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「日本国憲法」は憲法として無効ですが帝国憲法の下位規範(講和条約)として有効です。ツ→@inosisi650

さようなら

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 みなさんは、「さようなら」は、なぜ「さようなら」と言うのか知っていましたか?
考えたことなかったという方が多いはずです。
でも、この本よんで目覚めたような気分です。

「日本のこころの教育」 境野勝悟  致知出版社

 わたしは、あまりにも日常の言葉である「さようなら」の意味を調べあげるのに、実は、十数年もかかってしまったのです。

 ある日、「さようなら」という言葉の意味は、けっして「グッド・バイ」に劣らない、日本人の心がしっかりとこもっているすばらしい別れの挨拶であったことがわかったのです。
「こんにちは」の意味も・・・・

+++ と、言いながら、日本人が生きるための3要素の解説に導入+++

 生きるとは、「いき」と「る」とに分解できるんですよ。
 「る」という文字は、ものごとが自発的に継続しているときにつけた接尾語で、自然にずーっとしつづけている、という意味ですね。

 私達が死ぬときは、この「いき」が「る」しなくなった時です。つまり、呼吸が継続しないで、ハッっと止まってしまったとき、わたくしたちは、死んでしまうわけですね。
わたくしたちの呼吸は、うまれてから今日まで、一日も止まらずに自発的に、自然的に継続されてきた。昼間だけでは、ない。ぐっすりと寝ているときでさえも。・・・・

 さて、そこが問題だ。みんなの胸の中にある心臓は、いったいなんの力によって活動しているのか。心臓をカチカチコチコチと動かしているのは、だれなんだろう。
 実は、最近、あの心臓をカチカチと動かしているのは、電池であるということがわかってきたのです。しかも、その電池は、太陽電池であるということがわかってきたのです。

(略)

 わたくしたちの、心臓の付近に、太陽電池を採るレーダーの働きをする物質があることが研究されてきています。このレーダーが、太陽電池を採って、わたくしたちの心臓をコチコチと働かせているというのです。

(略)

 このように考えると、ぼくたちの生命の原因は、なんと太陽だったのです。
なにも、心臓のレーダーのことなど説明しなくても、太陽がなくなれば、地球全部がその瞬間に真っ暗闇になります。あっという間に、氷の海になって生きているものは、みんな死んでしまうでしょう。

(略)

 さて、驚くべきことに、こういうことを二千年も前から、日本人は感覚的に気がついていて、そのことを大切にしていたのです。わたくしたちが生きているのは、太陽のエネルギーのお陰である・・・・そういうことをみんなが大切に思っていたのです。古代の人は、太陽のことを「お蔭様」(おかげさま)といっていたのです。

 わたくしたちの生命の原因は、太陽である。     
 実は、ここから「日の本」という言葉が生まれてきたのです。この「の」は格助詞の「が」と同じですから、「日の本」とは「日が本」つまり「わたくしたちのいのちは太陽が元だよ」ということですね。

(略)

 「の」が抜けて「日本」という国名になったんです。
 「日本」という字を見ればわかります。わたくしたちの命の元が太陽だと知って、太陽さんのめぐみに感謝して、太陽さんのように丸く、明るく、元気に、豊かに生きる。これが日本人だったのです。

(略)

 どうか、諸君海外旅行に行ったりしたとき、「日本人って何ですか」って、そう聞かれたら、はっきりと答えてください。
「わたくしたちの命の原因が太陽だと知って、その太陽に感謝して、太陽のように丸く、明るく、豊かに、元気に生きる、これが日本人です。」
と、おっしゃってください。

 さあ、生命の原因、わたくしたちが生きている原因の一番目は太陽とわかりましたでは、二番目の恩はなんでしょうか。日本の大地・自然というものがないと、わたくしたちは生きてゆけません。空気も山も木も水も田んぼも含め日本の大自然がないと、いくら太陽があっても私たちは生きていけない。それで、命の原因の二番目にわたくしたちの先祖は日本の自然を大事にしたのです。

(略)

 みなさんは家から学校に来るときに、どこの大地・自然を踏んできましたか。
日本の大地・自然ですよ。「おれは国の世話にも、国土のお世話にもなってない」なんていう人がいたら、とんでもない話ですね。この学校も日本の国土の上に建っているんです。
 そういうことをはっきり自覚しないと、わたくしたちは自然とか大地のありがたさを忘れてしまうんです。

(略)

 太陽に感謝する、大地・自然に感謝するといっても、それは国のためでもなんでもない。日本の自然に感謝したって、自然さんは何の得にもならない。太陽に感謝したって、太陽さんに何の足しにもなりませんよ。自然さん、ありがとう、太陽さん、ありがとう。自然と太陽がわたくしの命の大元です。こういうふうに感謝して、得をするのは実は自分なんですね。

 幸福とはなんですか。何のことはない、感謝して生きることができる人間が幸福だったんです。
さて、いよいよ生命の原因の三番目。いくら太陽があってもいくら自然があっても、わたくしたちは生きられないのです。わたくしたちの生命の原因の三番目は、父母なんです。

 この「父母」とは、お父さん、お母さんだけを意味するのではありません。
そのお父さんのお母さん、そのまた先のお父さんのお母さん、ずーっとずーっと・・・。
つまり民族ですね。わたくしたち日本の民族、長い間の父母です。

 なぜ「おかあさん」と呼ぶのか。
ところで、僕が小学校の一年のときのある日、「ただいま」って家に帰ると、お母さんがいないときがありました。お父さんに、「お母さんとうしたの?」と聞くと「稲刈りで実家へ手伝いに行ったよ」という。

 そして「きょうはお母さんがいないから、おれが温かいうどんをつくってやる」と言って、父親がうどんをつくってくれました。ところが温かいうどんのはずなのに、お父さんのつくったうどんはなぜか冷やっこいんです。

 一方「ただいま」と家に帰ってお母さんがいるときは僕はいつでも「お母さん、何かないの?」と聞きました。すると、母は「おまえは人の顔さえ見れば食い物のことばっかり言って、食いしん坊だね。そこに、ほら、芋があるよ」って言う。
 芋はひやーっとしてても、だけれども、お母さんのそばで食う芋は不思議と温かいんです。

 これは、もしかすると女性には理解できないかもしれないけれども、男性にはわかってもらえると思います。お母さんが家にいると黙っていても明るいのです。それでわたくしたち男は自分の妻に対して、「日身(カミ)」に「さん」をつけて「日身(カミ)さん」と言ったのです。丁寧なところでは、これに「お」をつけて「お日身さん」といったんですよ。

 なんでしょうか。この「日身(カミ)」という意味は?
「カ」は古い言葉では「カカ」といいました。もっと古い言葉では「カアカア」といった。
さらに古い言葉では「カッカッ」といたんです。「カカ」「カアカア」「カッカッ」。これが「カ」となるんですね。「ミ」というのは、わたくしたちの身体という意味です。ですから、「日身(カミ)」とは、わたくしたちの身体は「カカ」の身体である。「カアカア」の身体である。「カッカッ」の身体であるという意味なんです。

 では、「カカ」「カアカア」「カッカッ」という音は、古代では一体何を意味していたのでしょうか。「カッカッ」というのは、太陽が燃えている様子を表す擬態語でした。「カッカッ」とは、実は太陽のことを指したのですね。「カアカア」「カカ」という音も同様です。つまり、わたくしたちの体、わたくしたちの命は太陽の命の身体であるということを、「日身(カミ)」(太陽の身体)と言ったんです。

「カミ」の「カ」に「日」という漢字が当てられているのを見れば、「カ」が太陽のことを意味しているということがわかるでしょう。「日身(カミ)」とは、太陽の体、太陽の身体という意味だったのです。

 お母さんはいつも明るく、あたたかくて、しかも朝、昼、晩と食事をつくってくださって、わたくしたちの生命を育ててくださいます。わたくしたちの身体を産んでくださいます。母親というのはわたくしたちを産み、その上私たちを育ててくれます。母親は太陽さんのような恵みの力によってわたくしたちを世話してくれる。母親はまさに太陽さんそのものだということから、母親のことをむかしは「お日身(カミ)さん」といったのです。

 私達は千年以上も以前から、子供たちが自分の母を「太陽さん」と呼んでいたということには、わたくし自身もびっくりいたしました。

 女性徒のみなさんいかがですか。あと数年たって結婚して、子供をお産みになる。すると、みなさんは子どもから、おかあさん、つまり太陽さんと呼ばれるんです。亭主からもお日身さん、太陽さんと呼ばれます。今日みなさんが「おかあさん」といっているこの「か」は太陽の意味ですよ。

 ついでに、それでは、なぜ「おとうさん」と呼ぶのでしょう。

女性たちは、結婚してから思ったのです。夫は、自分や子どものために一所懸命外へ出て働いて、毎日毎日の糧、生活の糧を運んでくれる。女性たちに危害を与える賊が来ると追い払ってくれる。「まあ、なんて尊いお方だ。やっぱり、夫も太陽さんのように尊い人だ」と言ったのです・・・・・

(略)

さて、いよいよ話を「今日は」「さようなら」に戻します。
「今日は」の意味も、「さようなら」の意味も、その挨拶だけを独立させて考えてしまうと、その真意がつかめなくなります。

 わたくしたちが知人に出会ったとき、「今日は」という挨拶のほかに、「お元気ですか」という表現をつかっています。この二つは、それぞれが孤立した応答ではなく、「今日は、お元気ですか」と続いていた挨拶なのです。

 この「今日は」の「今日」という言葉は、現在では、きのう、きょうという意味での「今日」となっていますが、実は、古くは太陽の意味であったのです。

 いまでも、太陽のことを「今日様」と呼ぶ地方はたくさんあります。

(略)

「今日は」

という挨拶は、

「やあ、太陽さん」

という呼びかけであったのです。

「元気ですか」の元気とは、元(もと)の気(エネルギー)という意味ですから、太陽の気(エネルギー)をさすことになります。つまり、「今日は、元気ですか」とは、あなたは太陽のエネルギーが原因で生きている身体だということをよく知って、太陽さんと一緒にあかるく生きていますか、という確認の挨拶だったのです。

それを受けて、

「はい、元気です」

と答えます。つまり、

「はい、太陽さんと一緒に元気に生きていますよ」

と応答するわけです。それから、

「さようなら(ば)、ご機嫌よう」

となります。

「機嫌」とは、「気分」とは「気持ち」という意味です。したがって、

「さようなら、ごきげんよう」の意味は、

「太陽さんと一緒に生活しているならば、ご気分がよろしいでしょう」

となります。

「今日は、お元気ですか」

「はい、おかげ様で元気です」

「さようなら、ご機嫌よう」

これが、わたくしたちの挨拶の基本だったのです。

これをくずして対話すると、

「きょうは、太陽さんと一緒にやっとるかね」

「おかげさんで、太陽さんと生きていますね。ありがとうでござんす」

「そんなら、気分は上々だぁーね」

というわけです。

まことに気分のさわやかな挨拶ではありませんか。

+ + +

「さようなら」の意味って、すごい!!!

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