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●3日日(4月28日) チェコからスロヴァキアにバスで移動すべく、地下鉄でバスターミナルへ向かう。 ここチェコの地下鉄は深いところを走っているようで、駅に通じるエスカレータが長い。 降りるのが怖いくらいである。 バスに乗ること約5時間。 スロバキアの首都ブラチスラヴァに到着した。 ブラチスラヴァでホテルを確保。 ホテルキエフという中級ホテル(三つ星)である。 同じ三つ星でも、昨日泊まったプラハのホテルの約半額である。 チェコよりスロヴァキアの方が、物価が安そうである。 それにしても、今回旅するチェコ、スロヴァキア、ハンガリー、クロアチア、スロヴェニアは全て独自の通貨を持っているため、国が変わるごとに両替しなければならない。 面倒ではあるが、結構楽しい作業である。 ブラチスラヴァの街を歩くと、高台にブラチスラヴァ城が見える。 この街のシンボルにもなっているようだ。 ブラチスラヴァ城はドナウ川の畔に建つゴシック様式の城である。 マリア・テレジアの居城となったこともある。 お昼に、小洒落たクラーシュトルナー・ヴィナーレニュというレストランでポークカツレツとビールを頂く。
夜には民族音楽の演奏があるようだ。 (つづく) |
>チェコ・ハンガリー
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東欧(正式には中欧)で見てみたかったものがある。 今でも見られるかどうか分からなかったが、簡単に見つけることができた。 それは、トラバント。 トラバントは旧東ドイツ製の小型車である。 1958年から1991年まで生産される。 最終モデルは600cc、23馬力。 同時期に製造された西側諸国の車とは性能において雲泥の差があった。 それが今でも、かなりの頻度で見ることができるのが嬉しい。 日本で売っていたら、欲しいと思った。 関係ないが、天ぷら(Tempra)という名前の車を発見した。 日本料理は中欧にも浸透しているということか? プラハの街を市電(トラム)が走る。 他の国の市電に比べ、架線が高いため、パンタグラフが思い切り背伸びをしているように見える。 夕方、ヴルタヴァ川の向こうのプラハ城を見る。 一日のうち一番良い時間帯である。 夜、マエストロ(Maestro)というレストランでエビスパゲティを食べた。
ビールが美味しい。 (つづく) |
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街歩きの続き。 プラハの中で最も賑やかなのが、旧市街広場である。 ここに旧市庁舎が建ち、旧市庁舎には天文時計がついている。 変な形をした屋根が特徴の旧市庁舎。 増改築を繰り返したため、その建物の形は妙なものとなっている。 天文時計は、15世紀に造られたもの。
年時計、月時計、日時計、時間を示す時計からなるらしい。 観光名所のようで、大勢の人が時計を見守っていた。 (つづく) |
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ティーン教会は1135年に創建された、高さ80mの教会。 ティーンとは「税関」の意味。 かつて、税関の裏側に教会があったらしい。 旧新シナゴーグはヨーロッパ最古のシナゴーグ(1270年頃)であり、世界遺産にもなっているらしい。 シナゴーグとは、ユダヤ教の会堂のことである。 プラハ城を出て、街をブラブラしていると、移動遊園地という感じの、小さな遊園地を発見した。 メリーゴーランドがあるのだが、よく見ると、本物のロバがぐるぐる回っていた。 午後3時。 ちょっと遅い昼食とする。 グヤーシュとビール。 グヤーシュは牛肉とタマネギなどの野菜をパプリカのスープで煮込んだシチューである。 後で調べたら、ハンガリー料理らしい。チェコ料理だと勘違いしていた。
この店では、パンを器にして食べさせてくれる。 なかなかイケる。 (つづく) |
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プラハ城。 プラハ城は、小高い丘に建ち、プラハの象徴的な建物である。 9世紀半ばから建築が始まり、14世紀頃に現在の形になる。 歴代の王様が居住した。 プラハ城の敷地の中に、黄金小道という、召使い達が住んでいた家の建ち並ぶ道がある。 そしてその中にNo.22と書かれた青い家がある。 この青い家は作家フランツ・カフカの家でもあった。 妙なオブジェ発見。 ドクロを背中に乗せた男の像。 後ろから見ると、何とも情けない格好だ。 聖ヴィート大聖堂はプラハ城の敷地に建つゴシック様式の教会。
ファサードの緻密な装飾が素晴らしい。 (つづく) |






