流浪の旅

御無沙汰してます。元気ですよー。(2013.3.23記)

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(写真1) カイマクル 地下都市で見た石の扉(?)
(写真2)   地下都市
(写真3) ユルギュップ 街
(写真4)   街


食後、早速ツアーに出る。
ツアーの契約をしたその人が運転してくれる。
行先はカイマクル。
カイマクルは、7世紀以降アラブの侵入に押されたキリスト教徒が、約1万人住んだ地下都市のある土地だ。
地下8階まである。

それにしても、暑い。
暑さが、地下都市を造らせたもう一つの理由ではないかと思う。
自分なら、宗教的な理由が無くとも、木も少ないこの土地では、涼しい地下でもなければ住む気にならない。


途中の砂利道からは葡萄やオリーブの畑が見られ、完全な砂漠というわけでもないことがわかる。
面白いのは電柱のほとんどが木製ではなく簡易な鉄塔であったことだ。
木材が貴重だということだろうか。
それから、誰が建てたのか、カッパドキアからの連想であろう、「河童」の立て看板が笑わせてくれる。


カイマクルを見ただけでホテルに戻る。
まだ4時であるがこの暑さでは活動できない。

ジュースを飲み、リンゴを買って再びホテルに戻る。
リンゴは1個14円、やや水分が少ない。
ホテルもエアコンの効きが今一つである。

                                          (つづく)

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(写真1) カイセリ(トルコ) オトガル(長距離バス停)にある旅行会社数々
(写真2)   靴磨き
(写真3) ユルギュップ サロン
(写真4)   チャイとハンバーガー


●第7日目(8月13日) ユルギュップへ

カイセリのオトガル(長距離バス停)へ向かう途中、街の人から好奇の目で見られる。
外国人、特に東洋人が訪れることがほとんどないのだろう。

カイセリとは「皇帝の街」の意味で、ジュリアス・シーザー(カエサル)の名を取った由緒ある街だといわれている。
現在ではカッパドキアの入り口として有名ではあるが、この地自体には見所はない。

オトガルで、トルコ名物のスィミットというゴマをかけたパンを食べる。
主食になりうる、淡泊な味。
オトガルではアラブ趣味の靴磨き屋が並ぶ。

カッパドキア宿泊が1泊だけになってしまったため、景色が良く、設備も整ったユルギュップで宿をとることに決定。


オトガルは旅行会社がずらっと並んでおり、どこで切符を買って良いのかわからない。

適当なところでユルギュップ、と叫びバスチケットを買う。
1時間半の距離で560円と安い。
トルコがバス交通大国だというのがわかる。

バスにはエアコンが付いておらず、車内は暑い。
AVANOSと思しき所で下ろされ、別のバスに乗れと指示される。
そこからエアコン付きのミニバスで、約1時間かけてユルギュップへ行く。
この料金がたったの110円。


ユルギュップのオトガルに降り立つと、人がわっと集まって来る。
「ホテルは決まっているか、ツアーはどうだ」適当にあしらいながら、高級ホテルの集まる方向に向かう。
それほどしつこくなく、彼らはすぐにあきらめてしまうのが少し寂しい。

Almiraという高級なホテルで部屋を確保。
日本人だとわかると、フロントはホテル代金をまけると言い出す。
320号室。

プールが付き設備は完璧であるが、ツインで7200円と安い。
ホテルでツアーエージェントを呼んでもらい、ツアーの予約をする。

ツアー途中でカーペット屋には寄らないよう、釘を刺して商談成立。
正直高いと思ったが、お金のことで一喜一憂するのはやめだ。


近くのサロン(SALONU)に入ってみる。
サロンはトルコでよく見かける店で、客はそこでトランプやバックギャモンをして遊ぶのである。

日本の雀荘に似た、四角のテーブルと椅子が準備されているのであるが、必ずしもそこでゲームをしなければならないわけではない。
軽い軽食を食べたり、チャイ(お茶)を飲んで話をするだけの人もいる。

ここではビリヤード台も付いていた。
チャイとハンバーガーを食べる。
チャイは50cc程度の小振りのグラスに入り、角砂糖が2コ付いてくる。
濃いめに出したお茶に砂糖を入れて思い切り甘くして飲むのである。
1杯17円。ウマイ。

                                          (つづく)

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(写真1) アテネ アクロポリス近く
(写真2)   アクロポリスと家の屋根
(写真3)   街
(写真4) イスタンブール 空港
(写真5)   国内線ターミナルへ道案内してくれた男


●第6日目(8月12日) イスタンブールからカイセリへ

今日は移動の日である。

アテネからイスタンブール、カイセリ、カッパドキアまで一気に移動する予定である。
カッパドキアの拠点はまだ決めていないが、ユルギュップかギョレメを考えている。


10:30発の国際線に乗るため、朝食もそこそこに7時過ぎにホテルを出る。
イスタンブール行きの飛行機はB737-400、トルコ航空。
646kmのフライトである。
荷物はカイセリまで送ることとする。


飛行機は遅れているようだ。

トルコ航空にはちょっと問題がある。
チェックインして預ける荷物を、飛行機に乗る直前に機外の地面に並べ、その荷物群から客に発見させ再チェックを行うシステムなのである。

客の全員がそれを理解しているわけではないからか、余る荷物があったりして、全部の確認に手間取るのだ。

こうして、実際に離陸したのは13:10であった。
着陸してからも自動車教習所の車のように、空港内をゆっくりと走り回る。
これで、カイセリ行きの飛行機に間に合うのだろうか?
まあ、チェックイン時に荷物をカイセリまで送ってもらうよう指示しているので大丈夫だろう。


重大なことが判明した。日本で旅行会社からもらった航空券予約書と、空港でもらったチケットが違っているのだ。
当初の心づもりでは
 イスタンブール−カイセリ TK4262 14:00発15:20着
であったのが、実際に手にしているチケットは
 イスタンブール−カイセリ TK 266 18:05発19:25着
なのである。

なぜこんなことになってしまったのだろう。

これでは、今日中にカッパドキアまで行ける確率は半々である。

それからイスタンブールで5時間ほど飛行機の待ち時間が発生してしまうが、かと言ってこれは空港から遠いイスタンブールの街を歩くとしたら1時間強しかない。
非常に中途半端である。
なにが起こるのかわからないので、空港で待つことにする。


イスタンブールのアタチュルク空港でトラブル一つ。
アテネからアタチュルク空港の国際線ターミナルに到着した後、国内線に移動しなければならない。
何人かに聞き、国内線へはバスが出ていることが判明する。

そのバス停はどこか聞いていると、横から「俺に付いてこい」という男が現れる。
後に付いていくと、どうやらバス停に連れて行くわけではなく、歩いて国内線ターミナルに行くようだ。
暑い。

バス停を教えてくれれば良いのにと思う。
10分ほど高架を歩くと国内線ターミナルが見えてくる。
突然彼は言う「チップ!!」それまでの親切顔とは違って、思い切り怖い顔になっている。
ああ、フィリピンと同じだな。

いくらだ。
「5ドルeach」
馬鹿を言え。

歩く道など教えてほしかったわけではない。
私は、無視をしたが、同行のKは払ったようだ。
後で調べると、国際線−国内線間のバス代は0.7ドル相当であった。
アホらし。


危惧していたことが現実のものになる。
カイセリまでの飛行機も離陸したのが21:12と3時間遅れ。
これで今日中にカッパドキアへ行くのは絶望的となった。
最低だぜ、トルコ航空。


ようやくカイセリに到着。
カイセリの空港は、軍用の空港のようで、戦闘機や軍人が目に付く。
民間機は端の方に止められ、そこから空港ターミナルまで、バスで7分かかる。

バスへの乗り降りは譲り合わない。
トルコ人は関西人に似ているのか。

彼らは空港で待つ人と抱擁する。
アクションがオーバーで愛情表現が豊かである。

カイセリの土地は人糞の匂いがする。

ドアの取っ手が紐(!)のタクシーに乗り、オトガル(長距離バス停)の近くのホテルにつけてもらう。
そのホテルは満室で宿泊を断られる。

この時点で23:30。
街の中心まで歩く途中で見つけた、”HATTAT”というホテルに飛び込む。
302号室。
ホテルはがらがらで、全然なれていない感じの若者が4人で応対してくれる。
久しぶりのお客様に小躍り、という雰囲気。


本当に移動だけの日であった。食事抜きで就寝。

                                          (つづく)

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(写真1) ミコノス ミコノスタウン 路地
(写真2)   街
(写真3)   高台からカトミリ(風車)を見る
(写真4)   街
(写真5)   街
(写真6)   港


ミコノスタウンに戻り“MOURAYIO”というレストランにてMythosビールで乾杯。
遅い昼食である。

ここで名物のスブラキ(羊肉の串焼き)を食べる。


隣に座っていたギリシャ人と思われる家族連れのうちの子供がナイフを床に落とす。
さて親はどうするか?

日本なら拾ってナイフを替えてもらうのではないだろうか。
この親はナイフを拾って、ナプキンで拭いて子供に与えた。
どうってことないことだが、少し国民性が現れている気がして印象に残った。


時間があるため、街を歩き土産を買う。

このとき調べた物価を記しておく。
フルボトルのワインが200円!!、CD3000円、ミソスビール350mL缶80円、Tシャツ720円など。


ホテルに戻り、空港に向かう旨を告げると、ミニバスで送ってくれると言う。
別れ際に“Von Voyage”と声を掛けられる。(ちょっと感動)
さようならミコノス。




オリンピック航空でアテネに戻る。
22:20、バスでシンタグマ広場に向かう。

先日の”PHAEDRA”ホテルのようにうるさいのはごめんだ、静かな通りに面した”アフロディーテ”というホテルに飛び込む。

ギリシャでは珍しくない、ドアのないエレベータ。
202号室のベッドは穴の開いたシーツが掛かっていた。


ギリシャに来てまず驚くのが、街の広告・看板が全てギリシャ文字(アルファ、ベータ、ガンマ、...)で書かれていることだ。
当たり前のことである。
しかし我々には、ひどく堅苦しく、また賢く感じてしまうのである。


ホテル近くの、“ΙΘΑΚΗ”というレストランでスブラキ・チキン、おなじみのグリークサラダをアムステルビールと食べる。
BGMにロスパンチョス風の音楽が流れる。
聞きようによっては演歌にとても近い。

                                          (つづく)

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(写真1) デロス島 遺跡、太陽に異変が...
(写真2)   遺跡
(写真3)   デロス島をキントス山から俯瞰する
(写真4)   遺跡(ポセイドンの柱廊)
(写真5)   遺跡(ポセイドンの柱廊)
(写真6)   かわいい


14時頃からすーっと涼しくなり、幾分暗くなる。
日食が始まったのだ。
皆、フィルターを通して太陽を眺めている。
14:20頃80%以上の最大食を経て元の太陽に戻る。

日食に関しては日本からの飛行機の機内誌にも載っていたし、新聞にも毎日のように一面を飾っていたため知ってはいた。
ただいつ起こるのかまでは、注意していなかった。

皆既日食帯はトルコの東からイギリス間であり、我々のいる地域でどの程度まで欠けるかわからなかったが、思いの外大きな欠けであった。


島で一番高い山、キントス山(標高113m)に登ってみる。
島全体が一望できる。
気持ちいい。


さてデロス島観光も終わりである。

                                          (つづく)

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