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チベット問題については、これが人権問題にもかかわらず、左翼メディアはそんなに熱心に取り上げない。むしろ、保守派や民族派が熱心に取り上げている。
なぜだろうか。
人権侵害に敏感な左翼は、本来ならば、先頭をきって論じなければならない問題なのに、だんまりを決め込んでいる。
この「ジッポウ」という季刊誌は、浄土真宗本願寺派(西本願寺)が母体になって設立した仏教総合研究所が編集協力して出している仏教雑誌だ。
この雑誌が最新号でチベット問題を特集している。
http://www.annon.jp/magazine/2008/06/6.html
これまでは、主に、人権問題や歴史問題、国際政治の視点からチベット問題が論じられてきたが、仏教の雑誌だけあって、仏教研究者、仏教者の視点から、チベット問題に斬りこんでいる。
■インタビュー宮崎哲弥「誤った道を行こうとする友」
宮崎哲弥氏は今最も多くのメディアに登場している評論家だ。この人の主張にはなるほどそうだと共感するものが多い。宮崎氏は拠って立つ哲学を仏教、それも仏教の中でももっとも難解とされるナーガルジュナの中観派の仏教哲学に置いており、自らも「仏教者」を名乗る。(笑い)
このインタビューの中で、宮崎氏はチベット問題で日本がとるべき道として、中国という相手が間違った道を歩いているのなら、それに対して、それは間違っていますよと忠告するのが真の友ではないか、日本も言うべきことはきちんと言わなければならない、と語っている。それに、日本はチベット同じ仏教国なのだから、なおさら、チベット問題は自分たちの問題として真剣に考えていかなければならないという考えにはまったく同感だ。政治家は言葉が命だ。言葉が命の政治家がチベット問題で何の発言もしないとしたら、それはもう政治家たるの資格を全く欠くことになる。よろしく政治家、日本のリーダーは言葉を磨くべきなのだ。議論の場でケンカするときはケンカする。それが欠けていることが日本の最大の問題なのかもしれない。
■インタビュー中沢新一「なぜ今、チベット仏教か」
中沢氏は非常に有名な宗教学者だ。かつてオウム真理教事件が起きたとき、思想的、宗教的A級戦犯と批判されたが、中沢氏自身チベット仏教の研究者であるとともにチベット仏教の修行者でもあり、その修行の過程を描いた「虹の階梯」という本が、オウム信者のバイブル的存在であったからだ。その中沢氏がチベット問題についてのインタビューを受けて、チベット仏教についていろいろ語っている。
チベット仏教の価値というのは、仏教の本場のインド仏教の原典を非常に尊重し、一字一句直訳に近い形で翻訳していることにあるというのだ。だから、サンスクリット原典が残っていなくても、チベット訳を見るとサンスクリットの原典も分かってくるという。だから、仏教の原型を探るためにチベット仏教が研究されてきたということだ。中国経由で入ってきた仏教を日本は受け入れたが、それはかなり仏教の開祖ブッダの教えからずれてきていることは否めない。だから本当の仏教を知ろうと考えるならば、チベット仏教研究に入っていかざるを得ない。その意味で、いま、チベット仏教ブームが起こっているのもむべなるかなという気がする。何事においても源流を求めていくというのが、人間の当然の欲求、願望であるからだ。
中沢氏の関心は仏典研究というよりもむしろチベット仏教の実践面にあった。70年代、80年代、チベット仏教がアメリカ人やヨーロッパ人にどのように受け入れられいたのかを語ってくれているので非常に興味深く読んだ。
「この当時はいわゆるヒッピー文化の退潮期。それでもヒッピー系のアメリカ人やヨーロッパ人は一様にチベット文化に関心を持っており、ちゃんと勉強する人がかなりいました。バージニア大学のジェフリー・ホプキンス教授門下生の学生たちや、チベット人タルタン・トゥルクという人がカリフォルニアに仏教翻訳センターを作ったり、コロラド州ボードレーではチュギャム・トゥルンパというチベット僧が影響力を与えていて、アメリカ人の仏教研究が急速に進みはじめていることに僕は驚きました。しかも正確なんですね、学問的に。中には僕なんかと同じように、実際に修行して体験的な学ぼうという人も数人いました。驚きでした。それが、現在のチベット仏教隆盛の大本といえるでしょう。」
なるほど、学問的にも正確だったのか。それで、かつてオウム真理教が日本で問題になり出したころ、オウムウォチャーから、オウムの教義はアメリカ経由の匂いがすると指摘していた謎が解けた気がする。オウムはアメリカで発売されている英語のチベット仏教書をかなり読み込んでいたと言われるからだ。日本仏教に物足りなさを感じていた人たちが「本物の仏教」を求めてアメリカ経由のチベット仏教に飛びついたのだろう。そしてオウムの教義が作られていった。なかなかオウムの教義を論破するのが難しいとよく言われたものだが、たしかに、中国経由の日本仏教を土台にしている限り、理論的に難しい気がする。
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