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この世の中に、存在したり、起こったりすることのあろう筈ない事柄を受け入れるというか、信じている頭は、嘘を本当だと思う頭に通じるものかどうか、或いは別問題であるのか、悩むところです。
1)ノアの洪水について
①『洞察』第1巻「ノアの日の洪水」
その大洪水がほんとうに起きたということは幾人もの聖書筆者によって証しされています。(イザ 54:9; ペテ二 3:56; ヘブ 11:7)しかし,最も強力な証拠は,天でそのことの目撃証人となったイエス・キリストご自身によってなされた証言です。(ヨハ 8:58と比較。)イエスははっきりと,『ノアの日に洪水が来て彼らをみな滅ぼした』と言われました。ルカ 17:2627
大洪水に関する記述は決して単なる物語ではありません。イエス・キリストはそれに預言的な意義のあることを示されました。
②『目ざめよ』1997.28、「大洪水―事実ですか、作り話ですか」
自分の信仰の基は聖書であると唱える人々の中にさえ,大洪水が本当に起きたかどうかを疑っている人がいるのは驚くべきことです。……

しかし,聖書中の大洪水の物語はただの寓意物語で,文字通りに取るべきものではないのでしょうか。聖書そのものは,そのような見方を認めていますか。……創世記の中の他の箇所にも明確な日付が必ず記されているというわけではありませんが,これらの日付は,モーセが大洪水を実際の出来事とみなしていたという事実を強調しています。聖書が持つ真理の響きと,多くの作り話の出だしである「昔々……」という言葉とを比べてみてください。……聖書は箱船を造るのにノアが費やした期間の正確な長さを明記してはいませんが,記述からすると,建造には50年から60年かかりました。(創世記5:32; 7:6)これらの点は,バビロニアのギルガメシュ叙事詩にある有名な話と際立った対照をなしています。その叙事詩には,たった七日間で造られた,各辺が60㍍ほどの大きくて不格好な立方体のことが述べられています。バビロニアの伝説とは異なり,大洪水に関する聖書の記述はその正確さを確信させます

……したがって,イエス・キリストは個人的な観察の結果として,地球的な洪水に関する聖書の記述を真正な歴史として信じておられました。これは真のクリスチャンにとって,ノアの日の洪水が作り話ではなく,疑問の余地のない事実であるということの,最も決定的な証拠です。
③『目ざめよ』1971.422「それだけの数の人間がどこに住むのか」

しかしながら,人類の歴史をとおして,多数の人々が地上に生まれてきました。それはどのくらいの数にのぼるでしょうか。ところで,人間は地上にどのくらいの期間存在してきましたか。聖書の年代表によると,その期間はあとわずかで6,000年になります。しかし,おぼえておかねばならないのは,人間の歴史が始まって1,656年後に,地球の人口は激減してわずか8人になったということです。それはノアの日の洪水のためでした。(ペテロ前3:20)その後,西暦が始まるまでの2,370年のあいだに,地球の人口は相当の増加を見ました。

④『ものみの塔』2003.515、「ノアの航海日誌 ― わたしたちにとって重要な意味がありますか」
[67ページの図表/図版]
ユダヤ人を流刑から帰還させたキュロスの布告よりノアの日の洪水までさかのぼる
                   537  キュロスの布告
                   539  ペルシャ人キュロスがバビロンを倒す
68年間
                   607  ユダの70年間の荒廃が始まる
906年間続いた,
指導者,裁き人,
イスラエルの
王たちによる監督
                  1513  イスラエルのエジプト脱出
430年間                 イスラエルの子らがエジプトの地と
                         カナンに住んだ430年の期間

                        (出エジプト記12:4041

                  1943  アブラハム契約の発効
205年間
                  2148  テラの誕生
222年間
                  2370  大洪水の始まり
⑤『ものみの塔』1971.101、「モーセは何処から情報を得たか」
「……の伝の書なり」という表現はおのおのその史料の記述者もしくは所有者と関係があるという見方は合理的ではないとはいえ,これは必ずしもモーセが,ノアの日の洪水以前に書かれた記述をも含めて初期の記録から幾らかの情報を得たことを否定するものではありません……したがって当然,人々は字を書く方法を苦もなく発達させたと考えられます。しかも,考古学上の証拠は,モーセの時代以前の相当の期間,文字が存在していたことを示しています。しかしながら,大洪水以前の文字の存在に関する直接的な証拠はないということを認めねばなりません。
確かにアッシリアの王アッシュールバニパルは,「洪水以前の時代からの石の碑文」を読んだことについて語ってはいますが,それにしても,そうした碑文は単に相当の規模の局地的な洪水以前のものかもしれず,あるいは大洪水前のできごとを述べていると思われる記述なのかもしれません。たとえば,「シュメール王名表」として知られる碑文は,8人の王が合計241,000年間統治したことを述べたのち,「(それから)大洪水が(地)一面を襲った」としています。こうした記録が信頼するに足りないものであることは明白です。
聖書年表によれば,全地に及んだノアの日の洪水が起きたのは西暦前2,370です。考古学者は発掘した数多くの粘土板にそれよりも古い年代を付していますが,そうした粘土板は日付のしるされた文書ではありません。したがって,それら粘土板に付される年代は単なる憶測にすぎず,聖書の大洪水との時間的な関係を確立する確かな根拠を提供するものではありません。これまでに発掘された人工物件で大洪水前の年代のものであると確定された物件は一つもありません。種々の物件に大洪水前期の年代を付している考古学者は,せいぜいのところ,大規模な局地的洪水を裏づけるものとして単に解釈できるにすぎない調査結果に基づいてそうしているのです。
 
言いたいことを自由に言えて、ストレスのたまることはないでしょう。呆れて言葉も見つからないので、呆れた部分に下線を付すだけにします。
「てつてつ」さんが「親愛なるエホバの証人のみなさんへ」の中で、「ノアの大洪水はなかった」をまとめられています。これをじっくり読んで貰って、更に「大洪水はない」をクリックすると、「ノアの箱船―要点まとめ」が現れます。「エホバの証人レッスン」の一つですね。
試しにJW信者の人たちに質問してみようかと思います。「今から4000年余り前、前2400年頃ノアの洪水が全世界規模であったならば、火炎土器や遮光器土偶を造り、栗を栽培していたという縄文時代人は絶滅したのですか。そして、すぐ翌年か何かに復活を遂げたのでしょうか」。どんな返答が帰ってくるでしょう。
 
 
 

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協会(神奈川県海老名市)宛ての3通目の手紙を書きました。返事をくれるようなことを電話口で聞きましたが、うんともすんとも言って来ません。以下が文面です。
 
3つめの質問状を認めました。質問状1(当初は2回尋ねて着いていないと言われた手紙です)がそちらに届いてから4カ月ほど経ちますか。同じ手紙を、改めて書留速達で送ったのでした。返事を一向に貰えません。致し方なくもう少し待ちます。105日に質問状2を送付しました。勿論この回答もまだです。質問状3を送ります。
『ものみの塔』2011.1101,「古代エルサレムが滅ぼされたのはいつか」、28㌻、史料19です。

19. この分析は,TheSky6™という天文学ソフトウェアを使って行なわれた。それに加えて,包括的なフリーソフトCartesdu Ciel/Sky Charts(CDC)と米国海軍観測所提供の暦変換ツールも使われた。惑星の位置の多くについての楔形文字の記号は,推測や幾通りかの解釈が可能なので,それらの位置に関する記述は,この天文日誌に記されたを特定するためのこの調査には用いられなかった。

<質問1

TheSky6™とCartesdu Ciel/Sky Charts(CDC)という天文ソフトはあることが分かりました。もう一つ紹介されている米国海軍観測所提供の暦変換ツールの所在が分かりません。これを参照すれば、バビロニア暦の12カ月(乃至は閏月がある年は13カ月)について、西暦に換算して何月何日だと分かるのでしょうか。今のところ、『BabylonianChronology 626 B.C.−A.D.75』by R.A.Parker、W.H.Dubbersteinに載っているバビロニア暦表しか拠り所がありません。「暦変換ツール」はその用に足るものならば提示してくれるか、如何したら手に入るものか教えて下さい。

<質問2
惑星の位置の記載や惑星の名前は一通りには定まらず、あやふやであるということは資料18にも記されています。しかし、著書の引用されているデービッド・ブラウン氏はVAT4956に載る惑星名は、はっきりと一通りに定まるものであると言っています。位置の記載が幾通りにも解釈できると言うことでしょうか。だから惑星観測データについては全て検討対象から外したと言うことでしょうか。
<質問3
月の位置描写は明確に受け取れるとのことです。対して、惑星の位置描写が定かでないのでしょうか。天文ソフトが利用されて、粘土板に記されている13の月の位置が、13全てで前588年にピッタリ一致している結果の一つ一つを詳しく教えて下さい。検討を行なった学者名とその文献名も知らせて下さい。もし協会の人たちが行なったのであればそのデータを知らせて下さい。
 

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1)VAT4956707708711など)
ネブカドネザル第37年(N37とする)=前568年より、N1=604年。(バビロニア出土の粘土板なので、即位年の翌年から治世第1年とする「即位年を設ける方式」と解釈して、ネブカドネザルの即位したのは前605年)。
2)LBAT1419646
N14=前591年。N32=573年。
3)LBAT1420648649
N11=前594年。N25=前580年。
4)BM38462503
N17=588
5)エグビ家書字板(424など)
N3=602年頃。
6)ナボンH1B号(アダッド・グッピ碑文、ナボニドスH1B)(426など)
N1=604年頃(ナボポラッサルの即位年が前625年頃、治世21年より)
7)ナボンH8号(ヒラー碑文、NabonidusH8+ナボンH1BBM21901436
N1=602年頃(ナボポラッサル第16年≒前608年より)。12年食い違いますか。
 
記載されている王の事績などに比べて、1)は天文現象なのである年に観測された夜空そのままの描写です。前568年は学者も一般人も認めています。この粘土板を中心に据えて眺めると、他の考古学的史料群のどれも矛盾を来たしません。あっても12年の誤差です。また何千もの数の商業取引関係楔形文字粘土板の検討(598)が加わって、確かさが更に増しています。これだけN1=604」近辺に収束する証拠があって、何方が異議を唱えることがありましょうか。エジプトのファラオやユダ王国の王様たちの治世が、更に聖書がこの事実の裏打ちをしてくれます。

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“紀元前539 新バビロニア帝国の滅亡し、エルサレムがほぼ70年間荒廃したことを考えると、バビロンの捕囚は、紀元前6079年に起きたのではないですか?エホバの証人が正しいのでは?”という質問がヤフー知恵袋に載っています。JW信者の人と思しき回答を紹介します。

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「エホバの証人に質問」のコーナーでもないのに、JW信者でしょうか、201111月の『ものみの塔』を持ち出してきています。ネットは余り見ていないと思われる多数の信者の中に、一部毛色の違っている人がいるようです。月の13の記録が前「588」年にピッタリ一致します。とんでもない。天文ソフトを少し動かせるようになれば、素人でも検証できます。ひいき目に見ても「588」では23しか合いません(494495)。ピッタリ合った13とは一体何方が言っているのでしょう。引用が学者の研究からならば参照文献を明らかにして下さい。仮に自分たちで検討したのであれば、「13合ったよ」の結果だけで良いはずがないのは分かりますね。
VAT4956に記載される詳細な描写は、非常に信頼できるもののようで、と述べている「もののようで」の書き方は、何処かからの受け売りでしょう。ならば、同様に何処に記されているのか、誰が主張するものか、明らかにしないと、説得力がありませんね。そんな世にも不思議なことを言っている出所は誰もが知っていますが。月と恒星や星座との位置関係の描写が非常に信頼できる。それだけでなく、惑星と恒星や星座との位置関係も非常に信頼できる。おやおや、言い張っていることと食い違います。協会の見解から外れてしまいました。惑星と星座の位置関係や惑星の名前は当てにならないので検討対象から外したのでした。
VAT4956は「568」を主張して譲りません。だから、エルサレムが滅ぼされた年は「586」か「587」になるという勘定は簡単です。「607」なるエルサレム陥落年についてはVAT4956以外の考古学的史料を探さざるを得ません。万一それを披露してくれれば聞く耳を持たないではありません。「ネブカドネザルの第37年」が、以前の主張の如く、後から書き加えたとか、削って数字を変えたとか、(そんなことでしたっけ)、その言い分が通らない限り「588」を叫ぶVAT4956を誰も受け入れないであろうことを確認しておきます。
質問のことですが、「前607609に起きたのではないですか」なる言葉は奇妙ですね。普通は「前609607」と書かれます。それはいいとしても、JW協会は「607」ですよ。「609(最終的にアッシリアの滅亡した年)から539」という「70」説をまさか協会は採らないでしょう。質問者がどうもJWの身内のように想像されることからすると、「〜609」はおかしいし、信者じゃない方なのでしょうか。「607」→「537」を持ち出さないところを見ると、JW信者の人じゃないようです。てっきり自作自演の質問→回答(3番目)と思ってしまいましたが訂正します。御免なさい。でも、「539」を「70」遡ると明らかに「609」になるわけで、「607(〜9)」を使っているのが引っかかります。
話が変わります。(703)で述べたことです。2011111日号『ものみの塔』に載せられた画像と瓜二つで、解説がハングルに変わっただけの写真の含まれた文献をわざわざ紹介してくれた方がいました。それが何と、下を見て下さい。
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同じ仕業を他でもしています。『エホバの証人への福音』というサイト内の「ものみの塔のアキレス腱」のところにあります。それの最後の、フィードバック欄にコメントが記されています。表題は中澤啓介氏の著書の名前で、「1914」や「607」の嘘、新バビロニア時代が20年延びる訳のないことが明らかにされている本です。証明されている「607」を知りたければ下のリンクに接続せよ、このコメント者は同じ「GJ」です。私に対してコメントしてきた日より1日前です。JW信者に違いないと思われるこの人。普段道ばたで会ったらどんな感じの人でしょう。意思の疎通は図れますやら。読むことのできない韓国語サイトを引用して如何したいのでしょう。エルサレムの滅びたのは「607」であるという説が存在するのだと人心に植え付けたいのでしょうか。ユダ王国史や新バビロニア史について基礎知識のない、ハングルを知らない人向けですか。「607」が頭の隅に刻み込まれたら、その罪は如何ほどのものか考えてくれますか。ウィキペディアで、「607」、「537」や、はたまたアルタクセルクセス1世治世の改竄など、平気で行なう集団ですから、罪の自覚は望むべくもありません。

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エルサレムの陥落(ユダ王国滅亡、第2回バビロン捕囚)は前「607」年のことであるという真っ赤な嘘は、その変更せる嘘をつき始めたのが1940年代からでした。それ以前は「606」と主張していたのです。その経緯が『良心の危機』に載っていることが分かりました。内部事情が知られて、そして推測通りで、面白いです。この紹介の前に「606」→「607」に無理矢理変えた経過をまとめます。
①ゼデキヤから王冠を取り去った年(エルサレム陥落年、「7つの時」の始まり)は606である。それはキュロスの第1年(前536年)から「70」年遡って得られた。(The Time is at HandbyCharles Taze Russell (first published in 1889 by the Watch Tower Society)(537)
②「7つの時」は607の秋に始まり、2520年後は1914年の秋である。なぜなら、ネブカドネザルの時代には暦が秋から秋であって、エルサレムの滅ぼされた前606年夏は前607年秋〜前606年秋の1年間だからである。(TheTruth shall make you free.(publishers:Watchtower Bible andTract Society)1943年発行)(545)。
滅茶苦茶な変更の手段として、シリア地方の当時の暦なるものを持ち出してきました。その言い分は正当でしょうか。「70」年の預言は誰がしたのかと言うと、エレミヤですね。エレミヤ25112910に見えます。「536」からその「70」を遡って出て来ただけの「606」を「607」に何とか変えようとしています。その手立てを受け入れたいところですが、著者エレミヤは1年を秋から秋ではなく、春から春と認識している事実を(571)で示しました。どういうことかというと、エレミヤ3622より、第9の月は冬です。「王は冬の家に座していた。第9の月であったので、彼の前には暖炉に火が燃えていた。…」。秋が1年の始まり、つまり第1の月≒10月とすれば、第9の月は6月頃となって、初夏なので暖炉に火が燃えている部屋は想像できません。エレミヤ369にも「第9の月」が現れます。「それは、ヨシヤの子であるユダの王、イェホヤキムの第5年、第9の月のことであった」。付け足しですが、ここについての岩波旧約聖書の註にこうあります。「前604年。第9の月は太陽暦では1112月に相当する」。エレミヤの言う1年間は春から春であることを確認しました。従って、②はインチキです。また「637」の言及が確かありませんでした。60753671≠「70」のままで宜しいですか。
ここで、レイモンド・フランズ氏の『良心の危機』を協会に向けて披露します。

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257ページに、「ひっそりとその開始点が1年分ずらされて紀元前607年にされ…」たが、「…エルサレムの崩壊が…1年早かったことを示す歴史的証拠はまるで無かった。」と述べられています。ラザフォードが死去するまで「606」→「607」には手が付けられていなかったと言うことです。そして、その翌年に上記の如く突然変異です。60年間以上そのままにしていたのにはどんな思いが内在していたのでしょうか。止むに止まれぬ神意でしたか(538)。
統治体メンバーの一人でしょうか、256ページ末の発言が振るっています。(笑いながら)「ずっと前からよく言っていたよ、年代をあっちからこっちに動かせばそれで済むってね」。
一般信者たちは、協会の見解が脈絡なく変更されても違和感を覚えません。新しいほうを受け入れて、古いほうには目を向けなくなるだけです。変わる前が理不尽であっても、また変わった後も理不尽であっても。協会は何時でもまじめに物事に取り組んできて、知識不足も認識している。考えを改めねばならない事態に出会ったことが稀ならずあった。その都度憚ることなく、ちゃんと訂正してきた。変更していない内はそれが正しいのだ。将来新しい知識が加わって見解は変わることもあり得る。引用文中の統治体メンバーの言葉は協会本部の内情を言い得ているのではないでしょうか。いくら変えても良いのです。また、いくら変えなくても良いのです。信者の人たちは付いてきます。疑うことを忘れた人たちです。「これも嘘、またそれも嘘だけど」→「嘘だとは思わない。変更していないから。組織を信じているから。組織を悪く言わないで」。
 
 

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