注型室 別宅

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横浜港界隈 <32>

しかし、背中にいっぱいの小豆を背負った女性などが
多々見受けられたらしく、物不足という時代背景も
重なって言われた格好になったのではないか。

当時を知る関係者で
「そこまでひどい状況ではなかったのですが・・・」
と、おっしゃる方もいる。

ただ、氷川丸が国内ピストン輸送についた意味は
決して小さくなかったようで、関西−横浜−北海道のルートを
最低でも一ヶ月に1航海のペースでこなしている。

さらに、このピストン輸送時代の氷川丸には
川端康成、柳田國雄、高浜虚子など文学関係者も乗船している。
高浜虚子は毎日、船内で句会を開いていたという。



この氷川丸のピストン輸送業務は昭和24年半ばまで続いた。
この前後、日本郵船はもう国外航路は無理ではないかと
考えていたようだ。

GHQによる占領もすでに4年目から5年目に入ろうとしており、
国外への渡航・輸送業務についてもまったく目処が立たない
状況だったためだ。

そこで、関西汽船のシェア率が高い瀬戸内海輸送へ敢えて
業務拡大を図っている。実際、本州・四国ルートでは
日本郵船は乗客の間で評判は非常に高かったそうだ。
「日本郵船は乗組員のレベルが高い」ということだったらしい。

本州との横断橋が無いこの時代、瀬戸内周辺の人々は
船に乗り慣れていたため、商船会社を見る目は
厳しいものがあったという。

そこで評判がいい、という事は十分にやれる余地がある、
という事だ。ところが、国内輸送でと覚悟を決めていた
その日本郵船にある連絡が届く。

「深刻な国内米不足に対応するため船舶を使用して
東南アジアより米を輸送する」 続く。

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