手箱山 氷室の氷詰めドキュメント

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いの町にある手箱山(1806.2m)は、高知県にある単独の山では、県内でもっとも高い山です。
その山頂近くに、氷を貯蔵する「氷室」が再現され、毎年氷室祭りが行われています。
旧・本川村での取り組みから始まって、今年は18回目です。

その氷詰めの作業が、2月10日(日)に行われました。
『下から(登山口から)こればぁ雪積もっちゅうがは、初めて!』と、地元の方も言うくらいの
雪をかき分けての作業となりました。前夜祭の写真と合わせて、ご紹介します。
(枚数が多いですが、記録の意味もありますので、ご了承ください。)
集合写真などは いの町観光協会のホームページ をご覧ください。

なお、氷室について「氷室のはなし」(2001年7月15日/国道194号広域観光推進協議会発
行)から引用させていただきます。

 筒上山から手箱山へと連なる原生林の中に、氷室の伝説が埋もれています。「手箱山の氷室」
として、実に長い間、人々に語り継がれ、夢をつないできたものです。しかし残念ながら、今
日に至るまで『寺川郷談』(1752年)の伝えを超える史料はなく、この氷室の場所や構造など明
らかにならないまま“幻の文化財”となっていました。
1991年19992年、村の人たち(越裏門・寺川地区村おこし協議会)は、厳寒の手箱山中に氷
室を再現しました。位置は、この山の北東斜面、「氷室番所跡」(参考地)と呼ばれる場所か
ら東へ下った標高1450m付近の登山道のすぐ近くになります。
 昔この山に作られていたという氷室をよみがえらせ、旧暦の6月1日(新暦の7月初旬ころ)
氷を取り出して地域のまつりに運び、夏の氷を楽しむ、村の歴史と自然を生かした氷の文化の
まつりです。

 昔、手箱山に氷室があったという話は、青木次郎八繁則の『寺川郷談』(1752年宝暦2年)の
記述を根拠とするものです。土佐藩の御留山(おとめやま=狩りや木を切ることを藩が禁じた
山)の番人として寺川に派遣されていた繁則が在勤中に書いたもので、江戸時代中ごろの暮ら
しや村の様子がよくわかる、とても貴重なものとなっています。それには次のようにあります。
「手箱山には雪屋、いわゆる氷室があって、昔は毎年雪を詰めていた。山内二代藩主・忠義公
の時代まで、毎年6月1日にこの雪屋の雪(氷)を取り出して壺に納め、夜間の早飛脚で献上
した。領家郷にはその近道があり、今も雪道と呼ばれている。
 今は献上されていないが、この雪屋に年の内から雪を詰めておけば、翌年中、解けることは
なかったという。」
                         ・・・以上「氷室のはなし」より
※土佐藩の二代藩主山内忠義公の時代というのは1605年から1656年ころということに
 なります。                              〔田岡〕

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