|
阪神・淡路大震災から、まる15年が経ちました。
私は午前中、亡くなった友人の家の跡へ行ってきました。
毎年行ってるんですけど、毎年違うことを感じます。
今日は…「今日で15年。もうそんなにも経つのか…」とため息をついてしまいました。
ついこの間のこと…という感じではないけど、まだ地震の数日前に友達と電話で話したのが、
リアルに思い出せるんですよね。
友達の家あった辺りは、すべての家が倒壊。今は駐車場になっています。
その付近では、多くの方が亡くなられました。
友達のところは…一家全員が天国へ旅立たれました。
付近にいらっしゃった遺族の方と少しお話したのですが、
「15年経った今の方が悲しいです」とおっしゃっていました。
「震災から1,2年目は、生活を立て直すだけで精一杯だった。やっぱり生きてる限りは家を探して、
ご飯を食べていかなければいけない。でも生活は大丈夫になったら、今度はいろんなことを思い出す」
そうおっしゃっていたのが、印象的でした。昨年もおっしゃっていましたが、年とともに悲しみも増して
来るようです。
私は当時中学1年生でした。
その日は、部活の早朝練習たるものがあり、7時15分までに学校に行かなければならなかった私は、
5時45分に目覚ましをかけていました。
目覚ましを止めた後、遠くから「ゴー!」という音がして、今まで経験したことないくらい、
すごい揺れに襲われました。
それまで地震なんて経験したことなかった私は、言葉では言えないくらいの恐怖を覚えました。
地震の揺れは思い出せませんが、たまにちょっとした地震があると、何か思い出すんです。
私は当時、神戸でも北の方に住んでいたので、幸い私の家も近所の家も壊れたりすることなく、
ガスが数日使えないだけで、電気も3時間ぐらい経ったらつきました。
テレビを見て、本当に言葉を失いました。
よく知ってる神戸の街が…全然知らない街へと化している。
あの時の衝撃は今でも忘れることができません。
学校も1週間休みになりました。
私も生徒会の人と一緒に募金活動に参加したり、数か月経ってからですが、被害の大きかった
中学校へ行きました。
中学校のグランドはテントと車でいっぱい、体育館も人でいっぱいでした。
何を見ても、言葉を失う事ばかりでした。
そんな中、避難所の人は声をかけてくれ「お腹すいてるやろ?」と言って、おにぎりをくれたり
しました。勿論断ったけど、自分だって苦しいのに、人のことを気にかけてくれる。
人の優しさが身に染みました。
いろんなものが豊かになった今、こういう優しさが見られるでしょうか?
残念ながら、足りていないと思いますね。
部活の試合でも、何人か対戦した子が亡くなっていました。
倒壊した家の下敷きになった子、震災直後の火事で亡くなってしまった子。
知っている人が亡くなると言うのは、本当にショックでした。
私たちができること、それは震災を忘れないことだと思います。
絶対に風化させてはならない。それだけは強く思います。
阪神・淡路地区に住んでいない人も、この日が来たら、命の尊さや防災のことについて、
少しでも何か考えて欲しいなあと思います。
今回、震災で「命をつなぐ」とよく言われています。
「命を大切に」…この言葉が胸に突き刺さりました。
昨年末、大切なものを失った悲しみに耐えられず、命を絶とうとしてしまいました。
今思えば、何度でもやり直しがきくことなのです。
震災で志半ばで亡くなった人や、生きたくても生きられなかった人がそれを知ったら、
どういう気持ちになるのでしょうか…。失礼極まりないですよね。
私の命、いろんな人がつなぎとめてくれたものでもあります。
それに…きっと何か意味があって、この世に生まれてきたのだと思います。
自分の命を大切に、勿論他の人の命も大切に生きて行こう。
今も神戸市民ですが、やっぱり神戸はいいなと思います。
いつまでも神戸にいるわけでもないと思うけど、これからも海と山に囲まれた、
素敵な街であり続けて欲しいし、私も神戸のために、何かできることをしたいと思います。
|
感慨深い記事を何度も読み返しました。
思春期に体験された記憶は深く体に刻み込まれているんですね。
生への感謝を忘れずに生きていきたいです。
2010/1/18(月) 午前 11:22
生きていることがイヤになることもありました。でも震災で家族を亡くした人の話を聞いたら、生きてることにもっと感謝しなければいけないと思いました。
命だけは1度失ってしまうと、もう2度と戻ってこない。自分の命も、そして他の人の命も大切にしていこうと思います。>アトラスの祖母さん
2010/1/18(月) 午後 7:58
元夫の実家が神戸市北区だったので、震災時の話を聞き本当に大変なことだったんだなと思いました。
一瞬にして命を奪われた方々のことを思うと言葉になりませんが、ハイチ支援等、今救える命のために協力することで花をたむけたいと思います。
2010/1/18(月) 午後 9:25
私も当時、神戸市北区に住んでいましたよ。北区はそんなに被害もなかったのですが、ガスが使えなかったり、水も少しの間止まっていたところもあったようです。
この震災を風化させないように、そしてこの教訓を生かせるようにしないといけないと思います。ハイチの人々にも、せめて募金だけでも力になろうと思います。>Maryさん
2010/1/18(月) 午後 9:44