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オンリーワンをどの時点でかなぐり捨て、その他一緒の誰でも良い大勢になってしまったのでしょう。JW信者の人たちの心というか、頭というか、それを思い描けそうな文面にまた出会いました。「1914年に終わりの日が始まったという聖書解釈について」(「エホバの証人掲示板」2015.721)ですが、YM氏がコメントを寄せています。
すみません、過去のトピック見ているうちに見つけたものですから・・・。
私もこの点は調べてみました。もちろん、ジョンソン氏の見解も読みました。Yahoo知恵袋でもたくさん討議しました。
結論としては、西暦前607年説(JW説)も、西暦前587年説(ジョンソン説)もどちらも理論としては成立可能でそれぞれ根拠はある、というものでした。
というのも、西暦前539年をキュロス大王の第一年としている点では、両者の見解は全く同じで、ただそれから約70年さかのぼるか、約50年さかのぼるかの違いだけだからです。
-607年説について言えば・・・、聖書をそのまま読むと、歴代第二36:21には、エルサレムが「荒廃」と「安息」の期間である「七十年を満了した」とありますね。
「安息」とは土地を休める、つまり全く使わない状態であり、また「荒廃」とは人が住んでいない草ぼうぼうの状態だと言えますね。そのような状況は、エルサレムが陥落し、焼かれ、人々が住まなくなった時から始まりました。
一方、バビロンの陥落後、ユダヤ人の帰還には少し時間がかかりました。JWが言うように、それが西暦前537年の秋だとすると、その年に、ユダヤ人が再びエルサレムに住み始め、土地を使用し始めたことで、「荒廃」と「安息」が終了したわけですね。
そして、そこから「70年」を逆算すると、西暦前607年となる・・・、こういう感じです。
-まとめると、キュロスの第一年(前539年)に基づき、ユダヤ人が帰還した(荒廃と安息の終了・満了)年を前537年秋とし、それから70年さかのぼると、エルサレム陥落の年を前607年と算定できる。

-まあ、異論はあるとは思います。でも、一応、それなりに前607年説にも根拠はあるということですよね。その点、知恵袋で論じ合った結論をまとめてあります。以下をご参照ください。
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n299149

まかり間違って、「587年説(乃至は586年説)」(①)と「607年説」(②)が世間に存在するとします。それらから換算するとネブカドネザル第37年は紀元前何年に当たるでしょうか。①では前568年、②では前588年になる計算は簡単です。エルサエム滅亡年がネブカドネザル19年と聖書に記されていますが、ユダ王国での数え方で即位年を含めて19年なのか、バビロニアの数え方で即位年は統治年数に入らないとして、第18年なのか、は脇に置いておきます。
VAT4956には、ネブカドネザル第37年と記されているのでした。それは「568567」年と定まっています。従って②は存在しません。
この説ないですよ。どうします。根拠は全くなく、成立可能な理論ではないんですけど。聖書の「70年」も、安息だろうが、荒廃だろうが、それらの解釈などユダ王国滅亡(第2回バビロン捕囚、エルサレム陥落)にとって、最早何の拠り所にもなりません。「37」年=「568567」が明らかな今、議論を戦わせる必要はありません。
そこで万が一②が生き残るには、VAT4956を亡きものにするしかありません。でもそれは厳然と存在しています。21世紀に入ってJW協会は「37」を事実と認めています。VAT4956を受け入れています。20世紀にはどう主張していたか、21世紀には考えをどうねじ曲げたか。都合次第で如何様にもころころ変えていく節操のなさは何ら気が咎めません。新しい光とか呼ぶんだそうです。VAT4956を「568567」に確定させないためにどんな企てが必要か。20世紀以来の主張の変遷を追えば、その知恵があぶり出されてきます。さてどう持って行くか。その悪知恵を披露します。
1)「37」は後から挿入したのだ。

しかしなかにはトレミーの規準が定めている年と全く同じ年を,ネブカデネザル治世の第37年としている,古代の天文学上の粘土板,「VAT4956」があるではないかという人があるかもしれません。確証的な証拠の源には,信憑性がなければならないということを見のがしてはなりません。「VAT4956」にはそれがありますか。あるとは言い切れません。その本は原文ではなく,また中絶箇所がたくさんあります。そこに見いだされるいくつかの用語は現在では理解することさえできません。本文中にhi-bi消されて中断しているの意)という記号が2回出てきます。その記号を使うことによって,写字者たちは,自分たちが不完全な原稿を資料にして書いていたことを認めました。

こうした問題があるにもかかわらず,天文学上の情報が原文の真の姿を示しているとしても,それによって歴史的な資料の正確さが確証されるわけではありません。トレミーが(彼の理解にしたがって),古代の王たちの治世を,天文学的資料を配列するための単なるわく組として用いたように,「VAT4956」の写字者が,その当時受け入れられていた年表に一致して,ネブカデネザルの第37をそう入したということもありえます。ドイツ人の学者ネウゲバウエルとウエイドネル(「VAT4956」の本文の翻訳者たち)が認めているように,写字者がその時代に一般的であった語句を略書する方法にならってことばを変えたことは明らかです。しかし,写字者は一貫性がなく,不正確でもあるので,自分の目的のためには,他の情報をそう入することもやすやすとやってのけたにちがいありません。したがって,トレミーの基準も「VAT4956」も同一の基磯資料を源にしていることさえ考えられます。共通のあやまりを犯していることもありえるのです。
(『目ざめよ』1972.708「バビロンがエルサレムを荒廃させたのはいつか」)
「原文の真の姿を示している天文学上の情報」は「568567」年なる真の姿を証明しているとJW協会は認めているのでしょうか。それだから、「37」は挿入したのだと。実際の数字は違うと。後のほうでは、これ以外の情報も挿入したとも書かれています。
2)記載内容は全て信用できない。
VAT 4956: これは,西暦前568年のものと測定できる天文学上の事柄を記した楔形文字の粘土板である。この粘土板には,ネブカデネザルの第37年から観測が行なわれたと述べられている。これはネブカデネザルの治世の第18年を西暦前587年から6年とする年代計算と符合する。しかし,この粘土板が西暦前3世紀に作られた写しであることは明らかであるゆえに,その歴史的資料はセレウコス時代にのみ受け入れられていたものかもしれない。
1981年、『王国が来ますように』「14章の付録」
1)の約10年後には、原文に付け加えた「37」は出て来ません。セレウコス朝時代の写し故、その時代にだけ受け入れられていた紀元前6世紀史と言ったら良いでしょうか、それが書かれており、信用できないそうです。でも、じっくり読んでみると「568」を認めているんですね。ならば3世紀ほど前の歴史が正しく伝えられていれば信じて良いわけです。セレウコス朝時代にのみ通用した歴史とは何でしょうか。VAT4956には「568567」のことが書かれているが、嘘の歴史であると。
3)「568567」よりも「588587」年のほうが、月の位置記述はピッタリなので、ネブカドネザル第37年は「588587」に間違いない。惑星と星座の位置関係は解釈のはっきりしない点があり、検討の価値はない。

18. 「ライプチヒで行なわれた,王立ザクセン科学協会の討議に関する報告」(ドイツ語),第67巻,1915年5月1日,「ネブカドネザル2世の第37年(–567/566年)に関する一天体観測者の文書」,パウル・V・ノイゲバウア,エルンスト・F・ワイドナー共著,67‐76ページより。それによると,月と特定の星もしくは星座との位置関係の観測結果が13載せられている。また,惑星の観測結果も15挙げられている。(72‐76ページ)を表わす楔形文字のしるしは明瞭で間違えようがないが,惑星の名称やその位置を表わすしるしの中には不明瞭なものもある。(「メソポタミアの惑星天文学‐占星術」,デービッド・ブラウン著,2000年発行,53‐57ページ)ゆえに,その惑星観測の記述は,推測が必要で,幾つもの異なった解釈ができる。月がかつてどの位置にあってどのように見えたかは容易に分かるので,VAT4956で言及され月と結びつけられているそれら他の天体の位置は特定でき,いつその位置にあったかも確定できる。

19. この分析は,TheSky6™という天文学ソフトウェアを使って行なわれた。それに加えて,包括的なフリーソフトCartesdu Ciel/Sky Charts(CDC)と米国海軍観測所提供の暦変換ツールも使われた。惑星の位置の多くについての楔形文字の記号は,推測や幾通りかの解釈が可能なので,それらの位置に関する記述は,この天文日誌に記されたを特定するためのこの調査には用いられなかった

2011.1101『ものみの塔』、資料)
月の位置描写の部分については、こじつけたバビロニア暦においてシマヌ15日の月の位置が、「568567」と「588587」で大凡同じことを突き止めたため、こちらだけ検討対象に採用しました。紀元前を遡ること700年どころか、紀元前後2000年を考えても、唯一と決まる「568567」を主張しているVAT4956の「惑星と星座の位置関係」を臆することなく無視したのでした。月食のあった7月前半〜半ばをシマヌ15日とした暦を勝手に作ってしまえば、驚くことにその日の月の位置は大凡同じようであることから、当てはまる年は幾つも候補になります。だから惑星と星座の位置を観測した部分を取り上げないと、VAT4956の観測年を特定出来ないのです。その観測データをこともあろうに切って捨てました。倒錯しないまともな世界で何方が相手にする集団でしょうか。中で嘘偽りの罷り通る恐ろしい集団の存在を悲しまないわけに行きません。世の中で相手にされるはずのない集団を相手にせざるを得ない辛さを感じています。

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バビロニア考古学において、「37」とは、言わずと知れたVAT4956(バビロニアに於けるある1年間の天文記録)に記された「ネブカドネザル第37年」のことです。「37」を突き止めるには前6世紀前半を検討期間とすれば十分です。既に「568567」年に定まっており、天文現象の記録(惑星と黄道十二宮星座の位置関係描写)のどの項目を調べても、最初の1項目でもって「588587」年は消え去るのでした。だから「588587」など念頭にないのですが、新バビロニア時代よりも更に期間を広げて調べ、「568567」の1年に絞れるか以前にも何回もしましたが、知識が増え、検討の順序ももっと効率的に再度やってみます。アッシリア末期よりアケメネス朝ペルシア始めまで、前7世紀後半〜前6世紀全体(前650年〜前501年)を範囲とします。
最初の検討項目は1)「木星は蠍座α星(アンタレス)の上にあった」(おもて13)を用います。この記述はシマヌ1日の観測です。「…のfront」とか「…のbehind」でなく、「…の上」としっかり記しているからです。黄道上に占める蠍座の領域は狭く、「アンタレスの上」を眺めると、東隣の蛇遣い座に入ってすぐの辺りになります。そこで、木星が蛇遣い座に入った初日を150年間で書き出してみます。「ステラナビゲータ10」の位置推算で求めます。
640.1109628.1025616.1011604.924592.108592.905
581.1216580.809569.1129557.1114545.1030533.1015
521.928509.116509.910
次に、2)「木星は日没時に上ってくる」(おもて4)を考えてみます。木星の東の空に上る時刻≒日没時刻*を求めるには、出没表を用いるのでした(522参照)。木星の出没表において、青色の帯の下端(日没時刻)と3本の線(出、南中、没)のうちの黄色線(木星の出る時刻)との交点近辺が*となります。1年に1回起こり、その月日は1カ月ずつ遅れるようでした。2)が起こるのはニサヌ12日です。当該150年間に、ニサヌ1日は1番早くて311日、一番遅くて426日です。但し前650年〜前626年(ナボポラッサルの即位年)については物の本に出ていません。ニサヌ12日を3月後半から5月前半として、その間に*の起こる年を探してみます。
ア)640.405639.509、イ)628.410627.512
ウ)616.410、エ)605.317604.416、オ)593.324592.420
カ)581.327580.425、キ)569.331568.503
ク)557.403556.507ケ)545.409544.512
コ)534.316533.413532.514、サ)522.318521.419
シ)510.324509.422
1112年周期で同じ季節に戻ってきます。。時代を下るごとに、1年で1カ月ずつ遅くなって行くようですが、ともかくだんだん遅い月のほうへずれていき、戻ることはありません。例えば前640年を中心に考えると、前641年では*は33日、前642年では22日、前639年では59日、前638年では613日です。
150年間で24個と16程に絞れれば十分です。2)については、木星の出が日没時刻の前後何分まで許されるかです。30分も差があったらたぶん失格でしょう。半分の15分ならどうでしょうか。それを考慮すると、例えばア)なら44日とか6日とか、日にちに少し幅を持たせないといけません。
当初1)→2)の順で絞っていこうと考えていましたが、木星は一つの星座に1年ほども留まるので、2)→1)に急遽切り替えます。2)において該当する年数は24個になりました。断わるまでもなく、「588」や「587」が既に残っていません。前「588587」年は失格しました。24通りのうち1)に当てはまる年を探します。「アンタレスの上」を満たす条件は、木星が蛇遣い座に入った初日の前後半年の範囲で考えます。実際のところ、2)の1ヶ月半ほど後に1)が起こりますが、その範囲であれば必要条件に入っていると思います。番号は同じ①〜⑮を使い、その条件期間を書き出します。
640.5096395.09628.425627.425616.411615.411
604.324603.324593.708592.708592.305591.305
581.616580.616580.209579.209⑨569.529568.529
557.514556.514545.430544.430533.415532.415
521.328520.328509.716508.716509.310508.310
2)における24通りのうち上記①〜⑮に当てはまるものを選びます。
Ⅰ:639.509、Ⅱ:616.410、Ⅲ:604.416
592.402、Ⅴ:580.425、Ⅵ:568.503
Ⅶ:556.507、Ⅷ:521.419、Ⅸ509.422
上記の9つの候補が残りました。3月後半〜5月前半の範囲が入っているわけですが、実際の日にちを求めます。
Ⅰ不明(恐らくニサヌ月後半)、Ⅱニサヌ27日、Ⅲニサヌ15日、Ⅳアッダル13日、Ⅴニサヌ20日、Ⅵニサヌ12日、Ⅶニサヌ27
Ⅷニサヌ6日、Ⅸニサヌ22日。
ア)〜シ)は木星の出る時刻と日没時刻の最も近い日にちを拾ったので、前後2〜3日ずつくらい相応しい日を広げて考えないといけません。それを考慮して、最終候補はⅢとⅥの二つのみです。Ⅲについて、アンタレスとの位置関係はどうでしょうか。下図です。

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アンタレスの西、斜め上方にある木星をアンタレスの上にあるといって良いか、悩みます。と言いながら、すいません間違えました。アンタレスとの関係の記述はシマヌ1日頃でした。530日の空を掲げます。

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1ヶ月半後なので、木星は東に少し移動しているかと想像したところ、寧ろ西ですね。これだと猶アンタレスの上とは言いづらいです。
 今度は、出没表で調べた2)で、前604年4月16日の実際の数字です。

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日没から木星が東の空に上ってくるまで23分です。一方Ⅵは、この値が9分、木星の位置はシマヌ1日にはほぼアンタレスの上でした(500664)。
以上より、前7世紀後半〜前6世紀末において2つの条件からネブカドネザル第37年=前「568567」年であることが定められたことになります。星座と惑星の位置関係記載はこの2つ以外にまだ幾つもあります。どうでしょうか。認めてくれますか。始めから検討対象よりふるい落とされた「588587」は掬い取りようがありません。しかし組織幹部は認めるわけがありませんね。砂上の楼閣はどのような運命となるやら。一般のJW信者の人たちがちょっとでも目に留めてくれれば。神の経路にしては何か変だなと。命を賭ける宗教活動に嘘はそぐわないと。
 
 

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前回気になったことですが、「ステラナビゲータ10」と「SkyX」を比べて、同年同月同日で月の位置が微妙に異なり、後者のほうが僅か西となります。そのため後者の天文ソフトで調べれば、ニサヌ9日という記載のままで良く、1日前の間違いだろうと考える必要ないとJW協会が言い張る要素が少し残っています。微妙なことで協会の肩を持てば、の話ですけど。そこでその一縷の望みからVAT4956は「588587」だという主張は成立しないことを確認しておきます。
シマヌ15日の月食の日は、前588715日に歴史上確かにあった月食の日に相当するのだと決め付けて、「588587」年の暦を根拠なく作ってしまった協会の言うニサヌ9日は、遡って51011日と計算されます。VAT4956の文面上、後に続く行を追ってみます。3日後(ニサヌ12日)に、「木星が日没時に上ってくる」(ア)。5日後(ニサヌ14日)には「太陽と月は空に一緒に眺めることが出来て、日の出から月没まで4°(16分)」(イ)、と言う2つの観測状況を加味すれば判断が可能で、確認が出来ます。
アについては、51314日がニサヌ12日ですが、日没前に木星が東に上ってくればニサヌ11日の終わる頃、日没後に上ってくると12日の始まりに、と考えたらよいのでしょうか、ややこしいですが、まあ月の運行ではないので、木星なら1日違いがどうと言うことはありません。513日の出没表を示します。全て「ステラナビゲータ10」を用います。

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太陽は1644分に西に沈み、そのころ木星は地平線の遥か下です。木星は夜半過ぎに東に上ってきます。日没後8時間過ぎて上ってくる木星では話になりません。514日では、数分木星の出が早くなるくらいで、大方一緒です。。日没時刻は変わりません。
イを調べます。ニサヌ14日は51516日です。日の出後の空なので516日の早朝ですね。その日の出没表です。

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日の出16分後に月は西に没するとVAT4956は語っているのですけど。夜明けの30分余り前に月が沈んでいては困ります。
ニサヌ9日に於ける月の観測の、乃至は実際は8日ではないかとの、問題の記述の数日後のア、イと言う2つの観測記録に「588587」年はひどく背きます。VAT4956は「588587」でないことを納得しましたか。こんなに明らかですが。
勿論「568567」は協会十八番の「ピッタリ」に叶います。以前提示しましたが何回でも披露します。先ずアを。「568567」年ニサヌ12日が534日、53日では、

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日没後9分で東の空に上る木星が眺められます。5月4日では、日没の3分後に木星が顔を出します。5月2日では14分後に木星が上ってきます。日没の頃起こる現象として相応しいです。
次にイはどうかというと、早朝の空なのでニサヌ14日=5月5/6日より、5月6日の夜明け直後を眺めます。出没表です。

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日の出から月没まで、見て下さい、16分。何と本当に「ピッタリ」。素晴らしいですね。前日は、月の没する時刻のほうが13分早く、翌日は、日没47分後に月が沈みます。バビロニア暦のまさしくシマヌ14日早朝に当てはまっており、シマヌ13日以前では「moonset to sunrise」になってしまい、シマヌ15日以降は「sunrise to moonset」の観測が出来るものの、47分から更に伸びていきます。
余りに「ピッタリ」過ぎますが、片や「588587」のほうは月が3分も前に沈み、「sunrise to moonset」が測定不能です。勿論もっとひどいアでは、日没近辺に木星は地平線の下遥かです。ニサヌ9日を8日に移し替えないと合っていないではないか、当方はニサヌ9日をそのまま使えるなどと、ごり押ししようとしてもその日付け近くの別の観測で箸にも棒にも掛からない事態では何をか言わんや。世間一緒に呆れ返りましょう。
聖書の「70年」はそのまま70年だ、その70年はこの年からこの年迄だ、あくまでもそれを信じる。そこで思いとどまっておけば良いものを、証明論文を書くとは如何なる性分でしょう。一つ記せば一つの嘘、5つ記せば5つの嘘、……。証明を試みれば試みるほど嘘が止めどなく増えていきます。

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あくまでも仮の話です。VAT4956に載る観測データについて、候補が「588587」年と「568567」年に絞られているとします。その時点で、月の位置描写は前者において相応しい事柄が多いとか、後者のほうが相応しいという優劣は、原則的には付けられないというか、付けてはいけないのです。大雑把な検討においては両者の甲乙は付けられません。と言うのは繰り返すように、シマヌ15日の月の位置は、一般の「568567」年のそれと協会の言う「588587」年のそれとが位置がそれほど違わないからです。でも断わっておきますが、協会の「588587」年シマヌ15日が、有り得ない715日であるとした、有り得ない暦であるということです。月の位置関係の観測だけを取って、惑星と星座の位置関係は検討から外してしまえば論説は完成なわけですが、一体JW仲間の誰が考えついたのでしょう。フルリ氏ですか。悪知恵を考えつく頭はさえています。
しかし微妙な違いはあります。そのことで、ニサヌ9日の月について、実際は8日が相応しく、8日の間違いではないかという一般の見解に対して、この記述はニサヌ9日そのままで良いのだ、「588587」年度なら合致しているではないか、とうまく持って行ったJW協会ではありました。これもなかなか感心ですが、事実はどうでしょうか。既に検討したことがありますが、嘘つき連中に対してしつこいという言葉は当たりません。最初に「568567」年シマヌ15日(=745日)(①)と(JW協会の言い張る)「588587」年シマヌ15日(=71415日)(②)について、真夜中過ぎで、時刻を合わせてそれらの空を掲げます。共に午前1時としました。75日及び715日の観測で良いわけです。

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如何でしょう。殆ど一緒と判断して良いのですが、違いは②では月が黄道上にあるのに対して、①では月が黄道の内側にあります。この微妙な違いがニサヌ9日の月の位置に関して、②に好影響を与えるでしょうか。VAT4956おもて3には、9日の夜とだけでなく、「beginning of the night」と詳しく記載されています。「588587」年ニサヌ9日(=51011日)の宵の空、つまり510日の夜空を見ています。下図です。 

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486)の3)で検討した際は「588587」年ニサヌ9日=510日(5910日)とし、59日の夜空を掲げましたが、1日間違いです。協会の言うインチキ暦では、ニサヌ1日=523日と定めたからには、ニサヌ9日は511日(51011日)なので、10日の宵の空がまさしく観測された空です。上の図を見るとどうでしょう乙女座β星は、月の直ぐ下にある星座線の西端です(486)。そのβ星の少し東に月は来てしまいました。月はごく僅か西(in front of)に無ければなりません。困った事態ではありませんか。前日の宵の空、つまりニサヌ8日の宵の空(59日の宵の空)ならば西側にあり、これが(486)に掲げた59日の夜空でした。従って「588587」年についても同様に、「Night of the 9th (error for 8th )」と判断しなければなりません。
彼らの言い分をここで披露しておきます。2011111日号『ものみの塔』26㌻、VAT4956の写真付説明部分です。
[2627ページの囲み記事/図版]
VAT 4956は実際に何と述べているか
争点となるのはなぜか。この粘土板の3行目には,第1の月(ニサヌ/ニサン)の「9日の夜」に「月が乙女座ベータ星の前方1キュビトの所にあった」と記されている。しかし,1915年にノイゲバウアとワイドナーは,西暦前568年(エルサレムの滅びを西暦前587年とする年)に関して,「月がこの星の1キュビト前方にあったのはニサン8日であって,ニサン9日ではない」と書いている。(斜体は本誌。)一方,粘土板の記述と月の位置がぴったり一致するのは,西暦前588年のニサン9日であり,この場合,エルサレムが滅ぼされたのは西暦前607年となる。
9日なのか,それとも8日なのか
1)左ページの拡大写真に示されているとおり,9を表わすアッカド語の符号がはっきり見える。
2)ノイゲバウアとワイドナーは,この楔形文字のテキストを翻字する際に,「9」を「8」に変えた。
3)元のテキストでは「9」であったことを脚注の中だけで示している。
4)二人はドイツ語訳の中でも「8」とした。
51988年,サックスとフンガーは,「9」と記されている実際どおりのテキストを出版した。
6)それでも,英訳の中ではその改変をそのままにし,「9日」は「8日の誤り」であるとしている。
如何でしょうか。うまいところに目を付けたではありませんか。如何しても「568567」年を取るとVAT4956「おもて3」の日にちが具合悪い。8日でないとおかしい。この部分は記述者の間違いであろう。他の幾つものVAT4956における記載部分が「568567」年と定められる、以外の結論があろう筈もないので、8日の間違いだろうとの判断が下されたのに、それを逆手にとってやってくれました。何とも恐ろしい人たちです。惑星と星座の位置関係の記されているところは全て評価に値せずと切って捨てたばかりか、「8日の間違いではないだろうか」をも利用したのは恐れ入ります。
ところがインチキは出来ないものです。自分たちの作った暦では、ニサヌ9日には月は乙女座β星の東側にきてしまうのでした。ニサヌ9日の宵の空として、上では20時の空を掲げましたが、1642分の日没時に戻っても、月はβ星の僅か東にあります。1 cubit=2°で正しいとすれば「568567」年ニサヌ8日の宵の空ではβ星のほんの僅か西に月を認めます。この事実からも本当は8日であり、9日は間違ったのであろうといって良いでしょう。勿論、貴重なVAT4956を仮に考慮対象から外しても、ネブカドネザル第37年が「568567」以外には有り得ないという証拠が多々あることも味方であることからして、9日は間違いだと判断して妥当なのです。こともあろうにその綿密なる分析をも悪用しました。
ニサヌ9日は間違いで、ニサヌ8日でなければならないという点は「588587」年でも同じことだということを確かめました。しかし正しいその1日前で比較して、「588587」ではちょっとβ星の西どころか、かなり西でした(486)。だいぶ夜が更けて夜半前でもかなり西です。
ここで厳密を期す為に述べておきます。天文ソフトの「SkyX」を用いると、同月同日の月の位置が僅か「ステラナビゲータ10」に比べて西寄りに見えます(742)。「SkyX」を頼りにすると、510日の日没後早い時間には月はβ星の僅か西といっても良さそうです。なので、上記の検討は「ステラナビゲータ10」によると、にしておきます。両者で少し位置が違うのが何故かは分かりません。惑星の位置は変わらないのですが。「568567」も「588587」も、シマヌ15日に於ける月の位置が似通っていることから、年間を通じて近似しているのですね。月の位置記載部分については優劣を付けづらいとしておきます。月は翌日には1時間ほど前日より遅れて東の空に上るので、1日違いは大きな違いになってきます。日付が大変重きを成します。そんなこんなで拠り所は恒星や星座と太陽系惑星との位置描写のところです。1日違いがそれほど影響しません。それを仕方なく避けて通っています。採用するわけに行かないのです。素直な気持ちに戻りませんか。
 
 
 
 

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「エホバの証人のためのギデアレ聖書学校」をアメーバブログで展開している人には繰り返し登場して貰います。本当にJW信者なのか訝しいところが大いにあるのですが、その信者仲間として待遇します。問題点に事欠かない多数の中の「間違いなく西暦前607年です」シリーズは特筆すべきものです。201851日のブログでしょうか。
忠実で、忠節な兄弟・姉妹、研究生のみなさん、
背教者のうそにだまされてちゃだめですよ。
聖書には、はっきりと、「七十年」と書いてあるのです!
(背教者たちは50年だと言っている)
エホバの証人は神のみ言葉聖書に基づいて年代計算をしているのです。
聖書以外の歴史的証拠もあるのです。(粘土板VAT4956)
ものみの塔2011年11月1日号に詳しい情報があります。
復習しておくとよいでしょう。
背教者たちに欺かれないように!
先ず気掛かりな「背教」の定義です。「背教」:信じていた宗教を、背き捨てること。信仰を捨てること。棄教(デジタル大辞泉);キリスト教で、その信仰を捨てて異教に改宗し、または無宗教になること(広辞苑)。ここで背教者呼ばわりされている対象者はJW信者を離れた人たちでしょうか。内訳は分かりませんが、批判をしている人たちには、JWとは何ら関わりを持たぬ人たちのほうが多いと思いますが。十把一絡げにしてJW対背教者では如何なものでしょう。仮に一般人の忠告なら聞く耳を立てますよ、ということでしょうか。そんなわけないですね。背教者たちは「50年だ、50年だ」と声を上げていることはないと思います。世の中の歴史学者とか考古学者の人、乃至は歴史に蘊蓄のある人、殆ど全てがそう計算しているのです。
神のみ言葉が「70年」であったら、それが正真正銘「70年」ならば、間違った解釈の「70年」では困ります。JW協会の言う「70年」をそのまま取れば、50年でもなく、50年を少し切ります。尤も、「前537年にエルサレムに帰ったのだ」の嘘を用いれば50年になるんですね。まさかJW協会は神を嘘つき呼ばわりは金輪際しないでしょう。ならば、新見解の「70年」に訂正、お詫びという、JW協会にとって金輪際することのないであろう清水の舞台から飛び降りる決断を要します。
聖書以外の歴史的根拠とは何を挙げると思いきや、VAT4956ですって。2011年秋に使った手はもう利用できません。発表されるやいなや消滅したと思われます。よくぞインチキをしてくれました、と言い放ってしまったところ、月の位置関係の記述は大凡合っているといっても構わないのでした。大凡ですけど。翻訳とその解釈について明らかには決まらないとして、検討対象から外した惑星と星座の位置関係は、悉く「588587」年が見当違いというか嘘つきで、悉く「568567」年に相応しいことを証明しました。「588587」=ネブカドネザル第37年でないと、エルサレムの陥落が前607年になることはありません。
正しい認識を持つ人の正しい認識を身につけて何を欺かれましょうや。疑うことを忘れた人たちに対して、ひどい見解が、目を覚まさせることになる期待はあるかもしれません。でもこの人本当に信者仲間なのでしょうか。ひどい言葉遣いやら、「本当に607です」の連呼だけして、「607の証明」なるブログは非公開にしている事やらを考えるとJW信者の人たちを貶める非信者では。
この人のことが出て来る書き物を披露します。引用することをご容赦願います。変な人の言説ばかり目にしていると、まともなしっかりした人に出会うとほっとします。是非全体を読んでみて下さい。そのごく一部です。

“……私がこの方の記事を読んでいて心底驚いたのは、実は、201653日の「読者からのメール」というタイトルの記事の内容でした・・・。(該当記事は、こちらからご覧ください
自称たわごと姉妹は、ある読者にこのようなメールをもらったようです。
「「・・・一度、読まれてみてくださいませんか?彼の考え方はエホバの証人としていかがなものかと。私などの質問にも真摯に答えてくださるヒ○ジさんには、彼のブログはどのように映りますか?」
(ここでこの読者が言う『彼』とは、現在他のブロガーさんを口汚く罵り、ありもしない妄想で侮辱し、実際にブロガーさんたちの名前を出して「ばか背教者ども」などと言いながら、自らは架空の「ギデアレ学校校長」を名乗りつつ、JW教義の肝である西暦前607年を「どうでもいい」とキッパリ言い放った『彼』と推測します。)・・・。

「該当記事は、こちらからご覧ください」をクリックすると、「Ameba ご指定のページを表示できません。ご指定のページは移動、または、削除された可能性がございます。」
一体如何したのでしょう。興味津々の記事が閲覧できません。「ギデアレ聖書学校」においても、「607の証明」なるブログは非公開です。良く分かりませんがブロガーに共鳴してその人のアメンバーとやらにならないと読めないらしいです。批評したくても、見せてくれません。何方かどんな内容の「607の証明」なのかお分かりの方は知らせて頂きたいのですが。それよりも、本人が公開することを期待します。
 

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