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武家政権の歴史は、公家階級から土地の支配権を奪っていくに等しい、
という点について、拙稿でも何度か触れてきている。
土地の支配権を奪う、という点は田畑で得られる穀物の所有権を
武家が握るという事でもあった。
つまり、米を「税金」として民に納めさせる権利、という事だ。
江戸幕府の前政権であった豊臣政権は、それを実現させた最初の政権であった。
江戸幕府は、豊臣政権が全国で実施した石高の算出を下地として、
全国に配していった武家の石高を決めていった。その石高は幕府開幕から、
幕末の大政奉還まで改められる事は無かったのである。
開国直後、倒幕に軸足を移していく長州藩は、藩内で生産される
米の石高が江戸幕府開幕前後と幕末では4倍も違っている。
30万石、とされてきた長州藩の実質石高は幕末には120万石にまで
膨れ上がっていた。
戦が無くなり安定した世になると、同じ面積の田畑で4倍もの収穫を
得られるようになる。農業の発達である。それまで戦う事と生き残る事に
注がれていたエネルギーが、農業に振り向けられた事で引き起こされた
「農業革命」であった。
長州藩は、自領内で持て余し気味になった米を大坂へ流したり、
亀山社中―海援隊―という「企業」を起こしたさる人物を介する形で
薩摩藩へと売りつけた。
米を藩外へ流す事で長州藩が得たものは「現金」であった。
これが討幕運動の資金となり、長州藩は維新回転の主役となっていく。
各藩が大坂へ米を回航して金を得る、という行為は幕末の長州藩が
最初ではない。幕藩体制が安定して以降、どの藩でもやっていた事であった。
だが、米を売って得た現金を明確な別の目的のために使ったのは、
恐らく長州藩が最初であったろう。
これに一枚噛んだのが、亀山社中を起こした土佐藩出身の郷士であった。
幕末、この国の人々の間に「資本主義経済」の概念が明確になったのである。
この一連の動きは、幕府が開国を決定してから後、政治が迷走してから
出てきた現象であったが、開国前から、幕府体制がうまく機能しなく
なり始めていた。
理由は同じである。資本主義が幕藩体制を「食い始めた」からだ。 続く。
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検索より訪問させていただきました。
とても参考になります^^w
2009/7/1(水) 午前 11:51 [ tokei200719 ]
ありがとうございます。
結構グダグダです。ご勘弁くださいませ
2009/7/1(水) 午後 7:48 [ ina*u*ar2*2 ]