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セゴビアからマドリッドに戻る。 地下鉄のBanco de Espanaという駅を降りると、新進の芸術家たちが店を連ねていた。 Comunidad de Madrid という催し物のようだ。 距離にして2km位あるだろうか。 こういったマーケットは大好きだ。 一往復する間に、パウル・クレーの「セネキオ」という絵をモチーフにした、飾り皿を買った。 Comunidad de Madridでバッグを背中に担いで歩いていると、背中越しにバッグのジッパーの開く感覚がする。 ふと後ろを振り向くと、若者2人が二手に分かれて、私を追い抜いて走り去った。 バッグを見るとやはりジッパーが開いていた。 スリだ。 幸いにも、何も盗まれてはいなかった。 夜、 Cerveceticaというレストランで食事をする。 Hotel(オテル)・リッツの前にあり、さらに豪華なパレス・オテルに泊まる。 オフシーズンで通常の半額なので、こんな良いオテルにも平気で泊まれるのである。 ●8日目 最終日(1月5日) 朝から、調子が悪い。 熱が出て、だるい。 風邪かもしれない。 多くの美術館が閉まっている中で、近代現代美術館だけは開館していた。 ここにたどり着くまでに募金集めのボランティア(?)に、何度も何度も声を掛けられる。 環境保全に関した目的で集めているようではあったが、見ているとスペイン人にではなく我々日本人を含む外国人旅行者に声を掛けている。 ただ、誰もそれに応じてはいないようではあった。 ボランティア(?)の持つノートには、募金者の名と金額を記載するようになっていて、それを見せびらかしている。 ただ、金額がすべて約3000円以上であり、どうも信じられない。 募金を片端から断っていると、ある女性のボランティア(?)はしつこく、なぜ募金できないのだ、それはおかしいというような事を言い出す。 すぐに英語で反論できず、ただ断っていると、最後に彼女は日本語で「こころ(=心)ない!!」と言って怒った。 仮に善意のボランティアであったとしても、とんでもない勘違い女がスペインにもいるのだなと、変に感心した。 近代現代美術館はピカソの「ゲルニカ」をはじめとして、ミロ、ダリの作品が揃っている。 とても全部見れず、体調が悪いこともあり、有名なものだけ見て出た。 昨日のComunidad de Madridがどうも気になる。 もう少し買い物をしたい、と思い現場に行き、また、一往復して陶器の時計を買う。 体がだるく、風邪薬をどこかで買おうと思った。 薬局らしき店があり入るが、客が並んでいる状態でなかなか順番が回ってこない。 痺れを切らして出る。 しかし、他に薬局が見つけられずオテルに戻った。 フロントで薬局はどこだと聞くが、薬局=ドラッグストアーでは通じなく難儀する。 実は、薬局=ファルマシアが正解なのだが、なかなか思いつかない。 そうしているうちに、薬局も他の店同様シエスタ(昼寝)で14〜16時頃まで店を閉めると言うのだ。 あきらめた。 少しオテルで休んでタクシーで空港に向かう。 空港で、私と同年代のドイツ人が近づいてくる。 「私、さっきドイツから来ました。ドイツマルクは持っているのだけれど、スペインペセタを持っていないので少しくれないか?」 これは、よくあるお金をせびる手法である。 丁寧にお断りした。 大韓航空でマドリッド→ソウル、ソウル→関空で帰る。 飛行機の中でダウンしていると、同行したKがスチュワーデスから薬をもらってくれた。 (全然話に出てこなかったが、Kとの2人旅であった) ありがたい。 そして行きと同じく帰りも、オテルから家まで24時間かかってしまった。 ●旅を終えて 噂に違わずスペインはスリの国。2度もスリに遭ってしまった。 貧しいからか、国民性なのか? これまで危ない経験はほとんど無く旅を続けてきたが、やはり国によっては注意しなければならないことを痛感した。 私にとって、良い国かどうかの判断は、飯がうまいかどうかに大きく左右される。 スペインの飯は最高に旨かった。 ライスも魚も肉もレベルが高い。 そして今回は、オフシーズンなのをよいことに超一流ホテルに泊まった。 貧乏旅行もいいが、こんなリッチな旅も悪くない。 そして、今度は夏の季節に訪れたいと思った。 (写真1) マドリッド Comunidad de Madrid (写真2〜4) マドリッド 街(なでもない風景) (写真5) パウル・クレー「セネキオ」をモチーフにした飾り物 (終わり)
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●6日目(1月3日) グラナダはもう十分堪能した、と思い、早くマドリッドへ行くべく、飛行機を変えてもらおうと思った。 Hotel(オテル)で解約・予約を代行してともらおうと思い交渉するが、もうひとつ英語が通じない。 そんなところに日本人のおじさんがやってきて、私の代わりにスペイン語で交渉してくれた。 そこでは話にならず、近くの旅行会社に行き相談してくれたが、結局満席のため飛行機の変更はできないということであった。 スペイン語ぺらぺらのおじさん、カッコよかった。 ロルカ(注)の家へ行く。 スペインでは超有名な詩人らしい。 家の中ではガイドさんがたっぷり時間をかけて説明してくれる。 詩人のため、見るものといっても、スペイン語の詩や手紙の類で面白いものではない。 見学者もスペイン人ばかりで、説明もスペイン語のためさっぱりわからず、しかも途中で抜け出せる雰囲気ではなく、修行僧のような気持ちで聞いていた。 ただ、気づいたのだが、スペイン語というのは語りのリズム感が聞いていてとても心地よい。 また発音がドイツ語以上に子音・母音とも日本語に近く、日本人が習得するには最も適した外国語ではないかと思われた。 グラナダはこれで終わり。 イベリア航空でマドリッド(カスティーリャ地方)へ飛ぶ。 バラハス空港からバスでコロン広場へ行く。 コロン広場は強盗・スリが多発する場所らしい。 またスリに遭うのはかなわないので、注意しながら歩く。 オテル・リッツにチェックインする。 このオテルは「ホテルジャンキー」を著した村瀬千文氏が酷評していた。 しかし私には快適なオテルだった。 夜は Laforia de Sensnandezというレストランで食事をする。 (注)ロルカ(Lorca) フェデリコ・ガルシーア・ロルカ 1898.6.5 – 1936.8.19 スペインを代表する詩人。 スペイン内戦の際銃殺される。 俳優の天本英世がロルカを詠むことで有名。 ●7日目(1月4日) 朝、鉄道でセゴビアに向かう。 さらにセゴビア駅からバスでアソゲッホ広場まで行く。 ここの見所は、アルカーサル、ローマ時代の水道橋、サンマルティン教会など。 アルカーサルは映画「白雪姫」のモデルになった城で、もっといえばディズニーランドの城のモデルにもなったものといわれている。 水道橋も、他では見ることのできない大きさで圧倒される。 セゴビアは子豚の丸焼きで有名である。 数あるレストランの中で、比較的安いところを選んで入る。 一人前2000円に満たない値段だった。 皮がカリカリに焼かれていて香ばしく、北京ダックに近い食感である。 若干豚くささと、一部皮に毛が生えているのが玉に傷であるが、気にしなければおいしい。 ここは銅細工の店が多く、名物なのかもしれない。 たばこは吸わないが銅製の灰皿を買う。 (写真1) ロルカの家入場チケット半券 (写真2) セゴビアへの列車の中 (写真3) セゴビア駅にて (写真4) セゴビア (写真5) 絵はがき(名物の豚の丸焼き) (写真6) セゴビア アルカーサル (写真7〜8) セゴビア 水道橋 (つづく)
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この、アルハンブラからは、アンダルシアのイメージそのままである白亜の住宅地アルバイシン地区とサクロモンテの丘が望める。 アルバイシン地区はアルハンブラ宮殿と共に世界遺産に登録されているらしい。 この中を歩いてみよう。 アルバイシンからサクロモンテに至る建物は山の急斜面に張り付くように建っており、足腰に厳しい。 表札をずっと見ていると、「カルメン」という名前の多いこと。 日本で言うところの「花子」のような、ありふれた名前のようだ。 ただ、日本では花子という名前も聞かなくなったが... ほぼ山の頂上まで行くともう道がわからない。 バスに乗ろうとしたがなかなか乗せてくれない。 しばらくナゾであったが、乗る方向が逆らしいということに気づいた。 英語がまったく通じないところであった。 バスで街に戻り、グラナダ中央のカテドラル(司教座のある教会)に入る。 教会に入ると気持ちが落ち着く。 夕方、「Voga Vante」というレストランで夕食をとる。 夜、タブラオツアーに参加してみることにする。 タブラオとは洞窟の意味。 洞窟内でフラメンコを見せるショーのことだ。 そこは昼行ったサクロモンテにある、ロス・タラントスという店であった。 実際に山を掘った洞窟の中で、フラメンコを見せてくれる。 狭い空間でのフラメンコは大迫力で、手拍子が響き渡る。 ショーの間、CAVA(スパークリングワイン)を飲ませてくれた。 (写真1〜3) サクロモンテの丘 (写真4〜6) タブラオショー (つづく)
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●4日目(1月1日) 元日。正月らしい雰囲気は全くなかった。 バルセロナからスペインの国鉄RENFEを使って、約100km南西にあるタラゴナへ行く。 タラゴナは海岸線、城壁、石畳の街並みのきれいな町であった。 ただ、あいにくの雨。 雨宿りを兼ねたレストランで食べた、 Sopa de pescado y marisco (魚介類のスープ)は絶品であった。 イベリア航空の飛行機でグラナダ(アンダルシア)へ飛んだ。 Hotel(オテル)・メリアグラナダに泊まる。 ここだけが4ツ星オテルで、ここ以外は全て5ツ星オテルに泊まっている。 私には4ツ星も5ツ星も違いはないが、贅沢旅行も悪くないと思う。 ●5日目(1月2日) アルハンブラ宮殿へ向かう。 入り口がなかなか見つからず、小一時間周りをうろついた。 チケットオフィスを見つけるものの、入場時間が指定されておりすぐには入場できない。 アルハンブラ宮殿は、1238年アラブ王モハメッド・アラマールから建設が開始された、アラブ臭の濃い建物である。 現在、カトリック教国であるスペインで最も有名な建築物の一つが、元々イスラムのものであったとは皮肉なことだ。 私の友人がよくギターで聞かせてくれた、アルハンブラ宮殿の思い出 (タルレガ作曲)が、頭の中で鳴り響く。 (写真1) タラゴナ (写真2〜9) アルハンブラ宮殿 (写真5)ライオンの中庭 (写真6)アラヤネスの中庭 (写真10) アルハンブラ宮殿からの景色 (つづく)
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●3日目(12月31日) スポーツバーで朝食を取り、地下鉄、ケーブルカー、ロープウェーを乗りついでモンジュイックの丘へ。 モンジュイックの丘にあるモンジュイック城からバルセロナ港が一望できる。 また、バルセロナオリンピックの会場となったオリンピックスタジアム、カタルーニャ美術館を見る。 ここからも街が一望できる。 モンセラットツアーに参加するためタクシーでHotel(オテル)「Diplomatic」に行く。 朝、電話でツアーの申し込みをしておいたのだ。 モンセラットはバスでバルセロナから1時間程度の場所にあった。 バスの途中、知人の花王(株)のHさんが転勤になった、花王バルセロナ工場が見える。 田舎だ。 モンセラットは「切られた山」という意味で、ガウディがデザインしたようなグロテスクな山が林立している。 ガウディがこの山からインスピレーションを受けた可能性は十分ある。 ここには黒いマリア像を擁する修道院があった。 ツアーは終了。タクシーでオテル・メリアバルセロナへ行き、チェックイン。 まだ3日目なのに疲労が溜まっているようだ。 食事はルームサービスで済ますこととする。 テレビで日本の紅白歌合戦をやっている。 街には、年越しの雰囲気はなかったが、テレビで1年の終わりを実感する。 (写真1) モンジュイック城 (写真2) オリンピックスタジアム (写真3〜4) モンセラット (写真5) モンセラット ステレオ写真 (つづく)
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