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自分自身がどれだけ愛があるのだろう?と思ったりすることはありませんか?『これだけしてもらったのだから』とか『好きでいてくれるから』という理由でしか人を愛せないならそれは愛とはいえないと思いますね(^-^
愛はただ与えるのみで、見返りを求めず、むしろ、『たとえ相手が自分に親切でなくても』とか『たとえこの親切な行為を気づかれなくても』と自分を捨てて相手の幸せ、成長を願えてこそ本当の愛なのかもしれません。
愛とは時と人と場所と選ばず、常に制限のないものですから、いちいち人を愛する時に制限を加えては、自分の霊性進化をそこでストップさせているようなものですね☆
なかなか、一生懸命尽して、目に見えるような見返りが感じられないと、自分が人を愛したという実感が感じられないかもしれません。しかし、なんの付帯条件もつけず無条件の愛を与え続けていけば
、自分自身の心の中に平穏と静寂を感じ(どんなに喧騒の中、困難な状況にあっても)それが、自分の愛の強さだと感じることもあるかもしれません。
どんな時も許し、どんな人も愛し、どんな状況も咀嚼できる。
そんな人間になると、愛あふれる人なのかもしれませんね☆
時に、『なぜ、こんな時も許さなくてはいけないのか?』『なぜ、こんな時も愛さなくてはいけないのか?』と理不尽に思うこともあるかもしれません。しかし、許してみましょう。愛してみましょう。ここは物質界ですから、自分の無条件の愛が自分の人生に反映されるのには時間差があるとは思いますが、必ず、必ず自分が無条件の愛に囲まれます。
宗教ぽい話をするわけではありませんが、イエスさんは、今から約2千年前、究極のいじめの人生を歩みましたが、全て許しました。全て愛しました。その無条件の愛は、十字架に磔にされ、報われなかったと思うかもしれませんが、今日、何十億のひとが彼に愛をおくり、イエスさんはあっちの世界でたくさんの愛に囲まれているのでしょうね☆
INSPIRE (^-^\
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こんばんは☆
人を許し、人を愛する事。常に心にはとめてありますが、なかなか難しく、特に私にとっては『許す事』がとても難しいです。。。それでも日々、いろんな事を学んでいますので少しづつ『許す事』が出来て来たと思います。少なくとも一年前の自分より、今の自分の方が『許す事』に関しては出来ている気がします。だから今が幸せなのですよね^^
2007/11/26(月) 午後 5:00 [ xxxmayxxx2003 ]
私もいつも思うのですが・・・赤ちゃんや動物たちなど非力で弱いものに対して無条件で愛することができるのに・・・そして逆にそこにいてくれるだけで自分も愛を与えてもらってると感じることができるのに・・・自我などが生まれはじめたら相性や考え方など色んな面で反発することや相容れない面などが出てきますね(≧≦)無条件で愛したい気持ちはあるのに・・・かといって自分を抑えてまで相手にあわすと自分がつぶれてしまいそうになるだろうし・・・なりたい自分はあるのだけど・・・きっと生きてる毎日が学びなのでしょうね・・・(≧≦)
2007/11/27(火) 午後 3:42
めいさんこんばんは☆そう、許すことは愛することと同じくらい難しく、全ての人に共通する学びのテーマかもしれませんね。許すことで愛が深まり、幸せになるのでしょう(^-^
2007/12/3(月) 午後 7:23 [ inspire☆buddha ]
にゃーさん、まさにお手本のようなコメントですね☆(^-^\赤ちゃんや可愛い子犬など見るからに天使のような存在には無条件の愛を向けられて当たり前ですね☆問題は、自分の弱い部分を刺戟してくる相手に対して愛と許しと感謝の気持ちを持てるかですね(^-^そこで霊的成長度合いが大きく違ってきます。
2007/12/3(月) 午後 7:31 [ inspire☆buddha ]