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さて、つい先だっての土曜。 プロコフィエフを聴いたのですが、それは余りにも濃過ぎな1日の序章にしか過ぎませんでした…orz 何といっても、次にはこの演奏会が控えていたからです…。 1/17@サントリーホール 指揮:小澤征爾 管弦楽:新日フィル [曲目] ・ハイドン:協奏交響曲 ・ブルックナー:交響曲第1番(リンツ稿・ノーヴァク版) ハイドンは中々よく出来ていた。 来月のブリュッヘンに向けて準備は整っていると言えるだろう。 日フィルの古典(偽古典)とは異なり、30年くらい前のスタイルを感じさせるハイドンで、非常に無理が無い。 流れがはっきりとしていて、単純ながら楽器を変えている妙もある旋律の追い掛け回しが、鮮やかに浮き出てきていた演奏で、非常に楽しい曲の仕上がりになっていた。 アンサンブルも水準を充分に超えている好演だった(これは日フィルと同日だったせいもあるかも知れない)。 ソロの妙技は団員から直接選んでいた事も考慮すれば充分だろう。 管楽器はかなり魅せてくれる音だった。 小澤のハイドンは、ラトルなどのピリオド・スタイルとは原理的に異なる部分をよく感じた。 反対に、2月のブリュッヘンへの興味も湧いてくる演奏だ。 ブルックナーは今まで聴いてきた小澤の端整な音楽のイメージとはかなり異なるアプローチ。 チューバがない編成だけに低弦に音が足りないのは痛い。 小澤征爾の指揮では、曲を始める前に一瞬表情を和らげてから振り始める事が多いのだが、今回は1楽章冒頭からかなり引き締まった表情をしており、演奏中は何度も唸り、叩きつけるように音を要求していた指揮姿は今まで私が見てきたとは異なり、非常に印象的だった。 特にガツガツと音を鳴らし、拍を刻んで前進していく両端楽章などは、もっと透過性ある音楽を予想していただけに個人的にかなり意外。 指揮においても、流すような振りではなく、兎に角低声部を刻みつけて出させようとしていた。 マーラー的、などというナンセンスな言い方で括ってしまうのはどうかと思うが、今回の小澤はゴリゴリの巨匠的オールド・スタイルではないが、最近の若手指揮者(ヴェルザー=メストとか)のブルックナーにある流すスタイルとは異なる演奏だったのは確かだし、一部の指揮者が開発しているピリオド・スタイルを持ち込んでアクセントを豊富に付けていくパターンでもない。 そして、決して所謂"ドイツ的"な演奏ではない洗練もなされている。 詳しい人によれば、小澤のブルックナーはカラヤン直伝だそうで、なるほどフレージングは縦線にとどまらず、横線の音楽の流れまでしっかりと配慮されているもので、"厚ぼったい"とは異なる位相での音の厚みが出ている演奏だった、と思う。 それから、トランペット首席のデイヴィッド・ヘルツォークが流石の出来。 管楽器全体も一切倍管なしで挑んでいたのも日フィルとは現在の状態において格が違う、と言えるだろう。 疑問だったのは、終楽章でコラール的な金管の主題で繰り返されたクレッシェンド。 この曲は詳しくないので何とも言えないが、このフレージングにより、かなり音楽を歪にしていた気がして支持は出来ないが、こういう演奏は一般的なのだろうか? まぁ、よう分からんけど、良い公演であったのは確かだ。 しかし、プロコフィエフ、ブルックナー、というのは流石に濃過ぎるなぁ…orz 蛇足ながら一言。 ところで、腹が立ったのは終演後の毎度御馴染みのフライング・ブラボー…。 今回は絶妙なまでに音楽の終わりを破壊するタイミングで入った…orz 小澤征爾も舌をペロッと出して「やられた」という顔をしていた。 はっきり言ってこれは暴力的な行為である。 犯人はファンなのか真っ先にサインを貰っていたらしいが、よくもまぁ、指揮者にあんな顔をさせるようなブラボーをしといてサインなど要求出来るものだ、と神経を疑う。 個人的に思うのだが、サントリーホールのようなクラシックのホールでは電波遮断装置が使えるのだし、そろそろ「拍手やブラボーは演奏終了後一呼吸を置いて」というコンサート・マナーを携帯電話のマナー以上にしっかりと周知、徹底させるべきではなかろうか…。 ところで、この日は西郷どん(俳優:小澤征悦)他小澤ファミリーがコンサートに来場していたようです(笑)。
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