むねくんの日記

マンガ批評更新(『おいしいチーズはいかが?『チーズの時間』)

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 先日アナウンスしたもののつづきであります。『社会的需要という側面からの性別という記号性』というおだいから見ていきましょう。

 そもそも女性から得られるイメージというのは何か。優しさ、強さ、かわいさ、優雅さなど個別の意識はあるかもしれませんが、それを社会的なものとして位置づけるとき、特にマスイメージによって植え付けられた『かわいさ』が先行する。社会構造のなかに埋め込まれた記号として定着され、またそれを利用するということが出来る。一方で男性は『かっこよさ』『強さ』が先行する。ジャンプの代表作とされる作品を見る限り、主人公はかっこよく、ヒロインはかわいくが定義的となり、その立場を逆転させた作品は近年傾向的には増えてきてはいるものの、それでも相対的に多いであろう。それは広告にも同様に言える。
 なぜ、アイドルが化粧品や飲み物などのCMに多く起用され、男性は栄養剤やビールなどに多く起用されるのか。そこに商品に内在する記号と、男性/女性に内在する記号間に親和性があるからこのような現象が起こる。

 そもそも、近年の傾向をみているとやたらめったら女性の権利が、女性の権利がと目串たてている。ええと、そもそも男権社会であったため抵抗的な運動があっても何ら不思議ではない。しかしこのような自体は

A<Bから
A=Bとなり
A>Bとなる。

もちろんこの後にはA=Bとなる可能性もあれば進化論的な自然淘汰もあるかもしれない。

さて、以上のようにいろいろと考えられることもあるが、単純に差別ダメ、絶対。とはいえない。ことばがうまくまとまらないのだが、すこしひねくれて考えてみました。

 本日、市役所に行く。僕は、ポスタを見た。人権啓発だとさ。

 それが悪いことじゃないし、むしろ感心した標語があった。女性がダイエットをくりかえすことを啓発するポスタ。なぜ、広告には女性が多く載るのだろうか。公共の場では女性の裸、例えば新聞や雑誌などに掲載されているため、それらを子どもに見せないようにしようなど。非常に思考のトレーニングになった。

 考えるべき点がある。日本という社会、とりわけ武家社会、封建制度、儒教的社会制度の成り立ちと生成された社会的価値観。あるいは社会的需要という側面からの性別という記号性(※)という観点からの考察が必要に思われる。

 第一に、日本、あるいは東洋の宗教あるいは社会構造/制度に言及する場合、M.ヴェーバーの「宗教社会学」(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』が代表作)を用いて説明出来るであろう。
 東洋の宗教をざっくばらんに整理すると、神の存在⇒天であり、現世内俗的、多神教…神様が沢山いる、という具合である。西洋はおよそ反対の性格を持っている。日常よく耳にする、「お天道様」とか、「八百万の神」とか、「貧乏神」とか、現世と神が近い存在であることを示してある。

 しかし、日本や中国においては宗教としての仏教(北伝仏教、あるいは大乗仏教)よりも、儒教という教えの方が大きな力をふるっている。仁、義、礼、智、信といった五倫五常という中国古来の徳目が日本にもとりわけ武家社会に継承されている。儒教における罪の意識とは、この礼教的支配からの逸脱を意味し、なるほど、話を人権啓発に結ぶと、社会的地位の低かった女性における男権社会の禍根なのであるといえよう。

 もっとも、だからいけないのかというとそういう簡単なモノではない。森嶋通夫は『忠』を戦後日本における経済復興の要因として捉え、アジア諸国の今日における発展もこの儒教的精神がもたらしたと考えている学者も多い。なおヴェーバーにおける宗教の合理性においてはここでは言及しない。

 議論の核としては、今日における男女差別は、単線的な差別の延長として捉えるのは、本質をついていない。男女同権を訴えるならば、日本の歴史、とりわけ儒教と封建社会を注目し、社会構造の基本に男女差別というプログラムが内包されていたという点を認識しなければならない。換言すれば、社会システムが近代社会においては男女差別が絶対化され、徹底されていた。そのため、われわれが今日の男女差別を見るばあい、何よりも表面的な権利の獲得ではなく、儒教ほか宗教における社会システムを構成する諸要因との調和と干渉、そしてそれらシステムを変化させるダイナミクスなムーブメントが起こらない限り、緩やかなままの社会構造の変化にしかならないであろう。


 次回は社会的需要という側面からの性別という記号性について。続きます。

現在の食事環境の変化に伴う給食体制の変化と、その課題に対する処方箋
 
生活習慣病は大人の問題ではない。今や子供たちにもその病は蔓延し、「メタボリックシンドローム」という言葉の発生から健康への意識は社会経済効果があるために、国が主導して対策に取り組んでいる。第二次世界大戦後、経済成長を含むわが国の社会事情の背景に畜産物や油脂の摂取の増加により、以前の日本型の食事から一変して欧米型の食事に変化した。また、塾通いや残業などによる家族のライフスタイルの変化によって夜型生活の習慣化やコンビニエンスストアの普及による家族同士で食事をする機会が減り、個食や孤食が増えた。※1
 アメリカの給食事情はどうなっているだろうか。アメリカの給食形態は、まず日本のように教室が固定されてないので、自分から配膳を受けてSuikaのようなプリペイド式の磁気カードで給食費を支払う仕組みになっている。また、経済的事情により減額を受けている生徒とそうでない生徒のカードを同じ仕様にしており、彼らが差別を受けないよう連邦農水省は工夫をしている。しかし周辺整備はされていても生徒には自由な選択権があるとされている。学校で給食をとるのも、家からランチボックスを持参するのも自由とされており、ある生徒は牛乳だけ、ある生徒はサンドイッチとポテトフライ、またある生徒は家から持ってきた豪華なランチというふうに皆バラバラに好きなものを食べている。これは全員が同じメニューの食事をとり、生徒が嫌いな食べ物を残さないように教師が注意してまわる日本の学校給食とは明らかに異なる点である。※2

 これら両国の比較より、現在の給食環境はどう変わったのか。このような現状により我が国も食に対して見直しがされている。食育改革とでも言っていいのかもしれない。食育基本法(平成17年7月施行)の規定に基づき設置された食育推進会議において、平成18年3月31日に食育推進基本計画が決定され、学校における食育の推進が目標に掲げられている。この計画はものすごく前向きなものである。栄養バランスが優れた「日本型食生活」の実践や子どもの肥満予防の推進、地産地消の推進など、皮肉ながら顔のいい目標を掲げている。※3
なぜ皮肉に挙げたかは第11回文化省メディア芸術祭優秀賞を受賞した武富健治の「鈴木先生」を題材にしながら論じていく。第1巻の@酢豚の回で、給食に関する問題が発生する。樺山という女生徒が、酢豚の給食メニューから外されるということを抗議し、そのことに対して職員会議で酢豚を廃止にするか否かというアンケートを全校生徒に対して行うことが決定された。酢豚はあまり人気がないメニューで、そのときの残飯は大量に残っていた。結局酢豚は廃止になるのだが、この食育基本法の規定と鈴木先生の内容から見ると、会議室と現場とでは、もちろんマンガではあるが考え方にズレがある。※4
 一方的に言えば食育推進基本計画は戦後間もなかった給食への回帰なのだ。ゆとり教育がまた詰め込み教育に回帰しているように、これもまたそうなっている。目標を掲げること、つまりはそれを実行するという名目にあるのだから、「子供のために体に良いから食べなさい」と言えてしまうことだ。子供のことをちゃんと考えているのではと反論を受けそうだが、もちろん給食は生徒の栄養面を考えたメニューがなされており優秀な制度であるに違いない。しかし一方で本当に食べられない生徒に対しても無理強いをさせてしまわないだろうか。鈴木先生の94〜95ページにかけ、アンケート結果から数字の上では酢豚を食べられない生徒はクラス平均4人とあるが、本当に「少ない」のか。酢豚はハンバーグやカレーなどと同じメインメニューであるはずが、それを食べずに残りの授業を受ける生徒は本当に少ないのかということが議論にかけられ、職員会議の出した結論は酢豚を廃止するというものだった。
 今回の食育推進基本計画はブルデューの言う「象徴的暴力」にならないだろうか。そんなことを言っていたら何をすればよいのかというのが結論として上がってくる。ひとつの解決策としてはその象徴的暴力を認め、昔のような教育を政府が認める。しかしこれには人権侵害の一面も孕んでおり、現実的に無理であろう。そこでもうひとつの提案が、行政機関が給食の入門施設を作ればよいのではないのかと思う。どんな施設かというと、給食が支給される小学校より前の段階、幼稚園や保育園に行政が介入して給食形式を実施する。行政によりマクロ的な残飯の量や好き嫌いの傾向が分析可能なため、その経験を生かした小学校や中学校における給食供給の効率性が上がるのではないのかと思う。また、試験的に子供に嫌われる食事、例えば酢の物や野菜などを幼い頃から摂取していれば鈴木先生の@酢豚のような事件は起こらなかったかもしれない。
 やはり、行政は子供の立場にはなりえない。また、時代背景も違うため被教育体験をそのまま伝えることで終わってしまう。もう一度行政は子供の立場になり、また現場の先生の立場になり給食制度の実態を観察し直す必要があるように思う。そのためにも私の挙げた代替案だけにとどまらず、他にも生徒と密着した方法があるかもしれない。その方法を模索し、戦前の食育から、モノの溢れた時代に食の大切さをいかに学ぶかが再認識されるときである。
出典
※1 食育・食生活指針の情報センター 
HYPERLINK "http://www.e-shokuiku.com/index.html" http://www.e-shokuiku.com/index.html
※2 アメリカの学校給食
HYPERLINK "http://www.clair.or.jp/j/forum/c_report/html/cr088/index.html" http://www.clair.or.jp/j/forum/c_report/html/cr088/index.html
※3 食育推進基本計画の概要
HYPERLINK "http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/18/04/06041001/001.htm" http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/18/04/06041001/001.htm
※4 武富健治「鈴木先生」 双葉社より出版


                        2008年度、教職課程科目におけるレポートより
                        
あとがき

 参考にしていただければ幸いです。昨今の食育や、教育制度、それからマンガ「鈴木先生」をベースに書いたものです。

not employ...

 ニートについて書きます。いろいろとヤフーの知恵袋でニートとかオタクとか社会の悪いものであるというみなしが結構強いように僕は思うのですが、ニートは働く気がないとかいうのは間違いであるとも思っている訳です。ただし、全面的に肯定している訳ではありませんのであしからず。

 NEET(Not employment, education and training);働いておらず、また教育も受けていらず、職業訓練(職探し)もしていない。

 今の日本の状況では、企業は人間を道具のように使う恐ろしい悪魔にしか見えず、働く気が起こらないということが考えられる。派遣切りで、血も涙もないような冷酷な企業の対応。新卒の内定取り消しという企業責任の放棄。政治家の汚職、献金。無責任政治は、政治そのものへの不信感の高まりが日に日に強まっている。「勝ち組」と「負け組」という二極化が進み、人間が淘汰されるという現代社会が抱える病理がますます重たいものになっていく。加えて、人との結びつきも希薄になり、人間的な結びつきもなくなっている。ネット社会を批判する訳ではないが、ネットという匿名性によって個人が抱えている鬱憤をはらすことによって炎上。憎悪が憎悪を呼び、不快な気持ちは連鎖していく。

 「希望格差社会」というのは山田昌弘教授の発言で、社会学や経済学(とりわけ社会経済学や社会福祉論)の分野では結構有名ではあるが、世間一般ではどのような反応なのか僕わかりませんが。この「希望格差社会」という言葉の意味は、希望が持てる層と希望が持てなくなる層の分断ー努力で階層が上昇する立場にいる人たちと、努力してもむなしい立場にいる人々への分断ーという意味を持っているが、まさしく現代日本社会を物語るにふさわしい言葉である。

 スベリ台式な日本社会は、上るのは難しく、逆に落ちるときはすぐに落ちていく。セーフティネットの拡充はどこに焦点を当てるべきなのだろうか。今までは民間、とりわけ大企業に入れば福利厚生は充実していたといわれていた。セーフティネット機能を企業がになっていたのである。派遣法などによって雇用の流動化が進み、競争の激化によってある意味では効率をあげることもできてきた。同時に労働者を手足のようにこき使い、不要ならば切り捨ているという人間は代わりがいくらでもいると言わんとする労働も発生した。

 希望格差社会では、上位の階層に上がるために努力しても結局上がれないということは知っている。それならば上がる努力はしなくてもいいし、けれど落ちていくことはまずい。大博打をうってビックサクセスを得ることもできなければ、気を抜けば落ちていくこの生活を維持するために肉体と精神をすり減らしながら労働をしなければならない。

 僕はまだ大学生ではないが、正直働きたいとは思わない。先行きが非常に不安なのである。社会も、人間も、政府もそこまで信用できないし、嘘つきに見えて仕方ない。働かないことを正当事由にはしないが、それでも働きたくない気持ちが起きてしまうのはやはり今の現代日本社会が抱える負の部分が多く、「希望」そのものが感じられないからではないのか。NEETと呼ばれる人たちすべてがそのようなことを感じているんだと断言はできないが、そのように感じる。そしてそのような状況を変えられるような行動ができるといいな。

昨年度の大賞は『岳』でした。

今年のノミネートは以下の作品です(作品名五十音順・敬称略)

「宇宙兄弟」小山宙哉

「3月のライオン」羽海野チカ

「深夜食堂」安倍夜郎

「青春少年マガジン1978〜1983」小林まこと

「聖☆おにいさん」中村光

「ちはやふる」末次由紀

「とめはねっ!鈴里高校書道部」河合克敏

「トリコ」島袋光年

「ママはテンパリスト」東村アキコ

「よんでますよ、アザゼルさん。」久保保久


僕の読んでいる作品が10作中4作だった。やったね。
気になっているけど読んだことがない作品がノミネートされていないので一度読んでみたいと思っています。
あ、試験が・・・。

マンガ大賞2009のHP↓
http://www.mangataisho.com/2009/01/2008_4.html

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