或る駄目人間のブロ愚…orz

ラトル/ベルリン・フィルのマラ9チケット確保!今年最も期待!!

音楽

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今年も逝って参りました〜。

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それにしても、重荷である私を2度も車に乗せて頂いたり、貧乏人である私の松本飲み&観光に付き合って頂いたり、蕎麦を喰べさせて貰ったり、希少なチケットまで頂いてしまったり、カーオーディオでマーラー「巨人」のコーダをぶった切ってもらったり(笑)、兎に角、色々と楽しませて頂きました。
今回の松本行でお会いした皆様、誠に有難う御座いましたm(_ _)m

まずは、珍しく殊勝に御礼をお伝えしてから、本題の演奏へと入りたいと思います(笑)。



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【8/31 オペラ公演】

指揮:小澤征爾
管弦楽:サイトウ・キネン・オーケストラ

・ヤナーチェク:歌劇「利口な女狐の物語」

女狐:イザベル・ベイラクダリアン
森番:クィン・ケルシー
森番の妻:ジュディス・クリスティン
校長:デニス・ピーターソン
神父:ケヴィン・ランガン
行商人:デール・トラヴィス
雄狐:ローレン・カーナウ
宿屋の主人:松原友
宿屋の女房:増田弥生
犬ラパーク:マリー・レノーマン
雄鶏:黒木真弓
きつつき:牧野真由美


このオペラには、童話、民話風の物語に着想を得た自然、循環、無常の哲学だけでなく、実はチェコ(…というかモラヴィアというべきか?)という列強に抑圧されてきた歴史を持つ国家としての民族主義が関わっている。
オペラを聴く直前に知ったことなので、私の中での理解はそれほど深いものではなかったが、そうした面を直接提示された演出であり、また、小澤のアプローチの透明性から、視野の狭いイデオロギー的なものではなく、弱者として世界中へ普遍と繋がる姿へと昇華させて伝わった点に魅力があったと思う。

音楽的な話をすると、小澤はこの曲の演奏が初めてという事もあり、昨年の「スペードの女王」や今年の「エフゲニー・オネーギン」に比べれば自家薬籠中の物、という雰囲気は薄いか。
テンポも3日目のこの日の演奏は前2日に比べてグッと落としたものになっていた、と歌手サイドから聞こえてきた。
ともかく、この日の小澤のアプローチは誠に端整、丁寧で、p部分のバランスと美しさは特に素晴らしい。
まず序奏の鬱蒼とした森の雰囲気ある和声の連なりへと弦楽器はスピード感のあるフレージングで切り込んでいく。
冒頭30秒でこの演奏の力を実感する。
歌手達へも配慮のある指揮ぶりで、強引な流れは一切感じられない。
しかし、若干ffについてはまだワンランク上の音が、終結部での金管を始め、オケに引き出しがあったのは明らかに見えていたので、もっと大胆な対比を作ってダイナミクスも満足させてくれたら…というのは多少望み過ぎだろうか。
今回の音楽が、チェコ人を余り使っていない事も含めて、洗練された透明性を基調とした音作りであったのはよく分かったが、加えて振幅の大きなダイナミクスも望んでみたかった。
まぁ、贅沢者だな、私は(笑)。

歌手陣は総じてレベルが高い。
特に良かったのは、パワーは若干不足があったかも知れないが、中々の美声を披露してくれた森番クィン・ケルシー。

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どうやら昔アメフト選手だったらしい彼は、気さくにサインに応じてくれ、とても好感。
次回は英語のオペラで是非お会いしたい(笑)。

着ぐるみだったため(笑)、ステージ上ではその端麗な容姿が封印されていたのが犬のラパークを務めたマリー・レノーマン

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某○かしさんが"You are pretty, beautiful"と連呼なさっていたため、私にも御機嫌にサイン&撮影に応じてくれたのを見て、男としての器量の差を感じた(笑)。
自転車で颯爽とホテルへと去っていったのも印象深い、子役キャストにも人気の女性であった。

最初にも少し書いたが、演出は非常に音楽との親和性が高く、そして普遍化されたものを感じるものだった。
季節感、循環を描く事は移動式の舞台の広がり、転換、そして装置の細部(酒場の液晶の天気予報など)にまで投影された情景描写で描き出す場面は、自然と人間の距離の近さ、同時に相容れない遠さの両方が見える。
自然との共存は言葉ほど生易しい問題ではないが、何処で折り合いをつけるかはオペラ内でも投げ掛けられているように思えてしまった。
そして3幕、ビストロウシカの死の場面。
ハラシタと森番は縄張りで争い、とうとう銃を突き付ける程の激しい対立に至る。
ここは冗談のように仕立てる演出の方法論もあるように思うが、切実な強者と弱者の問題として映す事により、更なる弱者、しかし屈服しない強者としてのビストロウシカが鮮やかに浮き出る演出だった。
いつでも、どこでも、抑圧される個人達は卑小でささやかながらも声をあげ続け、政府や外国の圧力にひとりが敗れたとしても、循環し続け、営みの繋がりが絶える事は無い。
そんなヨーロッパらしい個人に根ざした思想が垣間見えた演出で、音楽もそれを包むに相応しい、透明で力強いものだった。

来年はオペラではなく合唱付大規模オーケストラの作品だが、20世紀を代表するレクイエムと言えるブリテン「戦争レクイエム」である!
もしウォルトン「ベルシャザール王の饗宴」だったら一も二も無くチケット争奪戦に参加しただろうが(笑)、これも充分楽しみである。
聴きに逝けたら良いなぁ…。

東響な週末

今週は果てしなく東響な週末でした。
1度目の終演からと2度目の演奏会の開演まで僅か18時間。
ソワレー&マチネーで同じような団員を2度見掛けるのは何だか不思議なものです(笑)。

【7/12 東京芸術劇場シリーズ 第97回〜大友直人プロデュース〜】

指揮:大友直人
管弦楽:東京交響楽団
ピアノ:フセイン・セルメット
[曲目]
・エルガー:行進曲「威風堂々」第4番
・モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番
[アンコール]
・ブラームス:6つの小品より第2番「間奏曲」

・コープランド:組曲「アパラチアの春」
・ガーシュウィン:パリのアメリカ人

【7/13 川崎名曲全集 第39回】

指揮:小泉和裕
管弦楽:東京交響楽団
トランペット:フランシスコ・フローレス
[曲目]
・ワーグナー:歌劇「リエンツィ」序曲
・ハイドン:トランペット協奏曲
・ジョリヴェ:トランペット、ピアノ、弦楽のためのコンチェルティーノ
・ドヴォルザーク:交響曲第8番



はっきり言って、これはどちらも収穫のあった演奏会だった。
まず1つは東響のスダーンによる「ピリオド演奏」志向が根付いていることがはっきりと証明された事である。
驚いた事に、ガーシュウィンの曲でも、そうした指向性が感じられ、時に敢えてヴィヴラートを選択しない和音の重なりにハッとさせられる部分のある演奏が聴けた。
また、芸劇のプログラムはともすると、"シンフォニック・ジャズ"や"映画音楽へ影響を与えたクラシック"といった表現に関わってくる枠を不必要に逸脱していきかねない要素があったにも関わらず、大友直人の棒が、非常にシンフォニックな部分を志向していたため、また、その抑制された奏法の音色が寄与し、非常に"クラシック"としてのコープランド、ガーシュウィンの良さを感じさせた。
また、もう1つの、つまりミューザの方の収穫では、何といってもフランシスコ・フローレス!
ハイドンではE♭管(多分…)、ジョリヴェではC管、と2種類のラッパで、非常に明快で極めて抜けの良い音色によるソロを響かせてくれたのは鮮烈だ。
例えば、ハイドンだけでも、私は生演奏で少なくとも5〜6人のソロを聴き比べているが、最上位に近い位置に一気に駆け上がった演奏だった。
秋にもキタエンコのチャイコフスキーやスダーンによるロザムンデ全曲など注目のプログラムがあるだけに、機会を合わせて聴きに逝きたいものである。

それでは、まずは芸劇の方から。
今年度の4回の演奏会のプログラム全て通して、威風堂々の完成曲を全曲演奏する、というのが繋がりとして存在している。
イギリス音楽を得意としている大友らしい選曲であり、1番(それと4番か?)以外は中々聴く機会がないだけに、こういうテーマは率直に言って嬉しい。
大友直人は出てくる響きからはリズム線を強調するような指揮はしない。
が、きちんと拍を刻みながら振ってくれるので、堅実な指揮で奏者としても動き易いだろう。
何というか、言葉は悪いが使い勝手の良い指揮者だと思う。
結果、演奏も少し品良くまとめ過ぎたきらいはあるが、非常に質の安定した演奏が供されていて、エルガーの形式の良さを改めて感じられる演奏であった。
フセイン・セルメットはトルコ出身とのこと。
トルコ出身でモーツァルトで東響と言えば、先年に逃して後悔したファジル・サイを思い出すが(笑)、毛色は大分違う演奏だ。
弱音の発音がややはっきりしない気もしたが、カデンツァや強奏部分も無理が無く、バランスの良い音はしていた。
ただ、ピアノのリズム感がイマイチな部分もあり、絶妙とは言えない。
また、オケが折角かなりサポートに徹してくれていたのだから、もっとピアノが前面に出て行く演奏にして欲しかった。
アンコールのブラームスの方が余程自由で、ある意味、ジャズのような表現まで醸し出していたのだから、全く駄目という事はないだけに惜しい。
コープランドは少し驚いた。
弦楽器の伸ばしなど、箇所箇所で挟まれるノン・ヴィヴラート(に近い)音色が、全体にクラシックとしての統一感を醸成していたのは間違いない。
コラール的な主要主題も好調のTrp.首席のマルティらによって、婚礼の祝祭が敬虔な様相で響いてきたと言える。
静寂から始まり静寂に帰す、というのはクワイエット・シティなどこの作曲家の代表曲に意外とあるように思うが、それが非常にシンフォニックに響いたのは意義深い。
ガーシュウィンでも、馬鹿騒ぎに堕する事がなく、非常に譜割りに忠実な演奏を展開する部分が多かった。
因みに、ドラムセットは持ち込まず、タムタムやサスペンデッド・シンバルでパワフルで重量級のパーカッションだったのも特徴だ。
また、意外とグリッサンドがピリオド奏法にマッチしていて、これにも感慨を抱いた。
対照的に、ソロの遊び所も巧く取り入れており、マルティによるブルースは、ワンブレスで楽ではないフレーズにも関わらず、見事にジャジーに崩し、これぞ!という妙技を展開。
終始ソロではノリの良い金管の音色が牽引し、全体の軸として機能していた。
ただ、サイレンの音量差が悪く、余りマッチしていなかった気がするのが惜しい(笑)。

続いてミューザ。
こちらは、はっきり言ってベネズエラ出身で注目株と言うフランシスコ・フローレスのためだけに逝ったのだが、まぁ、予想は裏切られることがなかった(笑)。
申し訳ないが、小泉和裕の指揮に余り感動的な部分は少ない。
都響という日本でも随一のオケを任せるには力不足な気もする。
何処か特徴があればまだ良いのだが、良い意味でも悪い意味でも余り"聴かせる"要素がない。
リエンツィでのダイナミクス・レンジは小さく、ドヴォ8では主題が回帰してくるコーダ部分だけテンポが落ちて執拗だったり、と余り
リエンツィ、ドヴォ8共に、良く言えば標準的、悪く言えば平凡としか言いようのない演奏だった。
しかし、独奏は素晴らしかった!
リップスラーによる跳躍やトリルの部分で、ミスが決して散見されないわけではなかったが、非常に抜けが良くて張りのある音色、大胆に決めていくタンギングなどが印象的で非常に明朗活発な演奏だった。
ハイドンでは、最高音のHigh-D♭を見事に決める。
この音が生できちんと決まったのは殆んど聴いたことがない。
ナカリャコフだってハズしていた(笑)。
ただ、惜しむらくはD♭を鳴らすためにかなり強いアタックでHigh-Cの時に入ってしまっていたために、少し流れた音になってしまったことだろう。
全体のアクセントのつけ方は古典的な奏法ではなかったが、音の区切りがはっきりしていてベーシックな技術の高さが窺えたため、ハイドンのコンチェルトとして齟齬をきたさない演奏になっていた。
カデンツァ部分などは見事だ。
ところで、けふのカデンツァの譜面は何版というのだろう?
取り合えず、彼の白眉は次のジョリヴェにあった。
ジョリヴェのコンチェルティーノはコンセルヴァトワールの試験用に書かれた曲で、色々なトランペットの技術を試す要素も濃いが、それらを難なくこなし、3つのミュートもそれぞれの音色を引き出していた。
特に中間部で木製のミュートで唄う部分のしなやかさなどはとても目立つ。
更に、こちらのハイトーンもHigh-Dが用意され、最後に雪崩れ込むのだが、素晴らしい音量、余裕たっぷりの伸びのある音色で、感嘆せざるを得ない演奏だった。
今度は、同じ奏者で是非、超難曲であるジョリヴェの2番を聴きたい!

ロシアンパフォーマー

ロシアから爆演男が今年もやってきました!(笑)

【6/5 読響定期演奏会@サントリーホール】
指揮:アレクサンドル・ラザレフ
管弦楽:読響
[曲目]
〜オール・チャイコフスキー・プログラム〜
・幻想曲「テンペスト」
・幻想序曲「ロメオとジュリエット」
・交響曲第4番

【6/14 みなとみらいホリデー名曲コンサート@横浜みなとみらいホール】
指揮:アレクサンドル・ラザレフ
ピアノ:フレデリック・フランソワ・ギイ
管弦楽:読響
[曲目]
・ラフマニノフ:幻想曲「岩」
・ラフマニノフ:パガニーニ狂詩曲
・レスピーギ:交響詩「ローマの祭」

日フィルの首席指揮者への就任が決まっているラザレフ。
ボリショイ劇場で長くバレエ、オペラを演奏していたため、聴衆に拍手を求めたり、振り返ったり、投げキッスを連発したり、とパフォーマンス満載の指揮者である。
しかも、実力も折紙つきで、読響とのチャイコフスキーのシンフォニー、昨年の日フィルとのショスタコ5、「アレクサンドル・ネフスキー」のいずれもで感嘆させられた記憶は鮮明だ。
で、今回はロシアもの以外(しかもレスピーギ!)を聴けるとあってより楽しみな演奏会だった。

まず、チャイコフスキー・プログラムの日。
「テンペスト」という余り聴く機会のない曲とロメジュリ、といういずれも割と初期に該当する作品と離婚(…というより結婚生活)のショック(笑)を円熟の書法で書き上げた4番と組合わせたのは興味深い。
チャイコフスキーの余り成功していない作品の多くはどうしても拡散的な書法になってしまい、交響曲と言う枠組みがない分、イマイチ訴えかけるものも多くない。
そんな時期による印象の違いを確認出来、しかも劇場的な表現が詰まっているラザレフの指揮で音楽としても楽しめたのは有意義だった。
4番は読響とのツィクルスの集大成とも言える演奏だろう。
躁鬱の権化とも思えるようなグルグルと回る冒頭の主題からして凄い音圧。
読響、というか国内オケ…というより下手な海外オケでもこれほどの音はそうそう聴けないものである。
5,6などと同じように、予想を超えて一気に緩急の差をつける大胆な譜面解釈は健在。
相変わらずこの人のチャイコは予想を超えて凄い。
このチャイコフスキーのシンフォニーの一連の録音は是非全集化して値下げして販売して欲しい(笑)。
因みに、まだラザレフ体験をしていない人は騙されたと思って5番を聴いてみて下さい。

続いては横浜。
幻想曲「岩」というのは全く未知の状態のまま聴きに逝ってしまっていたが、まぁ、何ともこれも若書きの散漫な印象が強い。
旋律線を中心に描き出されると、ラザレフの技は味わえるものの、オケの旨みは少し薄いかも知れない。
パガニーニ・ラプソディはオケは日本の端整さ、ロシア的爆演解釈、フランス的ピアニズム、と多様な価値観の混在する演奏。
素晴らしいとまではいかないが、時折、独奏者の個性、指揮者の個性がそれぞれ発露されていた。
それにしてもフランス人ピアニストというのは面白い。
形式、様式以上にアイデアから自由な飛翔が見られる気がする。
ラザレフの濃い伴奏との相性は必ずしもベストとは言えないが、後半への期待が膨らむ演奏。
続いてレスピーギ。
祭はまさに「祭」であった(笑)。
まず、「ローマの祭」という曲は、完全にレスピーギ自身の揺るぎない個性によって書かれた傑作である。
ローマ3部作の中でもそれまでの2作とはまるでレベルが違う描写性を持ち、リムスキー・コルサコフの影響に囚われず、絢爛過ぎてオーケストラという形式すら超えた大きな編成で圧倒的な音響を作り出した作品だ。
古代ローマ帝国の殉教者、中世の巡礼、ルネサンスの祭とセレナーデ、20世紀(作曲当時)の騒がしい祭の様子、と鮮やかな書き分けがなされている作品だ。
当時のムッソリーニ政権のファシズム思想との関連から国策的と揶揄される場合が無きにしも非ずだ。
しかし、チルチェンセスからして通俗な民衆と崇高な殉教の対比であり、作曲当時の祭りに至っては完全に爛熟した世相を抽出しており、決して体制へおもねった要素ばかりとは思えない。
本質はむしろ古典回帰から逆に体制への皮肉の面もあるのではないだろうか。
…と長々と曲について書いてしまったが演奏について。
まず、チルチェンセス。
まるでショスタコーヴィチの激しい楽想のように、力一杯、快速テンポで金管のファンファーレが突っ込んでいく。
音楽は暴君と言われるネロ帝の時代の狂乱のサーカスがホール一杯に広がる。
ここではバンダも3階客席に陣取り、素晴らしい音響が展開された。
対照的に、50年祭では純度の高い巡礼の行進が非常に美しく浄化されていく。
最後の到着の鐘まで、卓越した流れの元に旋律線を美しく描くラザレフらしい節回しが光った。
10月祭では、音の大きくないマンドリンという楽器にオケ全てを奉仕させるという荒業を展開(笑)。
pppと言えるような音楽から濃厚な節回しで段々と高まっていく夜の機運の表現がやはり巧い。
主顕祭はもう、ラザレフの集大成!
しかし、それは強烈な祭ではあるが、決して混沌ではなく美しい音楽展開だ。
ホール一杯に、これほど日本のオケの通常公演で音が鳴り響くか、と感心した所で、最後の音に合わせて「どうだ!」と振り返るラザレフ。
これはもう、ブラヴォーとしか言いようがない(笑)。

それにしても、2日通じて思った事はやはりラザレフは凄い!!
これほどの音楽が出来るとなると決して舞台裏も楽ではないだろうが、信頼関係さえ結び、リハを重ねれば約束されたかのような熱狂の名演が待っている。
日フィルは来年年初からのチャンスを最大限に活かして、私達聴衆をワクワクとさせて欲しいものだ。

梅雨の抵抗

さて、一応上半期も終わりと言うことで、書き残したものは出来るだけ書いておきたいと思っている次第でして、突然、随分昔の演奏会記事がupされることもあるかと思いますが、笑って御赦免頂ければ幸甚にて候…m(_ _)m

6/14@すみだトリフォニーホール
指揮:クリスティアン・アルミンク
管弦楽:新日本フィル
ピアノ:館野泉
[曲目]
・ツィンマーマン:1楽章の交響曲
・ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲
[アンコール]
・シュールホフ:「左手のための組曲」より第2曲「アリア」

・ヒンデミット:交響曲「画家マティス」

この日は、アルミンクのタクトが冴えていた。
まずツィンマーマン。
これは交通整理役のみに徹する訳ではなく、表現の範疇に入るしなやかさを持った演奏。
金管の響きを効果的に使って全体の印象を引き締めていくような演奏を予想していたのだが、もっと柔らかく現代音楽の表現主義の先鋭性以上に普遍美の世界にツィンマーマンを落とし込む、という見事な手法に驚かされる。
アルミンクが重点的に現代作品を取り上げ続けた意義はこの辺りに結実した、と言えるだろう。
また、新日フィルとのコンビの年月もこの成功には大きく寄与しているのは明らか。
これからも注目したいコンビだ。

ラヴェルは一転して、ちょっと問題だった。
何がいけないか、と言えば、ピアノが弾けていないことに尽きる。
ピアノが追いつけないためにテンポの作り自体が落とさざるを得ないようにしか聴こえないし、アレグロ部分も他で聴いたこともないくらいタルい。
ラヴェルの左手と言えば、ト長調以上の圧倒的な迫力でグイグイと推進していかねばならない曲だし、そもそも私にとってはラヴェルの中でも最高傑作と信じてやまない、片手とは思えない卓越した技巧も魂というべき精神も込められた見事な作品だ。
特に、"左手のピアニスト"として、この曲の演奏をしていくならば、多少のミスなど吹き飛ばす音圧か完璧に近いタッチから透き通った音色を引き出すかのどちらかは必須だと思う。
館野泉のラヴェルの左手は既に3度(2005年沼尻/日フィル,2006年ゲリンガス/東フィル,今回)聴いたが、1度たりともミスが気にならない程度に収まった事はない。
新たに作曲された曲や既に書かれた左手の曲を集めたソロ・リサイタルの演奏(特にスクリャービンが良かった)との落差を思うと残念でならない。
"左手のピアニスト"と言われるのが嫌で、リハビリ中は一時「ラヴェルなんか絶対弾くものか」、とひねくれていた、というエピソードを何某かのインタビューで読んだが、それを言うならまずラヴェルを弾けてからにして欲しい。
1度、私にも"左手のピアニスト"の意地を見せて頂きたいものだ。

まぁ、突然厳しい事を言ってしまったが、次はヒンデミット。
こちらは5/23にシュナイト&神奈フィルと聴いたばかりで色々な点をついつい比較してしまった(笑)。
結論から言えば、完成度はやはり新日フィルにかなり軍配が上がる。
オペラから組み直した作品であるため、交響曲的要素よりやはりオペラ的な表現力は重視すべきだろうが、本来、オペラを多数やってきたアルミンクにとってはやはりお手の物。
素晴らしい叙情的表現力と場面毎の一貫性があり、とても見通しの良い音楽。
退廃芸術という名称は、完全に芸術的な根拠はないので言う必要はないが、それにしてもこの音楽の明晰で爽快な点は素晴らしい。
非常に清浄な音楽は日の伸びたこの季節によく似合うものだろう。
それにしても、アルミンクのオペラ表現は柔らかで綺麗だ。
彼は今年は「薔薇の騎士」を新日でやるようだが、たとえば「エレクトラ」のようなものをどう処理してくれるのか、とちょっと意地悪な興味もわいてくる(笑)。
それにしても今回は、ラヴェルを除けば「抵抗」と銘打った今シーズンの中でも出色の出来ではないだろうか。
ラヴェルは己との葛藤の側面が強いがやはり戦争という大きな力との葛藤でもあるし、シュールホフも含めて体制、力との葛藤作品を取り上げ、これほど美しく昇華させた点はアルミンクに今後も期待だ。

上半期も終わりになり、今年の秋以降のコンサート情報も本格的に発表されてきました。
チケット発売もたけなわになってきて、聴きたいコンサートを選ぶ楽しみがある今の時期は、チケットが取れないと忸怩たる思いですが、ある意味とても楽しい季節でもあり、散財が恐ろしい季節でもあります(笑)。

さて、今年はいくつ逝けるでせうか?

ウィーン・フィルは先週、発売直後に即完売し、ベルリン・フィルは来月に控えています。
10月のサロネンとロス・フィルは何とかチケットを抑えましたし、11月のテミルカーノフ&サンクトペテルブルクのお馴染みコンビ、まぁ、某○in氏の強烈なゴリ押しに乗せられて12月のゲルギエフ&ロンドン響もあります。
オペラも例年通り華やかで、10月のウィーン国立歌劇場(まぁ、これは諦めてますが…)、その前にソフィア国立歌劇場の「トゥーランドット」や国内では日生劇場の「魔笛」、「マクロプロス事件」、藤原歌劇団の「ラ・ボエーム」、といった具合に聴きに逝きたい、という公演が沢山あります。
室内楽では、イアン・ボストリッジの公演(2プログラム聴きたいです)を筆頭に、フランク・ブラレイやアンスネスのソロ、生誕100年アニバーサリーだけに児玉桃&カプソン兄弟らという豪華な「世の終わりのための4重奏曲」やロジェ・ムラロの「幼子イエスに注ぐ20の眼差し」、といった具合。
国内のオケでも東フィルのチョン&ツィメルマンによるルトワフスキ&マラ4とかN響のトリスタン第2幕やデュトワとかキタエンコ&東響のチャイ5とか夏の名残の時期には大野和士&都響のR.シュトラウス、と注目公演が目白押しです。

…果たして、本当にこんなに逝けるのでせうか?(苦笑)

↓そんな中でも、この人の来日には他以上に注目しています。



この映像は10年以上前、まだ20代の頃のファジル・サイです。
演奏中の表情は相変わらずキモい(笑)ですが、やはり良い演奏をしています。
今となっては数少ないコンポーザー・ピアニストでもあり、バッハ、モーツァルトといった古典を鮮やかに蘇らせる手腕とジャズを合わせた奏法によるアレンジ作品のトルコ行進曲、パガニーニの主題による変奏曲などはワクワクする響きを持っています。
更に、彼のオリジナル作品としては、↓が最も有名です。



荒涼とした大地のみしか信じられるものは無い、と嘆く19世紀のトルコの詩を元にしたというこの作品は、「ブラック・アース」という名前の曲です。
序盤、低音のコードをペダルで伸ばしながら、ピアノの弦の部分に直接手を挿しいれて押さえ、ハンマーのくぐもった打撃のみを抽出した不思議な響きでエキゾチックな味わいを醸し出しています。
くぐもった、しかし何処か鋭角な打撃に始まり、華やかにジャズ風に広がった音楽は再び寂しげな打撃へと回帰して曲は幕を閉じます。
直接聴くと、澄んでいながら重量感のある彼のタッチによって、光彩陸離たるピアノの響きが発せられる作品です。

その彼が、一昨年、昨年に続いて今年の冬、また来日してくれます。
11月からリサイタルを開始するようですが、本番は12月!
ファジル・サイ東京フェスティバル、と銘打った公演が開始されるようです。
公式HPからなので、具体的な事は全然よく分からないのですが…(笑)。

・11月
21日 リサイタル(調布)
29日 リサイタル(筑波)

・12月
4日 リサイタル(東京)
5日 ジャズ・リサイタル(東京)
7日 パトリシア・コパチンスカヤ(vln.)とのデュオ・リサイタル(東京)
8日 ジャズinブルー・ノート(東京)
9日 パトリシア・コパチンスカヤ(vln.)とのデュオ・リサイタル(水戸)

関東では、少なくともこの7公演は一般も聴けそうです。
ジャズ公演が含まれているのが嬉しい限りで、1度は聴いておきたい。
ヴァイオリンのコパチンスカヤは中々エキセントリックなプロコフィエフを聴かせてくれたヴァイオリニストで、ある意味、動きのキワモノ同士のデュオ、という事で期待出来そうです。
更にもう1つ、凄い注目公演があります。

・12月
2日 大阪フィルとの共演(大阪)

ファジル・サイのコンチェルト!
今まで、何度も来日をしてくれいますが、日本で協奏曲のソリストを務めたのは2004年の東響とのモーツァルト1度のみ。
それも絶賛ばかりを残して録音も流通していません…。
ですから、これが本当ならかなり注目情報です!!
曲目にもよりますが(個人的にはモーツァルトかオリジナルが良いです。仮にレパートリーにあるならラヴェルやガーシュインも聴きたい!)、もしかしたら無理矢理暇を作って逝ってしまうかも知れません…(爆)。
そういや、12/1にラトル&BPOが岡山でやりますね。
何とかチケット入手して、そこから大阪へ梯子、なんていう…(以下自粛)…。

まぁ、そんな阿呆なスケジュールはまさに駄目人間の面目躍如になってしまうのですが、どないなりますことやら…(苦笑)。

取り合えず、ファジル・サイのレパートリーの中でも、私が最も好きな曲を紹介します。
「サマータイム」という哀しみを背負った曲に、サイ自身のアレンジを加味したこの演奏は不思議な情緒と透明感があり、とても美しく心弾む作品です↓



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