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前回引用した『目ざめよ』(197278日)と20111011月の『ものみの塔』とを橋渡しするVAT4956についての見解が述べられているところです。1981年発行です。一部省略しています。
14章の付録
歴史家たちは,バビロンがクロスの軍の手に落ちたのは西暦前53910月であったと考えている。……その新バビロニア年表によると,皇太子のネブカデネザルは西暦前605年にカルケミシの戦いでエジプトを破っている。(エレミヤ 46:12)ナボポラッサルの死後,ネブカデネザルは王位を継ぐためバビロンに戻った。彼の治世第1年はその翌春(西暦前604年)から始まった。
聖書の伝えるところによると,ネブカデネザル配下のバビロニア人は,彼の治世の第18年(即位した年を含めると第19年)にエルサレムを破壊している。(エレミヤ 52:5121329)したがって,上記の新バビロニアの年表を受け入れるとすれば,エルサレムは西暦前587年から6年にかけて荒廃したことになる。……この一般の年表の主な証拠資料を幾つか挙げると次の通りである。
プトレマイオス王名表: ……
ナボニドスのハラン石柱(NABON H 1B: ……
VAT 4956: これは,西暦前568年のものと測定できる天文学上の事柄を記した楔形文字の粘土板である。この粘土板には,ネブカデネザルの第37年から観測が行なわれたと述べられている。これはネブカデネザルの治世の第18年を西暦前587年から6年とする年代計算と符合する。しかし,この粘土板が西暦前3世紀に作られた写しであることは明らかであるゆえに,その歴史的資料はセレウコス時代にのみ受け入れられていたものかもしれない。
商業用粘土板:……
一般的な見地からすると,そのような証拠資料は,ネブカデネザルの第18年(およびエルサレムの破滅)を西暦前587年から6年とする新バビロニアの年表を確証するもののように思えるかもしれない。しかし,現在知られているバビロニアの歴史が誤解を招く,あるいは間違っているかもしれないことを否定できる歴史家は一人もいない。例えば古代の祭司や王たちが,時折自分の目的に合わせて記録を書き変えたことはよく知られている。あるいは発見された証拠がたとえ正確なものであっても,現代の学者がそれを誤って解釈したり,証拠そのものが不備であったりして,これから発見される資料によってその時代の年表は大幅に変えられることもあり得る。……
……聖書の内面的調和や,その筆者たちが年代学上の事柄にまで細かな注意を払っていることに強く心を動かされるクリスチャンは,一般の歴史家たちの絶えず変化する見解の権威よりも,聖書の権威を重視するのである。
……その70年は,バビロニア人がエルサレムを滅ぼしてユダの地を荒廃させた時から始まったとするのが,エレミヤ記 2511節と他の聖句の一番正しい解釈であるとわたしたちは信じている。―エレミヤ 52:12152427; 36:2931
その期間の年代計算を主に一般の資料に頼る人々は,もしエルサレムが西暦前587年から6年に破壊されたとすれば,クロスがバビロンを征服してユダヤ人をその故国に戻すまでの期間は70年にならないことを認めている。それで彼らはその辺のつじつまを合わせようとして,エレミヤの預言は西暦前605年から成就し始めたと主張する。……このようにして彼らは70年を,西暦前605年に始まったバビロンへの隷従期間とする。これは70年の期間が西暦前535年に終わることを意味する。
……しかし聖書自体は,70年が西暦前605年に始まったとか,エルサレムが西暦前587年から6年に破壊されたとかいう主張を否定する,さらに有力な証拠を提供している。……歴史家たちは,クロスが西暦前539年の10月にバビロンを征服したこと,またクロスの治世の第1年が西暦前538年の春に始まったことを認めている。クロスの勅令が彼の治世の第1年の遅い時期に出たとしても,ユダヤ人は,エズラ書 31節にあるように第7の月(チスリ)までには彼らの故国に容易に帰還できていたはずである。それは西暦前537年の10月になる。
しかし,クロスの第1年を西暦前538年から535年まで引き延ばす道理にかなった方法はない。……エホバの「良い言葉」は,予告されていた70年の期間と密接に結び付いている。というのは神はこう言われたからである。
……同様にわたしたちも,聖書と一致しない一般の証拠をおもな根拠とする年表よりも神の言葉の導きを第一とし,進んでそれに従う。……
VAT4956についての見解及び気掛かりな言い回しの部分を残し、かなり削除しました。(788)に載せた文章の前半部分で、印からは同じところです。1972198110年足らずの間隔ですが、ここにはセレウコス朝時代に流布していた歴史情報かも知れない、と記されています。「であるかもしれない」はいつものように頼りない言い方です。じゃあ「でないかもしれない」場合も大いにありうると言うことでしょうか。前3世紀に作られた楔形文字粘土板であると言い切っています。セレウコス朝シリアは前4世紀後半より前1世紀半ばまで存在した王国で、最終的にローマ帝国に滅ぼされました。「VAT956の写字者が、その当時受け入れられていた年表に一致して、ネブカドネザルの37年を挿入したということもありえます」(前回の『目ざめよ』引用部分)辺りに相当するようです。前3世紀に作られた写しであることは明らかであるそうです。合わせて考えると、前6世紀前半に記された原VAT4956は、セレウコス朝時代に、当時の古い資料に基づいて新たに作られた2代目VAT4956になったということかどうか。或いは元々のVAT4956に「37」を彫り足してしまうという大胆な行為なのか。良く分かりません。セレウコス朝の時に作られたものだという説を昔唱えている学者がいたのでしょうか。JW組織の方、是非聞かせて下さい。たぶん何処かからの受け売りでしょうから。この紛い物が、如何したわけか更に30年経って、記載されている天文現象(但し月の位置だけ)は「588587」年にピッタリ合っているので、第2回バビロン捕囚の開始は「607」に違いないという境遇を与えられているのは、一体何方が納得しましょうや。信憑性十分の考古史料なのか、300年ほど後に作られた紛い物なのか、詳細な説明あってしかるべきですね。VAT4956の名誉がかかっています。
万一、後に古い歴史を掘り起こして記された粘土板であるとしても怯むことはありません。VAT4956の描写している夜空や明け方の空たちは「568567」年の空であると表明しています。そこでですが、1981年には協会も認めてしまった風です。「(VAT4956は)西暦前568年のものと測定できる天文学上の事柄を記した楔形文字の粘土板である」と、で出しに書いているではありませんか。それがネブカドネザル第37年と(粘土板冒頭に)記されているので(治世第18年が)587年か586年のことであると分かる。「符合する」とまで強調しています。
切羽詰まった事態をどう打開したら良いやら。この時点では恐らくVAT4956=「568567」は認めざるを得ぬ苦しい身の上だったと想像します。そこで後の言動が解せます。「37」は書き足したものだ。その手立てを除いて「新しい光」が見えない。21世紀も10年余り過ぎた頃、大発見がありました。記載されている月の位置は7月の月食の日(即ち満月の日)を(前588年)シマヌ15日とするバビロニア暦を無理に作ると前568年の1年間の月の位置と大体一緒になるではないか。しめた。そこで、以前の物言いを全てかなぐり捨てて、VAT4956は「588587」年の空です。惑星と星座の位置関係は当てに出来ません。VAT4956の空は「568567」年のそれに符合するは何処へ行ったやら。30年も昔なら大丈夫、大丈夫。そんなこと言いましたっけ。「37」も改竄ではなく真実であることが突き止められました………。推測が外れていたらご容赦を。新たに考え直します。
VAT4956について以外の、本文中、目に余る物言いは読めば明らかです。

何回目か忘れましたが、何回取り上げても(275669など)、取り上げるに足る世にも恐ろしい言動です。回数を遠慮する手立てを知りません。197278日『目ざめよ』の2829㌻、「バビロンがエルサレムを荒廃させたのはいつか」が1番手です。一部割愛します。
「あなたのみことばは真理です」、バビロンがエルサレムを荒廃させたのはいつか
世俗の歴史家はふつう,エルサレムが荒廃した正確な年を西暦前586年とします。では,なぜエホバのクリスチャン証人たちは,それが西暦前607年に起きたと言うのでしょうか。なぜなら,エルサレムの荒廃期間について聖書が述べている事柄を確信しているからです
聖書は,ユダとエルサレムの荒廃が70年間としています。……それは確かに,文字通り七十年の期間でしたか。そのとおりです。……もし七十年が象徴的な,もしくは誇張されたおおまかな数であったなら,ダニエルはそう言うことはできなかったに違いありません。
……古代のユダヤ人が,この七十年を,文字通りのものであり,エルサレムの完全な荒廃の期間であると理解していたことは,ユダヤ人の歴史家ヨセハスの著作からはっきりわかります。…イスラエル人がユダとエルサレムに戻ることができた時,その荒廃は終わりました。…歴代志略下 3621節から23節およびエズラ書 31節から3節の記録によれば,ユダヤ人は西暦前53710月初旬に故国に戻り,荒廃の七十年が終わったことが示されています。したがって,エルサレムはそれより70年前の西暦前607年に破壊されたにちがいありません
聖書の記述と西暦前586年とを結び付けようとするさまざまな試みは,したがって,満足のゆくものではありません。そうした試みのどれひとつとして,エルサレムとユダが70年間荒廃の状態にあったという聖書の証言に適合しません
西暦前586年という年は,主として「トレミーの規準」として知られるものに基づいており,…… ……しかしなかにはトレミーの規準が定めている年と全く同じ年を,ネブカデネザル治世の第37年としている,古代の天文学上の粘土板,VAT4956があるではないかという人があるかもしれません。
確証的な証拠の源には,信憑性がなければならないということを見のがしてはなりません。「VAT4956」にはそれがありますか。あるとは言い切れません。その本は原文ではなく,また中絶箇所がたくさんあります。そこに見いだされるいくつかの用語は現在では理解することさえできません。本文中にhi- bi(“消されて中断している”の意)という記号が2回出てきます。その記号を使うことによって,写字者たちは,自分たちが不完全な原稿を資料にして書いていたことを認めました。
こうした問題があるにもかかわらず,天文学上の情報が原文の真の姿を示しているとしても,それによって歴史的な資料の正確さが確証されるわけではありません。…「VAT4956」の写字者が,その当時受け入れられていた年表に一致して,“ネブカデネザルの第37年”をそう入したということもありえます。ドイツ人の学者ネウゲバウエルとウエイドネル(「VAT4956」の本文の翻訳者たち)が認めているように,写字者がその時代に一般的であった語句を略書する方法にならってことばを変えたことは明らかです。しかし,写字者は一貫性がなく,不正確でもあるので,自分の目的のためには,他の情報をそう入することもやすやすとやってのけたにちがいありません。したがって,トレミーの基準も「VAT4956」も同一の基磯資料を源にしていることさえ考えられます。共通のあやまりを犯していることもありえるのです。
トレミーの規準と「VAT4956」に対立しているのは,ユダとエルサレムが70年間人が住まない状態であったという,エレミヤ,ゼカリヤ,ダニエル,および歴代志略下の記述者の一致した証言です。それらの書物の何千という古代の写本には同じ証言がしるされています。トレミーの規準と「VAT4956」にはいろいろな問題が内在していますから,それらを受け入れるには,バビロニア人によるエルサレムの破壊を西暦前607年とする聖書の証言を受け入れるよりも強い信仰がいります
201110月、11月から凡そ40年前にまとめられた文言です。VAT4956は、ぼろくそに貶されています。驚かないで下さいよ、同じ仲間が書いたんですからね。最初に気になるのは、「ネブカドネザルの第37年」は挿入したということも有り得ます、と述べられているところです。改竄説を展開しているのです。楔形文字粘土板に刻まれた原文に書き足したのではないか。「その当時受け入れられていた年表」とは、他のJW出版物のところで現れるセレウコス朝シリア時代を言っているのか、その年表に則って、原文はネブカドネザル第37年の出来事だからと割り出して、「37」を勝手に入れてしまったと言いたいのでしょうか。良く分かりませんが、また理解しようとも本当は思いませんが、年表は関係ありませんよ。ある1年の天文現象が日を追って記されている粘土板です。私の理解力不足かどうか、もっと平易な文章を望みます。仮に「ネブカドネザル第37年」に合致する1年間の天文現象を突き止めて、乃至はそれが記録に残っていて、これは「37」の出来事に違いないとして「37」を書き加えてしまったと言いたいのかどうか。
「(挿入したということも)有り得ます」とは自信の無い言い方です。挿入したと判断しているのではないのですか。本当は「37」では無いと言いたいのでは。違いますか。…と考えられますと書いて下さい。その他に「あるとは言い切れません」とか「確証されるわけではありません」とか「(共通の誤りを犯していること)もありうるのです」とか、推量風の書き方が目に余ります。そうだ、或いはそう考える、と言えない事情があるのでしょうか。確かに推量ではあるのですが。
「挿入したということも有り得る」ならば、何割方か挿入ではなく、原文にも書かれていた数字である場合も考えているのでしょうか。そうじゃないですね。挿入された「37」に決め付けたいのでしょう。「37」は後から付け足した。そうすると、ネブカドネザル第37年の出来事がその後にずらずらと記されている。それは認めるのですか。あ、いや、失礼。当時の改竄者が当時一般的であった年表から判断して、「37」を挿入したということですね。当時の年表をJW協会は信用していないわけだ。第37年のことではないのですね。推量風のもう一つ、「(VAT4956には)信ぴょう性があるとは言い切れません」ゆえ「確証的な証拠の源」にはならない。何と歯切れが悪いことか。「言い切れない」とは信ぴょう性のある可能性も考えてよいですか。
「天文学上の情報が原文の真の姿を示している」との物言いも分かりづらいです。ネブカドネザル第37年の天文現象にピッタリの項目ばかりが記されていると言うことでしょうか。でも「37」は何世紀か後の、普及していた年表から割り出されたものだというのですから、その年表が正確でなければ何とも言えません。JW協会はその年表の信憑性をどう判断しているのか。信じられるのだとすると「37」は正解になってしまいます。信じられないならば、「37」は嘘だと。何だか頭が混乱します。VAT4956が信用ならないという思いは伝わってきますが、主張の核心がちっとも掴めません。もしかしたら、VAT4956の天文学的情報がネブカドネザル第37年に合致しており、しかもそれは前568年であることを認めざるを得ないので、第2回バビロン捕囚の開始(エルサレムの陥落)は前587年(or586年)に当然決まってしまうという事実が「原文の真の姿を示しているとしても」なる文章で認めているような気がするのですが。考え違いでしょうか。文章か的確に把握できず困っています。
最後に。ここでは、何故「607」なのかが端的に述べられています。聖書がそう述べているからだと。聖書の記す「70」は文字通りの70年である。加えてその終了年が「537」だからである。世にも不思議な集団がそう信じ込んでガチガチならば致し方ないとしておきますか。そんなわけに行かないですね。エルサレムに帰還した、想像の「537」はひとまず遠からずとしますが、70年遡ったら前607年になる。「607」って何だっけ。ネブカドネザルの即位する2年前、父王ナボポラッサルの亡くなる2年前、即ちカルケミシュの戦いの2年前。バビロン捕囚を行なったのはナボポラッサルであるはずがない。「607」には、ネブカドネザル皇太子。途方に暮れますね。どうしよう。70年戻ったら行き着く場所がない。そこで常人なら考えます。エレミヤの「70」って変だね。この「70」は何を言っているのだろう。そう、(自分たちも上記の文章中で述べている)象徴的な数字なのではないか。聖書は何が何でも正しい。間違いの書かれているはずがない。こう思い込んだか、或いは信者を離さないためにこの事を売りにしてきたかもしれない組織はどう歩んでいけば良いでしょう。真実の遂行に嘘は相応しくない。
文章の締めくくりとして、信者の人たちの受けを狙った言葉なのでしょうか、うまいことを言っています。VAT4956を受け入れるには、「(聖書の証言する)607」よりも強い信仰が必要であるそうです。そうすると、40年後の2011年秋には「607」に勝る信仰がVAT4956に与えられたのでしょうか。聖書よりもVAT4956のほうに、信用度が高いと言うことですね。20世紀の後半にこれ程のことまで言い放っておきながら、21世紀の初めにはVAT4956が「607」を証明する、聖書以外の唯一の考古学的史料の身分に変身しています。いくら何でも人間のすることとは思えません。VAT4956に対する見解豹変の経緯が何ら表明されていません。組織の将来の存続は諦めた方が良いかも知れません。
 

『王国が来ますように』14章の付録、188189㌻を下に掲げます。
“……しかし聖書自体は,70年が西暦前605年に始まったとか,エルサレムが西暦前587年から6年に破壊されたとかいう主張を否定する,さらに有力な証拠を提供している。先に述べた通り,もし西暦前605年から数えるとすれば70年の終わりは西暦前535年となる。しかし,霊感を受けた聖書筆記者エズラが伝えるところによると,70年は,ユダヤ人の故国帰還を許可する勅令を出した「ペルシャの王クロスの第一年」まで続いた。(エズラ 1:14。歴代下 36:2123)歴史家たちは,クロスが西暦前539年の10月にバビロンを征服したこと,またクロスの治世の第1年が西暦前538年の春に始まったことを認めている。クロスの勅令が彼の治世の第1年の遅い時期に出たとしても,ユダヤ人は,エズラ書 31節にあるように第7の月(チスリ)までには彼らの故国に容易に帰還できていたはずである。それは西暦前537年の10月になる。
しかし,クロスの第1年を西暦前538年から535年まで引き延ばす道理にかなった方法はない。一部の人はこの問題の無理な説明を試み,エズラとダニエルはクロスの治世の正式な数え方とは異なる,ユダヤ人独特の見地から「クロスの第一年」と言ったのだと主張した。しかしその主張は認めることができない。というのは,聖書筆記者たちが注意深く明確に伝えている通り,非ユダヤ人の総督が言ったこととペルシャの公文書保管所にあった一文書の内容とが,勅令はクロスの第1年に出されたという点で一致しているからである。―エズラ 5:613; 6:13。ダニエル 1:21;9:13
エホバの「良い言葉」は,予告されていた70年の期間と密接に結び付いている。というのは神はこう言われたからである。
「エホバはこのように言われた……『バビロンで七十年が満ちるに応じて,わたしはあなた方に注意を向けるであろう。わたしはあなた方をこの場所に連れ戻すことにより,わたしの良い言葉をあなた方に対して確立する』」。(エレミヤ 29:10)ダニエルはこの言葉を信頼し,70年というのは“概数”ではなく,信頼できる正確な数字であると信じていた。(ダニエル 9:12)まさにその通りであった。
同様にわたしたちも,聖書と一致しない一般の証拠をおもな根拠とする年表よりも神の言葉の導きを第一とし,進んでそれに従う。70年がエルサレムの破壊とその後のユダの完全な荒廃とともに始まったとするのが,聖書のさまざまな陳述の最も分かりやすくて率直な解釈であることは明らかなようだ。(エレミヤ 25:811。歴代下 36:2023。ダニエル 9:2)したがって,ユダヤ人が西暦前537年に故国に戻った時から70年を逆算すると西暦前607年になる。それはネブカデネザルの治世の第18年で,彼がエルサレムを破壊し,ゼデキヤを王位から除き,地上のエルサレムで王位に座すユダの王統に終わりをもたらした時である。―エゼキエル 21:1927
一方、ヤフー知恵袋に、「secular2004jp君、エルサレム陥落の年は607年でいいの?」なる質問が載っています。この後に記されている文章は質問に当たっての参考資料と考えればよいのでしょうか。「607」だと片方の主張をしているだけのものです。ならば、別に質問をする必要がないように思えます。或いはこれを根拠に、私は「607」が正解だと考えるが、如何でしょうかと尋ねているのでしょうか。
それはともかくとして何と、最初に掲げた『王国が来ますように』からの引用文とほぼ一緒だと思いませんか。JW協会の受け売りを巷に拡散させて攪乱したいようです。基礎知識を持たない人が真に受けてしまう危険がいっぱいです。
ところがじっくり眺めると、一部違います。落丁しているところがあります。下線で示しました。うっかりミスなのか意図的行為なのか、気になります。70年に満たない、いや50年にさえ満たない「587or586)〜539or538)」を「70」に無理に合わそうとして、「605から535」を捻り出した人がいて、その人がキュロスの1年を前535年とした。それはユダヤ人独特の見地からである。と理解して良いでしょうか。ところで、「ユダヤ人独特の見地」とは何ですか。そしてそんな主張をした人が嘗ていたのでしょうか。何だか訝しげですね。まさかいくら何でも、いくらJWでも、そんな作り話はでっち上げないでしょうから、大昔にはそんな人が存在したと判断しましょう。現代の世の中で「〜535」などと言う人はいないでしょうから、とんでもない昔の説を引っ張り出してきて、ここで「〜537」の対案の位置を与えて、うまく「〜537」案の存在を正当化したいのかどうか。因みに、JWは昔「〜536」を主張していたことを思い出しました。「536」から「606」では「1914」に成れないため、「607」と「537」に知らないうちに変えていた経緯があります。「70」には別の説もありますが、この二つの説だけのように匂わせて、自分たちの推量説を、相手方の有り得ざる説を用いて格上げしているように思えます。
話変わって、「クロスの勅令が彼の治世の第1年の遅い時期に出たとしても」は面白いですね。大事な計算の始まりに推測が入って良いのですか。じゃあ早い時期にキュロスが勅令を出してしまったら如何したんでしょう。前538年の秋には故国に帰っているのでは。一般常識人にとってはこの場合1年違いは重きを成しませんが、「537」でなく、「538」が正解になります。では「608」になって、「1913」に行き着く計算は如何しましょう。「587or586)」にとっては、「539」だろうが「538」だろうが「537」だろうが一向に構いません。
聖書のさまざまな陳述の最も分かりやすくて率直な解釈であることは明らかなようだ」なる文章も、「ようだ」と推量になっています。どうして断定しないのでしょう。自信がないのですか。それとも、実際はそうではないが、仕方なくそうしてしまおうと言うことでしょうか。
 

前回扱った「ヤフー知恵袋」の質問事項に対する回答欄を取り上げます。質問内容はこのようでした。“西暦前607年エルサレムが陥落したかどうかについてなんでそんなに言い争っているのですか? 補足:聞きたかったのはなんで586年か、607年か言い争う必要があるのかということだったんですが・・・どっちでもいくないですか?エルサレムの陥落ってそんなに重要な年なんですか?”。ではその答えの一部分です。

“……質問からずれますけど,ものみの塔の11月1日号をご覧ください。
vat4956(粘土板)に見られる月の位置に関する13の記述を過去の特定の日における天体の位置を示せるコンピューター・プログラムの助けを得て、データを分析した結果は568年ではなく、586年ニサン9にぴったり当てはまりすべてが一致します。ということはエルサレムが滅ぼされた年が聖書の示しているとおり西暦前607年であったことを裏付けるものとなりました。一般の歴史家の大多数とは異なるデータが出てきましたが、聖書の信頼性を示す一つの証拠がまた一つ増えたのです。

JW仲間の人なんでしょう。JW協会の言い分を鵜呑みにしているのは、神の経路と崇められている組織幹部たちなのだから、ひとまず聞いておきましょう。しかしそれがインチキだとしたら見解を改める余裕がありますか。歴史専門書をじっくり読んでみますか。真実の聖書を日夜勉強し、聖書の真実を求めているのでしょ。真実が大切なのは重々認識していますよね。
13の月の位置記述は「568」と「588」とで似通っており、それほどの差はありません。バビロニア暦第三の月(シマヌ)15日の月の位置がほぼ同じだからです。この時点に於いてはVAT4956が「588」も候補だという意見はひとまず受け付けましょう。でもここで一つの満たすべき条件は、協会の「588587」年バビロニア暦が正解でなければならないと言うことですが、それは真っ赤な嘘です。厳密に検討すれば、月の位置記述も「568」に分があることは確認してあります。それよりも何よりも、神を信じているであろう人たちが神にも背く行為に及んでいることを指摘しなければなりません。即ち繰り返し述べているように、VAT4956に記載された惑星と星座の位置関係のところを全て検討対象から外すという大それたことをやってのけました。天文ソフトを用いて13の記述を検討したなんて受け売りを言っているあなた。それ知っていますか。「惑星と星座」について天文ソフトを使って調べると、「588」は最初に脱落し、「568」にピッタリのVAT4956の空に決まるのでした。
聖書はエルサレムの滅ぼされた年を「607」とは決して言っていない、「587or586)」を強く主張しています。考古学の援用があって。もし「607」を裏付ける聖書、なんて公言したら、聖書の嘘つきと言っているのと同じですよ。

同質問に対するおかしな回答が目白押しです。“faile22170さん は、健気ですね。復興頑張って下さい!
BC607がなんだこうの言っているのはアンチの人だけであって、我々にしてみれば、常識なのです。エホバの証人にとって、BC607よりも、1914年にイエス・キリストが臨在されたことの方が、重要です。エホバの証人を含め、キリスト者といわれる方々へ、以下の預言を実際に実践しているのは誰ですか? エホバの証人ですよね。
マタイ24:14
14
そして,王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです。
よろしくお願いいたします。

607」が常識だそうです。「常識」の意味分かりますか。一般人の持つ考え、普通の見解、乃至は、社会人として当然持っている、持っているべきだとされる知識、判断力、(日本国語大辞典)。世間の非常識がJWの常識になりそうです。「607」は有り得ない、最初から存在しないと確定している時、常識を持ち合わせている人はどういう態度を取るでしょう。そのくらいの常識はあるでしょうか。そうです、お詫び訂正ですね。そんなこと金輪際する気がない今、新たな考古学説を捻り出しますか。でも生の天体観測データであって、頭で考えた説でないことであってみれば、処置無しです。
607」よりも「1914」のほうが重要であるという言葉も理解に苦しみます。「607」を飛び越えて「1914」がオンリーワンで存在しているような。「537」→「607」→「1914」はどうしましたか。最終的に「1914」が輝いていると言っても、変な途中計算を誤ると「1914」に行き当たらないのですけど。ひょっとすると「1915」になってしまうほど大切な「607」です。更にもう一つ。

私は、重要な事柄だと思います。理由は、1914年にイエスが臨在?再臨していると言う教えは、第2テサロニケ2:2.〜の警告に当てはまるからです。
そこには、霊によってであれ、言葉によってであれ、あるいは私たちから来たとされる手紙によってであれ、これらのものがあたかも「主の日はすでに来ていると言う趣旨の事を言っているとの理由で、すぐに分別を失って頭が混乱したり、恐怖心を抱いたりする事のないように」。との偽物を見分けるアドバイスが示されているからです。
続きの聖句を見て行くと、主の日は、滅びの子が出現しない限り到来しないからです。
つまり、イエスがすでに来ているかのように言っている者こそ、聖書に預言されている滅びの子だからです。

1914」から溯ること2520年、「607」年が嘘だとすれば、聖句の解釈は違ってきましょうか。年代をずらせば良いでしょうか。ここはどうも嘘の「1914」を正しいものに変えれば良いようです。数字の訂正をお願いします。と言っても考えようのない数字ですね。
 
 

「ヤフー知恵袋」内にこんな質問を見つけました。“2011/9/908:00:09エホバの証人とアンチエホバの証人に質問です。
 西暦前607年エルサレムが陥落したかどうかについてなんでそんなに言い争っているのですか? 補足:聞きたかったのはなんで586年か、607年か言い争う必要があるのかということだったんですが・・・どっちでもいくないですか?エルサレムの陥落ってそんなに重要な年なんですか?
”。

586」(or587)でも「607」でも、どっちでもいくないですか。本人は本当にそう思っているのでしょうか。先ず考えたのは、この質問者はJW信者ではないかということです。それはさておき、エルサレム陥落が重要であるか、重要でないか、そんなに重要でないならどっちだって良いじゃないか、と言っていると解釈して良いでしょうか。本人に尋ねます。歴史の真実って大切でないのですか。基本姿勢から言って、なっていないのではないでしょうか。ちょっと譲るとして、上記の言い方が出来るのは、説が二つあってどっちにもそれなりの分がある場合のみです。ならば議論を戦わすでしょう、真実に近づくために。それだって、どうでも良いことではないですね。しかしです。「607」は箸にも棒にも掛からない世迷い言です。根拠のない作り話です。考古学者の人たちは考えに上せたこともありません。話したら、きょとんとすること請け合いです。
それを知った上で、あなたがもしもJW仲間でなければ大声でこう言いますね。この嘘つき。嘘つきは泥棒の始まりと言われます。言い争うのは嘘を作っているからです。片方が根っからの嘘ならば、言い争う必要はないとは、よもや言いますまい。いやこの場面、「言い争う」なる言葉は不適切です。本来なら、片や嘘は最初から言い争う必要なし。
JW協会にとっては、エルサレムの陥落が重要な年であると言うよりも、「607」を動かす訳に行かないのです。変てこりんな計算によって、「1914」を導き出すのです。歴史の事実に対して1年違いはそれほど目くじらを立てることは滅多にないでしょう。1年違いが重要になってくることはままあるものの、歴史の流れを逆行させなければひとまず良いのでは。それが彼らにとっては、19131915ではいけないのです。だから何とかその1年に納めるため、小細工を繰り返しました。19世紀末から20世紀前半にかけては、「606」から2520年後は「1914」だと主張していたことは皆さんご存じでしょうか。計算違いの挙げ句、「536」→「606」→「1914」がオリジナルであったのを「1914」→「607」→「537」となり振り構わず、今度は遡ってしまいました。現在のJWの皆さん、これらの経緯を丸ごと飲み込んで、それでも付き合い続けますか。あんまり分かりませんか。考えたことないですか。知らなくても良いですか。寧ろそんなこと耳に入れないでくれ、ですか。そのままで許容しますか。JWの一人一人、一個の人間ですよね。

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