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◆ヒント◆ 古代とは縄文、弥生時代などで、人々は土器や土偶、埴輪などを焼いて暮らしていた大昔ですが。
◆答え◆ 現代では相撲は、プロスポーツ「大相撲」であり、国技とされています。NHKではテレビ放送され、家庭でも観戦できる娯楽にもなっていますが、この相撲、歴史は古く、実は古代からありました。古くは神事として、行事として行われていたそうです。シコを踏むというのが今でもありますが、もともとは地面の下にいる悪霊を踏み固めて、地上に出て来れないようにしたそうです。弥生時代には力士が埴輪で焼かれていますがご存知でしょうか?つまり、卑弥呼(239年頃)も相撲を見ていたということになります。(写真、中央右が力士の埴輪)
古事記や日本書紀の中にも相撲は登場します。垂仁天皇7年(360年頃)7月7日、「当麻邑に当麻蹶速(たぎまのくえはや)という豪傑がいました。彼は「自分は天下無双である。自分と対等に戦えるものがいたら、力比べをしたい」といっていたそうです。そこで天皇が「力自慢の者はいないか」と家臣に訊ねたところ、出雲の野見宿禰(のみのすくね)が推薦された。そして、二人の試合が行われたが、結果は野見宿禰の勝ったそうです。これが神話の世界での「相撲」の起源とされています。ちなみに、この時の試合はデスマッチだったようで、当麻蹶速はアバラ骨をボキボキ折られて死亡しました。そして当麻蹶速の土地は野見宿禰に与えられ、野見宿禰はそのまま天皇の家臣となったそうです。
また、時代は変わって、源頼朝や織田信長たちも相撲を奨励したといいます。彼らは、度々上覧相撲を催し、行司が生まれたのもこの上覧相撲かららしいです。この頃、相撲は、武家社会で完全に武芸としての色が強かったようです。信長のドラマなど見ると、吉法師(信長の幼名)が柿を食べながら相撲をとるなんてシーンも出てきたりしますネ。
江戸時代には、勧進相撲から始まり、今の日本相撲協会の前身にあたる江戸時代相撲会所が整備され、今日の大相撲につながっていきました。この頃は武芸から芸能に少し色を変えてきたようです。谷風や小野川、雷電といった人気力士の出現により相撲人気は完全に定着しました。
◆アクセス◆ 写真の埴輪は、福島県立博物館所蔵、泉崎村にある原山一号墳出土のものです。この古墳は、全長約22メートルの前方後円墳で、1981年の調査で大量の形象埴輪と円筒埴輪が溝に落ち込んだ状態で発見されました。盾持ちや相撲埴輪など武力を表現するものと琴弾き、踊る人など歌舞音曲(かぶおんぎょく)に関わるものなどがあります。
福島県立博物館 〒965-0807 福島県会津若松市城東町1-25
毎週月曜定休日、午前9時30分〜午後5時 (最終入館は午後4時30分まで)
高校生以下無料、大人260円(団体210円)
交通案内
● JR会津若松駅より約3km
● 市内循環バス1コースにて県立病院前下車 徒歩5分
● 鶴ヶ城経由飯盛山行きにて県立博物館前下車 徒歩1分
● まちなか周遊バス「ハイカラさん」にて鶴ヶ城三の丸口下車すぐ
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