|
チチェン・イツァーの入り口はたいそう立派な公園といういでたちであった。 入場すると真っ先にカスティージョ(お城)の四角いピラミッドが見える。 ここのピラミッドが最もマヤ遺跡らしいと思う。 非常に美しい前後左右対称の形。 多くの人が、ピラミッドの階段を登っていた。 しかし私は高所恐怖症。 とても、登って、再び下りてくる自信はなかった。 見所は、ピラミッド、蛇の頭(ククルカン)の装飾、チャック・モールの心臓を置いた台、球技場、生け贄の泉であるセノーテ、生け贄の台(ツオンパントリ)、戦士の神殿、天文台、尼僧院など。
(つづく) |
>メキシコ・グアテマラ
[ リスト | 詳細 ]
|
★チチェン・イツァー 6世紀の旧チチェンと10世紀の新チチェンが並んでいる。 AD300〜1250年まで栄えた。 エルカスティージョは高さ23mのピラミッド神殿。 羽毛付き蛇ククルカン(テオティワカンやトルテカのケツァールコアトルに当たる)がモチーフとなった装飾が施されている。 春分・秋分の日、ピラミッドの影と北階段の蛇の頭が重なるよう設計されている。 また階段が東西南北面に各91段あり、91段×4面+最上面1段=365段となり、1年の日数を表しているといわれている。 天文台は現代の天文台と変わらない外観をしている。 但し望遠鏡ではなく、太陽光を導く窓があけられている。 セノーテは石灰質の地下が侵食されてつくられた自然の泉であるが、生け贄をそこに投げ込んだ記録が残っている。 球技場は天然ゴム製のボールを足で蹴ってゴールに入れるサッカーのようなゲームに使われた。 敗者が生け贄にされる場合だけでなく、勝者が生け贄にされる場合もあったという。 ウシュマルにもあるが、こちらのほうが完全な形で残っている。 コートの大きさは144×36m。 ツォンパントリは生け贄の頭をさらした台であり、実物大の不気味な頭蓋骨の彫刻が成されている。 戦士の神殿はトルテカ(中心はメキシコシティの北にあるトゥーラ)のものと同じ形式。 ここの千本の柱はかつて草木で葺いた屋根のついた市場であったらしい。 ウシュマルとともに新興勢力マヤパンに滅ぼされた。
(つづく) |
|
●第4日目(4月29日) チチェン・イツァー メリダの朝は涼しい。 チチェン・イツァーのツアーを申し込んで、朝の散歩に出る。公園で軍楽隊がラッパを鳴らして練り歩いている。 ホテルに戻るとフロントのアンティークのレジスター(?)と時計が実に良い感じだ。 ツアーのバスは途中で小さな売店に止まる。 そこでミネラルウォーターとお菓子を買う。 売店の隣は民家。 ドアの無い家、そこにたむろする子供達。 思わずその家を覗くと、お母さんと思われる女性が手招きする。 わらぶきの屋根のその家に入れてもらうと土間でひんやりとする。 一角にキリスト像が奉られており、手前に果物が置かれている。 まるで仏壇のようである。 言葉が分からないので会話は交わさなかったが、地元の人とのささやかな交流ができた。
お礼を言って外に出ると、バスが待っていた。 (つづく) |
|
夕食はpollo pibil、サラダ、ボヘミアビール、ソルビール。
pollo pibilは鶏肉をバナナの葉で包んで蒸し焼きにしたユカタンの名物料理。 これは美味しい。 (つづく) |
|
ウシュマルの絵になるピラミッドを堪能し、帰るためバス停でバスを待つ。 まだ昼の12時。 時刻表が無いため何時バスが来るのかわからない。 客が誰も並んでいないのが気になる。 蝉の鳴き声が独特である。 「ツクツクニー」 ニーニーゼミかツクツクボウシかわからない。 微妙に音程の違う個体が鳴くため和音を奏でる。 それにしてもうるさい。 バスを待っている間に、急にお腹が痛くなってきた。 トイレに行きたい。 しかし、最も近いトイレまで歩いて20分ほどの距離がある。 しかもトイレに行っている間に、バスが来るかも知れないのである。 そこで、物陰に隠れ、野○○をした。 わずか、1分という早業でやり遂げた。 同行のK氏にも気づかれることはなかった。 バッタ系の虫の音が辺りに鳴り響きだすと影が長くなってきた。 さすがに、待ちくたびれた。 20分ほど歩き、ウシュマルの遺跡に戻り売店のお姉さんにバス時間を訊く。 夕方6時以降に1本来るとのことであり、それが最終なのだそうだ。 今は夕方の5時。 ますますバス停から離れられない。 やがて白人のカップルがやってきて、「バスを待っているのか?」「そうだ」ということでバス待ちの仲間が増えた。 結局、バスが来たのは夜8時だった。
バス待ち時間は8時間にもなった。 (つづく) |


