歴史

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]

谷川道雄

 谷川道雄というのは我が恩師である。

 共同体理論の谷川といえば、中国史を研究している人なら大抵知っていると思う。

 谷川とその理論推進のあいぼうとでもいえばいいのか、川勝義雄(1981?没)の両方に講義を受けれた
 のは幸運だったと思う。

 谷川は何度かの病からも生還し、今も河合教育研究所で精力的に仕事をなし、昨年も研究のこしかたを
 纏めに入ったかたちなのか、戦後日本から現代中国へ、という冊子を発行している。

 谷川の本を読むとわたしにとっては発見が多い。

 この間書いた、日本の古代についての考証部分は谷川に依拠していたといって過言ではない。

 日本古代についての論考に谷川だから、まあわたしは谷川の信者に近いといってもいいのかも。

 奥崎先生が、中国史から世界史へ:谷川道雄論を書かれた時、面白く読み、それから奥崎先生とも
 おつきあいが生じることになったのは、谷川のお導きだったのだろう。

 私の思想的バックボーンは谷川だと言い切ってしまうと、おそらく谷川にものすごく叱られると思うが
 リスペクトといえる状態であることは間違いない。

 谷川道雄というのはわたしにとってそういう人なのである。

五條市というところ

 この間友人が奈良に来て、奈良でない奈良をみたいという。

 じゃ吉野、というとあそこは観光地で通っている、と。

 観光地ずれしていないところ、というので、奈良県の西端にある五條市へ。

 そこで、楳図かずお取材の人の話をきいた訳。

 で、五條市ですが、人口わずか3万7千人ほど。ただし面積は奈良県の10%以上を占めると思います。
 西吉野村・大塔村を合併したので。

 ここは万葉集の巻1の3番目か4番目に出てくる「たまきはる内の大野に馬なめて 朝踏ますらむその
 草深野を」という歌で著名な「内=宇智」の里です。

 他にも万葉集に大荒木の浮田杜としてでてくる荒木神社などがあります。

 旧石器時代の遺跡はまだ見つかっていないと思いますが、縄文時代になると紀ノ川水系の漁労を中心に
 ムラが出来てきます。(切畑遺跡、稲口遺跡、原遺跡、中遺跡など)

 弥生時代には原遺跡や中遺跡、野原遺跡の集落が形成され、北宇智地区の高地性集落遺跡も形成されました

 古墳時代になると、北宇智古墳群などの古墳が作られ、全国3位くらいの径確か86mのカンス塚古墳や
 蒙古鉢型四方白鉄地金銅装眉庇付兜などの出土品で知られる猫塚古墳など、方墳が異常に多い古墳が造営
 されてきます。

 飛鳥時代になるとここは官営工房の町となり、飛鳥や藤原京のためのコンビナートとして機能します。

 たとえば荒坂瓦窯では、飛鳥の川原寺の瓦が、牧代瓦窯群では藤原宮や薬師寺の瓦が生産されました。

 有馬皇子の悲劇の際の旅程はこの町を通っていったものと考えられます。

 奈良時代には藤原氏の南家の重要な拠点となり、初代武智麻呂のための八角堂を持つ栄山寺が造営
 されました。ここには元京都・道澄寺の鐘も納められていて、この2つが国宝になっています。
 また聖武天皇の娘井上内親王と子供の他部親王が政変で負け流罪となりここで殺されました。
 その怨霊をおそれて、この地には霊安寺と御霊神社が作られました。

 平安時代には多くが興福寺の荘園となり、大和と紀伊の交通の要衝として重視されました。

 南北朝期には南朝の重要拠点となり、室町には後南朝の押さえとして、宇智の地は大和守護から
 切り離され、宇智郡守護が置かれ、管領の畠山氏がその任についていました。

 江戸時代になっても大和、河内、紀伊、伊勢の相互交通の要衝として重視され、五條の地の多くは
 幕府直領、もしくは旗本領となり、幕府から重視されました。

 明治以降の交通網の整備の中で取り残され、後背地が広い田舎の町として残りましたが、そのため
 かえって江戸時代の民家が多く残り、本町から新町に多くの古い町屋群が今日まで保存されてきました

 これからは歴史的建造物群指定へ向けていくでしょう。

 そういう町です。

 上に書かなかった主な文化財:
   中之町・大善寺 釈迦如来立像(重要文化財)
   中之町・御霊神社本殿(重要文化財)
   北山町・草谷寺 仏像群(重要文化財)
   霊安寺町・満願寺 大般若経(重要文化財)
   今井・宇智川磨崖文 (史跡)但しほとんど摩滅して読めない
   本町・栗山家住宅(重要文化財)但し人が住んでいるので非公開

 町の歴史を語る施設
   北山町・五條文化博物館
   新町・まちや館(だったかな?)

 そうそう東京・浅草の待乳山のモデルになった真土山はこの町と和歌山県橋本市の境にあり、
 万葉集に「あさもよし紀人ともしも真土山」と読まれ、なだらかな線を描いています。

 南西には高野山、南東には大峰山、北には金剛山と修験・真言の聖地が望めます。
 高台に登れば大台ヶ原山まで見通せます、という風光明媚な町です。
 関西唯一のスイッチバックの駅、北宇智駅もあります。

 機会があれば一度どうぞ。

交通博物館

 東京発作で書きましたが、秋葉原の「交通博物館」が埼玉へ移転して5月で閉館になります。

 考えてみると昭和11年(1936)年に当時まだあった万世橋駅に付設して作られた歴史のある博物館
 でした。秋葉原から万世橋の方へ歩いていくと中央線の鉄道橋に「交通博物館」と書かれてました。

 一応JRがやっているんで鉄道が中心ですが、交通なので車とか船、飛行機なんかの展示もあります。

 ここは明治45年開業の甲武鉄道(現在の中央本線)の始発駅として、新宿から延伸されて出来た赤
 レンガのスマートな万世橋駅だったところで、今は最後の記念として、予約すると、残されている
 万世橋駅の施設を見学できます。

 万世橋駅のホームなどは神田駅から御茶ノ水へ行く途中で、窓越しに一瞬見えますが、今回はここにも
 入れるらしいので、私としては行ってみたいのですが、どうにも時間が取れません。

 よみはまんせいばしでOKだと思う、気取ってよろずよばしなんて書いてる時はありますが。

 で多分5回以上行っているのに、京都の梅小路、大阪の交通科学館と記憶が錯綜していて、どれが、
 あそこの展示場だったかが、怪しい。

 天皇の乗る御料車が展示されていたのが、交通博物館だったのでしょうねえ。

 こんどの新しいのはさいたま市に2007年秋にオープンするそうですが、一年以上東武博物館とかを
 除くと、鉄道系の博物館が東京近辺から姿を消すことになりますね。

 なんか「肉の万世」でサンドウィッチを買って、交通博物館へ行って、見学して、帰りに「ショパン」で
 お茶とか、軽く「やぶそば」とか「まつや」でそばをたぐるとか、ていうコースだったですね。

 あんこうは食べないので(食わず嫌い)いせ源には行ったことがなかったような。

 「ぼたん」で一度小さな宴会をした記憶。

 「近江屋」でパイか何か買って帰ったことがありました。

 そういう神田の繁華街の中で、赤レンガに包まれて博物館はひっそりと子供と鉄道の夢を忘れない
 大人のスポットとして生き残ってきたんですが。

 東京の人で、小学校とか中学校の遠足とか社会見学で行った人、いるんじゃないですか。

 もし懐かしいと思ったら、無くなる前に目に焼き付けてください。

 私は記憶の中に封印して、この目で見るのは半分諦めていますが。

最近の読書

 体が辛い。昨晩もやっぱりすっきり眠れず。

 最近寝にくいので、儒教についての本を読んでいる。

 東アジア世界を考える上で儒教の宗教的な側面を無視することはできないと思う。

 いつだったか、神式の葬儀を見たが、相当儒教的な内容に思えた。

 ということは日本の神道の儀礼もいくばくかは儒教から入ったものがあるといえようか。

 仏教自体もインドで無かった儀礼や、中国人に合わない儀礼を儒教から取り入れてアレンジしてるから
 無縁ではありえない。だいたい葬儀というものをインドでは大掛かりに行わなかった。

 仏教の葬儀儀礼は儒教からもたらされ、それを翻案したものだといえよう。

 風水というのも元来は儒教の宗教的な面の中にあったもので、中国の古来の思考の残滓である。

 これからも儒教と社会のあり方について思考を廻らせて見たい。

 最近読んだ本:
  秦漢儒教の研究   斎木哲郎  汲古書院
  漢代儒教の史的研究 福井重雅  汲古書院
  孔子神話      浅野裕一  岩波書店(また読み直す)

全1ページ

[1]


.
indigo2sgi
indigo2sgi
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最新の画像つき記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事