クイズ!日本不思議発見☆

「日本の面白い」をクイズ形式で紹介!トリビアニッポン!

全体表示

[ リスト ]

イメージ 1

イメージ 2

◆ヒント◆ 明智光秀といえば、織田信長に仕え、下克上とはいえ、主君信長を討ち取った人物。「敵は本能寺にあり」という彼の言葉はあまりに有名で、一見、逆臣のイメージも強い。果たして信長を討つほどの男が、妻以外愛さなかったのだろうか。そうだとすると、よほど相思相愛だったエピソードがあるのか…?







◆答え◆ 明智光秀は、信長に仕える前、美濃国の土岐氏に仕えていた。そこで、後の妻、煕子(ひろこ)と縁談がまとまる。ところが、嫁入り前に煕子は疱瘡にかかり、一命はとりとめたが、顔に醜い痘痕が残ってしまう。このため、煕子の家(妻木家)では、破談にならぬよう妹を煕子として送る。結婚当日、光秀はこれを知ると「醜くなっても私の相手は妹でなく、姉の煕子である」といい、煕子を迎えに行き、二人は結ばれたという。
 それから後、光秀が仕える土岐氏が、斉藤道三によってのっとられた。そのため、光秀は浪人となり、やがて越前の朝倉義景に仕えるのだが、ひどく貧乏した。その頃、朝倉氏の仲間同士では、持ち回りで会を準備し、飲んだり、食べたりする習慣があった。だが光秀は、日々の食事も満足にはできない暮らし。そこで、煕子は、当時、女の命といわれる自分の黒髪をこっそり売って、他の仲間に恥じないもてなしをした。それを知らない光秀は、贅沢なもてなしに驚きつつも無事会を終え、面目を保つ。そして後で理由を知り、光秀は、厳しく妻を叱りつけた。が、同時にとても感激し、「一生、側室は持たない」と誓い、それを実行した。やがて、光秀は信長に仕える。近江坂本城主にまでどんどん出世し、そして、本能寺へと突入していく。

◆アクセス◆ 地図とコースは亀岡氏のHPから。亀山(亀岡)城は、天正年間明智光秀が築城、江戸時代の初め五層の天守を有した城郭。現在、城跡として現存するのは本丸付近と堀の一部。
 JR亀岡駅から谷性寺までは京都交通 バスが運行。バスの本数が少ないので事前確認を。京都交通バス 0771-23-8000 ※金剛寺穴太寺間バス不可。

「無題」書庫の記事一覧


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事