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(写真1) ハノイ 怪しい自転車 (写真2) 将棋に熱中する男 (写真3) 夜の街 (写真4) フォーの屋台 (写真5) フォー ベトナム人は勤勉だと思う。 なぜなら子供、女、男、みな働いていること。 本屋が多く、又実際に本を読んでいる人を見かけること。 欧米では本屋は少なく、明らかに読む人も少ない。 ベトナム人は日本人と似ているのだろうか。 ロンビエン橋を半分ほど渡る。 鉄橋になっており列車が走る。 川沿いには、貧しい人が住んでいる。 彼らは、もっと文明的な機器に囲まれて暮らしている、他の世界のことを知っているのかどうか。 しかし、彼らの表情は一様に明るい。 むしろ文明社会に暮らす人のほうが暗い顔をしているかもしれない。 どちらがより幸せなのだろうか。 少なくとも彼らのほうが、より生きている感覚を強烈に持って、日々暮らしているのだけは確かであろう。 路上の小さなビアホイ(ビールを飲ませる簡易な店)で味の薄いビール、春巻き、菜っ葉の煮付けを食べる。 2人で8000ドン(約60円)とは、病み付きになる。 衛生意識の高い同行のKにはつらいかもしれないが、根っからの食いしん坊の私には嬉しい。 料理の味もしっかりしていてうまい。 ベトナムの良さはコンビニエンスストアが無いことである。 コンビニエンスストアはどこの国でも同じような店構えとなり、町の個性を殺す働きをしてしまう。 同じ理由で、マクドナルドやケンタッキーフライドチキンなどもあってほしくない店である。 ベトナムにはまだ無い(当時)。 路上の店で、名探偵コナンのマンガ単行本を買う。 これは日本のコミックであるが左右反対にコピーされ、ベトナム語に翻訳され発行されている。 したがって、皆左利きになっているのが面白い。 (関連記事: ベトナムのコナン ) ホアンキエム湖の西南のランデブーというベトナム料理屋で、本日最後の食事をする。 店に入ってすぐに失敗だとわかる。 湖を見渡せる絶好のロケーション、民族音楽用の舞台が店の真中の大きなスペースを取っている、バカ丁寧な応対する店員とアルバイトと思しき雑なウエイトレス。 こういう店で美味いものは期待できない。 シュリンプスープ、春巻き、フライドヌードルチキンいずれも不味い。 裏切らないのはハリダビールだけ。 スネイル(巻き貝)料理も頼みたかったが、時間がかかるためだめだといわれる。 やる気あるのか。 (つづく)
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(写真1) ハノイ 怪しいスクーター (写真2) 路上床屋 (写真3) インターネットカフェからの眺め (写真4) ロンビエン橋 ●第6日目(5月5日) ハノイ到着 朝、まだ、バスで移動中。 トイレ休憩。 小さなパイナップルを切ったものを売りにくる。 地元の農家の人であろうか、子供も多い。 バスの中、斜め前のダイアナ妃は、ガムを噛むのだが、小さく口の中で膨らませ、それをつぶすため、パチパチ音がする。 それが非常に耳障りで、再び眠ることができない。 9:30、ニンビンという中継点に到着する。 予定よりだいぶ遅れている。 朝食休憩。 そこでフォーボー(牛肉のフォー)を食べ、朝からハノイビールを飲む。 1時間後出発。 COM PHO、BIA HOI、PHOTO COPY、CAT TOCなどの看板が多い。 それぞれ、飯屋、ビアホイ(ビールを飲ませる店)、写真屋、床屋の意味である。 ホアルーを通過。 広大な水田の中に、中国の桂林のような山が屹立する奇景である。 ハノイに到着したのは12:00であった。 18時間も掛かったことになる。 36街(旧市街)に近いカメリアホテルを確保する。 ここであることに気が付く。 バッグの中に入れておいた、400USドルと、日本円で4万円が無くなっているのだ。 封筒の中に入れ、バッグの底に隠しておいたものだ。 盗まれた。 盗まれるとしたらあそこしかない。 フエの安ホテルである。 バッグには鍵を掛けていたが、針金を使えば誰にでも開けられそうな、簡易な南京錠である。 バッグにお金を入れたまま外出するとは、私としてはなんたる失態か。 絶対あのホテルだと思うのだが、証拠もないし、警察に訴えるのも面倒だ。 泣き寝入りすることにした。 ホテルに到着早々、旅行会社で明日のハロン湾ツアーを予約する。 ホテル近くのリトル・ハノイというおしゃれなバゲット屋で、ビッグ・プローン・バゲット(大海老のバゲット)を、333ビールで流し込む。 まずくは無いが、ベトナムでフランスパンを食べるのはいかがなものか。 店は白人だらけであった。 彼らにとってはフォーなどよりも、これが一番うまいのかもしれない。 ベトナムでつくづく感じるのは、道は生活の場であり、商売の場であることだ。 家の中にいるよりも、道に出て涼んだり、食事をしたりするし、屋台のなんと多いことか。 ハノイがホーチミンと違うのは、信号を守ることだ。 日本で言うとホーチミンが大阪で、ハノイが東京、ついでに言えばフエが京都という感じなのだ。 バイクが多いのはどこでも一緒だが。 CDを横につなげて貼り付けている車をよく見る。 自転車の後部に付けた反射板のような役割をさせているもの、と推測する。 ズボンのすそを引っ張られる。 下を見ると子供。 ここでも子供が路上で働いている。 多いのは靴磨きの子である。 ハノイの人間はそんなに靴磨きが好きなのだろうかと思うくらいに、彼らは多い。 明らかに過当競争となっており、実際に仕事をしている子はまれである。 床屋や歯医者ですら、路上の職業としてしまうベトナム人はえらい。 (つづく)
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(写真1) ホイアン 屋根瓦 (写真2) アオザイと自転車 (写真3) バイク、シクロ、人など雑多な風景 (写真4) アオザイと自転車 その2 (写真5) 事故った車と言い争う運転手 (写真6) 何でもない風景 ホイアンでは、シクロで市内をめぐる。 陳祠堂(ちんのほこらどう)、福建会館、歴史館、カルチャーセンター、日本橋などを見る。 フエよりもずっと落ち着いた街であり、日本に例えると京都のような感じである。 木造建築が多いため、なおさらそう思う。 ただ屋根瓦が日本のものとは全然違っていて、煉瓦色で一回り小さく味わいがある。 観光地めぐりが終わり、帰途についた時である。 ダナンの近くで鉄道の踏切を渡ったところで、我々の車を後方左から抜き去ろうとするトラックに、車の左側面を擦られる。 ガリガリガリという音が車内に響きわたる。 運転手は車を止め、追いかけてダンプを止めさせる。 ダンプの運転手に擦った跡を見せ何事か言っている。 我々も車を降りて事故の様子を見る。 音の割にダメージは少ないものの左側面がへこんでいる。 我々の運転手は携帯電話でなにやら話をする。 やがて、警察官が到着した。 我々の運転手と、トラックの運転手との両者の言い分を聞いているようだ。 車を、邪魔にならない場所に移動し、我々も路肩で呆然としていると、近所の人がサッと椅子を出してくれ、これに座れと言う。 このベトナムの椅子はとても小さい。 我々も、運転手に何か力になれればよいのだが、ベトナム語は全くわからない。 日本だったら、トラックの方が一方的に悪く、車体のへこみは(保険を付けていたら)保険でまかなえるのに...という思いがある。 2人の運転手はしきりにやりあっているが、我々には如何ともしがたい。 我々の運転手はまた、携帯電話でどこかに連絡を取っている。 事故が起きてから1時間位して、ワンボックスカーが停まり、我々の運転手がなにやら事情を話し、そのワンボックスカーに乗れと言う。 お金はいらないとのこと。 そのワンボックスカーがどういう性格のものかはよくわからなかったが、想像するに、乗り合いタクシーのようなもののようだ。 いろいろな人が乗り込んで、適当な場所で降りていく。 降りる際にお金を払う人もいれば、払わない人もいる。 こうして、我々は再び帰途につくことができた。 ところが約30分ほどワンボックスに乗って、落石の散在するハイバン峠を登り始めたところで、今度は対向するトラックにやはり車の左を擦られる。 先ほどよりももっと激しい音だ。 相手の車はハンドルの切り過ぎで、明らかに今回も相手の方に落ち度がある。 対向車はしばらく行ったところで車を停めている。 我々の車(ワンボックス)の運転手と助手は車を降り、トラックに向かう。 ところが我々の車の助手の方は道端でゲーゲー吐きだした。 自分で喉に手を突っ込み胃の内容物を戻しているのだ。 何故? 我々と他の2人の乗客も車を降りで事故の被害を見る。 側面が大きくへこんでいるばかりでなく、リアのドアが剥がれかけている。 車内から見ても隙間が開いているのがよくわかる。 我々の運転手とトラックの運転手はやり合っていたが、30分ほどで切り上げ車に戻ってきた。 警察の出動もなく、どういう話にまとまったのかわからないが、とにかく話はまとまったらしく、車の後部に20cmほどの隙間を作ったままそのまま車を出す。 停車中、峠をバイクが自力で上れずに立ち往生しているのを、我々のワンボックスに同乗する若者が押してあげるという、優しい行為も目撃した。 こうして這々(ほうほう)の体でフエに戻ると、ハノイ行きのバス時間にあと30分という状況であった。 ツアー会社の人は大変だったねと言ってくれたが、彼は2度目の事故のことまでは知らないはずであった。 それを説明したいが、もう時間もない。 急いで夕食、エビのスープ、チリ味ビーフ、fudaビールを摂り、ミネラルウォーターと共にハノイ行きのバスに転がり込む。 事故で1時間動けなかった時と2度目の事故の時、このバスに乗るのはあきらめようと思たのであるが、何とか間に合った。 時刻18:00。 バスの乗客はスペイン人、イギリス人、ドイツ人、オーストラリア人、日本人であった。 一人で2つのシートが使えるほどで、満員でなく良かった。 私の斜め前は、一人旅のイギリス女性でダイアナ妃に似た風貌で、しかし、もっと若く見える美人である。 途中、夕食のため一時間の休憩があった。 そこでもエビのスープを食べる。 最初スペイン人がうるさかったが、9時過ぎに消灯すると、それも収まる。 しかし、消灯する頃には道が砂利道になっており、それもひどい悪路である。 天井に頭をぶつけるのではないかと思うほど、バウンドする。 振動でとても耐えられないと思っていたが、やがてそれにも慣れ、浅いながらも眠ることが出来た。 途中トイレ休憩を何度かとったが、必ずそのたびに外に出て星を眺めた。 降るような星。天の川がくっきり見える。 予定では午前10時にハノイに着くはずだ。 (つづく)
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(写真1) ランコー 鳴き砂の海岸 (写真2) ダナン チャム博物館 (写真3) 自転車を載せたバス (写真4) 五行山 (写真5) 五行山全景 (写真6) 旗を付けた寺 ●第5日目(5月4日) ベトナム中部観光、ハノイへ 朝6:30、ベトナム中部ツアーの車が迎えにくる。 運転手は、ほとんど英語が出来ない。 車は外観はぴかぴかに磨き上げられた日産のスタンザで、どうやら彼個人の車のようだ。 外観のきれいさに反しスピードメーターが止まっていたし、フロントガラスの一部にひびが入っていた。 強化ガラスではないのだろうか。 ツアーはダナン、五行山、ホイアンをめぐる予定である。 ツアーと言っても我々だけ。運転手を雇ったというのが正しい表現か。 寝ボケ眼で出発。 ハノイの街の近くでは、バイクの列がいつまでも続き、車は少ない。 道の外から人、自転車、バイク、車の順に走ることになっているが、特に多いのはバイクである。 それも3列くらいに広がって走る。 車はバイクを避けるため、道の真ん中を走らざるを得ない。 たまに対向車が来るとバイク列の少ないところに待避するが、その間もスピードを緩めることは少ない。 クラクションは鳴らしっぱなしである。 あるところでは、犬が道の真ん中で座っている。 死んでいるのではない。 危険を省みず座っているのだ。 最初、怖いなと思うが、そんな運転にやがて慣れる。 途中、朝食ためランコーの海岸に寄る。 シーズンオフ、時間が早いこともあり、海の家は開いておらず、泳ぐ人も一人もいない。 白い砂が美しく、また、当たり前のようにキュッキュッと砂が鳴る。 朝食に、牛肉入りの麺料理ブンボーフエを摂る。 ハイバン峠を越え、ダナンに入る。 ダナンではチャム博物館の石の彫刻を見る。 続いて五行山(テーブルマウンテン)に到着。 大理石でできた5つの山があり、周辺は大理石の加工工場が並ぶ。 達磨(だるま)の里とも考えられている土地である。 ベトナム戦争での爆撃の跡も残されている。 この辺は、ホーチミンに比べ菅笠(ノン)をかぶる女性が多い。 アオザイを制服とする高校生の率も多いように思う。 ツアーの料金に有料道路代は含まれないようで、我々が払う。 (つづく)
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(写真1) フエ ボートを漕ぐ少女 (写真2) 船上生活者の船の集団 (写真3) ティエンムー寺 (写真4) ティエンムー寺に飾られるオースチン 川にはドラゴンボート(船首が龍の形をしたモータボート)が走る。 ドラゴンボートの乗り場らしい所で、ティエンムー寺まで幾らかと尋ねると10万ドン(約1000円)という返事。 ふと見ると、手こぎのボートの密集した地点があり、そのボートで川沿いのティエンムー寺まで行くアイデアを思いつく。 そちらへ歩くと、元気な子供がわっとやってくる。 彼らは、一丁前にボートのこぎ手らしい。 ティエンムーまでいくらか聞くと、10万ドンだという。 高い!子供相手に値段交渉する。とりわけ元気な女の子が7万ドンという値を提示する。 決定だ。 少し浸水したボートに乗りこむと、女の子は船首の船縁に立って漕ぎ出す。 女の子は裸足で菅笠(ノン)をかぶり服もボロボロだ。 女の子はよほどうれしいのか、きゃっきゃきゃっきゃはしゃぎまくる。 実に腰の入ったいい漕ぎっぷりだ。 ただ、方向が逆である。 「ティエンムー!!」と叫ぶが、きゃっきゃきゃっきゃ叫びながら反対方向に向かっている。 どこへ行くのだろう?心配になってくる。 向かう方向には船上生活者の船の集団が見える。 まさに「ボートピープル」であり、彼女らが生活しているのだろう。 ボートピープルたちは、広い川の真ん中の中州に船を係留しているのだ。 船の数は数十あり、そこで煮炊きする人、洗濯する人、酒盛りする男どもなどが見える。 そんなところに連れ込んで、どうしようと言うのだろう。 ベトナムで旅行者が見舞われるトラブルで、賭博がある。 本人の希望を無視して、強制的に賭博をやらされ、金品を巻き上げるというものだ。 これから向かう先に何が待ちかまえているのだろう。 色々悪いことが頭をよぎる。 少なくとも船上の我々は圧倒的に不利だ。 ここでの外国人は我々ふたりだけ、彼らは無数にいる。 また船の上では逃げるに逃げられない。 川を泳いで渡る自信は全くなかった。 身ぐるみはがされたあげく川に投げ込まれる、そんなイメージが浮かんでは消える。 「ティエンムー!!」懇願口調になっているのが自分でもわかる。 船の群を分け入って、ある大きいボート(母船)に付ける。 そこに乗り移るように言われる。 母船に乗り移ると女の子は再びボートを漕いで去っていく。 彼女は使いっ走りだったのか! 不安が広がる。 母船の中から家族が顔を出す。 親父、母親、乳飲み子2人。 挨拶もなく母親は氷で冷やされたジュースを出してくれるが、当然それは売り物である。 幾らかわからないため、私は遠慮したが、同行のKは一本受け取ってごくごく飲み出す。 後で、ぼったくられても知らんぞ。 それにしてもKは図太いのか、何なのか。 私は奥の乳飲み子はあなたの子か?と尋ねる。 そうだという返事。 子供をほめられてうれしくない親はいないだろう。 「よく似ている。とてもかわいい。すてきな子だ」英語を解しなくてもほめていることくらいは理解してくれているはずだ。 親父は母船のエンジンを点火する。 ゆっくりと船は動き出すが、その方向は元来た方向、すなわちティエンムーの方向である。 ボートピープルのボート群を抜け、しばらく走るとまたUターンする。 どこへ連れていくのだ。 日は傾きつつあった。 母親が、今度は木彫りの人形やらネックレスを出して、しきりに買わないかと勧める。 私は買わないが、ここでもKがいくつか買う。 ボートはまたUターンしティエンムーに向かう。 ボートはそのまま走るが、お土産攻撃にさらされ、しかし、彼らの気分を害さないよう努めるのに精一杯で、クルージングを楽しむ余裕は全くないままであった。 ようやく接岸し、見上げるとティエンムー寺が見える。 ああ、ちゃんと送ってくれた。 思わず、旦那の手を握り Thank you を連発していた。 結局ボート代として、10万ドンとられた。 ボートを下り船首を見ると動物の首の形になっており、これもドラゴンボートの一つだったことがわかる。 結局、彼らはドラゴンボート屋であり、女の子はそこまで運ぶ使い走りであり、彼女と値段交渉しても全く意味が無く、また危険な目に遭わされるというのは全くの自分の勝手な思いこみであったわけだ。 結果的に見れば、ドラゴンボートを2人でチャーターするという贅沢なことをしただけなのだ。 思わず、こみ上げてくる笑いを抑えることが出来なかった。 7層8角のティエンムーの搭と元住職の車であるオースチンを、妙にハイテンションな気分で見学した。 街の中心までの約5kmの帰り道を徒歩で帰る。 途中、学校帰りの高校生が多い。 「痛い!」誰かが肩をつねるのである。 振り返ると、自転車に乗った女子高生が肩をつねって、私を追い越して行く。 邪魔だったのだろうか? 彼女の顔は笑っていた。 ベトナム女性の芯の強さを、垣間見たような気がする。 道にはカエルが、ぴょこぴょこはねている。 フースアン橋まで戻る頃には、日は大きく傾いていた。 街にはビリヤード場が多く、覗くと若い男がくわえ煙草で玉を突いている。 若い男と言ってもまだ中・高生くらいに見える。 ハスラーを気取っているのかもしれない。 ポケットの中の5万ドンが無くなっているのに気づく。 はだか銭として、無造作にポケットに入れていた分である。 どこかに落としたのか、スられたのか。 チャンティエンホテル近くのレストランでエビ入りのフォー、ビーフの炒め物チリ風味、BGIビール、SAIGONビールなどを食べ、飲む。 どっと疲れているのがわかる。 小さな店で明日のための食料である、バナナ2本、ミネラルウォーター、チョコレート味のお菓子を買う。約70円。 夜中、同行のKがトイレを詰まらせ、使用できない私は翌朝まで便意をがまんする。 (つづく)
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