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「我々の代で幕府を潰す訳にはいかない」
これが偽らざる幕閣達の心境であったろう。
幕府を開いた徳川家康は東照大権現と称される
「神君」であった。
「神君に泥を塗るような行為は出来ぬ」
奴らが神君に泥を塗った大罪人である。
そう後ろ指を指されたくない。
これもまた、彼らの偽らざる心境であったはずだ。
外様、と称された武家は逆に千載一遇と考えた。
今まで幕政に参加出来なかった人々は思う。
「今こそ、国政に参加し名を馳せるべき」
幕府側の人々も外様家の人々も、未曾有の国難に際し、
この国をどうすべきかと考えたのは同じであったろう。
国をどう導いていけばいいのか、その「未来」を想い描いた時、
彼らが思考の根幹に据えたものもまた同じであったのではないか。
関が原の戦いである。
250年前の戦い、たった半日で決した戦いの末に
江戸幕藩体制は築かれた。関が原の戦いそのもの、
この争いに関わった武家の子孫達は、祖先の「戦果」を
受け入れる事で戦乱の無い世を代を跨いで生きてきたのである。
この戦いの結末は江戸期の武家が生きるための「証」であった。
その「価値観」が崩れようとしている。
1867年 慶応3年10月14日。
京都 二条城にて、江戸幕府第15代将軍である徳川慶喜は、
上洛している40藩から多くの藩士達を招集した。
彼らを前に慶喜は言う。
「大政を朝廷に返上つかまつる。意見の有る者は遠慮せず述べよ」 続く。
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