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(写真1) 車中で食べた朝食 (写真2) マレーシア ペナン島とペナンブリッジ (写真3) ペナン島、一番高いビルがコムタタワー (写真4〜6) ペナンの街 (写真7) ペナンヒル (写真8) ペナンヒルから見たペナンの夜景(これだけ拡大できます) (写真9) チェスのような遊び ●第4日目 ペナン(マレーシア)へ 列車の朝食は、予約しておいたトーストにコーヒー。 この旅唯一の洋食である。損したような気がする。 パダン・ブサール(タイ−マレーシア国境)で一旦降りて、出国・入国審査をする。 そしてここで、バーツを小銭ごとリンギに両替する。 バターワース(マレーシア)で降りて、フェリーでペナン島へ向かうこととする。 ペナン島は、マレーシア随一の国際的老舗リゾートなのだそうだ。 20歳のOL嬢と、19歳のバックパッカー氏は一緒に宿を捜すそうで、ここでお別れ。 フェリー中で世界第3位の長さの、ペナンブリッジが遙か先に見えた。 ペナン島で、コンチネンタルホテルにチェックインする。 ペナンのチュリア通りは味がある。 低い家並みにカラフルな看板。 英語と漢字が一対一の割合で目に入る。 コムタタワーがジョージタウンの中で一際目立ち、目印になる。 ビルマ寺院を見る。 次にペナンヒルへ向かう。 ケーブルカー頂上に登ると、ペナンの夜景が美しい。 ペナンヒルから降りたところで夕食とする。 集合屋台でMEE SOUP(ラーメン),SATAY(焼き鳥)、シューマイ、CRAYPOT CHIKEN RICE(瓦焚鶏飯(ちょっと漢字がちがうが)、カールスバーグビールを注文する。 この集合屋台というのはすばらしい方式だ。 祭りの夜店の感覚である。 食べ物は目移りする位あって、しかも美味くて安い。 時間の制約も無い。 いつもにぎわっている。 ビール込みで、二人とも腹いっぱいになるのに1000円掛からなかった。 幸せ。 ホテルの近くでチェスの原形のような勝負をしていた。 周りに大勢集まっており、現金が賭けられている。 駒にジュース瓶の王冠を使い、12×12の盤がチェスのように白黒に塗り分けられており、その黒マスだけを使う仕組みになっている。 一勝負つくまでずっと眺めていると大体のルールは理解出来た。 平穏な一日であった。 (つづく)
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>マレー半島
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(写真1) バンコク タクシーの中にも仏像がある (写真2) 朝のラッシュ、バイクだらけ (写真3) ホアランポーン駅 (写真4) 乗るべき汽車 (写真5) 車内で食べた夕食 ●第3日目 バンコク市内観光と夜行列車 なぜかタクシーを拾おうとすると、シルクの店に寄ってくれという。 別のタクシーに乗ろうとしても、全く同じことを言われる。 そこに寄ると、ガソリン券がもらえるから、頼むから寄ってくれというのだ。 仕方が無い。 シルクの店と、宝石の店に10分ほど寄る。 シルクの店では、君の着ている服はチープだ。だから、シルクを買えという。 チープで悪かったね。 なんとか(忘れた)スクンビット通り/Soi21(21番路地)へ。 そこからサイアムスクエアまで歩き、ビル1Fの壁無し食堂でクイティャオ(米の麺)を食べる。 これは中華風でうまい。 ビールをたらふく飲む。 タクシーでホテルに戻り荷物を受け取って、ホアランポーン駅へ。 バターワース(マレーシア)行きへの汽車に乗る。 寝台車は日本のA寝台と同タイプの2段ベッドで、私は上段だ。 下段は、東京の西荻窪から来た20歳のバックパッカーのOLである。 一人旅だという。 ホアランポーン駅に乗り遅れて、4駅ほど後の駅から乗り込んできたのだ。 汽車に乗り遅れたことに気づくと、知らない若者にバイクで送ってやろうと言われ、乗ってきたのだそうだ。 「降りるとき、お金を取られたの。バイクタクシーだったわけね。 バターワースまでの汽車の料金と同じだけかかったわ」 だそうである。たくましい。 夕食は予め予約していた、焼き飯とトムヤムクンと野菜炒め。 タイらしさにこだわってみた。 汽車の中で、別のバックパッカーの若者2人が寄ってくる。 一人は19歳の男。もう一人は英語の達者な男。 「俺たち、全然、観光地行ってないんですよー。(以下省略)」 観光しないことが、自慢になるのかなと思う。 となりの席にも日本人がいた。 日本人は列車好きだ。 (つづく)
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(写真1) バンコク 水上マーケット (写真2) ワット・アルン (写真3) ワット・アルン(土産物屋) (写真4) 猫 (写真5) トゥクトゥク(潰れそう!) (写真6〜8) ワット・プラケオ、王宮 (写真9) スコール (写真10) ムエタイ ●第2日目 バンコク市内観光 朝、昨日一緒に行動したS、Fと一緒に水上マーケットに行く。 昨日、市内観光のガイドをお願いしていたのである。 チャオプラヤー川から運河に入るコースである。 途中ワット・アルンというお寺に寄る。 Sは19歳、Fは26歳。 Fはさすがに年の功で、よく物事を知っている。 Fは証券会社に勤めているらしい。 日本語学校にも通ったことがあるらしく、我々とも不自由なく会話出来る。 S、Fとも今は、家賃3万円の賃貸マンションに住んでいるという。 後で知ったことであるが、普通の飲食店の女子店員は月給1.5万円ほどらしく、これを考えると、彼女らはずいぶんいい暮らしをしているようであった。 ワット・プラケオ、王宮を見る。 日本人にはありがたみの感じられない、金色の建物だらけであった。 昼食は、サイアムスクエア東のコカ・ヌードルズという、比較的安いタイスキ屋に連れていってくれた。 タイスキを、彼女らはしゃぶしゃぶと言っていたが、中身はタイ風寄せ鍋である。 えびと牛肉がメインで野菜、キノコ、豆腐なども付け、最後にラーメンのような麺で締める。 具を細かく注文出きるのが日本と違っている。 彼女らは食べきれないほど注文してしまった。 しかし、4人分全部で4000円に満たない値段であった。 ここで驚いたのが、辛味を調整するための薬味である。 ちょっと入れただけで辛くて仕方ない、この薬味が茶碗一杯に出てくるのだ。 これを彼女らは取り皿に可能な限りたくさん入れて食べていた。 周りを見てもその量が普通のようであった。 店を出てトゥクトゥク(三輪車タクシー)でホテルに戻る。 トゥクトゥクは通常のタクシーより高かった。 彼女らは仕事ということで、ホテルの前で別れる。 夕方、ナコーン・カセム(泥棒市場)に行く。 これが有名な泥棒市場か、というくらい貧相なものであった。 またこの辺一帯はチャイナタウンでもある。 市場を見ると、タイは食料であふれている。 ここで突然、スコールが降り出した。 毎日のように降るらしいのだ。 ある店先で雨宿りしていると、30分程度でやんだ。 ムエタイ(キックボクシング)を見るべくタクシーに乗り込んだ。 タクシーの運転手は日本語も英語もできないようだ。 ムエタイの試合が行われる「ラチャダムノン・スタジアム」の正しい発音ができていないようで全然通じない。 ボクシングの格好してムエタイと叫ぶとやっと理解してくれた。 スタジアムの係員は、外国人と見るや、リングサイドに誘導してくれる。 すでに試合は始まっていた。 プログラムを見ると今日は12試合あり、今は第2試合のようだ。 1ラウンドは3分、ラウンド間の休憩は2分、1試合5ラウンド。 KO率は3割ほどで、判定で決まる場合が多かった。 試合が進むにつれキックの威力が増してくるのが、その打撃音で分かる。 選手は若く、10代が多いように見うけられた。 試合前に音楽が流れ、祈りと準備運動を兼ねていると思われるパフォーマンスが始まる。 演奏は生だ。 パフォーマンスは長い人、短い人さまざまである。 特に時間制限があるわけでは無いようだ。 ムエタイの会場では賭けが行われていた。 じっくり観察したが、どのようなシステムなのかは理解出来なかった。 メインイベントの10試合目まで見ると、もう3時間も経っていた。 食事のため会場を出ることにした。 タクシーでパッポンへ向かう。 パッポンは、日本で言うと新宿歌舞伎町のような歓楽街だ。 パッポンの近辺にある、小さな食堂でタイ風カレー(ケーン)を食べることとした。 10種類のカレーから辛そうなやつを2種類(マトンと魚)、現物を指差してライスの上にかけてもらう。 これは恐ろしく辛かった。 青唐辛子が主となっているようだ。 半分食べるのがやっとであった。 辛いものには自信があったのであるが、無理であった。 これ以降、思い切り辛そうなやつは避けるようにした。 パッポン通りとその隣のタニヤ通りを数往復する。 パッポン通りは、夜店が4列ほど出て大変な賑わいである。 その両端に、ゴーゴーバーが並ぶ。 入ってみたいが財布がさびしい。 パッポン通りの入り口近くの、露天の飲み屋でビールを飲むこととする。 我々に興味津々のウェートレスが話し掛けてきた。 彼女もやはり日本語を勉強しているそうである。 場所柄であろうか、やや下品な話にも対応してくれた。 そうするうちに、その店のオーナーが日本人であることが判明する。 オーナーを呼んでもらうと、それまで現地の呼び込みだと思っていた、色の黒い男がオーナー氏であった。 日本人とは考えられないほど日本語が片言である。 オーナー氏は大阪府高槻市に住んでいたことがあるという。 大阪に実家があるため、今でも時々日本には帰るという。 しかし、タイ人の厚い人情が好きでタイ中心の生活らしい。 オーナー氏にパッポンでの遊び方をじっくり教えてもらった。 2時間ほども話をしただろうか、夜も遅くなったため、切り上げてタクシーでホテルへ戻る。 1日強しか経っていないが、バンコクが良く分かったような気がした。 (つづく)
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●出発前 タイに行きたい。 もっともアジアらしいアジア。 単なる田舎ではない。 汚さと、活気と、生活と、向上と、変革と、謙譲と、図々しさと、日本の昭和30年代の喧騒が残されている。 私にはそう思われるのである。 押さえておかなければならないのは、マレー鉄道。 鉄道の旅は大好きだ。 バンコク−シンガポール間を鉄道で移動してみたい。 9月の平日、私同様、I 氏は休暇が取れるらしい。 I 氏を誘ってマレー半島縦断の旅をすることとした。 ●第1日目(数年前の9月) 関空からバンコクへ 関空からシンガポール経由でバンコクへ。 20:00に到着。 バンコクはねっとりとした高湿な空気であった。 気温27度。 ドン・ムアン空港ではエージェントが待っていた。名前をAといった。 「バンコクからバターワース(マレーシア)までの汽車の切符を取る代わり、ツアー扱いにせよ」というのが旅行会社の要求であった。 人気のある夜行列車の切符が取れないのは困る。 私はその要求をのんだ。 ツアー扱いにするというのは、空港からホテルまでの送迎と、バンコク2泊のホテルを旅行会社の指定するものとするという意味だったのである。 エージェントAは我々2人を乗せ、ホテルへ運んでくれた。 Sol Twin Towers Hotel。967号室。 部屋を確認してロビーに戻るとエージェントは、街を案内してやろうという。 車の中で少し仲良くなっていたのだ。 車で街へ繰り出す。 「どこへ行きたい?」「どこへでも」「女か?飯か?」「腹が減ったな」「よし」 という訳で、どこかへ連れていってくれるらしい。 「どこへ連れていってくれるのだろう」とI 氏は楽しげ。 駐車のため門扉を開けてもらい入ったところはKというキャバクラのような店であった。 ちょっと考えていたところと違うが、まあいいか。 エージェントAにとっては、我々のような客を連れて行くと、小遣い稼ぎになるのだろう。 店の中に入ると、薄暗い中、客は誰もいない。 60〜70平方メートル位はあろうか。 ママさんが出てくる。まずはビールで乾杯。 そうするうちに、女の子達が雛壇に集まり出す。 スポットライトが当たる。20人強はいただろうか。 一人を指名出来るらしい。 I 氏は細身の女を指名する。 私は指名しなかった。 このような、女性をモノ扱いするシステムが苦手(嫌い)なのだ。 ずっと指名しないでいたため、約30分間ずっと女の子は雛壇の上に放置されていた。 さすがに飽きてきているのか、あくびをしている者、おしゃべりをしている者いろいろである。 気の毒なことをした。郷に入ったら郷に従うべきかもしれない。 「腹が減った」 エージェントAは、今度こそ食事に連れていってやるという。 K店の近くのビアガーデン(のような店)に入る。 やっと本当のタイ料理にありつけた。 それにしてもエージェントAの顔の広さには驚いた。 街中に知り合いがいるようなのだ。移動途中、色々な人に挨拶していた。 しばらくすると、エージェントAの知り合いの女の子SとFが参加する。 S、Fは日本語が話せた。 その後、5人でトゥクトゥク(三輪車タクシー)に乗って(車からはみ出し、箱乗り状態!)街を走ったり、別の店に行ったりして、ホテルに戻ったのは夜1時をとうに過ぎていた。 初日から、内容の濃いバンコクであった。 (つづく)
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