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ドラゴンボールの世界は概要を話すまでもなく、日本国民に知られたものでありましょう。しかし、あえて社会科学的にその世界観を捉えると非常に面白いものが見えてくる。
ドラゴンボール主人公「悟空」はよく死ぬ。敵と戦い、一旦死んで、再び蘇り強くなって帰ってきて、敵を倒す、少年ジャンプの「友情、努力、勝利」のテーマを体現したマンガ、アニメである。個人的にはマンガよりもアニメをよく見てきた。その、死んでも生き返る、輪廻転生が行われる世界観は日本のアニメ、マンガにおいて特有なものである。
というのも、キリスト、ユダヤ、イスラム教には業と輪廻の世界観が全くない。これらの共通事項として人間は罪人であり、そして原罪を償うための倫理として職業倫理などの考え方が生まれてくるのだが、ここでは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を参照されたい。
さて、業と輪廻をキーワードに話を進めていくと、どうにも敵はドラゴンボールの世界のなかでは生き返ることはない。
善をなすものは善生をうけ、悪をなすものは悪生をうくべし。浄行によって浄たるべく。汚れたる行によって、汚れをうくべし
善人は天国に至って妙楽をうくれども、悪人は奈落に到って諸の苦患をうく。死後、霊魂は秤にかけられ、善悪の業をはかられ、それに応じて賞罰せられる
– 『百道梵書』 (Zatapathaa-braahmana)
とあるように、その世界観では善悪によって生き返ることが出来る存在か、出来ない存在かが分別される。
さらに、登場人物にも注目してもらいたい。例えば神様がシリーズ中に出てくる。これは、偶像崇拝を拒む世界=キリスト教においては全くかんがえられないことである。さらには神はキリスト教やイスラム教においては現世超越的存在である。すなわち悟空に手助けすることは考えられないのである。その意味に置いても「ドラゴンボール」の世界においては非常に現世内俗的であり、つまり神様が常に身近にいる世界をさしている。
このことを踏まえていくと、ヒーローである「悟空」は死んでも生き返る「輪廻」の世界を持ち続け、神様が身近にいる世界である。ともすれば、この世界観は非常に日本的な世界であるといえるのだろう。
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