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1 S市の暴力団A組の組員である甲1(27歳)と甲2(24歳)は、喧嘩の強さを買われ、2009年秋頃より組長乙(52歳)の身辺警護役を務めていた。A組はかねてより広域暴力団B組と折り合いが悪く、組員同士が繁華街の路上や飲食店において喧嘩をすることもしばしばであった。2010年5月頃より、B組の活動が活発化し、A組の縄張りの飲食店などにみかじめ料を要求するようになった。A組の若頭丙(43歳)は、B組がA組の縄張りの乗っ取りを図っているものと考え、「これではいつ組長が襲われるかも分からない。」と考え、組長が外出する際には、身辺警護の組員にけん銃を持たせることにした。 2 2011年3月7日の夕刻、組長乙が兄貴分のC組組長Dと料亭「たつ乃」の離れで会食をすることとなり、甲1と甲2が乙の警護をすることになった。丙は、同日午後5時頃、同組事務所において、甲1と甲2に実弾が込められたけん銃を手渡した。丙は、「何かあったらすぐ俺の携帯に連絡を入れろ。万が一の時はこれを使え。」と指示し、甲1と甲2はこれを了承した。同日午後6時50分頃、乙は甲1と甲2を伴って料亭に入り、二人の会食中、甲1と甲2は隣の部屋で待機することとなった。 3 同日午後8時20分頃、B組組員V1、V2、V3、V4、V5の5人が料亭の店員の制止も聞かず、渡り廊下を離れに向かって歩いて来るのに気づいた甲1は、即座にけん銃を取り出して5人に向け、「来るな。止まらんと撃つぞ。」と叫んだ。5人は無言でなおも近づこうとしたことから、甲1は5人に向けけん銃を3発発射してから、甲2に「おい、丙アニキを呼べ。お前もチャカ使え。」と指示した。甲2は、半分うたた寝していたところであったが銃声で目を覚まし、甲1の指示に従って携帯電話で丙に応援を求めた。V1らもけん銃を取り出して応戦した。 4 丙は、組員丁1及び丁2とともに同店付近を警護していたが、銃声を聞くと共に甲2からの連絡を受け、すぐに同店へ駆けつけ、甲1と甲2に加勢して発砲したところ、これに気付いたB組組員らは壁際や物陰に隠れてけん銃で応戦したが、挟み撃ちに合うような格好になったことから形勢不利と考え、負傷者を連れて自動車で逃走した。 5 この銃撃戦の結果、B組組員V1が胸部銃創により後に死亡し、V2が左大腿部貫通銃創などにより加療4ヶ月を要する重傷を負った。死体解剖や銃弾に関する鑑定等の結果、V1の致命傷は甲1又は甲2いずれかのけん銃の銃弾によるものであったこと、また、V2の傷害は丁1又は丁2いずれかのけん銃の銃弾によるものであったことは分かったものの、共にそのいずれであるかは特定できなかった。 甲1・甲2・乙・丙・丁1・丁2の罪責について論じなさい。 考え方は後程 |
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