或る駄目人間のブロ愚…orz

ラトル/ベルリン・フィルのマラ9チケット確保!今年最も期待!!

映画

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 前のページ ]

イメージ 1

イメージ 2

中日が昨日は勝ちました!
今回こそ3連勝で優勝を決定付けたいと思います。
最悪2勝1敗でもかなり某金満球団より優位に立てますしね!!
…という事で、水曜は是非とも東京ドームへ行って、ウッズのHRを見てきたいと思うのですが、誰か一緒に逝けそうな人いませんか〜?(爆)

因みに、昨日は当日券があることを知って、逝こうと画策し、野球を見に行ってくれそうな友人に5人くらいかけましたが、バイト、仕事、軽井沢、スクロヴァチェフスキ(笑)、などと軽くあしらわれました…orz
やはり、私は友人もいない寂しい人生を送っているんだなぁ…(泣)。
そんな一抹の寂しさを抱えた人間達によるリスタートの物語です。

【しゃべれども、しゃべれども】

最近は「タイガー&ドラゴン」が流行ったためか落語をネタにしたTVドラマ、映画が増えていますが、これもその一貫でせう。
原作自体はもう10年前に書かれていますし。

[粗筋]
いまいちパッとしない二つ目の落語家、今昔亭三つ葉。
彼はひょんなきっかけから、コミュニケーションが不得意な美女、関西弁で東京に馴染めない小学生、褒め下手な野球解説者に落語教室を開くことになる。
このままじゃ駄目、と美女は叫ぶ。
そして3人の生徒はそれぞれ真剣に、コミュニケーションを模索し、その一貫として役に立つか立たないかすら分からない落語と向き合い、傷付き合いながら慰め合う。
そして三つ葉は独り善がりの『聞かせたい』落語から変わろうと己の噺を模索する。
果たして4人の思いは届くのか。
出囃子が鳴る。

古典の『型』が好きで好きで仕方なく、似合わない和服を常に着て八つぁん、熊さんの師匠譲りの古典落語しかやらない、という国分太一は姿からしてハマってる(笑)。
何か世間と調和してなさそうに見えるクラヲタと同じような印象。
まぁ、私自身はクラヲタではないし、むしろ夏は様式を破るサンダル履きで現れる事が多いので、またちょっと違うはずだが…(笑)。
八千草薫はいつ見ても、品があるおばあさんを基調とした上で、尚且つものによっては江戸っ子、おしとやかなお嬢様気質、などなどの多彩さがあるので素晴らしい。
特に「饅頭怖い」を諳んじて、落語教室生徒より「私の方が巧いじゃない」という所などは見事。
会話のテンポもこれ以上ないほどハマっており、という感があり、やはりいつ見ても良いなぁ。
それからやはりこういう映画は子役の出来にかかっているのだろう。
口が過ぎて生意気だが、愛される子供に完璧なまでに仕上がっていた。
ただ、筋書き的には予定調和が激しい上に、きっと原作を大幅にカットしていると思われ、それほどでもない。
何だか松重豊の存在感が微妙だった点もどうかと思うし…。
…が、この映画を見て改めて気付かされた。
良い俳優というのは落語という様式美の激しい、排他的な芸術さえモノにしてしまうのだなぁ、と。
やっぱ伊東四朗なのである。
西田敏行も前述の「タイガー&ドラゴン」でアクもありつつ巧く演じていたが、伊東四朗も見事の一語に尽きる飄々とした落語家ぶり。
幾ら凄いコメディアンとは言え、そう楽なもんじゃなかろう、と思って仕方ないのだが。
落語シーンのみならず、会話もイチイチ至言に聞こえるから流石である。
それから、香里奈という女優。
はっきり言ってかなり好みである(笑)。
何処か現実味が無いような美女。
多分、シャイな私には、周囲にいたら遠巻きに見ていることしか出来なさそうな女性だ(笑)。
それほど好演なのかどうかもよく分からないが、寄席の前で待っている浴衣姿はやはり良いし、ほおづき市の風情が似合う。
それから、三つ葉の落語を聞きながら微笑むシーンで、三つ葉と視線が合うとそれを隠そうとする様子などは典型的なツンデレっぷりで監督の意図にハメられているのが分かっていながらもついついハマってしまう(笑)。
嗚呼、男って馬鹿…(爆)。

それから、この映画では多分、学習院坂下〜東池袋四丁目付近の都電の風景が多々使われているが、付近の住民としてはカメラの撮る映像の凄さを痛感せざるを得ない。
ただ、地理的には何故、都電沿いと思われる地域に住んでいる国分太一があれだけ水上バスに乗るのか解せないのだが…(笑)。
それから、鬼子母神辺りのクリーニング屋ごときにあんな美女はいない、と断言しておこう(爆)。

こんな事を言っていたら、次の国営放送の連続テレビ小説も落語家ネタだとか…。
ブームって怖い…orz

イメージ 1

私は、父親に中学生時代に「お前は自閉症児みたいだな!」と怒られた経験があります。
今時の繊細な子供だったらグレてしまうかも知れませんが、私は自閉症に偏見だけでなく知識も余り無いので、すくすくと駄目人間に成長しました(笑)。
調べてないので分かりませんが、コミュニケーション能力はかなり低い(故に恋愛もろくに出来ないのが辛ひ…orz)自覚があるので、アスペルガーの因子なり何なりはあるかも知れません。

そんな私ですが、けふは、色々嫌な事がありました…。
わざわざ佐○急便のコールセンターに電話したのに、「時間帯の中で、出来れば早目に届けて欲しいんですが…」と言ったら「時間帯しかお選び頂けなくてお約束はできないのですが…」の一点張り…(怒)。
わざわざ人間相手に電話しているのだから「必ず御約束は出来かねますが、ドライバーの方には必ず伝えておきますので…」とか少しで良いから人間らしくマニュアルを離れた事を言ってくれ…orz
こちらも無茶を言うつもりは無いので『必ず〜時まで』といった一方的な話ではなく、あくまで『出来れば』と言っているだけなのだから、それくらいは気を利かせてくれ!
…と思っていたのですが、結局、時間以上に早目に来てくれた○川急便。
その辺伝達出来るなら、コールセンターにも活かしてくれないと無駄な怒りが湧いてしまう…。
そして、マ○クではおまけの玩具が選べない子供が私の前にずっといて、彼の前でレジのお姉さんが1人かかりきりで、そこに横から子供が私の前に割り込む…(怒)。
そのままようやく空いたレジに私より先に買おうとするので、ムカついて(大人気無さ過ぎ…orz)、「君は俺より後に来たでしょう」と優しく(!?)注意。
何故か怯えた目をした子供が私の視界から消える。
注文を済ませて商品を待つ間、先程の子供は何処に行ったかと振り返ると、列の最後方に並んでいる…。
それもオカしいし腹が立つので、手招きして「君は俺の次に来たでしょう!」と厳しく(爆)言い含め、後方の兄ちゃんには「この子が先に来ていたので…」と納得させ、私の後ろに入れる。
私自身は常識的な対応をしたと思っているのですが、このやり取りの間、後ろに並んでいた客も、更に店員も何も言わず(という事は子供が割り込んだことも認識していた訳だ。余計に気が滅入る…orz)、という誠に不可解な状況に…。

要するに、私自身コミュニケーション不全ではあるが、最近は現実も映画も相当にコミュニケーションが危ないようだ、と思う1日だった、という訳で…(笑)。

【あるスキャンダルの覚え書き】

[粗筋]
ロンドンの中産階級の子弟が通う学校に勤めるオールド・ミスの歴史教師バーバラ。
そこへ美貌の美術教師シーバが着任する。
バーバラはある事件がきっかけで、シーバから教師としての不安を相談され始め、友人として交流を持つようになる。
しかし、ある日バーバラは気付く。
シーバが生徒と肉体関係を持っている事を…。
ここで何故かバーバラは、2人の関係を黙っている代わりに、生徒との関係を清算しなさい、と助言を与え、以後も相談に乗ろうと提案する。
バーバラの目論見は、シーバを支配下に置くことで夫も家族のいない孤独な自分と彼女を分かち難い絆で結び、生涯の友としての関係を結ぶことにあったからであった。

バーバラの主観で書かれている部分ではシーバの教師としての才能や母親としての立場さえ否定するくらい、家族や周囲全てを余計なものとして断じ、2人だけの蜜月の空間を夢想する。
そこまでは官能的に肉体を希求するシーンもゼロではないが、決して『情念』ではなく、精神的な交流がメイン。
なので、観客もバーバラの日記の異様な雰囲気については気付くものの、周囲が彼女達をどう見ているかについては視野の外に置かれる。
これが中々成功しているようで、15歳の子供と美貌の人妻の肉体的な交わりというショタコン要素(笑)を強調した映画としての印象を育てていく。
が、バーバラの愛猫が死んだシーンから、今まで殆んど描かれる事の無かったシーバの夫の本音、客観的な2人の関係性、傍観者ではないバーバラの性癖が浮かび上がる。
この急展開が中々の見物。
以後はバーバラのストーカーぶりに中々ゾクゾクさせられる所がまた…。
この映画の事件は確か、アメリカで教え子の子供を妊娠した女性教諭の実話が元だったと記憶しているが、そんなセンセーショルな事件からバーバラという彷徨える魂を生み出す発想は見事だろう。
ディスコミュニケーションの権化と言える2人は何処か魅力的だがとても恐ろしい。
現実感の無い遊離した存在に描く事で安定した映像が提供されている気がする。
女優はケイト・ブランシェットの美しさが際立っていて危なっかしい雰囲気が出ていて良い。
そして、ジュディ・ディンチは硬質な支配欲が凄く表面化していて恐ろしいほど。
それから、女性の必須道具と言える化粧を虚栄として演出に巧く取り入れている所も古典的ではありますが中々。
暑過ぎる残暑を冷やす効果はありそうな映画です。
冷や汗はかきそうですが…(笑)。

それでは、今宵も逝きますか…。
サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ(爆)。

彼岸の人生

イメージ 1

原題(Das Leben der Anderen)を訳すとこんな所でせうか?
かなり意訳な気もしますが敢えてこんな感じにしてみました。
取り合えず、ようやっと見てきました(笑)。
中々良かったので、ここにちと書こうかと思い立ちつつ…。

善き人のためのソナタ

[粗筋]
1985年(か1984年だったはず…)の東ドイツ。
東西の分裂も末期近く、最早「現存する社会主義」は形骸化された権力のみを見せるばかりだった時代。
才能ある劇作家ゲオルク・ドライマンは恋人である女優のクリスタ・マリア・ジーラントと1つの舞台を作り上げる。
彼に目をかけてきた大臣ヘムプフは、あるきっかけから、彼を追い落とし、また、クリスタもその醜悪な欲望の手中に収めようと画策し、国家保安省(シュタージ)にゲオルクの盗聴を命じる。
シュタージの優秀な局員ヴィースラーらのチームは彼らの生活を24時間監視する。
そこでヴィースラーが見たものは、沢山の友人との交流、ゲオルクとクリスタの愛に溢れた生活、信念、真実への欲求、といったいずれも彼が今まで必要としてこなかったものであった。
いつしか、ヴィースラーはそうした自分の持ち得なかったものに憧れ、そして彼らを守るために嘘の報告までするようになる。
しかし、そんな穏やかな時間を『国家』がいつまでも許すはずは無かった…。

かなり適当に書き飛ばしましたがこんな感じでせうか。
是非、1度御覧になってみて下さい。

ところで、私は、ドイツ映画というと「グッバイ・レーニン」を思い出すのですが、この映画との共通点として感じるのは、非常に『ファンタジック』である、という事です。
現実は苛烈で、軟弱で堕落した精神の私などが暮らせる世界でないことは明らか(笑)なのですが、その世界を現代の視点から見た時にファンタジックに加工する余地があるように見受けられます。
これは例えば、私は意外とベルンハルト・シュリンクが好きなのですが、彼の作品は非常に多く、戦争と東独の問題を思想的な道具の1つとして取り上げています。
そこに、愛を絡めて重層的でいて美しい小説を書き上げる手腕は流石としか言いようがありません。
そして、彼の作品も同じように、何処か浮遊した強さを感じる部分があります。
日本人が場外から勝手に見た浦沢直樹の「MONSTER」にさえ、そういう部分が感じられる気がするのは気のせいでせうか?(笑)
取り合えず、日本人が戦争を負の感情ばかりに押し込めて「臭い物には蓋」或いは「臭い物は臭い」といった単純な処理を文学、映画など創作上でもしているように感じられるのとは対照的に、『現在』から見て遊離した現実を実に巧みに描く手法が、ドイツの作品にはあるような気がするのです。
要するに…。
監視社会という夢魔を幻想に変えた力のあるこの映画は一見の価値アリ、と思います。

ところで、個人的に感銘を受けた部分の1つは、ヴィースラーの表情には中々現れない、行動の変化の丹念な描き方でした。
まずは東独の秘密警察の思想・規範にどっぷりと浸かった状態の冒頭。
それが、実際に舞台でクリスタ、ゲオルクを見て、彼らの束縛の無い輝きに抱く無意識的な憧れ(それを職務への動機と解する)の段階。
一方的に監視し始め、生の活力を受容していく傍観者の段階。
そして、ブレヒトを読み、女性と交わっていくことで、ゲオルクを真似る、追体験する、そうした表現をしていく影の段階。
最後に、自己を再認識し、追体験ではなく、あらん限りの力を用いた守護者へと転換していく事で己の世界の破綻を防ごうとしていく段階。
まるで幼子が新たな世界に向けて母親に手を引かれていくような、そんなイメージでヴィースラーの世界が広がっていくのを見ると自然と共感してしまいます。
特に、私がこの映画で最も好きなシーンは傍観者、影から積極的な守護者へと転換を見せる所です。
ヘムプフ大臣にクリスタが関係を強要され、呼び出された時、それを知るゲオルクは、彼の所へ行かなくても君は素晴らしい女優としてやっていける、と諭します。
しかし、クリスタは1人の人間など国家の意向で簡単に潰される、と言い、2人で暮らす家を飛び出そうとします。
そこで、監視の交代の時間が来たヴィースラーは、普段は真っ直ぐ家に帰るのに、この日はあるバーへ向かいます。
そこへ思い詰めた顔でやってくるクリスタ。
クリスタに声をかけたヴィースラーは、貴方は偉大な女優だ、芸術家は魂を売ってはいけない、と説得します。
触発されたクリスタは店を飛び出します。
翌朝、部下の書いたその晩の報告書にこう記載されています。

23:10喧嘩して言い争い、CMS(クリスタのコードネーム)は家を飛び出す。落ち込むラザロ(ゲオルク)。しかし23:30CMSが帰宅。「もう2度と貴方のそばを離れない」と言う。ラザロは「挑戦する意欲がわいてきた」と言い、2人は激しくセックスする。この夜は平和な夜だった。

この主観まで入った報告書を見たヴィースラーは一言。
「良い報告書だ」

とても良いシーンだと思います。
是非こんな駄文ではなく、御自身で確認して欲しい所です。

更に映像的にも、中年の厚化粧の太った娼婦、要するに、肉体的な魅力が視覚的には非常に薄い女性とヴィースラーの交わりのシーンが美しく描けている所がとても良いです。
ただの、普通の人間を尊厳を持った肉体としての魅力を引き出せる監督(若干34歳らしい…orz)の能力は凄いものがありますし、逆に、クリスタとヘムプフ大臣のシーンは醜悪なまぐわいとしてきちんと描かれているのも、やはりヨーロッパ映画の表現力の高さを感じざるを得ません。
邦画だとどうしても美しいものをより美しく、という方向に流れがちなので、こうした人間賛歌の姿勢と技術には目を瞠るものがあります。

取り合えず、こんな駄文をここまで読むくらいなら是非1度御覧になって下さい!
…という己の存在意義を微塵も感じさせない所で終わらせてみます(笑)。

サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ(爆)。

全2ページ

[1] [2]

[ 前のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事