日本とは何か

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内村選手のような天才的な体操選手でも、オリンピックとなると、やはり、一筋縄ではいかないようです。
 
けれども、前評判どおり、金メダルを獲得するというのは、凄い、としか言い様がないですね。
 
なにか、モヤモヤが、すっきりと解消された感じです。
 
日本仏教について、いろいろ考えさせられる番組です。

今、日本で、注目を浴びているのは、
上座部、チベット仏教ではないか。

原点回帰ともいうべきもの。

日本仏教は偽物という意識がこの流れの大きな要因のような気がします。

お坊さんも、安閑とはしていられないのでは。

解脱悟りを求める意識を失なえば、仏教者とはいえないのでは。

なんだか、オウムみたいな感じですが。

 
豊饒の海第三巻「暁の寺」で、三島さんは、次のように書いています。
 
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 勲の死ほど、純粋な日本とは何だらうかといふ省察を、本多に強ひたものはなかった。
すべてを拒否すること、現実の日本や日本人をすらすべて拒絶し否定することのほかに、このもっとも生きにくい生き方のほかに、とどのつまりは誰かを殺して自刃することのほかに、真に「日本」と共に生きる道はないのではなからうか?
 
誰もが恐れてそれを言はないが、勲が身を以て、これを証明したのではなからうか?
 
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又、「「道義的革命」の論理」という文章の中で、天皇信仰について、次のように書いている。
 
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私は本来国体論には正統も異端もなく、国体思想そのものの裡にたえず変革を誘発する契機があって、むしろ国体思想イコール変革の思想だという考え方をするのである。
 
それによって、平田流神学から神風連を経て二・二六にいたる精神史的潮流が把握されるので、国体論自体が永遠のザインであり、天皇信仰自体が永遠の現実否定なのである。
 
明治政府による天皇制は、むしろこのような絶対否定的国体論(攘夷)から、天皇を簒奪したものであった。
 
明治憲法的天皇制において、天皇機関説は自明の結論であった。
 
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この映画は海外の映画祭でもかなり評判になっているようですね。
 
この映画を見て、また、いろいろ日本について考えてみたい。
 
それにしても、三島由紀夫さんは、「死後も成長する作家」と言われていますが、その影響力は凄いものがありますね。

三島由紀夫の天皇観

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SAKURAさんがコメント欄で次のような書き込みをされています。
 
>■三島由紀夫自身【明治天皇国体論?】ではなかったでしょうか?
つまり”武士道姿”を…自己に重ねようとされたのでしょうか?
古い武士のいさおしの理想を語り、国に殉じる事こそが”男子の本懐”??
「国」・「祖国」とは??かれ自身の意識からして…あくまでも
【明治の天皇制国体論】でしたでしょう…
言い換えますと【日本の古来の伝統は”天皇制”にあるとの考え方】
 
私は、三島さんは、かならずしも、【明治の天皇制国体論】が、最上の、理想の、国体だとは考えておられなかったのではと思っています。
 
ここで、天皇制について考えていくために、ご参考のために、かつて、鈴木邦男さんが、「保守反動思想家に学ぶ本」のなかで、三上治さんと天皇制について対論されていますが、三島さんの天皇観について語っておられるところを転載させてもらいます。
 
鈴木邦男さんは、以前、生学連の書記長をされていたこともあるので、これは、大学生練成会で、鈴木邦男書記長の講話を聞くという感じで、読んでみても面白いのではないでしょうか(笑い)。
 
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 日本の保守派や天皇護持勢力が、今どう考えているかと言うなら、天皇の権限強化や元首制を考えている人はむしろ少ないと思うんです。
象徴という地位は占領憲法によって決まったもので、その限りでは不愉快な言葉ではあるけれど、ただ天皇が象徴的存在であったということについては歴史のなかではそうだったわけですよね。
だから、これからも政治の表舞台には立っていただかないで、象徴としての役割を果たしていただこう、と考えている人が保守派や、右翼、民族派にも多いんです。
 
 日本の歴史の中では、明治からの天皇制という形態は、むしろ例外的だったわけですね。
権力的な部分にはあまりタッチしないで、日本民族の権威の源泉として君臨した時代のほうが、長かったんじゃないかと言う人もいます。
そして、象徴的性格のほうがむしろ天皇の本来の姿ではないかという人も多いんですね。
ただ僕としては、確かに象徴的性格は持っておられたけれども、それがすべてではないと思います。
天皇の一面の説明にはいいかもしれませんけど。
 
 いろんなかたちをとっても、一貫して天皇は日本の中心だったし、何か歴史的な変動や危機があれば、天皇に帰一してそれを乗り切ってきた。
その<事実>に対し、いろんな国民の側からの思い入れや、希望、あこがれがあった。
またその<事実>についての説明の仕方もいろいろあったと思うんです。
また、戦後の天皇論というのは、敗戦、安保といった激動期に左の天皇制反対論者の攻撃があって、それを迎え撃つ形で天皇擁護論が、そのときどきにおうじて出されてきた。
だから同じことを言うのでも、表現方法や説明の仕方がかわってきたということだと思うんです。
 
 三島さんの「文化防衛論」だって、ほんとうは「天皇防衛論」なんですよ。
ただ、それをストレートにタイトルにするよりも、三島さんの得意な「文化」から考え、説き起こしたほうがいいと思ってそうなったと思います。
全共闘運動が激しく燃え盛っていたときだからこそ、そうしたんでしょうね。
時代背景を抜きにしては考えられませんよ。
これで、あわよくば、「左」の人間もこちらに巻き込もうという意欲が表れている。
昭和四年に里見岸雄が「天皇とプロレタリア」を出して、「左」の人間も天皇支持に側へ持ってこようとしましたが、動機は同じだった思います。
 
 さっきも言ったように、戦前の右翼のイデオローグに里見岸雄という人がいましてね。
昭和四年に大ベストセラーになった、「天皇とプロレタリア」の著者なんですが、この本は百版を重ね、五十万部も売れたんです。
題名でまずあっと驚くでしょう。
他にも「国体への疑惑」とか、タイトルのつけ方がすごいんですよ。
タイトルもすごいけど、内容もすごいんです。
竹中労なんかは、三島の「文化防衛論」はこの里見岸雄のコピーだと言っています。
里見岸雄は当時、このままでは真面目な勤労労働者大衆は、全部共産主義に取られてしまうという危機感を抱いて、あの本を書いたわけですよ。
国体を守ることは何も資本主義を守ることではない。
社会主義という考え方も、国体に採り入れ得るのだというのが、里見岸雄の問題意識だった。
 
 三島さんにしても同じことが言えると思いますよ。
昭和三十五年と四十五年の二度にわたる安保闘争のなかで、「右」に対して「左」が投げつけた罵声は、天皇制を守るということはたんなる保守反動であって、そこからは変革のエネルギーが出てこないじゃないかというものだったですよね。
この批判にたいして、いやそれは違う、むしろ天皇を基盤にしてひとつの革命が起こせるんだ、というのが三島さんの主張の骨子で、文化概念としての天皇論がそれだった。
 
、「保守反動思想家に学ぶ本」より
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 国と民族の非分離の象徴であり、その時間的連続性と空間的連続性の座標軸であるところの天皇は、日本近代史においては、一度もその本質である「文化概念」としての形姿を如実に示されたことはなかった。
 
 このことは明治憲法国家の本質が、文化の全体性の侵蝕の上に成立ち、儒教文化の残滓をとどめた官僚文化によって代表されていたことと関わりがある。
私は先ごろ仙洞御所を拝観して、こののびやかな帝王の苑池に架せられた明治官僚補都綴の石橋の醜悪さに目をおおうた。
 
 すなわち、文化の全体性、再帰性、主体性が、一見雑然たる包括的なその文化概念に、見合うだけの価値自体を見出すためには、その価値自体からの演繹によって、日本文化のあらゆる末端の特殊事実までが推論されなければならないが、明治憲法下の天皇制機構は、ますます西欧的な立憲君主政体へと押し込められて行き、政治機構の醇化によって文化的機能を捨象して行ったがために、ついにかかる演繹能力を持たなくなっていたのである。
雑多な、広汎な、包括的な文化の全体性に、正に見合うだけの唯一の価値自体として、われわれは天皇の真姿である文化概念としての天皇に到達しなければならない。
 
三島由紀夫著「文化防衛論」より
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これからの世界のゆくえを考える上でも、非常に面白い本ですね。
 
図書館で借りてきた読みましたが、世界史をこういう視点から読み解いていくというのは、非常にユニーク。
 
さすが、斉藤孝さんだ。
 
それにしても、本を量産してますね。
 
そのパワーは一体どこから来ているのだろうか(笑い)
 
最後にイスラム教のことが出ていましたが、やっぱり、生長の家の人類光明化を考えるならば、どうしても、イスラム教というのは外せないですね。
 
そういう点からいえば、現在の総裁の雅宣氏がイスラム教を視野においているのは、人類光明化という視点から考えれば、はなはだ当然だという気がします。
 
これは、現在、いろいろ批判されていますが、プラスの点ではないでしょうか(数少ないプラス面ですが)・・・・・・・
 
この本を読んで、やっぱり、これから伸びていくのは、イスラム教ではないかなという気がします。
 
もちろん、私は仏教徒を自認していますので、仏教がこれからますます世界中で学ばれてくるとは思っていまが、それと平行して、イスラム教も広がっていくのではという予想です。
 
ですので、これから、イスラム教も学んでいきたいですね。
 
今まで、学ばなければ、とは思っていたのですが・・・・・・・・。

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