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六日のことば 国家という生命体の"統合の座"とLての皇位
「皇学館大学講演叢書」というパンフレットの第三十五輯に、昭和五十年六月十三日、兵庫県神社庁主催で神戸市文化ホールで行なわれた「天皇陛下御即位五十周年祝賀式」において、学長の佐藤通次博士が「皇位の尊さについて」と題して語された講演筆記が載っているのであるが、その中に佐藤博士は御自分が『独和言林』というドイツ語辞書の編纂に精根を費い果して"神経性狭心症"にかかって半病人の状態になった時に、日本古来の武道・芸道に正身正息の道がちゃんと立っていることを発見して、それに従って、人体の中心である気海丹田に力を籠めて婆勢を正して正身正息を熱心に行じているうちに健康を回複し、爾来四十年間今日に至るまで健康を維持した体験をのべられ、次の如く話されたと講演筆記は述べているのである。
『それと共に、わたくしには自然発生的に哲学が芽生えてきました。それも「国体」のことを思う哲学です。「国」というものも生命体ではないか?人がそれぞれ個の生命体であるならぱ、「国家は"超個"の生命体」である。ひとしく生命体であるならば、個の人に全身統一の座が立つように、国家にも"統合の座"が立たなくてはならぬ。その座は、わが日本国においては「天つ日嗣・高御座(あまつひつぎ・たかみくら)」(すなわち皇位)として、歴史的に与えられている!かく考えることにおいて、わたくしは確信的な尊皇者となりました。この尊皇は、わたくしが身を以て得た真理ですから、その後の敗戦などによって毫(ごう)もぐらっくことなく、今日に到っています。』
七日のことば 人間に宿る神の"言(ことば)"が、人間の生命である
国家が"生命体"であるならば、生命とは何であるかということを考えねぱならないのである。聖書の『ヨハネ伝』には、
「太初に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、万の物これに由りて成り、成りたるものに一つとして、之によらで成りたるはなし。之に生命あり、この生命は人の光なりき」
と録されているのである。では、人に生命が宿っているのは神の"言(ことば)"が宿っているということにほかならないのである。神の"言"が生命となって人間に宿っているとして、"言"とは一体"何"であるかということを明かにしなければならないのである。 諸君も思惟しながら、思索しながら読んで往って貰いたい。思索が精緻になり、ついに正思惟(せいしゆい)に到達するときその人は真理を知ることになるのである。
【コメント】
「生命体としての日本」の理念は何なのだ、という疑問に対して、佐藤通次博士の考え方が紹介されているのですが、このような、日本の国体としての天皇制度、つまり、天皇信仰こそが、生命体としての日本の理念なのだ、ということなのですね。生長の家の教えの中で、ここが、現代人にとっては、最も、理解し納得することが難しいのではないでしょうか。一種の日本人に課せられたハードルですかね(笑い)。日本に帰化された石平さんも、このハードルは乗り越えられた。
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