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年明け最初のコンサートはラザレフ、ラザレフ、間を挟んでまたラザレフ、と異様なローテーションになってしまいました(笑)。 ラザレフは明らかに実力のある指揮者であり、今回も日フィル以外(読響やN響かも知れません…)からのオファーもあった中で日フィルを選んだという事らしいです。 この選択が聴衆にとって吉と出るかどうかは、まだ判断が出来ない、というのが今回の3公演の感想です。 まぁ、取り合えずは次回に期待です。 【1/10 第328回名曲コンサート@サントリーホール】 指揮:アレクサンドル・ラザレフ ヴァイオリン:山田晃子 管弦楽:日本フィルハーモニー交響楽団 [曲目] ・チャイコフスキー:戴冠式祝典行進曲 ・チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ・ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」 [アンコール] ・ドヴォルザーク:スラヴ舞曲第10番 サントリーホールが花が置かれて華やかに色付いていた。 新年気分で着飾っている人も多く、浮かれていたかったのに、いつも通り不景気な感じの私。 しかも新年初めてのコンサートで掛けられた声も某○in氏の「目が腫れてる」だった…orz 望むは穏やかな人生なんだが、中々難しそう…(笑)。 今回最も印象に残ったのは5分強の最も短い戴冠式祝典行進曲…。 この曲はどう聴いても譜面が阿呆だ(笑)。 この曲は、爆裂しているロシア民謡は少し音が荒れているものの御愛嬌、で済むレベルではあるか。 チャイコンはソリストがイマイチ。 ラザレフも我慢しているように感じた。 もう少し演奏がこなれてきたら、同じコンビからでも満足出来る演奏が聴けるかも知れないが現時点では素晴らしい、とは言えない。 メインのドヴォルザークは全体を通して派手だが、やはり最近の日フィルは音が荒れてる事も意識せざるを得ない。 ラッパはテーマが最後にメジャーに転調した部分で完全に力尽きていた…。 まぁ、あの曲は最後の最後が極度にキツいのは分かるが…(因みに、ラストのEの音も結構鬼門)。 ラザレフ自身もチャイコフスキーの方が向いていそうだ。 因みに、2楽章の冒頭の再現で、再度チューバを投入。 これは彼らしいやり方かもなぁ…。 【1/11 サンデーコンサート@東京芸術劇場】 指揮:アレクサンドル・ラザレフ ピアノ:小山実稚恵 管弦楽:日フィル [曲目] ・リスト:交響詩「レ・プレリュード」 ・リスト:ピアノ協奏曲第1番 [アンコール] ・リスト:「愛の夢」第3番 ・チャイコフスキー:交響曲第4番 [アンコール] ・チャイコフスキー:「くるみ割人形」より行進曲 この日は山手線が遅れて、到着には難儀した…orz どうも年明けから縁起が悪い…。 取り合えず、「レ・プレリュード」ではスタンダードな中に、各所で少し印象を強めるフレージングを配置。 何より、金管を派手に鳴らしていたのは印象的。 弦楽器、管楽器共に音がもう少し整ってくると、芸術の領域になる。 小山は先月よりも良かったようで好調。 かなり冴えたピアノで、力強いタッチは流石第一人者、と思わせる演奏だった。 曲自体が余り好きではないが、出来は良かったように思う。 チャイ4についてはラッパが入ったファンファーレで、ブレスを整えて音楽の流れを失する部分があった。 フレージングとしては正しいのかも知れないが歪な音楽にするのはどうだろう、と思う。 こうなった原因として考えられるのは、日フィル側がワンブレスでこのフレーズを吹く、という指揮者の要求に応えられなかった、という事だろう。 確かにあの音量、精度でワンブレスというのは厳しいかも知れないが、こうした妥協をしなければならない、というのはかなりオケに問題があるように思う。 その他の部分、楽器でもラザレフの緩急自在、完全に音楽を手中に収めた表現に、以前聴いた読響ほど高い精度で応えられていないのが気になった。 全体としてみれば、かなり良い水準の演奏ではあるが、日フィルと読響の状態の差、というのを感じもした。 【1/17 第607回東京定期@サントリーホール】 指揮:アレクサンドル・ラザレフ ヴァイオリン:漆原朝子 ヴィオラ:今井信子 管弦楽:日フィル [曲目] ・プロコフィエフ:古典交響曲 ・モーツァルト:協奏交響曲 ・プロコフィエフ:交響曲第7番 [アンコール] ・プロコフィエフ:交響曲第7番より第4楽章より[改訂版] プロコフィエフは個人的に然程好きではない面がある。
とはいえ、5,7番などは私にとって魅力を感じる部分もあり、今思えば、もう既に2,6番を除けば彼の交響曲を実演で聴いてしまっている、という事実もある(別に希望した訳でもないのだが…orz)。 今回のシリーズは私の中で、プロコフィエフとの対話とソ連というシステム下における芸術、という側面的な財産も得られる機会になるかも知れない。 では、演奏について。 まず、日フィルがついていききれてない。 偽古典→モーツァルトというプログラミングの秀逸な前半は余り良さを活かせていないように思う。 ただ、ラザレフの的確な振りはバーンスタインが録音を聴き笑い転げた、という古典派の音楽作りを敢えて外した箇所を浮かび上がらせていて、バーンスタインほどの発見は出来ていないにしろ、私にもこの曲の偽古典としての作りの面白さがよく分かった。 今井信子のモーツァルトには流石と唸らされたが、前半はかなり形式に対するジョークも含めたプロコフィエフの良さを弦楽器のアンサンブルの悪さが壊していた面もある。 それから全曲を通じて、管楽器全体が音が荒れているが、特にトランペットは問題。 因みに、この首席奏者は先年のマーラー「悲劇的」などでも酷い演奏をかましていた。 それでも指揮者の力量は大きく、7番は好演の部類に入るだろう。 指揮者自身、演奏中から納得いく部分も多かったようで、ヴィオラへ(エドはるみのように)"グー"サインを出していたり、 ところで、フィナーレの両版を並べて聴くと改訂版の唐突なフィナーレの印象はこの曲をパロディズム溢れる肯定的作品と捉えるか、純音楽(「青春」という標題がない場合も見受けるのだが…)としての要素に重きを置くかで変わる気がする。 プログラムなどでも色々な指摘がされているように、命の危険には至らなかったとはいえ体制からの圧力(離婚その他)を受けていた、という事実と、指揮者や放送側からの指示にかなり簡単に書き換えた、という事実がある。 いずれを採るべきかの検証は置いておくとしても、ソ連、という歴史を考え、その場にもいたラザレフが日本語とはいえ「書かされた」と明言した事も含めると、少なくとも今回の演奏会では、きちんと取り上げるべきは原典版で、その対比としての改訂版、と考えるのが良いのではなかろうか。 次回のラザレフの来日では、プロコフィエフは結構どうでも良い(爆)ので、プロコフィエフとモーツァルトの関連付け、また、どんなラヴェルが聴けるかを楽しみにしたい。 |

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