇まいを感じた。日本全国どこも同じ町並みになってしまった中で、ここは大垣なのだという自己主張が感じられた。

それにもまして、大垣の人々の心温かさが極めて印象に残っている。
まず観光案内所の方の親切な応対。
円通寺で出合った女性の方々の挨拶の良さ。
タクシー運転手さんの正義感と、感じが良かったこと。
ホテルのエレベーターで降りてきた若い女性が、乗る私のためにドアーを手で押さえて頂いた心遣いには心底から感心した。
極めつけはホテル内のレストランで、一人客の私のためにお酌をして頂いたこと。若い女性でもあり、嬉しくなってついつい飲み過ぎてしまった。

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まずは「奥の細道むすびの地」を訪ねた。
最近、雑誌「サライ」の芭蕉「奥の細道」特集を読んで、是非訪ねたいと思っていたところである。
写真は河畔に立つ芭蕉と曾良の像。



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芭蕉は1689年の秋、約五ヶ月の「奥の細道」の旅をこの地大垣で終えた。
またそのおり芭蕉は「蛤のふたみに別行秋そ」と詠んで、ここの船町港から桑名に舟で下っていった。
写真は船町港付近の景色。


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写真は船町港の住吉燈台と住吉橋。





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円通寺でタクシーを下り、町を散策した。
円通寺は山号を旭光山、浄土宗寺院。
参道の先に頭でっかちの木造山門(写真)が立つ。
1830年〜1844年の再建。


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ここは大垣藩10万石の城主だった戸田家の菩提寺である。
木造本堂(写真)のほか、大師堂がある。




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清流の水門川に沿って北に歩いてゆくと、広い境内の八幡神社(写真)が見えてくる。
中世には大井荘と呼ばれ、東大寺領であったため、東大寺の鎮守を勧請して建てられたとのこと。
本殿と並んで恵比寿・大黒天堂が並び、天満宮、大福稲荷ほかの末社も多い。



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写真は八幡神社横を流れる小川。湧き水もある。




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水門川に沿って東に歩き、町並み、大垣城跡などを楽しむ。
飲み屋を捜しながら歩いていると、平和橋の近くに稲荷神社があった。
小さい境内に木造社殿とありふれているが、さすが水の町だけあって、手水場も清流が流れて風情があったのでパチリ。
捜していた寿司吉が見当たらず、結局ホテル内で食事をした。

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