或る駄目人間のブロ愚…orz

ラトル/ベルリン・フィルのマラ9チケット確保!今年最も期待!!

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ドレスデンな日々(笑)

中々濃厚なドレスデンな日々を過ごしてきました(笑)。
これで残すは本番というべきファビオ・ルイージのリヒャルト2演目のみ!
取り合えずは前半戦総括を以下に載せます(笑)。





11/12@サントリーホール
指揮:ファビオ・ルイージ
ソプラノ:カミッラ・ニールンド
メゾ・ソプラノ:アンケ・ヴォンドゥング
管弦楽団:ドレスデン・シュターツカペレ
[曲目]
・マーラー:交響曲第2番「復活」

11/13@東京文化会館
[ドレスデン国立歌劇場「タンホイザー」]
指揮:ガボール・エトヴェシュ
管弦楽:ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
合唱:ドレスデン国立歌劇場合唱団
演出:ペーター・コンヴィチュニー
タンホイザー:ロバート・ギャンビル
エリーザベト:カミッラ・ニールンド
ヴォルフラム:アラン・タイトス
領主ヘルマン:ハンス=ペーター・ケーニヒ
ヴェーヌス:ガブリエレ・シュナウト


11/14@NHKホール
指揮:ファビオ・ルイージ
管弦楽団:ドレスデン・シュターツカペレ
[曲目]
・ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」序曲
・ワーグナー:歌劇「さまよえるオランダ人」より「客人を迎えてくれ」(バス:クルト・リドル)
・ウェーバー:歌劇「オイリアンテ」序曲
・R.シュトラウス:楽劇「ダナエの愛」より「第3幕第3場へ間奏曲(ユピテルの諦念)」,「第3幕フィナーレ」(バリトン:ハンス=ヨアヒム・ケテルセン)
・ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」より第1幕(ソプラノ:エヴリン・ヘルリツィウス,テノール:ヴォルフガング・シュミット,バス:クルト・リドル)





ファビオ・ルイージは昨年のウィーン響以来。
その時はブラ4だったのだが、独墺の指揮者でも独墺的でもない音楽作りにも関わらず、ウィーン響というオケを用いてブラームスでかなり面白い事をしてくれる、というギャップに魅かれて、楽しみにしていた演奏会だった。

さて、今回の復活は、というと…。
コントラストの異様な強調、これには驚きの一語に尽きる。
が、オケを統率し、葬列と復活、原初と終末、天国的なるものと地獄的なるもの、といった具合に演奏に強烈な指向性を与えて中々今まで見た事のない世界を表出していたのは流石。
合唱も全力ではないだろうが、インバルの時の日本の音大生による合唱とはまるで比較にならない力(笑)。
声楽の扱いには微妙な点もあったのは確かだが、オケの強烈な解釈に中々心躍った復活といって差し支えなかろう。
この指揮者の強烈なコントラストの質感と妙な後口の軽さは未だにもって説明不能な感がある。
ひとつひとつの音自体の重みではなく、畳み掛けるような圧倒的質感、しかし統一化された時の重圧はなく、聴き終えた後のカタルシスは中々だ。
音の立体的な造形感覚に長けているのだろう。
もう少し底はありそうな指揮者の気はするので、次回のSKDのオケ単独の来日(09年4月)には期待大である。

続いてのタンホイザー。
ゼンパーオーパーの噂のコンヴィチュニー演出、中々気に入った。
大きな疑問点の解消に成功していたと思う。
ただ、音楽は正直に言えば序曲やら3幕やらで出来が余り…。
まぁ、けふは抜き気味の演奏だったのだろうが…。
3幕の冒頭など部分を取り出すと東フィルの新国も健闘していたと再認識。
…が、エトヴェシュ自体は中々歌との相性、スピード感ある音がワーグナーを重苦しくはせず悪くはない。
歌唱陣も非常に質が高く、不満だったのは緑の化粧が気持ち悪いヴェーヌスくらいだろうか(笑)。
ヴォルフラムも若干物足りない感が無きにしも非ずだったが、総じて満足出来る歌唱だった。
そして、何より重要な点が演出である。

まず、第1幕の序曲からヴェーヌスベルクにかけて。
すり鉢上の底にタンホイザーと肌を緑色に塗ったヴェーヌス、そして乙女達が戯れている。
そこにタンホイザーに似た人形が取り出され、弄ばれ、首が取れる。
この部分はパルジファルを強く意識したものらしい。
ヴェーヌス達が緑色なのも、本来セイレーン(水の精)だから青くないとそぐわない部分をパルジファルを意識させるために緑色(植物の精)を表現していたそうだ。
実は、私が気になったのはその後の部分。
巡礼者に信仰を呼び戻されたタンホイザーはかつてのヴァルトブルクの仲間達と出会う。
そのシーンでのヴォルフラム、ヘルマンらの衣装である。
髭、帽子に質素で古風な出で立ちは私にはアーミッシュに見えて仕方が無かった。
彼らがどういう存在かといえば、無理矢理一言にするなら、信仰を保持するために文明の外的刺激を避けてコミュニティを築いた人々、とでも言えば良いだろうか。
映画の「刑事ジョン・ブック/目撃者」などを御覧になって頂きたい(笑)。
気になってタンホイザー観劇後に調べてみたら、彼らはドイツ系らしく、喋る言葉も古ドイツ語に近い言語を用いるようだ。
そうすると、「タンホイザー」の脚本自体が内包する、ローマ教会主導の信仰の形式主義に対する反発、というものをアーミッシュという閉鎖的ながらも強制的な信仰とそれと戦う愛と自由を謳うタンホイザー、という形に置き換えたものと見る方法があるのではないだろうか。

そして2幕では、タンホイザーは殿堂へ辿り着くとむしゃぶりつくように(足フェチなのかと思った…)エリーザベトの足を掴み、跪く(…というか倒れこむに近い)。
そしてエリーザベトへの愛を語り、手甲を外す。
コンヴィチュニー自身へのインタビューによると騎士の伝統を表す装備だったらしいので、これを外した彼は自由な愛を語る歌びとであり、戦いの思い出を愛する女性へ預けた、という事になろうか。
ここを見ているヴォルフラムはかなり卑屈に「もう望みは無い…」と人間臭く語り、所謂「高貴な精神の持ち主」としての彼ではなく、生身の存在を強調される。
歌合戦の場面では、タンホイザーはお調子者のように、かなり勝手気ままに振舞い、感情を直接的に表し、そしてヴェーヌス賛美へ。
ここではタンホイザーの幼児性(純粋さ)を表す側面が強かった。
欲求に忠実な姿は騎士道精神などとは無縁で、ヴェーヌスについてさえ「穢れ」を認識していない存在かのように見えた程(実際は認識していたはず…)。
このキャラクター付けは、第3幕に活きていたと思う。

第3幕では、エリーザベトの哀願からヴォルフラムの「夕星の歌」への流れの際、エリーザベトは舞台を去る事が無く、夕星の最中に剣で手首を切ってしまうのだ。
ヴォルフラムはここで、エリーザベトのタンホイザー救済への祈りを聞き、彼女が死ぬ事で許しを請おうとしているならば、その決断を見守る事しか出来ない、と考えている事になる。
死ぬ直前だけ、両者の思いは通じたのか、否か…。
「愛」の存在はエリーザベトとタンホイザーだけでなく、複雑な様相を呈してきている。
そしてエリーザベトの亡骸がヴォルフラムの腕の中にある間に、タンホイザーの「ローマ語り」に入る。
ここで感情を露にし、ヴェーヌスの元へ行くしかない、というタンホイザー。
ヴェーヌスも現れ、タンホイザーを連れて行こうとする中、ヴォルフラムは彼を必死で止め、「エリーザベトが死んだんだぞ!」とその亡骸を彼に見せる。
ここでタンホイザーは再度改心し、エリーザベトの後を追い、首を剣で切る。
ヴェーヌスが愛し合う2人の亡骸を優しく抱え、官能の神ではなく愛の神の側面を表し、群集の合唱が「救済された!」と響く中、ヴォルフラムは1人、階段を登っていく。
その階段は、かつてタンホイザーがローマを目指した道と同じ道であった…。
こうしてヴォルフラムはヴァルトブルクを後にする訳だが、これを「希望」としてコンヴィチュニーは表現したそうだ。
個人的には救済を求めて今度はヴォルフラムの苦難が始まるのだな、という「生」の循環、苦悩(それは歓喜へと繋がり得る)といった部分かと思っていたのだが…。
取り合えず、演出面での最大の成功は、はっきりしなかったエリーザベトとタンホイザーの死と理由を明らかにした事だろう。
それにより生き残ったヴォルフラムとの対照が明確になり、非常に劇的な効果を生んでいたと思う。
出来ればまた見てみたい演出であったことは確かだ。

続いて14日。
指揮は再びファビオ・ルイージ。
これまた凄いプログラムである(笑)。
魔弾とオイリアンテが非常に解釈的にハマっていた。
特にオイリアンテは非常に爽快な演奏。
が、魔弾はどうもオケがついていききれていなかった…。
やはり快速でうねるあの造型は理解し易いとは言えないのだろう…。
実際、歌唱を入れた時に、NHKホールと思えないほどに強烈に響くクルト・リドルの素晴らしい声を、十全に活かしたとは言えず、何より呼吸感が浅くなり、クルト・リドルを必要以上に焦って歌わせていたような気がした。
実際、最初はオケと少しズレていたし…。
ダナエは比較が出来ないので置いておくが、音楽的な浄化作用は大きく、並ではないなぁ、と相変わらずに思わせる演奏だった。
ワルキューレは、ヴォルフガング・シュミット扮するジークムントはいきなり元気一杯で面喰らう(笑)。
弱って他人の家に忍び込むのだから、もう少し弱々しく出て欲しかった…orz
取り合えず、そんな違和感を引きずった、巧いがジークムントという影のある男ではない、という歌唱に…。
しかし、ファビオ・ルイージとの相性は良いのか、非常に順調に音楽が進む。
これはサロメに期待出来そうだ。
ジークリンデは頑張って歌ってはいるが、ジークムント、フンディングからは若干見劣りするか。
フンディングは兎に角良かった。
そして管弦楽はパートバランスが非常に良く、軋轢を生まない音楽を生み出していた。
パワーも圧倒するほどのものは殆んど用いてはいなかったが、全体的な統一感があり、その場で胸を打つ表現や力強さを感じる場面も多い。
それでいて悩ましいほどの重苦しさは無く、無理の無いワーグナー、という構造に不思議な感覚に陥った。

総括してみると、やはりファビオ・ルイージは何処と無く不思議な軽妙さと優れた造形感覚を持ち合わせた実力者だろうと思う。
オペラ指揮者として向いているか否かは判断し辛い…というか向いていないかも知れない。
が、オケをしっかりと捉える技術はかなりのものが推定される。
R.シュトラウスという管弦楽、歌、共に特に発達した様式のオペラで、それらがどう影響するか。
興味深いものである。

閉じる コメント(1)

14日行っていたんですか。僕はFMで聞いていました。ダナエの愛をどう演奏するのかと思っていました。重苦しさを感じさせないのはドレスデンが透明感のある音がだせるせいじゃないかと思うんですよ。サロメの時も思ったんですけど、結構ドレスデンは「にぶい音」(これは否定しているわけじゃないですよ)出しながら、音楽を引きずり回す部分もあったりして、音の中で予想しがたい音楽を出しているためだと思います。

現地でドレスデンのボレロを聴いたことがあるんですけど、聴いたことない音(純粋に音のことです)を出していました。

2007/11/27(火) 午後 7:53 NCC-1701-T


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