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◆ヒント◆山之内一豊は平の武将から最終的には土佐24万石を配慮した。関ヶ原の合戦を前にして、一豊は家康に自分の城や財産を明け渡している。「家康殿が石田三成と戦うため進軍するならば、途中にある東海道の自分の居城・掛川城をその兵糧と共に自由に使っていただきたい。我が軍は全軍で先陣に加わりますので、旗本の誰かを城代として入れてくだされ」といったことが大きかったという。この発言により他の東海道に城を持つ武将も財産をなげうって家康に協力すると申し出たからである。家康は一豊の発言により、何もせずに東海道の諸城を手に入れることが出来たのだ。関ヶ原の合戦で目立った戦功がなかったにも関わらず、土佐一国24万石を拝領できたのは、この「掛川城明け渡し」の件が大きかった。石高は、太閤検地以降、土地生産高を米の量に換算して表示したもので、石盛(こくもり)を基準に確定され、1石は10斗とされた。 |

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勉強になりました。
2006/1/23(月) 午後 1:05 [ siroyama hanako ]
では24万石だと24万人を養える、ということですか?いつも石高というものにピンとこなかったので、とっても勉強になりました。
2006/3/15(水) 午後 11:39 [ トコ ]