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うちにいるトカゲはグリーンイグアナとかいう種類のようだ。ジャンボエンチョー岡崎店で2,980円で買うてきてから、もう7年半ほど住み着いている。こいつは、人の顔を見るなり、いつも「赤べこ」のように首を縦に振ってくる。この行動を「ボビング」という。
このボビングという行動は、威嚇とか縄張り主張とか求愛とか、様々な意味を持っているとされる。だから、イグアナを飼っている人は、ボビングをされると「怒っているのかも」「嫌われてるのかも」「人に慣れていないのかも」と一喜一憂している。だが、ぼくはそこにかなりの違和感を感じているのだ。
威嚇とか縄張り主張とか求愛とか、これは人間側から見た意味付けだぞ。社会性のある人間の脳で考えれば、この行動に何らかの意味があると考えちゃう。つまり、人間側が一方的にコミュニケーションを図ろうとして、無理に意味付けをしているのだ。トカゲ側からすると、ボビングにはおよそ何の意味もない。何かが近づいてきた。だからボビングをする。それだけのことだ。ごく当たり前のことだ。結果として敵が逃げるかもしれない。メスが寄ってくるかもしれない。だが、そのことを考えてボビングをしているわけではない。
怒ってるか笑ってるか、好きか嫌いか、慣れているか慣れていないか。人間というやつは、そういう感覚で相手を見ている。犬や猫ならまだしも、頭がスッカスカのトカゲに対してもそうだ。だがそのような意味付けは人間の土俵でしか物事を考えていない。それをトカゲに求めるのであれば、それはただの自己中心的な自己満足だ。
ぼくはトカゲにボビングされることで、人間のルール以外にある「何か」を知る。それを知ると、逆に人間のルールが見えてくるっちゅーもんだ。そのためにこいつらを飼っていると言っても過言ではない。一般的にペットにするという行為は、ワンちゃんに服を着せるまでしなくても、だいたい人間のルールに引き込もうとする行為だ。その意味では、ぼくはペットを飼っていない。
うちのトカゲはトカゲのままでいる。ただそれだけのことだ。
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生物学
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適当に生物学のことを書くところ
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こんばんは、くわがたツマミです。おととし、2013年9月に対馬に行って来てな、ツシマヒラタクワガタとかいうやつを何匹も拉致してきたんだが、そいつらの一部がタマゴ産んで子ん坊が出てきた。その後、1匹だけ育って、現在はなかなかデカいイモムシとして過ごしている。
そんなことで、本日は「変態」について考えてみよう。このクワガタの子ん坊は、やがてサナギになって、黒光りする野郎になるという輝かしい未来が待っているわけだが、このようにサナギを介して甲虫になる変身ポーズは、勉強のできる人には「完全変態」とか呼ばれるらしい。一方、カメムシやバッタやゴキブリのように、子どもの時から親と似ているやつは「不完全変態」とか呼ばれるようだ。
さて、このサナギを介する「完全変態」ってやつはおかしいと思わんか。どうしてイモムシからカッチカチの大人になるのか。別の言い方をすれば、進化の過程において、なぜ全く違うような形に体を変化させる必要があったのか。それについて、この間読んだ養老孟司の本(「自分」の壁)にちょっと書いてあったジョークが自分の中でどうしてもひっかかっていた。
それは、「幼虫」と「成虫」はもともと別の生物だったという説。
取るに足らない中二病だと思われるだろうが、ちょっと考えてみようか。誰でも知ってるダーウィンの自然選択説は、環境に適応したやつが生き残って進化するってことだけど、イモムシから甲虫になるっていう形質が進化するってどういうことだよって思う。この変身が自然選択されるっていう状況がまったく想像できねぇよ。たとえば、高校程度の教科書にも書いてあるマーギュリスの細胞共生説は、ミトコンドリアや葉緑体などの細胞小器官はもともと別の細菌みたいなのが入り込んだものだという説で、今では通説になってるわけだが、このように自然選択で説明できない進化は、「何かが入り込んだ」と考えてもいいんじゃないの?完全変態するカテゴリーの昆虫の祖先に、何か別の寄生生物が取り付いて、DNAレベルで同化した。発生の過程において、2種の形質が異なる時間軸で発現するのではないか?なんてね。
この完全変態の様式がどのように進化したかという問いは、生物好きの野郎にとって少なからず疑問に思うもので、ネット上でも多くの研究者が解説したりしてるけど、だいたいの人はネオダーウィニズムの信者なので、形を変えることが競争に有利だったという説を自信満々で唱えているわけ。たとえば、1年で樹液がない時期は幼虫で過ごし、樹液の出る時期は甲虫になったほうが生存に有利だから、みたいな。でも、それは進化の「結果」であって、あくまでも「激変する」っていう形質がどのように獲得されたのかってのが疑問なんだ。
まあ、こんなくだらんことをタラタラと書いたわけだけど、ぼくはアホなので、このトンデモ説を明確に否定することができん。たぶん遺伝子の発現の仕組みとか分子生物学とかに詳しかったら、なんらかの納得できる答えが示されるのかもしらんなあ。
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今日、市内の図書館で、岐阜県にある名和昆虫博物館の館長、名和哲夫さんの講演会を聞いてきたぞ。っつーのは、おとつい、図書館の館長さんがチラシ持ってきて、「虫好きでしょ?人が集まらなくてさ」みたいなこと言うので、しゃあねぇなっつー感じで参加した。ぼくちゃんは人の話を長く聞いてるとすぐ寝ちまうし、そもそも、こういう感じの人って、「自然を保護すべきだ!」みたいな、左に傾倒した思想のヤツが多いから、ちょっと身構えちまうわけだ。それでも、周囲から”虫好きの変な野郎”と見られている自分が行かねば、誰が行くっつーんだというわけで、そのへんのパブリックイメージの保守のために行ってきたぞ。
客層は当然のことながら、ガキんちょとその保護者が大半、残りはそのスジの野郎とヒマな老人という感じだ。話はとても面白くて、ガキんちょは目を輝かせて「その虫知ってる!」とかやってんの。ぼくちゃんも「その虫知ってる!」とかやりたかったけど、30過ぎてるのでやめといた。
さて、こういう話を聞くに当たって、まず気になるのは、その人の自然観なんだが、「積極的採集主義者」、つまり野外に出てばっかの名和哲夫さんの自然観は、同じように野外に出てばっかの自分と重なる部分が多かった。具体的には「昆虫採集したぐらいじゃ虫の個体群はビクともしない」とか「重要なのは生息地であって、生息地さえあれば虫は絶滅しない」とかね。たとえば、ギフチョウを守るために、ギフチョウの捕獲を禁止する(参照)、とかそういうのはクソの考えることだ。そういう自然観ってのは、実際にフィールドに出ないと形成されない。都会で教科書や図鑑を読んでるだけじゃ、必ずと言っていいほど左に傾倒した思想のヤツになっちまうわけだ。
そんな中で、自分の自然観と少し違うと思ったのは、生物どうしのつながりを重要視しているということだ。たとえばクモがいなくなったら、チョウの個体群が激変して、ひいては自然の一部たる人間にも影響があるみたいな、1つ1つの種がかけがえのない役割を果たしている、いわゆる「生物多様性思想」をお持ちなのかなと思った。ぼくちゃんの感覚だと、1種や2種絶滅しようがどーってことないし、たとえば「キーストーン種」が絶滅すると大変だ、と生態学の初歩の教科書には書いてあるけど、野外に出ていると実際に「キーストーン種」なんてもんが存在するのかよ?って思うわけだ。生物どうしは、なんらかのつながりはあるけど、ガチガチなバンドで結ばれてるとは到底思えない。
まあ、自然観なんて人それぞれだし、どちらが正しいとか調べる意味も術もない。だから、左に傾倒した思想のヤツもいていいわけだよ。
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ぼくってさあ、生き物好きじゃん。だもんで学生の頃はソッチ方面の学部に行って、生態学の研究みたいなことをしてたんだけど、あれって一体何だったんだろうね?っつーことを書かせてくださいどうかお願いします。
ぼくは、とりわけ外来昆虫と群集の関係みたいなことを研究してたんだが、外来種が侵入するっていう現象はビリヤードみたいなもんだ。
ある場所にいる虫とかカエルとか鳥とかをひっくるめて「群集」とかいう専門用語を使う。
白い玉が外来種だとすると、それを突いて群集にぶつけるとどうなるんだろ?結果的に穴に落ちてしまう玉もあるかもしれない。
そうゆう感じで、何が落ちて何が残って何がどうなってしまうんかを予測するのが、生態学っつー学問の基本的な目的だ。
そんで、「何が落ちるのか」「何が残るのか」そうゆうのを予測するためには、玉と玉がどういうぶつかり方をするのかってのを検証せんといかん。それが生態学っつー学問のアプローチ方法だ。
玉と玉がどういうぶつかり方をするのかってのを検証するために、研究者たちは何をしてるのかっつーと、ある玉を取り出して、そのぶつかり具合を調べてる。
青い玉を赤い玉にぶつけると、けっこう反発するなぁ、とかそんなことをやってんの。
生き物ってさ、だいたい1年サイクルで活動するじゃん。だから、このぶつかり具合を検証するのに、最低でも1年はかかるわけ。
青い玉と赤い玉のぶつかり具合に1年、青い玉と紫の玉のぶつかり具合に1年、赤い玉と黄色い玉のぶつかり具合にまた1年。
途方もない時間をかけて、それぞれの玉のぶつかり具合をチマチマと検証してって、膨大なデータが出揃ったところで、初めて全体の玉の動きが予測できるのだ。
そう思っていた。
ぶつかり具合のメカニズムをすべて解明すれば、「何が落ちるのか」「何が残るのか」予測がつく。そんなことをキメ顔で言えるのは、「ある条件」がバッチリ揃った時だけなんですよねこれが。
たとえば、台がめっちゃ細かったり、玉の大きさがバラバラだったり、玉がめっちゃ多かったりしたら、まったく予測できやしない。
最近、お茶の間をにぎわしている「STAP細胞」ってあるよね。これは「再現性」が無いんじゃねぇの?ってことで問題になってる。「ある条件」で実験をした場合に、誰がやってもSTAP細胞が作れる、ってのが再現性だ。この再現性ってのが「科学」の考え方の本質でもある。
でもさあ、自然ってやつは複雑すぎてわけわかんねぇんだよね。玉の大きさや数がバラバラならまだしも、玉どうしが接着剤でくっついてたり、台が丸かったり、そもそも台が傾いたりもするわけだ。
「ある条件」が再び揃うなんてことは、決してない。二度とない。絶対にない。こうなってくると、ぼくは、世の研究者は、一体何をやっていたんだろ。
そこでぼくは提案したい。「はじめから直感でいこう」と。
世の研究者は長い年月をかけて、膨大なデータを積み重ねてきたんだけど、それで教授とかになってオマンマ食ってるならまだしも、そもそもの学問の目的を考えると、ただの自己満足に過ぎない。
ぼくらが「生態系」なんて呼んでるものは、宇宙より複雑なブラックボックスなんだから、いくらデータを積み重ねたところで予測はできない。絶対にできない。予測するにしても、「そんな気がするなあ」というだけのこと。だってさ、生態学って「科学」じゃねぇんだから。
とても偉い教授が「そんな気がするなあ」と言ったら、みんな「そうかもしれない」と言っている。「そんな気がするなあ」で教科書もできる。「そんな気がするなあ」で自然保護もする。「そんな気がするなあ」で外来生物法も施行される。
これが世にいう、生態学という名前の、まあ一種の「思想」なんだよね。
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おかあさーん!環境省がまた宇宙人と交信してるよ!
人気のミドリガメ、輸入禁止へ…生態系を破壊
読売新聞 1月9日(木)19時50分配信
ペットとして人気がある外来種のミドリガメについて、環境省は輸入や飼育を禁止する方針を固めた。野外に放されたミドリガメが、もともと日本にいたイシガメを準絶滅危惧種に追いやるなど生態系を壊しているからだ。ただ、数十万匹とみられるペットの飼育を禁じるのは初の試みで、混乱も予想される。同省はまず輸入を禁じ、飼育禁止は後回しにする考えだが、カメを処分したい人や飼い続けたい人にどう対応するのか、頭を悩ませている。
◆寿命は40年 ミドリガメは北米原産の外来種で正式名称はミシシッピアカミミガメ。ペット店や露店で1匹500円ほどで売られている。寿命は40年ほど。子ガメは5センチ前後だが、成長すると30センチほどになり、家庭用の小さな水槽で飼うことが難しくなる。多くが川や池に放されて増殖したとみられ、国内のカメで最も多い種類になった。日本固有種のイシガメに比べ、ミドリガメは一度に2倍の量の卵を産むなど繁殖力が高く、体もひと回り大きいため、イシガメのエサや生息場所を奪った。イシガメは数を減らし、2012年に準絶滅危惧種に指定された。環境省は昨年9月にまとめた外来種被害防止行動計画案にミドリガメの「規制を検討する」と明記。今後、外来生物法で輸入・販売や飼育が禁じられる「特定外来生物」にミドリガメを指定することにした。 ◆数十万匹
特定外来生物に指定されているのはアライグマやブルーギルなど107種類。これらを飼うには、「脱走」を防ぐオリなどを設けた上、環境省に飼育許可を得なければいけない。ところが、同省の推計では、ミドリガメの飼育数は少なくとも数十万匹に上る。同省は、許可を得れば飼育は認める方針だが、担当者は「すべての飼い主が許可を申請すれば事務処理は追いつかない。許可手続きの簡略化など手だてを講じなければ」と頭を抱える。同省が心配するのは、禁止後、飼い主がこぞって野外に放す事態だ。このため、禁止を実施する時期のほか、カメを手放したい人からどうカメを引き取るか、飼い続けたい人にどこまで厳重な管理を求めるかなど対策を検討している。 ぼくは学生の頃に生態学の研究をしていた。だから、テレビの生物系番組とか新聞記事に対して「それは間違いやろ!」とかいちいち反応して大人気なくツッコミを入れていたこともあった。けど、こういうもんは生物の知識のまったくない人がイキがって作っているということを理解してしまったので、最近はほほえましくニコニコと眺めていたところだ。しかし、今日は久しぶりにツッコミを入れたくなってしまった。誠に申し訳ありません。
環境省がミドリガメ(ミシシッピアカミミガメ)の規制に手を出すらしい。ぼくも8匹のミドリガメを20年以上飼育しているところだが、自分のことはどうでもいい。輸入や飼育を禁止することで、何か日本にとって良いことがあるのであれば、うちの8匹の命を喜んで捧げよう。でもそれは何の意味もないことはサルでもわかる。
日本には50年以上前からミドリガメが野外に住み着いている。説明するのも恥ずかしいけど、現在、野外にいるたくさんのミドリガメは「誰かが逃がしたやつ」ではない。そこで生まれたやつだ。輸入や飼育を禁止したところでそいつらが減るわけじゃことはサルでもわかる。
規制する理由として、生態系への影響、特にこの記事ではイシガメを準絶滅危惧種に追いやったと書いているが、クソの極み。霞ヶ関にはカメを野外で見たことがある人はいないのだろうか。ミドリガメのニッチとイシガメのニッチはかなり異なる。もちろん同所的に生息しているところもあるけど、ミドリガメは河川や人工的な環境に多く、イシガメは極めて水の浅い細いドブや山あいの池や沼などに多い。そんなことは田舎のガキなら誰でも知ってる。イシガメが減ったとすれば、それは人為的な環境の改変のせいだということはサルでもわかる。
記事の最後にこう書いてある。「同省が心配するのは、禁止後、飼い主がこぞって野外に放す事態だ」と。大丈夫。その心配は要らない。たぶん飼ってない人に言っても理解できないと思うけど、こんな爬虫類でもみんなかわいいと思って飼ってるから。環境省さんにとってはクソ気持ち悪い生物かもしれないけど、すぐにみんなポイポイ捨てたりはしない。そして最後に、この名言を贈ります。
『不思議と反発は感じない。感じるのは相手の知性の欠如に対する哀れみのみ』
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