或る駄目人間のブロ愚…orz

ラトル/ベルリン・フィルのマラ9チケット確保!今年最も期待!!

音楽

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実は、前回の記事は5000字の字数指定に引っかかって掲載したい注目公演をかなり絞ってました。
なので、今回も盛り沢山でお送りします(笑)。

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【私的超推薦演奏会】

4/29,10/25@第一生命ホール
指揮:井上喜惟
ソプラノ:蔵野蘭子
チェロ:小澤洋介
管弦楽:ジャパンシンフォニア
[曲目]
第12回定期
・ラヴェル:クープランの墓
・ショーソン:海と愛の詩
・フランク:交響曲
第13回定期
・エルガー:Vlc.協奏曲
・ブラームス:交響曲第4番 他

このオケの音は兎に角特別!
これほど厚みのある音色のオケは東京に2つとありません。
フランス系の作品が並ぶ12回と保守の研究から革新へ至る作品が並ぶ13回のどちらも聴き逃せません。

5/23,7/25,9/12,12/12@サントリーホール
指揮:大友直人
管弦楽:東京交響楽団

第29回「プッチーニ&ヴェルディ」〜イタリアオペラの楽しみ〜
第30回「バーンスタイン&ガーシュウィン」〜アメリカ発、ザッツ・エンターテイメント〜
第31回「ブラームス&ドヴォルザーク」〜ロマンの森の香り〜
第32回「エルガー&ブリテン」〜イギリス音楽への誘い〜
http://www.suntory.co.jp/suntoryhall/sponsor/090523.html

私も子供時代にこういうシリーズがあれば、もっと音楽を身近に聴けていたかも(笑)。
現時点での情報では、妥協は無いにも関わらず、子供を含めて退屈させない、音楽を素直に楽しめる選曲です。
ブラームス、ドヴォルザークもシリーズ後半の3回目に配置し、最終回は構成的でありメロディアスなイギリス音楽を選んでいるしクラシックの入り口としてシリーズを通して聴けば、大人も充分満足出来るでせう。
モツ、ベトばかりでなく上記のような音楽も是非親しんでみて欲しいです。

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7/28@アクロス福岡シンフォニーホール
指揮:大野和士
管弦楽:九州交響楽団
[曲目]
・ラヴェル:ラ・ヴァルス
・ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」
・ストラヴィンスキー:交響詩「うぐいすの歌」
・フローラン・シュミット:バレエ音楽「サロメの悲劇」

指揮:大野和士
管弦楽:リヨン歌劇場管弦楽団

[曲目]
11/1,3@オーチャードホール
・マスネ:歌劇「ウェルテル」
11/9@東京オペラシティ
・ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
・ショーソン:交響曲
・サン=サーンス:交響曲第3番「オルガン付き」

これは来年度の目玉です!
大野和士は今後の日本の音楽界の至宝となっていくことでせう。
それだけでなく、彼を聴き続ける事が20年後の世界の音楽界の流れを探る事に繋がるのではないか、とさえ思っています。
サインや写真撮影も売れっ子とは思えない丁寧、親切な対応で、今でも自身でピアノを弾き福祉施設で慰問コンサートを行うヒューマニズムも持ち合わせています。
彼の音楽の真髄であるオペラが中心だけに、とても大切にしたいです。

【カジモト・ワールド・オーケストラ・シリーズ】

俯瞰してみた場合、プログラムがかなり限定的です。
ブラームス、ベートーヴェン、マーラー、ブルックナーと所謂"大曲"を持ってくれば事足りる、と言うのでせうか。
ブラームスのVln.協奏曲が同じシリーズで2回というのも問題です。
海外オケのビータというものは、現地で行っている演目や日本以外でのツアーのプログラムなどの文脈があるものだから、それを無視したような企画もなぁ…と思ってしまいます。
ノット指揮エマール独奏のバンベルク響は、同時期に行われるニューヨーク公演ではバルトークのピアノ協奏曲3つを1夜で…なんて意欲的なプログラムをこなします。
日本はバルトークさえ受容出来ない音楽的素養しかない、と判断されているとしたら哀しいですね。
こういう面から、個々の演奏会には期待もありますがシリーズとしては不満があります。

10/8,9,10@サントリーホール
指揮:アラン・ギルバート
ヴァイオリン:フランク・ペーター・ツィンマーマン
管弦楽:NYフィル
[曲目]
11/9
・ブラームス:Vln.協奏曲
・ベルリオーズ:幻想交響曲
11/10
・マーラー:交響曲第3番

新監督との初来日は来年度のシリーズの最注目公演になる事は疑いの余地が無いです。
発表されていない8日は置いておくとして残りの2日(特にマラ3)は非常に魅力的です。
安券が入手可能なら両方赴きたいです。

10/27,11/2@サントリーホール
指揮:リッカルド・シャイー
ヴァイオリン:アラベラ・美歩・シュタインバッハー
管弦楽:ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管
[曲目]
10/27
・メンデルスゾーン:交響曲第5番「宗教改革」
・ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」
11/2
・モーツァルト:Vln.協奏曲第3番
・マーラー:交響曲第1番「巨人」

前回キャンセルした際のメインをそのままスライド、という点は判断が難しいです。
しかしシャイーはオケ作品ではシューマンを意欲的に取り上げているので、メンデルスゾーンとシューマン、といった組み合わせが音楽史的にも楽団の意義としても適切だと思います。
個人的にはブル4が苦手でも聴くなら27日でせう。

11/10@サントリーホール,11/12@東京オペラシティ
指揮:トゥガン・ソキエフ
ヴァイオリン:諏訪内晶子
管弦楽:トゥールーズ・キャピタル管

プラッソンからソキエフに交代、と初めて知りました。
フランスものの演奏スタイル変更が予想されるので、ソキエフの得意なロシアものでも良いかも知れません。

11/20,23@サントリーホール,11/25@東京文化会館
指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット
管弦楽:チェコ・フィル
[曲目]
11/20
・ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」
・ブラームス:交響曲第1番
11/23
・ブルックナー:交響曲第8番
11/25
・ドヴォルザーク作品

ブロムシュテットのブルックナーは素晴らしいそうです。
8番の良さは未だに理解出来てないですが、避けてもいられないのでこういう機会に聴きたいです。
ドヴォルザークは詳細が分かりませんが、期待出来そうです。

【海外オケ】

4/20,21@サントリーホール
指揮:チョン・ミョンフン
ソプラノ:ナタリー・デセイ
管弦楽:フランス国立放送フィル

このコンビは聴いて損は無いです。
昨年の来日は感嘆するしかない、今まで聴いた中でも最高峰のパリの音楽が流れました。
「マ・メール・ロア」、「ダフクロ」、「ハルサイ」、「幻想」のいずれもが今でも耳に残る名演でした。
噂によればドビュッシーの大曲もあるとの事。
今回も豊かな色彩の音色、そして自発的な調和の妙を堪能させて貰える、と期待出来ます。

4/29,5/1@サントリーホール
指揮:ファビオ・ルイージ
管弦楽:ドレスデン・シュターツカペレ
[曲目]
〜オール・R.シュトラウス・プログラム〜

「英雄の生涯」の原典版、という珍品を始めとしたドレスデンのレパートリーのど真ん中であるR.シュトラウスの作品を新監督の俊英がどのように料理するかが興味深いです。
かなり推進力とエネルギーの横溢した演奏が期待出来ます。

6/3,4,5@サントリーホール
指揮:ウラディーミル・フェドセーエフ
管弦楽:モスクワ放送響

曲目次第ですが、"爆演"が期待出来るのは確かです(笑)。

7/29@サントリーホール
指揮:マイケル・ティルソン・トーマス
管弦楽:PMFオーケストラ

もしアイヴズなんかやってくれたら狂喜ですが…(笑)。
是非、アメリカ作品を組み入れて欲しいものです。

11/1,4@サントリーホール
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
管弦楽:シンシナティ交響楽団

こちらもアメリカものも期待したいですが、随分先で詳細不明なので、ゆっくり検討します。

11/5@東京オペラシティ
指揮:マルク・ミンコフスキ
管弦楽:ルーヴル宮音楽隊
[曲目]
・モーツァルト:セレナード第7番「ハフナー」
・ラモー/ミンコフスキ編:サンフォニー・イマジネール

やはりミンコフスキならモーツァルトに期待したいです。
ハイドンも興味深いので都合次第…ですね…(苦笑)。

【オペラ】

<二期会>
6/6,7@北とぴあ
指揮:高関健
管弦楽:東響

[曲目]
・モンテヴェルディ:歌劇「ウリッセの帰還」

オペラの原点へ目を向けた注目公演。
「聖母マリアの夕べの祈り」、「オルフェオ」に続いてのモンテヴェルディになるでせう。

<ミラノ・スカラ座>
9月
指揮:ダニエレ・ガッティ
管弦楽:ミラノ・スカラ座管
[曲目]
・ヴェルディ:歌劇「ドン・カルロ」

来年度の来日オペラの目玉はやはりスカラ座でせう。
バレンボイムの「アイーダ」に興味は持てませんが、こちらは演目的に貴重で少し迷うので、安券入手出来れば…といった心持ちです。

<新国立劇場>
11/18,21,23,25@新国立劇場
[曲目]
・ベルク:歌劇「ヴォツェック」

これは現代も含めたオペラ・ファンにとって必聴ですね。
新国は「ルル」の過去があるだけに、今回は若杉体制の真価が問われる公演になるか?

<NISSAI OPERA>
11/20,21,22,23@日生劇場
指揮:沼尻竜典
管弦楽:東京シティ・フィル

・R.シュトラウス:歌劇「カプリッチョ」

R.シュトラウス後年の重要なオペラだけに是非聴きたいです。

<新国立劇場>
2/11,14,17,20,23@新国立劇場
・ワーグナー:楽劇「ジークフリート」
3/18,21,24,27,30@新国立劇場
・ワーグナー:楽劇「神々の黄昏」

先の2公演はチケット入手しているだけにやはり全曲1度は!(笑)

【室内楽 他】

5/18,6/10@サントリーホール
ピアノ:クリスチャン・ツィメルマン

プログラム次第ですが、ジャパンアーツのシリーズでは最大の期待を寄せています。
現代モノなども含めた積極的なプログラミングを期待したいです。

6/18@東京オペラシティ
ピアノ:ヴァレリー・アファナシエフ
〜アファナシエフ・リサイタル〜
[曲目]
・ドビュッシー:前奏曲集第1集より「雪の上の足跡」
・プロコフィエフ:「風刺」より「間のびしたアレグロ」
・ショスタコーヴィチ:24の前奏曲より第14曲
・プロコフィエフ:「風刺」より「嵐のように」
・ドビュッシー:前奏曲集第1集より「沈める寺」
・ムソルグスキー:音楽劇「展覧会の絵」

かなり独特なスタイルの奇才の演奏だけでなく、自身で音楽劇として編んだ展覧会を1度観てみたいです。

8/22@東京オペラシティ
指揮:ロベルト・ミンチュク
ソプラノ:中嶋彰子
フルート:斎藤和志
ファゴット:黒木綾子
ピアノ:白石光隆
合唱:新国立劇場合唱団
合唱指揮:三澤洋史
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
[曲目]
・ヴィラ=ロボス:ブラジル風バッハ(全曲)

単純に聴きたい!
夏の最注目公演になるやも知れません。

バリトン:マティアス・ゲルネ
ピアノ:ピエール=ロラン・エマール
[曲目]
・ベルク:4つの歌曲
・シューマン:女の愛と生涯
皆様、お久しぶりですm(_ _)m
私が放っておいた間も御覧になって下さった方々がいらっしゃった事はとても有難く思います。
御期待頂いた方には、ここ最近、裏切ってしまっており申し訳御座いませんでした。
休止していた理由は…と問われると漠とした表現意欲の後退としか言い様のない休止でしたが、今回はやはり生で聴いた感慨が大きいので、この話から載せさせて頂こうと思います。

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クリスマスの装いを整えたサントリーホール前です。

さて、今回の公演の話。
本当の事を言えば、音楽についての私の鑑賞暦など余りにも短い上に浅はかなものであるからして、何らかの文章を書くには話にならないのですが、やはり幼い頃から抱き続けてきた"憧れ"というものは、存在します。
けふは遂に、その"憧れ"を受け継いだ存在を初めて直接耳にする事が出来ました。
これはきっと、私の中で、この先も鑑賞を続けようとした時に、大切なメルクマールとなる演奏会として、刻まれる事でせう。
何といっても、直接的に伝統、歴史ある響きの一端を垣間見ると共に、現代的な表現意欲の進展を耳に出来たのではないか。
僭越ながら、そんな事を考えています。

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11/27@サントリーホール
指揮:サイモン・ラトル
メゾ・ソプラノ:マグダレナ・コジェナー
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー
[曲目]
・ハイドン:交響曲第92番「オックスフォード」
・マーラー:リュッケルトの詩による歌曲
・ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」

このコンビを聴くのは初めてだ。
2012年までのラトルの契約が更新されるか否かは微妙な所である事を考えた場合、録音を聴く分には最近、関係性が変化した成熟を見せている両者を、私自身の耳で一度は捉えたい、と思っていたので、今回はとても大切な機会であった。
では、演奏の話。
先年発売になったハイドンを聴き、高機能モダンオケの力とラトルによる古典派解釈を生で聴く事が出来るとあり、最も楽しみにしていた曲目だ。
ロンドン交響曲直前のこの作品は、旋律が決して多い訳ではなく、モーツァルトのような魅力的な旋律の絡み合いが生む劇的な変化の場面よりも、ハイドンらしい小さいけれども巧妙な仕掛けによる変化の妙味を味わえるもの。
ラトルの解釈はと言えば、1楽章はどうもエンジンが暖まらない感じがあった。
序奏部の密やかな中でベルリン・フィルというスーパー・オーケストラのバランスの良さは際立つが、この楽章はその後が推進力が少し不足している感じ。
だが、2楽章に入ると演奏密度が急に濃くなる。
演奏がコンマスなどの象徴的なポイントへとぐんぐん集束していく様は他のオケとは次元が違うものだった。
短調へ転換してからはちょっと急いていた印象があった。
3楽章では物凄いパウゼにぎょっとさせられるが、繰り返され、変容していく楽節はその度に興奮を帯びる。
4楽章は一気果敢な演奏で流石、という様相。
この辺りに来るとオケが少し暖まってきたな、という印象が出てきた。
バランスの良さから完成品としてのベルリン・フィルの素晴らしさは感じられたが、この辺りは前プロのレベルだったのではないだろうか。
しかし、たとえばトランペットは非常に美しく密度が濃く、そしてレスポンスが素早い音は他に比類がない。
そして、ラトルは細かく指揮する事が無いにも関わらず、物凄い精度のアンサンブルだ。
確かに、ドイツ的音色を期待する方には満足とはいかないだろう。
しかし、オーケストラの能力としてみれば、やはり世界を代表する存在であり続けている事は、間違いない。

続いてコジェナーのソロによるリュッケルト。
ところで、ラトルとコジェナーは結局、結婚しているんだろうか?(笑)
世事に疎いのでよく分からない…orz
今回の演奏は、曲の並びが私の覚えているそれとは違うもの。
ちょっと意外だったが、版によってそういう事もあるようだ。
このアンサンブルは先程までの明快なアーティキュレーションの差異は手段として一部で用いているものの、マーラーである分、印象はガラリと変わる。
こうした変わり身の妙も楽しいだけに、今回の演奏会は、当初一部で言われていた予定通りにストラヴィンスキーの「3楽章の交響曲」であったら更に素晴らしかったのに…。
ところで、コジェナー。
私は安券しか取れないので、声楽を聴く分にはホール内でほぼ最悪の座席位置であるRA後列の奥。
にも関わらず、しっかりとした深みのある美声が届く。
音量と厚みを増したオケを向こうに回してffの部分など随分と良い声が聴こえてきたのだから、正面できちんと聴けたら本当に素晴らしい感動を得られただろう。
いつか聴いてみたいものだ。

続いてベートーヴェン。
配置は前半の対抗配置から更にヴィオラとチェロを入れ替え、1st.→vla.→vlc.→2nd.と変化する。
vla.と1st.が絡む部分の見通しは確かに良くなっている。
繊細な変化だが、見逃せない部分だ。
田園というのはベートーヴェンの中でも最も美しいメロディを持つ交響曲だ。
プログラムを持ち、描写性も高い事から、ロマン派への影響も考えられる重要な作品だ。
ただ、ストラヴィンスキーの「3楽章の交響曲」を抑えてまで、今回演奏する意義があったかどうかはちょっと…。
主催者であるフジテレビのセンスと意図には多少、疑問が残る。
今回のラトルは1楽章頭からじっくりとした作りでとても魅力的だ。
ここでも音が一点へとどんどん凝縮されていくアンサンブルの妙味、それぞれのバランスの鋭さは筆舌に尽くし難い。
2楽章は少し緩い印象があったが、3楽章はじっくりと始まったかと思えば、1歩1歩進む内に音楽もテンポアップしていき、激しい嵐、そして終楽章の開放感ある旋律線へと緊張→弛緩の流れを作り、構造の大きな爽快なカタルシスを生み出す。
特に、終楽章の終盤でのffに至った際の音色の美しさ、その中における相当に高度なバランスの取り方、更に要所すら密には振っていない指揮にも関わらず、自発的なアンサンブルの整合性が取れてしまう物凄い機能。
ベルリン・フィル、という特別なオーケストラの凄さを改めて認識出来たのはやはり充分に満足した。
ラトルについてだが、解釈論の話をすれば、ピリオド奏法を用いていても、研究者肌のアーノンクール(神への奉仕、といった印象か)やノリントン(こちらは学会の"異端"の教授といった感じ)とは違う、オケを裁く事を出発点として現代的洗練を取り入れて表現を行う指揮者、という印象を持った。
今度は、このコンビの中でも、ラトルの持ち味が存分に活きるような、マーラーのシンフォニーやストラヴィンスキー、シェーンベルクなどの20世紀の作曲家の作品を沢山聴いてみたい。

取り合えず、けふは、憧れのオーケストラによる良い演奏を聴けて良かった。
また、是非聴いてみたいなぁ…(笑)。

或る一流オケを聴いて

明治時代の日本人の文章に、当時のあるオケは以前より実力が落ちたと言われる、という評が載っているそうだ。
そう考えると、300年くらい昔に至れば、その"あるオケ"は圧倒的な世界一のオーケストラというべきだったのだろう。
さて、"あるオケ"とは他でもない、ウィーン・フィルである(笑)。
さて、現代における彼らは如何なものか?
因みに、私がこのオケを聴くのは人生で5公演目である。
割と多い方だろうか?

【ウィーン・フィルハーモニー・ウィーク・ジャパン 2008】

9/23@サントリーホール
指揮:リッカルド・ムーティ
管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
[曲目]
・ロッシーニ:歌劇「セミラーミデ」序曲
・ストラヴィンスキー:バレエ「妖精の口づけ」より「ディヴェルティメント」
・チャイコフスキー:交響曲第5番
[アンコール]
・ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「マリアの調べ」

まずはロッシーニ。
挨拶代わりのこの曲は、この日1番のパフォーマンスを期待していたが、意外とあっさり。
完全にオケがギアを入れていない事が明らかな音であった。
ミスを云々するつもりは余り無いが、恒例のホルンのキークスではなく、ソロ部分で指の回らないクラリネット、フルート両首席などは論外だと思う…。
ムーティらしいロッシーニの華やかな節回しや"ロッシーニ・クレッシェンド"を分厚い音で堪能出来たという面をポジティブに評価したい。

続いてストラヴィンスキー。
感想としてまず挙げたいのは、弛緩したストラヴィンスキー、という観念は初めて抱いた(笑)。
新古典主義のリズムとチャイコフスキーを下敷きにしたメロディとがスリリングに混ざり合う曲なのだが、緊張感のあるリズムが殆んど感じられない。
ムーティのオペラティックな表現の影響、という考え方もあるが、客観的に聴けばウィーン・フィルの反応も鈍いとしか言い様が無い。
映画音楽のような印象さえ持ってしまう、今までの私の中のストラヴィンスキー像とは異なる演奏だった事は間違いない。

メインはチャイコフスキー。
実は、この曲にはそれなりに期待していた。
ムーティ自身、チャイコフスキーは全集録音も残すような得意としている演目だし、両者のコンビとしてもザルツブルクで成功を収めた経験が以前にある曲目でもあるからだ。
演奏は冒頭のクラリネットから印象的なテンポ変化と全体に陽性を帯びた明快な節回しが印象深いものに。
1楽章はテンポ変化も非常に細部まで行き届き、生理的に興奮を掻き立てるような解釈と言えるだろう。
オケの音色も明らかに上がってきていた。
力が漲っており、色彩豊かで、濃厚な味わいがあり、サウンドが分厚い。
"♪"ひとつを鳴らすだけで、音価、音色、ピッチいずれもが音楽の魅力を体現しているかのように聴こえる場面があった。
これこそ世界トップクラスの音色である。
しかしアンサンブルについて大きな問題がある。
弦楽器内部でもズレが皆無ではないが、管楽器との時間軸は明らかに違う。
これでは、ただの音だけ良い一流オケ、という感覚になってしまう。
まぁ、ザルツブルクのようなウィーン・フィルにとっての大きな舞台ではない、という影響はデカいと思われる。
端的に言えば舐められている、という事にも思える(笑)。
2楽章は瑕疵としては小さいが、やはりホルンがミスっていた。
また、その前からヴィオラから弦楽器全体へと音が広がる瞬間、ズレが生じる。
加えて、トロンボーンが中盤の見せ場であるファンファーレで異様に音が小さくトランペットとバランスが取れず、しかも、楽章最後の音で入るファースト・ヴァイオリンがコンマスであるキュッヒルが待ち切れず、喰って入るという愚が…。
3楽章でもファゴットがソロを誤魔化したり、他の楽器も完璧、というほどではない部分が目立つ。
そして、問題は4楽章であった…。
彼らの中のアンサンブルはパート単位でしか成立しておらず、とてもではないが音楽が有機的には聴こえてこない、という演奏だった。
特に、自分達が出来ないから、といって他のパートまで引き摺り下ろそうとするかのような強引なテンポでの演奏は、致命的としか言い様が無い。
トランペットの刻み(あそこは確かに素人には難しいがウィーン・フィルまでああなるとは…orz)などで自己主張をしながら全体のテンポを乱していた。
因みに、アンコールのヨーゼフ・シュトラウスもアンサンブルがイマイチで最高点は付け辛い。

確かに音色の発色も良いし、考えられない豊かな響きがホールを満たしていたのだが、アンサンブルが決まらない限り、"世界最高"のオーケストラとはおこがましいだろう。
比較するなら、チケット代は半額だが、ケント・ナガノとモントリオール響のコンサートの方が素晴らしかったという気がする。
ウィーン・フィルは音が良い世界の一流オケ、という気のする演奏だった。

まぁ、要するに、ウィーン・フィルの本気になった演奏が聴いてみたいものだ、という結論である(笑)。
ウィーン・フィル信仰というべき狂信的なほど肩入れしているファンをよく見掛けるが、実質を耳を澄まして聴けば、必ずしも全て"最高"とするには物足りない、と思う。
但し、サウンドの特色はやはり強く、それが1つの意志の元に集まった時の力を考えれば世界最高峰という言葉も間違っていないだろう。
だが、この演奏を無条件で肯定出来るほど、私は人が良くない(笑)。
来年はメータだそうだが、マーラーでも本気で演奏するのでなければ興味はそんなに起きないかもしれない。
そういう意味で、充分なサンプリング体験になった事は間違いない。

また、今から考えれば、唯一ウィーン・フィルの公演で満足した2006年の11/8に聴いたアーノンクールのベト7は奇跡的な名演だった、という事だろう。
あの演奏、海賊盤で良いからCD化されないかなぁ…(笑)。

大野和士も書きたいのですが、後程…。
取り合えず、新鮮な印象の名演について少々。

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【9/15 東京二期会公演】
・チャイコフスキー:歌劇「エフゲニー・オネーギン」
指揮:アレクサンドル・アニシモフ
合唱:二期会合唱団
管弦楽:東京交響楽団
演出:ペーター・コンヴィチュニー
エフゲニー・オネーギン:与那城敬
タチアーナ:大隅智佳子
オルガ:橘今日子
レンスキー:大槻孝志
ラーリナ:日野妙果
フィリピエーヴナ:加納里美
グレーミン公爵:斉木健詞
隊長/ザレツキー:北川辰彦
トリケ:上原正敏

今回のコンヴィチュニーの演出の鮮やかさには舌を巻いた。
1995年に初演されたというこのプロダクションは、先鋭に過ぎる最近の演出とも一線を画した気品すら感じるもの。
30日もの稽古を演出家が直接指導し、指揮者も演出家の推薦、というまさにコンヴィチュニーのための公演だけあって、その充実ぶりは予想を超えるものだった。
心理劇、サスペンスへと昇華させたオネーギンは、今まで私が聴いてきた「エフゲニー・オネーギン」とは異質の舞台芸術であったのは確かだ。

開演前、既に緞帳は上がっている。
淡く鈍い光を放つ鏡面のような板で床、壁の全てが覆われている。
舞台上には掃除人やオープン・カフェでくつろぐ人々などが各々蠢いている。
そこに現れた酔漢が、瓶の酒を口に含み、突如奇声を発して倒れる。
コンヴィチュニーお得意の異化効果を企図した仕掛けだ。
観客席を巻込んで広がる困惑と及び腰の僅かな拍手、という如何にも"日本人らしい"反応が面白い(笑)。
1幕はタチアーナ、オルガ姉妹が舞台に背を向け奥に、ラーリナ、フィリピエーヴナの2人が正面を向きながら手前に、という配置。
寄り添う手前の2人と微妙な距離と背を向けたまま、分かつ線を持つ奥の2人の対比がオペラ全体を暗示する。
また、この場面や2幕1場までの全体的に、虚実の入り混じるこの舞台の中で、非常に"実"の部分を中心とした描き方になっていたように感じられる。
心象風景を描く前の性格描写の色合いが濃いか。
そのキャラクターは意外と単純。
タチアーナは孤独な読書少女、オルガは活動的な少女、レンスキーは恋に夢中な青年、オネーギンは激情も持つプレイボーイ…といった具合。
掛け合い部分の演技は優秀で必然性が高く、一部を除けばとても満足の出来る描写となっている。
見せ場の1つである寝室の場面では、フィリピエーヴナの対応が現代人にも届く演技であり納得出来たし、オネーギンが落としていった紙切れ(これは最後に至るまで度々登場するモチーフとなっている)手紙を書くタチアーナ、といった部分は読みの確かさを感じさせる。
また、1幕最後の退廃的に酒に酔い、女を侍らしたオネーギンの痛烈な振り様も印象的だが、ただ衝撃的なだけにとどまらず、プレイボーイとして数多の女性を連れ回すオネーギンも、その手酷さから取り巻きの女達にも段々愛想を尽かされていく。
これにより、続けて演奏される2幕1場では、命名の祝宴を自ら壁を作り、孤独へと閉じ篭るオネーギンと熱に浮かされたような恋を悔やんで閉じ篭るタチアーナの性格設定に繋がり、それを周囲は放っとかず揶揄する、という社会の縮図への置き換えが活きるように思う。
また、ここでは周囲に囃し立てられ、茫然自失のタチアーナがオネーギンと踊っている場面が挟まっていた。
これは後の"死の舞踏"へ繋がる肉体と魂の乖離の伏線であろう。
ここから決闘までの道のりは割とストレートだ。
しかし、1幕で出てきたユーカリの木とハープの装置はオネーギンの交わらぬ魂を静かなメッセージとして刻んでいるのが光る。
ハープに掛けられたコートの意味はこの後に重くのしかかる。

幕間、冒頭に掲げた写真のように、幕は開いたまま、セットもそのままで奥では降雪。
人物は掃除をしたり、何事か話しながら動き回ったり、開演前と同じ様相。
そして、同じく酔漢が奇声を発して開演。
ここで前半とは打って変わって大拍手な点も日本人らしい反応で、異化効果による舞台の解体、聴衆を巻込んだ表現活動、というコンヴィチュニーの上演の意図の1つは達成されたものと言えるのではなかろうか。
個人的に興味深いシーンだった…ってオペラとはほぼ関係ないが(笑)。
この2幕1場からは前半の客観的な性格描写からより主観的な心理描写へと趣を異にする舞台へと転換。
レンスキーが迷いを独白する場面においては(現実には表れるはずのない)オルガが舞台を横切り、奥へと通り抜けていく。
示唆されるのは追憶、走馬灯であろう。
このまま、舞台は群衆が、理解し合い、決闘を避けようとする2人を追い込んでいく緊迫した恐怖を描く。
東独出身で、ブレヒトに親しみ、共産主義の面もあるコンヴィチュニーにとってみれば、間違いなく己の体験を反映させた思想的な抑圧、大勢といったものへの疑念が描かれている名シーンだ。
結局、レンスキーが死ぬシーンでは、"誰も"引鉄を引く事はないにも関わらず、"誰か"により、間違いなくレンスキーは殺される。
これを個人を大衆や体制が抑圧する恐怖と捉えるか、或いは民主主義への疑問と取るか、はたまた失われた国への追憶、と取るか。
楽しみ方は色々だが、オネーギンの心理的側面をよく捉えたこのオペラのハイライトの1つだろう。
また、この瞬間、オネーギンの手に委ねられていたのは紙に見えた。
これがタチアーナの手紙だとしたら、また面白いのだが、確認は出来なかった…。
さて、死体が置かれたまま、最も有名でこの舞台のクライマックスである3幕のポロネーズへと突入。
群衆はレンスキーの死体へコートを投げかけていき、退場する。
さながらショーは終わった、とばかりに。
余りの恐怖と哀しみに取り残されたオネーギンは呆然となり、友人の死の現実を受け入れられず、慄く。
煙草を吸い、詩人レンスキーのものと思われるノートを繰り、現実を思い知らされていく。
彼はようやく立ち上がり、降り積もったコートから友人を救い出すと、喪失の哀しみを死体との踊りにより表現する…。
コンヴィチュニーの手法としては、「タンホイザー」のヴォルフラムの"夕星の歌"においてエリーザベトを慈しみ、自殺(=浄化)を知りながら行かせてしまう、という姿と重なる部分があるが、今回は直接、死体と踊っている、という衝撃から見るとより鮮烈にも思える。
今まで私が見てきたオペラの中でも屈指の名シーンと言えそうだ。
ようやく友の死を受け入れざるをえなくなったオネーギンは、ハープに立て掛けたコートを手に取り、歩き去っていく。
失われた思い出の象徴であるハープが最も活きた場面であった。

3幕はタチアーナ、グルーミンは2階バルコニーに登場。
異化効果を如何なく発揮、なんて駄洒落を飛ばしてみるべきか?(爆)
ここでは、グルーミンの歌が彼の取巻きを含めた周囲の下らない存在を否定するのがポイント。
オネーギンにとってみれば、自分と同じ考えを持つ者を発見し慰められると同時に、自分の手に入らなかったものを見せ付けられる痛烈な皮肉が表現されている。
ところで、この場面では上階で聴いていた私にはかなりPA臭い音が入り混じった響きに聴こえたのが残念。
グルーミン自体が巧かっただけに、歌は生でも会場中にかなり響いたのではなかろうか。
そして、オネーギンとタチアーナの手紙をめぐる心理劇が展開。
タチアーナが手紙を千切っていくと同時に、捨て切れない思い出の追憶が明らかとなり、後ろには表れるはずのないオルガやレンスキーなどのキャストが居並ぶ(勿論、カーテンコールも兼ねてはいるが…)。
そのまま、高潮していく音楽で一気に幕を閉じ、喝采に。
確かに喝采に値する出来の舞台と言えるだろう。

ところで、音楽について。
アニシモフの指揮はロシア語が堪能でない歌手のためになのか、忍耐の音楽の中で如何に表現するのか、という部分がポイントとなっていた。
東響のオケの表現力は予想よりは高く、健闘してはいたが、チェロの余りのピッチの悪さには辟易。
寝室のシーンなど本当にプロか?と突っ込みたくなるほどだった…。
他にも、アニシモフがギアを入れ替えた瞬間に指揮者と距離を詰めて反応していけるパートとそうでないパートが分離する場面も幾度も見え、我慢が必要な部分は多かったように思う。
音色の発音は良く、メロディ・メーカーであるチャイコフスキーの良さも沢山感じたが、たとえば新国のピットを分ける東フィルが本気で臨めばもうワンランク上の演奏を望めそうだったり、意外とオペラの適性を見せ、アニシモフとも共演予定の都響であれば更に…と考えると不満もあった事は否めない。
が、練りこんだだけあって、音楽も演出の表現の指向性によく合わせた演奏と言えるだろう。
歌唱陣ではタチアーナが素晴らしかった。
傑出したパワーとダイナミックな表現力で、手紙の場面を一気に歌い上げた事は素晴らしい。
他の歌手も総じて健闘していたし、今回の演劇的表現にも力点を置いたこの演出において、特に劣って美観を損なっていた訳でない限りは、余り云々しても仕方ないと思う。
ただ、ロシア語、フランス語、双方の発音はやや微妙だったのではないだろうか。
二期会にとってチャレンジングな企画ではあったが、日本人にとってこの辺りは難しい所だろう。
とは言ってもやはり、公演全体の満足度は高い。

ところで、コンヴィチュニー演出の舞台を生で鑑賞するのは「タンホイザー」、「アイーダ」に続いて3作目。
ヴォルフラム、アムネリス、といった傑出したキャラクター付けをされた役に核となる見せ場を用意し、加えて細かくも鮮やかで鋭い読みを思わせる種々の演出でオペラ全体を肉付けしていく、といった手法が多いように思う。
今回は、私の予想ではレンスキーが鍵となるのではないかと思ったが、オネーギンこそ真の力点であった。
ところで、上記作品はどれも割とコンヴィチュニーのキャリアの始めに近い作品ばかり見ているためかも知れないが、非常にバランスの良い刺激と工夫に溢れた舞台が聴く者にオペラを骨董品としてではない新鮮な価値を見せている。
これからも注目していきたい演出家である。

最後に…。
カーテンコールに登場したコンヴィチュニーは、女性合唱団員を手を繋いで無理矢理前に引っ張り出したり、女性歌手を両手に抱えて悦に入っていたり、やりたい放題のエロ親父っぷりが目立った(笑)。
まぁ、程々にして下さいな…(笑)。
続いてもサイトウキネン。
非常に吃驚するほど幸運な事に、この希少チケットは何と、完全な頂きもの。
御本人は余ったから、と仰っていましたが、ここまでして頂いて、本当に有難う御座いますm(_ _)m

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【9/6 オーケストラ・コンサート Bプログラム】
指揮:小澤征爾
管弦楽:サイトウ・キネン・オーケストラ
[曲目]
・モーツァルト:交響曲第32番
・武満徹:ヴィジョンズ
・マーラー:交響曲第1番「巨人」

本来はメインのマーラーは、「巨人」という表題は削除されて久しい。
そうして全曲を純音楽として考えてみた場合、単一楽章形式とも3楽章構成とも取れるモーツァルト、楽器の移ろい行く色彩で捉えた武満、そして交響曲の新境地を開いたマーラー。
いずれもクラシックが基調としてきた音楽構成とは一味違う、室内楽的にフラグメントで聴かせていく多彩な展開が魅力のプログラム、というべき印象だろうか。

モーツァルトは今回、「小澤征爾」という指揮者へのイメージがガラリと転換した演奏だった。
一時はモーツァルトは振れない、とまで言われていた指揮者とは思えない自由闊達な明るいフレージングが光る充実した演奏だった。
トランペットなどで多少のミスは感じたが、御愛嬌と言うべき領域だ。
全体としてはフレーズの柔軟な繋がりと展開、室内的な凝縮から解放へと向かう音楽の展開。
そして効果的なちょっとしたアクセントの使い方。
いずれもモーツァルトとして間違いなく一流の響きである。
若い頃のベームかケルテスか、と言っても良いくらい、当世ならマッケラスやムーティ、ミンコフスキなどのような少数の"モーツァルト振り"の1人に列せられてもおかしくない演奏であっただろう。

武満は寡聞にして録音も全く耳にした事が無い作品。
バス・トランペットやコントラアルト・クラリネット(コントラバスじゃなかったらしい…)などの珍しい楽器も多数登場する演奏。
音色の色彩感を出したい曲だったのは明らかだが、武満の中でも逸品といえる他の曲に比べて長じているとは思えない作品か。
また、全盛期のシカゴ響に向けた作品として考えると違和感のあるものなのかなぁ、とも思った。
しかし、SKOはとてもバランスが良く、透明感と何処か密やかな芸術性の発露が落ち着いた境地へ至らせた。
モーツァルトで盛り上げた観衆の興奮を癒す演奏であった。

そして、メインのマーラー。
純音楽としての機能、そしてマーラーの圧倒的なカタルシスを実感として堪能した演奏だった。
冒頭は不安定さが多少あり、些細なミスはあったものの、全体として腰の据わった音楽。
そのどっしりとした落ち着きの源は明らかにテンポ変動が極端に少ない事に起因していた。
慣習的な獏とした"唄心"により処理していた部分を、文献主義というべきか、非常に真面目な解釈に基づいた小澤の音楽は、クラシック、という世界の中で異邦人として、打ち出してきた歴史を感じさせるものだった。
そして更に、ダイナミクスの部分においても、敢えてフレーズの表裏の出し入れを綿密に行い、室内楽が幾つも連なって描き出すマーラーの巨大な音楽世界を表出させていたのも興味深い。
演奏者としては"呼吸"であげてしまいたい部分を拙速として切捨て、もっと深い落ち着きへと連結させた音楽は、ライブならではの瑞々しさも伴って私の感覚に強く訴えかけてきた。
あれほど根を詰めて作り上げられたマーラーを息苦しさではなく、充実した響きに転換して伝えられたこの演奏は、私の中ではエポック・メイキングなものであった。
今まで、実演で言えばインバル/フィルハーモニア管のような演奏に忘れられない感銘を受けたり、録音で聴くテンシュテット/シカゴ響にそれまでにない衝動を得たりしてきた私だが、それらとは全く方向性の違う、それでいて明らかに素晴らしいマーラーが聴けたのが喩えようも無く嬉しい。
今までの小澤体験の中で、間違いなく最良が塗り替えられた日だったろう。

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厚かましくも、サインまで頂いてしまいました(笑)。
また来年、氏による名演奏が繰り広げられる事を願って…。

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