或る駄目人間のブロ愚…orz

ラトル/ベルリン・フィルのマラ9チケット確保!今年最も期待!!

音楽

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ナクソス違い(笑)

最も最近、私の買ったNAXOSは↓
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2652146

米マリーン・バンドの演奏によるアイヴズの曲集の録音です。
カントリー・バンド・マーチなんかはリズムの絡みを解析すると中々なもの。
非常に内容の濃いアルバムです。

…とまぁ、毎度ながら阿呆な枕で入りましたが、ちょっと違うナクソスの話(笑)。



【6/28 二期会公演@東京文化会館】
・歌劇「ナクソス島のアリアドネ」

指揮:ラルフ・ヴァイケルト
演出:鵜山仁
執事長:田辺とおる
音楽教師:加賀清孝
作曲家:谷口睦美
バッカス:高橋淳
士官:羽山晃生
舞踏教師:大野光彦
かつら師:大久保光哉
召使:馬場眞二
ツェルビネッタ:幸田浩子
アリアドネ:佐々木典子
ハルレキン:青戸知
スカラムッチョ:加茂下稔
トゥルファルディン:志村文彦
ブリゲッラ:中原正彦
ナヤーデ:木下周子
ドゥリヤーデ:増田弥生
エコー:羽山弘子

このオペラはやはり面白い。
リヒャルト・シュトラウスとホフマンスタールの組合せの中でも、特に台本が成功している作品ではなかろうか。
良い演出の元で見れば、オペラについての「堅苦しい」イメージや退屈がなく聴ける、オペラの入門編としても素晴らしいものだと思う。
今年だけで2回も見られたのは幸運だったが、今回は前回よりも音楽的な満足感が強い。
演出がイマイチだったのは前回と共通なのだが…(苦笑)。

まず、音楽的な話をすると、アリアドネはサロメやエレクトラとは大きく違い、圧倒的な大きな管弦楽など不要である。
アンサンブルの精度と音色のバランス感覚、感情の機微を捉えた表現が要求される作品であり、レヴァインのような化け物(笑)を除けば、このオペラはそれなりに指揮者を選び、試される作品ともいえると思う。
だから、意外と録音はそれほど多くない。
その面でいくと、序奏の最初から非常にバランス感覚を感じる指揮で滑り出したヴァイケルトは好感。
2重奏で入っていく第2主題(違ったっけ?)への転換もソフトで、響き自体も中々澄んでいて見通しが良い。
その後、歌を導く場面でもよく歌手陣に自然な形で奉仕してキューを与えていた気配があり、東響でも看板奏者がいない編成にも関わらず、余裕を感じさせる演奏。
不満を言えば、これだけ出来るのだから、もっとオケを前面に出してくれれば…とも思ったが、歌手が多少貧弱な部分もあるだけに致し方なかったのかもしれない。
カプリッチョやアラベラなど他のリヒャルト作品もこの指揮者で聴いてみたいものだ。
ところで歌手陣。
作曲家は素晴らしい。
このソプラノは初めて聴いたが、文句無く歌手陣のNo.1だった。
非常にしっかりと張れる歌唱で、音程的には少し苦しい部分もあったが、発声が非常に良い。
作曲家として求めるものに多く応えてくれた歌唱だろう。
ただ、他の歌手にはもう少し望みたい人が多い。
まずはバッカス。
この日最も駄目だったキャストだ。
高音が当たり辛いようなのに無理しているのが明らか。
そして、ただ音を当てて声量を増すだけではリヒャルトの歌が歌える訳は無い。
バックのオケのソフトな流れに委ねられるくらいの余裕が欲しかった。
続いてアリアドネもイマイチ。
オペラの最初の方では不安定さを露呈していて、少し心配になる。
そして、こちらも高音は絞り出し気味で余裕は無い。
演技への意識も高くなく、もっとffまでの幅が欲しい。
執事長も流れを塞き止めてしまうような所が残念。
禿頭の見た目とゆったりとした言い回しが嫌味な雰囲気はあったが、どうも次の音楽へ繋がらないもどかしさが残る。
そして、ツェルビネッタ。
ちょっと彼女に注目してこの日の公演にしたのだが、期待ほどではなかった、というのが正直な所。
踊り子としてのツェツビネッタを強調するならもう少し動いて欲しいようにも思うし、歌手としての側面としては、ダイナミクスを無理に付けたり、高音がギリギリになっていたり、と役を十全にこなしていた、とは言えない部分がある。
大過はないので問題は無いが、演出もかなりツェルビネッタに注力していたので、彼女がもう少し中心を張ってくれれば、より面白い舞台になった気がする。
ミュージカル版の日本語による「キャンディード」の録音なんかでも思った事だが、容姿も活かして幅広く歌うのはとても良いのだが、歌唱的にもう一歩突き抜けるか、動きや演技も出来ると(最近は演技の比重の高いオペラ演出も結構見られるので)良いソプラノになれると思うのだが…。
まぁ、期待のし過ぎと言われればそうかも知れない。
他は、舞踏教師が音楽教師など目じゃないくらい良い、という不思議(笑)があったり、ツェルビネッタ軍団の取り巻き連中やニンフ連中だけだと歌がそれなりだったり、と色々はあるが、まぁ、どうしても駄目、などと言うレベルではない。
いや、音楽教師は駄目だったかなぁ…。

演出については、長くを語りたくないが、コミカルなのは悪くは無いが、女装(しかもメイド…orz)、猫のコスプレ、など安直な発想なのは残念。
舞台装置についてもオペラ部分で書割的な表現のナクソス島、青系の暗い舞台、光の射す客席近くの舞台、と3箇所に区切ってあって、アリアドネの暗→明への心情表現に使ったり、ツェルビネッタのムードを出したり、と狙いは分かるのだが、それが必ずしも活用出来ていたとは思えない。
チープな割に、波間から現れるバッカスがクレーンに乗っていたり(関係ないがこの部分だけ音がおかしかった気がする。マイクか何かでも使っていたかも?)、プロローグの時点で小さな波のセットがあって、それを皆で眺めている、とか、効果があるとは思えないベンチ、座席の設置やプロローグのキャストの再登場など疑問があった演出だった。
まぁ、無事に聴けて良かった良かった。

Baby Wagner Opera

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私は相変わらず駄目人間のままですが、土曜日に新宿で会った後輩は何と、公認会計士になり、大手監査法人に名を連ねているそう。
素直に「凄いね〜、御目出度う!」と祝った後、「すっかり大人の女性になったね…」と褒めていたら、いつものサンダル、無精髭、黒の柄シャツと如何にもチンピラ風な格好の私を見てこう仰いました。

「…先輩は相変わらずですね〜(嘲笑)」



……………

…………………………

すいません…m(_ _)m

毎度ながら軽蔑の視線をたっぷり浴び、2時間ほどの間に見下されきった私…orz
ゲーテの世より駄目男は聖なる女性に救われるのしかないのですが、私の前にいつマルガレーテが現れてくれるのか…なんて情けない事だけは言いませんが…(苦笑)。

…取り合えず、今度奢って下さい、と御願いしたのはここだけの話…(爆)。





6/13@サントリーホール
指揮:ダン・エッティンガー
ピアノ:小川典子
テノール:成田勝美
管弦楽:東京フィル
合唱:新国立劇場合唱団
[曲目]
・ワーグナー:歌劇「タンホイザー」序曲
・シューベルト/リスト:さすらい人幻想曲
[アンコール]
・リスト:ラ・カンパネッラ

・リスト:ファウスト交響曲

さて、けふはファウストを中心に簡単な曲解説も含めた感想を。
無理矢理暇を作って参加したゲネプロ見学&アナリーゼのお陰でこうした知ったかぶりが出来るというのは有難いなぁ…(笑)。

しかしタンホイザーは中々。
フルトヴェングラーのような流れ(アゴーギクと言うべきか)を感じる演奏をしている。
確信犯的な強烈な磁場を感じる演奏で、やはりオペラ指揮者である事を意識させた。

さすらい人は…。
ピアノはキレもなく、オケも無理矢理作ったような流れにイマイチ乗り切れず巧くいかない。
更に、「マエストロがどうしてもと仰るので…」と言い訳めいた口上の後のリストもやはりミスが目立つ。
まぁ、これは仕方ないか…。
来年頭にやるガーシュウィンはこうではない演奏を期待する。

メインのファウスト。
この曲の特徴は、ファウスト物語を描くのではなく、あくまで各キャラクターの性格描写に特化した作品である、という理解は重要だと思う。
上にプログラムから抜粋した譜例を4つ載せているのだが、第1楽章ファウスト冒頭は最も上にあるように12音全てを用いる分散和音。
全ての音律を用いて表現し、世界の全てへのファウスト博士の欲求や完全なる世界(という幻想)と言えば良いだろうか。
1楽章においては主要主題が提示後も頻繁に姿を現す。
次に上げたのは1楽章の主要主題。
この主題はまさにファウスト自身を現すもので、数多の展開を見せ、若々しく流麗にメジャーへと転調したり、グレートヒェンへ語りかける2楽章では柔らかなアプローチも見せる。
全曲を通して、まさにメフィストフェレスに翻弄され、知性とは裏腹な即物的な変容を繰返し地獄へ落ちかける、という性格的要素はまさにファウスト。
続いて3つ目の譜例は、東フィルのプログラムによれば『ドレンテ主題』。
1楽章から既に登場するが、ファウストの中での感情的要素、特に愛に関わる本質部分であろう。
ファウストの行動的、外面的な要素である主要主題と好対照をなす主題であり、これもまた頻繁に出てくる。
グレートヒェンにも登場する事から一方的な愛情というよりは、双方向的な要素が強いか。
そのグレートヒェンの主題は第2楽章に登場。
全音を網羅するファウストとは対照的な、限定的で単純な音階要素にのっとった甘い旋律。
これにはドレド、とかミファミレミ、といった音階の中で巡回する音を使用し、より恋愛的性格を持っている主題になっている。
ここに若々しいファウストとの絡み合いや激しいマイナーへの転調による断罪、罰、死、といった暗転する運命の暗示もなされる。
3楽章のメフィストフェレスでは、新しい主題要素の提示はないものの、シ-ファ、といった不安定な和声を使い悪魔的要素を見出し、第1楽章の主要主題を哄笑するかのような茶化した変奏がなされていく所が非常に巧みだ。
幻想交響曲の第5楽章「ワルプルギスの夜の夢」と近似な表現方法。
因みに、この曲では幻想とは対照的に、嘲笑われるのはファウストだけで、グレートヒェンはクライマックスには終結部に向かう、救いの使者として完全な形で現れる。
終結部はマーラー8番の恍惚の博士と同じ歌詞。
テノールによる「永遠に女性的なもの」=救いの使者グレートヒェンをクライマックスとしたハ長調の音楽。
こうして見ると、動機表現の重みがよく分かる。
エッティンガーいわく"Baby Wagner Opera"だそうで…。
彼は19歳の時、始めてこの曲に接したらしいが「ホルモンの分泌も活発な時期だけに、訳も分からず心惹かれ、その時から是非やってみたい曲だっただけに初めて演奏出来て嬉しい」というように熱く思いを語っていた(笑)。
ホルモン分泌は置いておくにしろ、確かにワーグナー的要素を有した劇的な大曲である。
まぁ、取り合えず上の譜例を覚えておけば、多分、この曲を理解し易いと思う。

さて、この日の演奏だが、p→ff、ゆっくり→早く、といった原則に従い、大きな流れを演出する演奏。
1楽章は抑制された序奏が、主要主題の提示から一気に怒涛の流れに。
快速だがせせこましさはそれ程なくグングンと進む。
音楽は伸びやかだが情報量が多く、密度が濃い。
ゲネプロでニュアンス付けに気を使っていた部分の硬軟の変化も大きく、非常に楽しい。
叙情的な部分では、対照的な音をなす。
こちらの唄の要素の部分の表現は中々に柔らかで美しく、バリトン歌手の唄心というべき表現だろう。
2楽章のグレートヒェンもやや軽快過ぎるきらいはあるが、メロディラインと共に軟らかな表現が印象的。
それから、ここでのシンバルが非常に効果的。
全曲に渡って、非常に音楽との親和性が高く、影のヒーローの1人だろう。
彼は惜しみなくブラヴォーを叫びたい。
3楽章は再び音楽を急転直下で加速。
疾走するメフィストフェレスの哄笑に翻弄され、運命を見失い、地獄へと誘われそうになる様を激しく抉り出す。
ニュアンスはゲネプロで手が回りきらなかったせいか、予想ほどしっかりとしたものではないため、もう少し深めることは充分可能ではないか、と考えてしまう。
ただ、スピードと広がりのある音はこの曲の多彩なアイロニーをかなりの水準で描き分けていたと思う。
終結部の合唱でもう少し止揚させてくれても良かったかも知れないし、テノールが声が若干裏切った点、また、合唱の内声的なピッチがイマイチ冴えなかったのは残念。
しかし、非常に充実したファウスト交響曲を堪能出来、久々に凄く楽しい演奏会だった。

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美女2人と野獣(笑)

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今春、最後の大きな来日公演です。
初日は誰あろう廃Jinが来場したせいで雨が降りました…orz
しかし、彼のいない今宵は雨は降らず。
やはり日頃の行いが物を言うようです(笑)。



指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
管弦楽:フランクフルト放送響
ピアノ:エレーヌ・グリモー
ソプラノ:森麻季

【6/3@サントリーホール】
・ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
[アンコール]
・ベートーヴェン:ピアノソナタ第30番

・ブルックナー:交響曲第7番
[アンコール]
・ステンハンマル:カンタータ「歌」より間奏曲

【6/4@サントリーホール】
・R.シュトラウス:4つの最後の歌
・マーラー:交響曲第9番



さて、禿げと美女2人、という対比で見せようという意図らしいキャスティング(笑)。
因みに、グリモーは良いなぁ。
座席が2日ともソロに近かったのだが、個人的にはグリモーに圧倒的に軍配を上げる(笑)。
音楽的にも、やはりグリモーの方がかなり上手だった。

弾く前からして脱力がしっかりと行われており、華奢な体からとは思えない音色がする。
ただ、この日はオケに合わせたか、若干華やかさを抑え気味にし、くすませたようなピアノの音色で進む。
ミケランジェリのような鋭さ、華やかさではないし、バックハウスのような雄大さ、スピード感ではないが、非常に端整で、既にじっくりとしたテンポで創っていく練度が感じられた。
特に2楽章はフレーズ処理が非常に見事で澄んだ表現力があった。
3楽章は一転してかなりのテンポで突っ込んでいき、途中、多少前のめりな部分はあったがテクニックに裏打ちされたピアノは破綻がない。
この楽章では終盤のロンド主題が回帰する独奏部でかなり乾いたティンパニを重ね、緊張感と舞踏のリズムを生み出していたのはピリオド奏法を用いる指揮者ならではのアイデアか。
ただ、ヤルヴィとグリモーの方向性は異なり、齟齬をきたしていると言わざるを得ず、総体としてみると多少、減点部分が多いか。
それぞれ、違うソリスト、オケで聴き直してみたい所。
因みに、アンコールのベトはブラヴォー!
見事な哲学のあるベートーヴェン演奏だった。

森麻季は余りコメントしたくないが、平板で退屈な歌唱でしかも声が届かない…orz
容貌的にもグリモーの方が好みだなぁ…ってそれは関係ないか(笑)。
ただ、オケは意外とおどろおどろしい雰囲気への演出がなされていて、この楽団の適応能力の広さが窺える。
ただ、歌唱があれだと褒める気にはならない、というのが正直な感想。

ブルックナーはほぼ全ての主題の処理が同じ。
基本、ゆっくりから段々とテンポを細かく上げ、次の主題との間に来ると音楽全体をすぼめて次へタッチ、という印象。
ついでに、コーダは兎に角拡大路線で、音量、テンポともに厳しいものがある…。
これらから、どうしても単調な印象を受ける…。
それから、痛かったのは、金管の問題。
どうも、ワーグナー・チューバの音色は冴えないし、首席トランペットの3楽章頭のシグナルはピッチがズレまくってるし…。
特に2nd.とのユニゾンの際のピッチが酷く、あれには2nd.も馬鹿正直に吹くなよ…と言いたくなるほどだった。
それから、7番の2楽章はブルックナーの中でも最も耽美と叙情を讃えた曲で、彼の作品の中でも珍しく私も惹かれる曲だが、この楽章でも一様な主題処理とワーグナー・チューバが物足りなくて、結局、葬送としても絶対音楽としても美感が足りない印象が物足りない。
それまではやや引き延ばし気味だった全曲だが、4楽章はリズムを作り、一気果敢にフィナーレへなだれ込む。
ニュアンス豊かでアクセントなどで音楽を躍動させる形は悪くないが、どうも、ブルックナーに必要な流れを逸していた演奏に思う。

マーラーについては、アグレッシブなフレージングの妙が今度は冴え渡っていた。
同じメロディを1度目はアクセントで切り込み、2度目にクレッシェンドをかけながらレガートで膨らむ、といった処理の妙で飽きさせず、テンポ変化も頻繁に作るが、それが主題の動きを損なうものではなく滑らかなため、巨大音響を理知的なサイズに落とし込むバトン・テクニックが冴えていた。
リズムもかなり意識され、フレーズの停滞感は無きに等しく、隅々まで横溢した音が満たす。
特に3楽章の躍動性、そして天国のモティーフへと続く流れは見事。
この日の首席トランペットもブレスやスラーの間で細々としたミスはあったが、マーラーを表現するに足る見事な音色だった。
但し、全体的にパートは粒が揃っていて、インバルを思い起こさせる明晰ささえ感じなくはなかったが、どうも指揮の下に一元化して音が集まってきているイメージはなかった。
また、勢いで消化する部分も散見され、昨年のベートーヴェンのようなスコアリーディングの深みは感じられなかった気がする。
取り合えず、もう少し、練習してから持ってきてくれれば、ベストといえるような演奏になったかもしれない。
今度は是非、7番あたりを持ってきてみて欲しいところだが…。



それにしても、来シーズンから、ヤルヴィは押しも押されもせぬパリ管のシェフである!
はっきり言ってエッシェンバッハに音楽性を感じなかった私としては、嬉しい限りの交代ではあるが、あれほど特殊な音色を持つオケにヤルヴィのピリオドを基調としたアクセントを付けて短いフレージングは歓迎されるのだろうか…!?
どちらにしろ、シェフ&パリ管は出来るだけ早く聴いてみたいものだ。

小澤のモツ

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※決してモツ煮などの話ではありません…(笑)。

小澤はウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任挨拶の際、こう言ったそうです。

「私はモーツァルトを振るために来た」

実際、小澤はそのキャリアから比すると異常なほど、モーツァルトの演奏が少ないです。
詳しくは調べていませんが、録音もかなり少ないハズです。
更に、過去にはモーツァルトで大失敗をした事がある、とも聞きます。
しかし、その彼が、最近は積極的にモーツァルトを取り上げています。
水戸室内管とは継続的に取り上げていますし、数年前から日本でもウィーンの来日公演などでオペラを振っています。
何らかの変化、新たな境地と言えるものは実際はどうなのでせうか?
そんな風に、試しに小澤のモツを聴いてみようという邪な目的から、大枚はたいて新日フィルの特別演奏会に逝ってきました(笑)。

【5/16 小澤×新日本フィル 特別演奏会@サントリーホール】
指揮:小澤征爾
オーボエ:古部賢一
管弦楽:新日本フィル
[曲目]
・モーツァルト:ディヴェルティメントニ長調 K.136
・モーツァルト:オーボエ協奏曲ハ長調 K.314 
・チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

ディヴェルティメント、そしてオーボエ協奏曲から感じた事は、結構古色蒼然たる色合いのモーツァルトに近い音色をしている、という印象だった。
ウィーン独特の様式美によるモーツァルトでもないが、何だかジョージ・セルを思い起こさせるような機能性とバランスの色合いが窺える演奏である。
レガート気味ながら音それぞれがきちんと分かれている楽譜上にアーティキュレーションが書かれていない部分での表現がかつて主流だったモーツァルトに近い響きだ。
しかし、その中でもダイナミクス・レンジの広さが特徴として挙げるべきだろう。
ppはチャイコフスキー並にpを重ねたかのような部分まで落とし、大胆なffへの転換を図る場面が見られた。
奏者の人数も5プルト程度の小さなまとめ方をしていた点がそうした音量変化の多い演奏に合わせ易かったのもあるか。
モーツァルトは駄目だ、と言われていた面影は殆んど感じられないモーツァルトと言えるだろう。
オーボエ協奏曲では、ソリストがどうも受けに回っている印象で、もう少し自由闊達に攻めていって欲しい所が見受けられた。
そのせいか、全体にテンポ感ある中でフレーズが躍動していくモーツァルト屈指の協奏曲の持つ明快で鮮やかな良さは十全には発揮されていない印象。
また違う機会に聴きなおしてみたいものだ。

で、個人的なメインが済んだ後の悲愴である。
モーツァルトの時から指揮はそれほど指示は出していないようで、噂の細かい指揮が見てみたいなぁ…と思っただけに意外だった。
が、小澤ファンの方々からこの日は体調不良と御指摘を頂く。
事実、地方公演その他での中止の情報が入り、ファンの方々、というのは凄いなぁ…と改めて思う。
余談はここまでにして、演奏の方。
非常に流れのバランスの良さが目立つ。
fffもpppppp(…じゃなかったっけ?)も聴き辛い逸脱した響きにせず、ごく小さい音も非常に大きな音も、単純な圧力のプラスマイナス以外の重層的な表現構造を打ち出していた。
それだけに、クライマックスはクライマックスとして、きちんと響くし、悲嘆に沈めば、それが素直に聴衆に入ってくる、そんな表現だったように思う。
1楽章は特に、不可解なイジりは無く、手堅い中に、細かなフレーズの頭を僅かにためてオケ全体で音楽を動かしていったり、アクセントを入れてサウンドのメリハリをきちんとさせていたため、非常に感情移入しやすい構造だった。
2楽章になると、モーツァルト、チャイコフスキーというプログラミングの意図がよく出たウィンナー・ワルツ風というか、独特のリズム感も伴った舞曲へと転換させる。
メロディー・ラインも割と細々と割り振っていたようだ。
この解釈は少し意外で、他で余り聴かない解釈に思う。
美しく音階で降りていく箇所では、余程の事が無ければズレないような箇所だけあって指揮も全くせず、完全に気持ちのみでオケを動かそうとしていた部分もあった。
楽譜を意識する余り、録音では堅いイメージが抜けない小澤だが、こういう音を聴くと実演では柔軟な発想が随所にあるんだなぁ、と妙な感想も抱いてしまう。
3楽章に入ると、曲はクライマックスを意識して、テンポはかなり快速で突っ切ろうとする。
更に、段々と要求するテンポがフレーズ毎に上がっていくので、エキサイティングな楽想が展開される。
が、この曲でこれほど前のめりなのもやはり珍しいのだろう。
明らかに、木管、金管といくにつれ、反応は遅くなり、破綻ではないが、多少のズレは見受けられる。
しかし、その中でも指揮者の要求に対して反応が特に早かったプレーヤーは、やはりトランペット首席のデイヴィッド・ヘルツォークであった。
こういう反応速度では日本人奏者は今でも全然歯が立たないのは確かだろう。
彼の音を核にして、金管全体が立ち直っていった。
話は逸れたが、シンバルが入ってくるようになると、144?或いはもっと早いか?と思うくらい、かなりの推進力でオケを先導していた。
また、今までポルタメント奏法に近いと思っていた弦楽器の上昇時のフレーズ頭の強調は、音程がブレていなかったように思うので、もっと右手の方で行っている表現かもしれない。
アクセントにしては丸いが、しっかりとした音の集積は、カラヤンにも見られる表現のようだが、もう少し聴いて考えてみたいと思いつつ…。
そうそう、唐突だがホルンの話なのだが、この楽章や1楽章などで、計3度はベルアップをしていた。
楽譜の指示ではないと思う(多分…)ので、悲愴と言う曲に対するドラマティックな空間作りへの小澤の意欲がよく見える点だと思う。
そして4楽章。
レガート気味に音をしっかりと築いて冒頭4小節で聴衆を掴んだ後は、部分が突出する事なく音楽を練り上げていく。
特にコラールの調和にはかなり気を配した演奏で、自然な流れで最後に沈みいくまで粛々と進んでいく見事なもの。

そして、この日珍しく賞賛したかったのが観客。
何といっても、指揮者が棒を置くまでだけでなく、台を降りてオケを立たせようとするまで拍手が起きなかった事だ。
私も、この曲の実演は既に何度も耳にした事があるが、これほど理想的に終わりを迎えた演奏会は初めてだろう。
毎回こうであれ、と強制する気は無いが、やはりこうした余裕を持った聴衆が増えてくれると音楽ファンの一個人としては嬉しい限りである。

…とカッコつけた事を書きつつも、またしても盗撮風小澤征爾(レッドソックス・ジャンパー着用)を掲載します(笑)。

ファウストの拷問(笑)

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すっかり休んでいましたが、まぁまぁ何とか命を繋ぐけふこの頃…(笑)。
先に謝っておこうと思いますが、少なくとも6月中旬までは拙ブロ愚を余り更新する事は出来なさそうです…。
御容赦下さい…m(_ _)m

さて、すっかり遅くなりましたが、中々作曲者の異様な風情が反映された異色オペラを聴いてきました。
山梨まで足を伸ばして…。
…そう言ったら廃○inが恨めしそうな目をして、ここは都会だ!と主張していました(笑)。



【5/6@パルテノン多摩】
[第62回 新日本フィル多摩定期]
・ベルリオーズ:歌劇「ファウストの劫罰」(日本語公演)
指揮:小澤征爾
マルガレーテ:清水華澄(Ms.)
ファウスト:佐野成宏(T.)
メフィストフェレス:福島明也(Br.)
ブレンデル:山下浩司(Br.)
合唱:成城合唱団/成城学園初等学校合唱部/成城学園中学校生徒有志

音楽についてだが、まず、トランペットに頭部までもが神々しい(笑)在京オケでも指折りだった名プレーヤーであるデイヴィッド・ヘルツォークが復帰しているのを発見!
トランペットとコルネット(記譜上は両方使われてるがこの時は両方共C管Trp.だったように見えた…が詳細は不明…)が2隊に分かれて一方がバンダになる時など、音ですぐ分かる明瞭な差がある。
やはりヘルツォークのような名手が金管にいるとかなりオケの音自体が引き締まる。
先日の小澤のコンサートの時でも同じ事を感じました…が、それはここで書く話ではないので後程…。
ヘルツォークのいない1年は不満の残る演奏(マラ7やプロコフィエフなど…)が見られた新日フィルが金管の厚みが増したためもあり、非常にまとまったオケの音色が好感だった。
特に、重厚感という意味では少し足りなくもありましたが、終盤の怒涛の流れで音楽を転換させていく所は、小澤もオケも流石、という印象。

そして、歌唱陣なのですが、合唱は酷い(笑)。
今回は、基本的にはこの世田谷にあるアマチュア合唱団のための公演なので、予想される事であり、致し方ない点は多数あったが、この点については仕方がないとしか言いようがない。
音程的にも音量的にも表現に達しない部分も多々あり、まぁ、少し無謀だったかな〜、というのが正直な感想である。
独唱陣ではマルガレーテが好演。
この歌手は声の土台がしっかりしており、中々。
これから他の場での活躍も増えていく歌手かもしれない。
ファウスト、メフィストフェレスは日本語の発音も余り活かせていなかった印象。
日本を代表する歌手たちのはずなんだがなぁ…。
全体にまぁ、歌唱は物足りない面も多かったが、小澤の音楽的な核のあるドライヴによるオケが良かった事もあり、終盤の怒涛がこれは『ファウスト』なのか?と疑問を抱かせる(笑)ほどのベルリオーズ的な要素に溢れたこのオペラを聴けた事が素直に嬉しい。
次は是非原語上演を期待したい…(笑)。

どうでも良いのですが、終演後、何故か秋葉原に飲みに繰り出したのですが、廃J○nから、彼の地にはメイドカフェならぬ『ジョジョ・バー』なるものがあるとの情報提供を受けました(笑)。
何というか、東京は広いですね…orz

ところで、『拷問』と書いた理由は、隣席の女性がマスクをしつつも咳が止まらぬ様子で、しかも、後半は呻き声らしきものまで発していました…。
いや、呻き声は流石に許容し辛いなぁ…。

因みに、写真は隠し撮り風小澤征爾です(笑)。


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