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世界一本屋が多い街ではないだろうか、ここは。 それに反して(ハバロフスクほどではないが)レストランが少ない。 タウン情報誌のような小冊子に載っていたロシア料理の店を覗いたが、単なるカフェ。 仕方なくインド料理屋に入る。 ターメリック色のピラフとチャイ。 とにかくレストランの入り口がわからないのはロシアの特徴である。 ハバロフスクもそうであったが、市場を除くと食料品を売っている店が極端に少ない。 パン、ピクルス、チーズ、そしてなぜかケーキを売っている小さな店がある。 このタイプの店はいくつかあるのだが、みな判で押したように同じ商品しか置いていない。 高台から金角湾を見ようと思い、坂を登っていく。 フラフラと歩いていると、正面から4人組の浮浪者(ホームレス?)らしき人が歩いてくる。 嫌な予感がしたが、かまわずそちらの方向に歩いていく。 すると、その4人に囲まれてしまった。 なにやらロシア語で凄まれる。 恐らく、「ルーブル(ロシアの通貨)を出しな」とでも言っているのだろう。 何を言っているのか分からない、ということをジェスチャーで示す。 すると諦めて、彼らは去っていった。 面倒なことにならなくて良かった。 (注)その中に女性が混じっていた。旧共産主義国ならではの極端な男女平等を感じた。 展望台は見つけられず、団地のある高台から金角湾を見る。
軍艦と普通の商船の入り混じる不思議な光景。 (つづく) |
>極東ロシア
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●第3日目(8月15日 晴) ウラジオストク 列車は定刻(8:21)にウラジオストクに到着した。 第一印象は「落書きが多いな」ということ。 ホテルに直行する。 日本で支払いしたにもかかわらず一泊料金1250P(ルーブル、1ルーブル=約4円)をとられそうになる。 連絡が悪いのか、慣れていないのか。 TVではハングル語の放送をやっていた。 ウラジオストクは1992年までは西側の人間が入れなかった都市であり、見所は軍港。 (注)この軍港が最高機密だったわけである。 レーダーのついた巨大な黒い固まりが港に浮かび威圧する。 潜水艦C-56博物館に入る。 本物の潜水艦を陸に上げ、誰でも入れるようにした博物館である。 潜水艦に入るのは初めてなので、ちょっと面白かった。 最後、軍服を着せられ、水兵さんと記念写真を半ば強制的に撮られる。
そして、しっかり、チップを請求される。 約2000円。 その言葉は無視して、小銭(約200円)を渡して、脱出した。 (つづく) |
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スーパーマーケットの上階でロールキャベツを食べる。 恐ろしく薄味。 朝食といい、ロシア料理の味付けは素っ気ない。 街にトイレが無い。 スーパーにも無い。 街一番の大きさのデパートで漸くトイレを発見。 なんと男女共同。 とても大きな部屋の壁をぐるりと個室のトイレが囲む。 トイレは有料。 メインの通りからはずれると、住宅街がある。 一戸建て、老朽化したアパート(団地)、そんなところに人は住んでいる。 しかし、人気が無く、ひっそりしている。 ちょっとしたゴーストタウン。 最も活気があるのが、中央市場。 肉、魚、野菜、果物、屋外には衣服、靴、日曜雑貨が溢れる。 朝鮮系の人が商うエリアもあり、機械・電気の中古品を売る。 (注)売っているのは何に使うのかわからないようなガラクタである。 日本では北朝鮮による拉致問題で大騒ぎである。 粗末な身なりからすると、北朝鮮の人かも知れない。 そろそろ、ウラジオストク行きの列車に乗らなければならない時間となった。 ホテルの荷物を引き払い、ハバロフスク駅に向かう。 地図で見る限り、交差点が数個しかなく、近いように思えたため歩いていくことにする。 しかしこれは失敗だった。 交差点から交差点までの距離が恐ろしく長いのである。 日本の三倍はあるだろうか。 日本のちまちました街の造りとは違って、建物や道のサイズがとても大きいのである。 駅までたっぷりと1時間ほどもかかり、駅に着くとウラジオストク行きの列車はもう少しで発車するところだった。 19:00ウラジオストク行きの夜行列車に乗る。 シベリア鉄道の最も東端のわずかな区間であるが、一晩だけのシベリア鉄道の旅である。 乗り込んだのは、2等寝台。 同室に若い女性とその子(6歳位)、別グループの16歳位の女の子が割り当てられ、私を入れて4人。 母親は東洋人で、てっきり韓国人だと思い、思わず声をかけた。 「韓国人ですか」 「いいえ、ハバロフスクに住んでいます」 そういえば、駅で旦那さんらしい人が見送りに来ていたなと思う。 ロシアにもこういった朝鮮系の人が住んでいることを再認識した。 もう一人の女の子もロシア人。 ロシア人は英語をほとんど話さず、会話できないのが残念。 列車は広く、大きい。 食堂車を探すが、なかなかたどり着けず断念。 少し、小腹が空いた。 バッグをごそごそやっていると、6歳くらいの女の子がリンゴをくれた。 その瞬間、自分はこんなところで何をやっているのだろうという思いと、ヒトの暖かさに感動したのと、色々な思いが駆けめぐり、涙が溢れそうになった。 「スパシーバ(ありがとう)」 そう言うのがやっとだった。 そのリンゴはロシアで食べた食事のどれよりも美味しかった。
(つづく) |
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●第2日目(8月14日 雨) ハバロフスク ロシアのホテルにはフロントの他に各フロアにジェジュールナヤがおり、ホテルカードを部屋のキーと交換するという手間をかける。 ジェジュールナヤは各フロアの雑用係という位置付けのようでもあるが、非効率的極まりない。 ただ、ホテルによっては美人のジェジュールナヤが待機しており、そんなジェジュールナヤには無理矢理用事を作って男達が仕事を依頼するものだから、意外と忙しかったりする場合があるようである。 そしてこれをロシア旅行の楽しみとしている御仁もいるようである。 一方、フロントはパスポート、ビザの確認と、外国人登録、警察への通報という役割を持っていて、これも非効率的である。 まるで、役所のようだ。 ホテルの朝食はバイキングではなく、3種のメニューからの選択であった。 挽肉を小麦粉のたっぷり入った玉子で包んだオムレツがメイン。 味がほとんど付いていない。 疲れのためかチェックアウトの12時まで何もする気になれない。 電話でリコンファームしてアムール川に向かう。 昨日の土産物屋(虫入りの琥珀屋)に又会う。 どうやらホテルの前に待ち伏せしているようだ。 アムール川で1時間のクルージングとしゃれこむ。 川は茶色に濁っている。
何も無い対岸、中州、そしてシベリア鉄道の鉄橋をくぐったところでUターン。 1人だけ川で泳いでいるのが見える。 あまり見るものはなかった。 (つづく) |
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ホテル「インツーリスト」では日本人、韓国人、香港人、そしてなぜか美人ロシア人がロビーでたむろしている。 見たところ、個人客は私だけだ。 街歩きをしてみる。 街は1ブロックが大きく、建物が大きく、道が広く、人の数が少ない。 夜になると、照明が暗い。 歩く女性はメイクばっちりタイプが多く、人工的。 服装は悪くないが、流行とはあまり関係なさそうである。 夜でも寒くなく、半そでがほとんどである。 (注)8月とはいえロシア。 寒いかもしれないと思いセーターを持ってきていた。 店、レストランがさりげない。 看板が無く、ビルの中に入ってみないとなんの店かわからない。 夜10時過ぎ、簡易な食堂でビールを飲んでいると、10歳くらいのタバコを吸っている男の子が、私のテーブルを掃除するから金をくれというようなことを言って来る。 ストリートチルドレンかと思ったが、そうではなく隣の席の3人組がその両親と友人のようだった。 (注)ロシアでは子供の喫煙を認めているのかもしれない。 スペインでも黙認だった。 反対隣ではアル中の男が別の男にクダを巻いている。 (注)韓国で酔っ払いのロシア人にからまれそうになったことがある。 酒癖の悪い国民性だといえそうである。 隣の露天の店では女がカラオケを歌う。 ロシアでもカラオケが定着していた。 ホテルに戻ると電話で”お誘い”がある。 (注)部屋に戻るや否や電話が掛かってくるところをみると、 ホテルとつるんでおり、各フロアに常駐するおばさん(ジェジュールナヤ)が 部屋に戻ったことを彼女らに連絡しているのに違いない。 あまりにも手際が良い。 もちろん誘いには乗らなかった。 ホテルの風呂を使おうと水道の蛇口をひねると、出てきたのは赤い水であった。
洗濯も最小限とした。 (つづく) |






